外に出て、改めてその建物を見ると、……確かにどうも、スイッチっぽい。
念のため外壁周辺を調べたところ、どうやら壁と地面の間にわずかな隙間があることがわかる。
「なるほど。そう簡単には押せない、か。これなら……」
村長の屋敷を見上げて、深く嘆息する。
とはいえ困ったのは、狂太郎の力ではとても、これを壊すことができないということだ。
――しかし、……押すことそのものは不可能ではないはずだが。
実際、ゲームでは”オプション”→”データ管理”→”リセット”→『本当にセーブデータを削除しますか?』というメッセージに『はい』を選択することで記録が削除される仕様になっている。
――まあ、この世界の狩人たちなら、力尽くで押せるか。
村長の屋敷前には、クエストボードを覗きに来た村人がちらほら。
さてどうしたものかな、と思案していると、別の世界線で見覚えのある顔、――オムスビくんが現れて、
「おい、都会もん」
不躾に声をかけてきた。
明らかに不機嫌そうなのは、今朝パンツ姿にしたことと無関係ではない。たぶん。
「悪いがいま、きみの相手をしている余裕は……」
「あの、ヘンテコな小男が逃げたぞ」
「なに? 宇宙人が?」
「えいりあんっていうのか、あいつ。変わった名前だな」
「ちょっとまて。逃げたって、……あの怪我で?」
たしかあいつ、片足が完全に折れていたように見えたが。
「ああ。村の者から松葉杖を引ったくってな。以外と元気そうだった」
どうやら、奴の生命力を甘く見ていたらしい。
「……遠くには行ってないはずだ。どこにいる?」
「俺もその、えいりあんを追いかけてきたんだ。あんたと話してるのは、そのついでだよ」
そこで、オムスビくんが見上げた先に気がつく。
屋敷の屋根に、ぽつりと一人、人影が見えたのだ。
異形のシルエット。
二つあるはずの頭部を片方失ったためか、ずいぶんと右肩に寄った頭部を一つだけ持つ、奇妙な男の姿が。
「――ッ」
狂太郎、即座に《すばやさ》を七段階目にまで上げて跳躍する。
屋敷の側面に飛びついて、蜘蛛のように壁を登った。
屋根に上がると、その中央に宇宙人の姿。
添え木を巻き、杖を突いている彼は今、スマホのような端末を操作しているところだった。
――やはりあったか。起動装置。
ないはずはない。だから神様気取りでいられたのだ。
問答している暇はなかった。
狂太郎は加速状態を維持したまま、端末を引ったくる。
そして距離を取ってから、スキルを解除。
「わっ。なんダ!?」
驚いているハゲ頭に、狂太郎は怒鳴りつけた。
「命を救われておいて……! この世界の連中を、おまえの自殺に巻き込むなッ!」
自殺。
狂太郎は単純に、そう判断している。
たぶん、もう一つの頭部が失われたせいで生きる気力を失ったとか、そこらへんが動機だろう。
だが向こうは目を白黒させて、
「いや、違ウ。誤解ダ」
「誤解?」
「わたしは単に、このスイッチを無力化しようとしただけなんだヨ」
「はあ?」
狂太郎、思い切り顔をしかめて、
「さすがに、……それは信じられんな」
「そう言われてもナ。信じてもらうしかなイ。だいたい、これを無効化するには、わたしが必要ダ」
「そうなのか?」
「きみだって、力づくでこれを吹き飛ばすつもりはないだロ?」
それはまあ、そう。
地下に爆弾が眠っている以上、下手にスイッチをいじくるのは危険すぎる。
狂太郎はことここに至って、主導権を握られている事実に愕然とした。
「だが、――やはり、信用はできない」
「できる、できないの問題ではなイ。するしかないじゃないカ? ……きみらはほら、……”帰還”したいんじゃなかったのカ?」
「む」
先ほど口を滑らせたのを、今さらになって悔やむ。
無闇に交渉材料を与えたようなものだった。
「我々はずっと、人類を観察してきタ。その上で気付いたことがあル」
ぽつり、と、宇宙人はどこか、愚痴るような口調で言う。
