1週間の謹慎。それを言い渡されてルスブンは城を出てきた。謹慎ならば結構。むしろ自分から出て行ってやる所存だった。
「皇帝陛下もなにを考えておられるのか」
と、愚痴った。
帝都の城塞は、都市の中央に位置している。城塞は主廓、内郭、外郭……と、みっつの区画にわかれており、それぞれが城壁によって囲まれていた。まさに鉄壁の城である。外郭から出るための城門棟を抜ければ、都市のストリートつながっている。
石畳のストリートは夕日に照らされて赤く染まっていた。
屋台が開かれており、果実やら魚介やら肉が積み上げられていた。購買意欲に駆られた客たちの熱狂が吹きつけてくる。このストリートは一日中こんな調子だ。雑踏に巻き込まれないように、そのストリートを突っ切った。いくつか角を曲がれば、ルスブンが目的としている屋敷が見えてくる。
白い壁面に青い屋根の屋敷。あまりゴテゴテとした造りではない。四角い箱のような建物がひとつあるだけだ。その屋敷の壁面には不規則に窓が張り付けられており、何階建てなのか外からではわからない。
建物の中央に青く塗られた、両開きのトビラがある。トビラのノブのところが黄金色に輝いていた。
トビラ。ノックしようとした。先にトビラが開いた。ルスブンは姿勢を正して屋敷に足を踏み入れた。
ホールがあった。2階まで吹き抜けになっている。中央には上階へと上がるための階段が備え付けられている。
その階段にネロは腰かけていた。この国では珍しい黒髪に黒瞳。吹けば飛んでしまいそうな痩躯。つい先日まで会っていたのに、なんだか久しぶりに会った気がした。ルスブンのなかに愛おしい気持ちがこみ上げてきた。
「師匠……」
「よせよ。オレはもう君の師匠ではない」
背後でトビラの閉まる気配があった。
ネロが魔法で閉めたのだろう。
「帝国魔術師長を解任になった、というのはウソではないのだな」
「君のその人を尊敬しているのか、見下しているのかわからない態度は、相変わらずだな」
「も、申し訳ない」
と、ルスブンは目を伏せた。
フローリングの床が目についた。
ルスブンの父は、公爵なのだ。皇族と血のつながりはないけれど、その1つ下ぐらいの階級だった。そんな父の下で育ったせいか、どうも下手に出るということが苦手なのだ。さりとて父の七光りに頼ろうとは思わなかった。このマクベス帝国では、爵位は個人で有するものであり、家で継ぐものではない。
「べつにオレは気にしちゃいない。それはルスブンの魅力だと思うしな」
「ありがとうございます」
この人にホめられると、勝手に心臓が跳ねてしまう。顔が赤くなっていないかが、ルスブンは心配だった。
「でも気を付けろよ。次に帝国魔術師長に就任するヤツには、失礼に見えるかもしれないからな」
「その件ですが……」
城で模擬選を行ったこと。そしてルスブンが勝ったこと。一週間の謹慎をくらったこと。そして頬を叩かれたこと。話した。
「グロード・ヴォルグという男は、どうやらずいぶんと感情的のようだな」
「感情的というか、無能にしか見えん」
「まぁ、そう言うな。あれでもハーグトン魔法学園を最優秀成績で卒業してるらしいからな」
「そんな肩書きだけで、魔術師長をつとめられてはたまったものではない。模擬選を行ってみたところ、せいぜい私と同等ぐらいの魔術師だ。あれは」
「ルスブンと同等なら、相当なものじゃないか」
「それで帝国魔術師長をつとめられては困るのだ!」
とつい声を荒げてしまった。
屋敷内に声が響く。
失礼、と謝った。
「そんなことはない。次期帝国魔術師長にはルスブンを推薦しようと思っていたのだ。ルスブンと同じぐらいの実力者なら、言うことはないよ」
「しかし……」
戻って来て欲しい。
そう訴えているつもりだった。照れ臭さと遠慮があって、なかなか率直には切り出せなかった。
「まだ痛むのか?」
と、ネロがそう尋ねてきて、歩み寄ってきた。
「え?」
「頬だよ。叩かれたんだろう。まだすこし腫れてるように見える」
「この程度は、べつにたいしたことでは……」
