【横転した飛行機の中。恐らくはスマホで撮影された映像。】
画面の中で男が一人、ちゃかちゃかと活動している。
まるでビデオの早回しをしているかのような絵面だが、――この映像は編集されていない。男は、スキルの力で加速しているのだ。
聞くところによると《すばやさ》は、危機が迫ったらとりあえず脳死で使っておいて損はないという。恐らく狂太郎は、着地直前に力を起動したのだろう。
画面をよく注意して、外傷がないか調べる。
怪我はどうやら、ない。
狂太郎の手には、半ばほどで折れた一振りの剣が握られている。
あれについては、――一度、聞いたことがあった。
《天上天下唯我独尊剣》。
たしか以前に彼が救った、どこかの世界の”異界取得物”だったはず。
いま、彼の剣がズーム・アップされた。
おどろおどろしいテロップで、
『”誘拐犯”はいま?』
という一文。
その後、彼は、機内にいるパイロットと思しき”ガチョウ族”、そして”ああああ”を安全な場所に運んだ後、――まだ意識のあった彼女の手を引き、何ごとか話し合って、紫煙の向こうへと消えた。
そんな二人を、撮影者は追いかける。
「彼女を返せッ」
勇猛果敢な台詞だ。命を惜しまぬ市井の声だ。それに釣られて、数人の野次馬も彼を追う。
だが、彼らに見えたのは、時速100キロで歩く、”誘拐犯”の姿であった。
▼
……と、いうことがあったのが、ちょうど一週間ほど前。
その時に撮影された映像を、飽きもせずリピート再生しているテレビ番組を見上げながら、愛飢夫は彼の相棒が考え込む時よくそうするように、険しく目を細めた。
「……………」
彼はいま、色とりどりのフルーツを段ボール詰めにして運んでいる。
バイト中、であった。
「どーした? テレビに夢中かい?」
と、その肩に毛むくじゃらの手が伸びる。”ウサギ族”の男の手だ。
飢夫はセクハラじみたその手をすっと躱して、
「いえ。ちょっと男の人に、見覚えがある気がして」
「え、本当かい?」
「ええ。ですけど、勘違いだったみたいです」
「もしそうなら、大事になるところだ」
「そうなんですか?」
「おうよ。”悪魔”はいまや、国際的に手配されてるからなあ」
「ふーん」
最長、一ヶ月。
そう告げられた飢夫はいま、『動物工場』近くにあるファーストフード系のフルーツ・ショップで働いている。
肉を食わないこの世界の住人にとってこの手の店は、我々が言うところのハンバーガー屋に近い。
仕事は手慣れたものだった。今でこそ、彼の稼ぎは同世代の男を遙かに上回るが、――二十代はこの手の仕事で生活費を稼いでいた。
わいわいと人一倍騒がしい若者たちが行き交う中、飢夫は柔和な笑顔を振りまきながら、様々なフルーツ料理を配っていく。
彼らの話題はやはり、――”悪魔”。
世界を騒がす”誘拐犯”の話だ。
少年少女はテーブルの上にパリの地図を広げて、いま”悪魔”が潜んでいるのはここだ、いやこっちだと議論を繰り返している。
その内容の大半は、得体の知れない悪魔学、恐らくはこの世界の不可解な信仰に基づくもので、科学的な内容ではない。
だが、少し興味深い話もあって、
・十五年前に神が降臨し、一人の”ニンゲン族”に力を与えた。
・この世の善なるものは、すべてその”ニンゲン族”を原因とする。
など、など。子供らしい、口さがない論調で語られている。
どうやらこのような考えは、世界の”常識”であるらしい。
宗教、というほど体系化されているものではない。
むしろその手のものは、ここ数十年で完全に陳腐化し、過去の遺物とされている。
かつての宗教は、あくまで人間のためのものであった。この世界の住人のような、カオスな生態系には対応していない。
故にこの世界の住人は、――”ああああ”という、特殊な力を持つ少女を心のよりどころとしているのだろう。
――そういや、ゲームでもそういう雰囲気だったな。
教会はあっても、それはキリスト教でも仏教でも、イスラム教でもない。
