キッチンには箱がある。魔法によって常に冷却されている箱がある。一般的には冷蔵庫と呼ばれている。
料理が趣味なので、常にいろんな食材が詰め込まれている。まだまだティヌはオレにたいして警戒心を抱いている。しかし、どんな生物だって空腹には勝てないはずだ。美味そうな料理が並んでいれば、食わずにはいられないだろう。昼が体調をいたわった料理を出したが、食欲がそそられなかったようだ。今度は豪勢な食事を出してやろうという作戦にした。
まずはタマネギ、キャベツ、ニンジンなどの野菜を煮込むことにした。ポトフだ。煮込んでいるあいだに、豚肉を焼いた。リンゴとハチミツとソイソースで肉のタレを作った。
オレが料理をしているあいだ、ティヌはまるで人形のようにダイニングのイスに腰掛けていた。
食堂はやたらと広い。天井にはシャンデリアが吊るされている。壁面には赤い壁紙が張られている。貴族たちの付き合いでいただいた絵画が、適当に飾られていた。オレは貴族ではない。帝国魔術師長という立場上、貴族たちと交流する機会は多かった。絵には疎い。何を意味している絵なのか、どれぐらい価値のあるものなのかもわからない。倉庫にそまっておくよりかは良いだろうと思って飾ってある。
同じく貴族たちからいただいたワインが、あちこちに無造作に置かれている。自分で飲むよりも、もっぱら料理酒として活用させてもらっている。
中央には、10人は座れるほどのテーブル席が中央に配置されている。白いテーブルクロスが敷かれている。
そこに小さいエルフがひとりで座っている景色は寂寞としていた。
「はい。どうぞ」
と、出来上がりしだいに料理を並べていく。
ホウレンソウとニンジンのソテー。ローズマリーと黒コショウで味つけをしたフライドポテト。スペアリブにヨーグルトクリームを添える。ポークソテーにリンゴソースをかけて、最後にポトフを並べた。
品数が増えるたびに、ティヌの表情が困惑していくのが見ていて面白かった。
「どうぞ。好きなものを食べてくれ。今日はティヌの歓迎パーティだ」
「あ、あの……」
「どうした?」
「こんなに食べきれません」
「冷蔵庫に入れておけば翌日でも食べれる。それにオレは良く食べるから、心配はいらないぜ」
「そんなふうには見えませんが」
「よく言われる」
魔力を使うのに体力を必要とするせいか、痩せているのに食欲は旺盛なのだ。
ティヌはオレの顔色をうかがうようにしながら、手を伸ばした。最初に手に取ったのは、スペアリブだった。スペアリブは事前に生姜と醤油のタレにつけ込んでおり、見事なまでに赤茶けた光沢を持っていた。ティヌはその肉の骨の部分をつまみあげた。肉汁とともに、タレが滴り落ちた。
しかしティヌはその肉を持ち上げたまま硬直していた。
「どうぞ。温かいうちに食べたほうが良い」
と、促すことにした。
小さくかぶりついた。1口かじってからは速かった。2口、3口とガムシャラに食べていた。ティヌは変わらず粗末なチュニックを着ていたが、その服に肉汁が飛散するのも構っていられないようだった。小さなカラダから発散される食欲に驚かされたが、それよりも、オレの料理を口にしてくれたことに喜悦をおぼえた。
「美味しいか?」
作り手としては、感想が気になるところだ。
ティヌは我に返ったように顔を赤らめていた。
「すみません。このような場所で料理を食べるのは、はじめてです。なので、作法とか行儀とかわからないのですけれど」
「気にすることはない。汚れても、すぐに魔法でもとに戻る」
指を鳴らせば、ティヌの服についた汚れも、テーブルクロスに飛散したソースも、すべて清められる。
「御主人さまは、どうしてワッチなんかに、このような御馳走をしてくれるのですか?」
「歓迎パーティだから」
「御主人さまは、人間――なのですか?」
「見ての通りの人間だ。エルフみたいな長い耳もないしな」
と、オレはみずからの耳を、軽く弾いて見せた。
そうやって手を持ち上げるさいに、ティヌは身をすくめていた。オレが手を挙げたことによって、殴られるとでも思ったのかもしれない。
「しかし人間は、ワッチたちエルフに酷いことをする種族のはずです。テッキリ料理に毒でも入っているのかと思いました」
「それで昼ごはんも口にしなかったのか」
「普段は、硬くなったパンとか、エルフ用に売られている草団子ぐらいしか食べたことがないので」
「……っ」
その食生活には絶句してしまった。
「ベッドで寝かされるのも、壺を壊して叱られなかったのも、こうして食事が出されるのもはじめてのことだったので、どうすれば良いのかわかりませんでした」
「困らせるようなことをして悪かったな」
「いえ。御主人さまを責めているわけではないのです。申し訳ありません」
「まずはその、すぐに謝る癖をどうにかしないとな」
「はい。申し訳……あっ」
ティヌは顔を赤くしてうつむいた。謝ることを、カラダが覚えているのだろう。ティヌの過去を思うと、その凄絶さに押しつぶされそうになる。
「人間とひと口に言っても、いろいろいるからさ。まぁ、オレはこの世界では変わり者ってことになってるんだがな」
「そう――なのですか」
と、ティヌは大きなエメラルド色の目で、オレのことを見つめてきた。もしかするとティヌは快活な少女なのかもしれない。たびかさなる苦痛が、ティヌからその明朗さを奪ってしまっているように思われた。
「いろいろと話したいことがあったんだ。まずは顔のことだ」
「顔?」
「そのヤケドの痕。いちおう魔法で治すことが出来るんだが、いかんせん古い傷みたいだから、修復したさいに顔の感じが変わってしまうかもしれん」
「いえ。べつに治していただかなくても大丈夫です」
と、ティヌはかぶりを振った。
「ホントウに?」
「顔にヤケドの痕があれば、人間たちもあまりワッチを品定めするような目で見て来ないので」
そういうもんか。
良くわからないが、商品価値が薄れるということだろうか。治せばキレイになると思うのだが、奴隷としての処世術なのかもしれない。
「治して欲しくなったら言ってくれ」
「はい」
「それから明日は、服を買いに行く予定なんだが、付いて来てくれるか?」
「わかりました。寸法のはかりかたはわかりませんが、荷物持ちぐらいなら出来ると思います」
ティヌの服を買いに行く予定なのだが、どうやらオレの服を買いに行くと勘違いしているようだ。
ティヌの服を買いに行くのだと説明したら、遠慮されそうだった。あえて誤解を解かないでおくことにした。
「話をして悪かったな。どうぞ、ユックリ食事を楽しんでくれ」
ティヌの手が止まっていたので、オレはそううながした。
「いえ。やっぱりワッチには、このようなものはいただけません」
「どうして?」
「こんなに美味しい物を食べるのは、はじめてですし。こんなにしてもらっても、ご主人さまにたいして、お返しする物がありませんし」
ティヌは心底困っているようだ。
その証拠に、目じりに涙が浮かんでいる。しかし、悪い困らせ方ではないはずだ。むしろその表情はオレの嗜虐心をくすぐってくる。
「気にすることはない。歓迎パーティと言っただろう。何も考えずに、楽しめば良いんだよ。それに食べてもらわなくちゃ、作り手とはショックだぜ」
「夢を見ているのかもしれません」
独り言だったのかもしれない。ティヌはそう言うと、さらに食事に手を伸ばした。ナイフとフォークの使い方がわからなかったのか、あるいは、右手の調子がまだ良くないのか、非常にぎこちない所作で肉を食べていた。皿と食器のブツかり合う音が、食堂に響いていた。
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