「……人類そのものの、『生きたい』という強い意志。土壇場になって働く生命力。自然の摂理を超越した、不可解な力。……きみと、……あの火道殺音と名乗った女はきっと、そういった未知のパワーの体現なのだろウ?」
「はあ」
「なんだ、その気のない返事ハ」
「いや別に。まあ、そういう解釈をできなくもないな、と」
「いくら否定しようとも、――そうに決まってル。きみたちの能力は、この世界の人類のスペックを大幅に上回っていル。これはわれわれの観測史上、類のないことダ」
「ぼくはただの、日雇いバイトだけど。最初に説明しなかったっけ」
小男は、不自然な位置にある顔を皮肉っぽく振る。
「天の使いは、ユーモアがある」
「………………」
「まあ要するにわたしは、降参した、ということだヨ。そりゃもう、完璧にネ。だからこうしていル。世界を超越する者の慈悲にすがろうとしているんダ」
「慈悲?」
「うん。……わたしの望みは、ただ生きていきたい、ただそれだけだからネ。死ぬのだけは嫌だかラ」
それは、わかる。狂太郎だってそうだ。生きていくためなら、多少自分の信念を曲げるさえある。
「そうかね」
嘆息一つ。
油断はしていない。そもそもこいつは、根っこのところから訳のわからんやつだ。
「だからはやく、それを返してくレ。わたしは、おまえの手伝いがしたいだけなんだかラ」
嘘を――言っているようには見えない。
とはいえ、自分に真実を見抜く才能がないことは重々承知していた。
「なんかないか」
「ン?」
「ぼくがきみを信用するに足る、何かだ」
「そう言われてもナ。自分の命が大切だかラ。それ以外に理由がいるのカ」
なるほど、納得の理屈である。正論である。
狂太郎が奴でも、きっとそうするに違いないという確信があった。
ただ、一点。
一つだけ、気に掛かる引っかかりがあった。
二つあった頭のうち、――男の方の頭は、人類が滅亡する方に賭けていたということ。
「一つ、聞いても良いか」
「まだ、何かあるのカ?」
「そんなに命が大事なら、――それするの、急ぐ必要なくないか」
「ハ?」
「いや、だってお前、その怪我じゃないか」
首が片方吹っ飛んで、さらに火道殺音の追撃を受けている。
「傷が完全に塞がってからの方が……」
心配半分、疑心半分。
とはいえあくまで狂太郎にとってこの疑問は、確認作業に過ぎなかった。
何も起こらないだろう。
十中八九、そう信じていたから。
だが。
「………………………」
その、不健康な顔つきの怪人は、一瞬だけ動きを止めた後。
「その、――端末をヨコセ!」
まるでバネ仕掛けのように、狂太郎に飛びかかってきたのである。
「え」
驚かされたのは、狂太郎である。
正直、――目の前のこいつが、ここまで愚かだとは思わなかったのだ。
こちらはほとんど信用していたというのに。嘘、下手すぎかこいつ。
狂太郎は後にこの行動を、以下のように回想している。
――この怪物、ずいぶんと長らく人類を観察していたようだが。
結局のところ、何一つとして理解できていなかったんじゃないか、と。
いずれにせよ狂太郎、すぐさま《すばやさ》を九段階目で起動。
端末に飛びかかったままの格好でほとんど静止している宇宙人をのんびり眺めながら、
――殺すべきか、殺さざるべきか。
を、考えた。
結論は明白だった。
もはやこいつは、あらゆる点で信用ならない。
では。
「この世界の住人が死なずに済む可能性が高い方を選ぶか」
静止した世界で、返答はない。
殺音から取り上げた《天上天下唯我独尊剣》を手にとる。
「一応、謝っとく。すまん」
自分の肩をちょっとだけ揉む。
湿布が効いている。もうひと頑張りできそうだ。
剣を、――構える。
「もし何か、深遠な意図に基づいた正義の行動、とかだったら」
そして、およそ百回ほど、宇宙人の全身を斬りつけた。
”日雇い救世主”の戦いはいつも、一瞬にして決着が着く。
その時も結局、――例外ではなかった。
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