恐らく特定の宗教を贔屓しないための、企業判断であろう。これも一つの、”ゲームあるある”だ。
「でもよぉ、思わねえか? ”神の子”は自分から”悪魔”に連れてかれたんだろ。今ごろ二人、しっぽりやってるさ。好きにしたらいいじゃねえか」
学生と思しき”イヌ族”の少年が言った。
そんな彼を諭すように”ネコ族”の少女が、
「馬鹿ねえ。神と呼ばれる者はいつの時代も、黒にも白にも染まるもの。これまではずっと、あの”島”で優しい人たちに囲まれていたから、世界も平和でいられた。――もしそれが、変わってしまったら」
「……変わったら?」
「世の中にまた、戦史が書かれる日々が戻るかも知れない」
「そんなばかな! いやだぜ、おれ」
”イヌ族”が、全身をぶるぶる震わせる。
「戦史時代の武器はぜんぶ、”世界政府”が回収して資材に変えたはずだ」
「それが、――ホントは違うの。知ってる? 最近ネットで、銃火器のDIYレシピが出回ってるってこと」
「なんだって? つまり……」
「今や、誰が拳銃で武装しててもおかしくない世の中ってわけ。”天岩戸作戦”で特別に作成されたレシピが流出したものだって聞いたけど、実際のところは定かじゃあない。……世の中全体が、おかしくなってるのかもしれない。それもこれも……」
「例の”悪魔”に、”神の子”が穢されてるせいってことかい?」
「そういうこと」
なんど、反論しようと思ったことか。
違う。狂太郎はそんなやつじゃない、と。
むろん彼も男だから、”ああああ”とそういう関係になっていてもおかしくはない、とは思う。
だが、それとこれは全く別の話だ。
▼
「ハア……」
場所を変えて、空いたテーブルの拭き掃除をやりながら。
ここ最近の飢夫はというと、毎日毎日、少ない日当を受け取りながら、その夜をネットカフェで過ごすという、あまり健康的とは言えない生活を送っている。
――わたしのことは置いていってくれ。
以前の交信で言った台詞を、ちょっぴり悔やむ。
まさか、一ヶ月も待ちが続くとは思えなかったのだ。
だが、友人の足を引っ張りたくなかった。
――強がらなきゃよかったかもなァ。
狂太郎の作戦はわかっている。
自分がこの世界に来てから一ヶ月目。
これはつまり、”日雇い救世主”にとっての契約更新日である。
この日、天使たちが現れて、続けてこの世界の救済に当たるかどうかと安否確認が行われるのだ。
そこまでわかれば、ある程度の展開は予測できるだろう。
――つまり狂太郎は、シックスくんに何か、相談するつもりだ。
と。
つまり今の飢夫にできることは、狂太郎が仕事を見事解決するのを待つ。それだけ。
それだけだ。
ぎゃはははは、と笑いながら笑う学生を横目に、飢夫は思う。
果たして、本当にそれだけだろうか?
――なあ、飢夫。きみの『かいもり』知識は役立たないかい。……ぼくはこの手の子供向けゲームは苦手分野でね。
狂太郎はたしか、そう言っていた。
つまり彼に、『かいもり』のゲーム的な知識はほとんどないはず。
――思い出せ。
事態をもっと手っ取り早く解決する方法が、あるはずだ。
拭き掃除の手を少し止めて、……考え込む。
そして、……
「あ」
一拍遅れて、――
「あああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
悲鳴とも、歓声もつかない声を上げる。
「馬鹿だ、わたし。なんで気付かなかったんだろう」
周囲の視線が一斉に集まるが、そんなことこれっぽっちも気にならない。
――あった。
――あったよ。
――自分にしかできないことが。
そしてその時、強く納得することができたという。
――きっと、この瞬間だ。
狂太郎のやつ、この瞬間が愉しくてしょうがないから、”救世主”を辞められないのだ、と。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!