ネロの手が、ルスブンの頬にあてがわれた。細くてしなやかな手は、まるで女性のようだった。ネロの手のひらの温もりが、ルスブンの頬に伝わってきた。その手のひらにルスブンは自分の頬をあずけるようにした。魔法で、ルスブンの頬を治してくれた。こうして並ぶとネロという男の背の高さが良くわかる。ルスブンも女性にしては背が高い。ネロはさらに高い。高いのだけれどヒョロヒョロとしているから、まるでカゲボウシのようだった。
すぐ近くにネロという男性の匂いがして、カラダの奥に熱を感じた。このままネロの胸元に倒れこんでしまおうか……と迷った。拒絶はされないと思う。が、はしたないと思われるのも厭だ。ネロがルスブンのカラダを心配してくれているのに、そんな葛藤を感じていることが、不埒であるような気がした。
(はぁ)
と、胸裏で吐息を吐いた。それは表に出していれば、きっと艶のある息になっていたことだろう。
ルスブンがネロを好きになったのは、これといったキッカケがあったわけではない。強いて言うならば、戦場で命を助けられたことがあるから――だろうか。端的に言うと、敵の捕虜となっていたとき、ネロは単身で乗り込んできて、ルスブンのことを救ってくれた。カッコウ良かった。しかし、そんな1度の活躍よりも、日々の鍛練のなかで好意を募らせていくことになったほうが大きいと思う。
ネロが帝国魔術師長を解任されたのは、帝国の戦力ダウンになる。しかしそれよりも、一緒にいられる理由がなくなることのほうが辛い。
ガシャン
屋敷のどこかで、何かが割れる音がした。
「誰かいるのか?」
「エルフを買ったのさ」
「エルフを?」
エルフにたいして同情的であるネロが、エルフを買ったということに、理解できないものを感じた。見損なったとか――そういうことではない。むしろ帝国主義の優先されるこの国では、エルフを奴隷として使役することは一般的だ。ただ、ネロらしくない、と感じたのだ。
「オレはエルフにたいして同情的な考え方を持ってる。何度もエルフを解放するように――と皇帝陛下にも提言してきたし、その思想をあらためようとは思わない。自分が間違えていると思うほど利口でもないからね」
「それが原因で、解任されることになったのだろう」
たぶんな、とネロはうなずく。
「そのスタンスを変えるつもりはない。けれど、とにかく自分がエルフと親しくなるところから、はじめなくちゃならないと思ってな」
「……何人買ったのだ?」
「1人だけだ」
「そうか」
その1人のエルフは、なんの理由もなしに、ネロの傍にいられるのだ。嫉妬を感じた。エルフのくせに――という憎悪に近いものすらあった。エルフを見下すこの世界の文化は、ルスブンのなかにも根付いていた。
「今日はどうする? 良ければ夕食でも作ろうか?」
ネロが料理上手であることを、ルスブンは良く知っている。帝国魔術師たちにヒンパンに料理を振る舞ってくれたものだ。戦地では特に、ネロの料理は仲間たちから求められていた。
「いや。今日はひとまず帰るとしよう。だが、また来ると思う」
と、ルスブンは背を向けることにした。
エルフの世話をしているネロの姿など、見たくはなかった。もし、目の当たりにすれば嫉妬で正気ではいられなくなるかもしれない。たかだがエルフのような醜悪な存在が、ネロのことを独占していることにも、腹立たしさを覚えた。
屋敷を出る。
夕日に照らされた屋敷を振り返った。
この屋敷のなかで、エルフとネロはいったい、どういう生活を行っているのだろうか。ふつうに生活しているだけだと思うが、色々と想像をふくらませてしまう。そのエルフが、ネロの手料理を食べられることだけは間違いない。
結局――。
魔術師長として戻って来て欲しい、と切り出すことが出来なかった。迂遠な言い方で訴えたつもりだし、ネロはその真意に気づいているはずだ。が、ネロからは帝都に戻る気配は感じられなかった。
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