狂太郎が眉を段違いにしていると、とんがり帽子の男はさすがに傷ついたらしく、
「あんたみたいな生活してると、私みたいなのは忘れられてしまうのかな」
「いや、すまない。ただちょっと、事情があって」
「だが、――……こっちなら、忘れてないんじゃないか?」
そういって彼が取り出したのは、今やすっかり数が少なくなっている”魔法符”である。
「これは……」
狂太郎がしばし考え込んで、
「あっ。『デモンズボード』の……」
「? デモンズ?」
「ああ、いや。たしかきみ、ディアブロ、とかいう悪魔に支配されていた世界の人間、だよな」
「そうそう! なんだ、覚えてくれているじゃないか」
「ははは」
乾いた笑みを浮かべて、
「っていうかきみ、なんでこの世界にいる?」
「あれから、いろいろあってね」
「いろいろ、というと?」
「あの後、銀髪の小間使いの子から話を聞いてね。あんたがどうやら、異世界の出身らしいって話も」
「ああ……」
どうやらこの男、その後自ら、異世界への転移法を編み出したのだという。
とはいえ、彼にとって想定外だったのは、自分のいる世界の他に存在するのはただ一つだけ、――仲道狂太郎のいる世界だけだと思い込んでいた点。なんでもいいから、今いる世界から抜け出すこと。それだけを目的としてしまった点である。
結果、彼が実行した術は要するに、「トラックに轢かれてどこか遠くの世界へ吹っ飛んでいく」類のもので、どこに着地するかもわからない危険な手段であったという。
「そして、この世界に流れ着き、……こっちでは珍しい”魔法符”を担保に、今はこの、しがない店の主人をやっているというわけさ」
「ずいぶん、危険な賭けをしたな」
実際、彼がこうして無事でいるのは、ほとんど奇跡といって良い確率だった。
狂太郎たち”救世主”が異世界を渡り歩いていられるのはあくまで、《異界適応術Ⅰ》、《異界呼吸術Ⅰ》なるスキルによって保護されているためであり、常人が異世界へと転移した場合、世界のルールと、その者の生命活動に必要な条件が噛み合わず、即死してしまうケースも多い。
「だいたい、通常より少し酸素濃度が高いだけでも、人間は死に至る。いつも、自分の身体に適合した世界に転移できるとは思わないことだ。できれば、二度と同じ真似をするべきではないな」
「わかってる。――実際この世界にきて、私も驚いたよ。動物の屍肉を平気で口に運ぶような連中ばかりでね」
「たしかに。きみらの世界の人間なら、みんなそう思うだろうな」
ちょっぴり笑う。
そういえば、彼のいた世界の住人は、食事の必要がないのだったか。
「まあ、いい。とりあえずお客として来たのなら、――いらっしゃい。用件はなんだい」
「ああ。すまないが、革製のベルトを売ってないか」
「それなら、とっておきのがある。ユニコーンの革を使ったベルトだ。非処女が触れると革が毛羽立つ魔法がかかってる」
「その魔法、いる?」
「そうでなくても、強い魔法耐性があるぞ。弱い魔法なら跳ね返す力がある。しかも手入れいらずだ。非処女が装着しない限り」
「ふむ」
実物をチェック。サイズもちょうどいい。
引っ張ってみたが、かなり丈夫そうでもある。
「よし。これなら、もらおう」
提示された金額は、合皮が溢れている我々の世界の基準としても、かなり安い。
とんがり帽子曰く、”救世主価格”とのこと。
とりあえず、それをさっと腰に巻いていると、
「おっちゃん。これとこれとこれとこれ」
ごとごと、とテーブルの上に各種魔法グッズが並べられる。
《命の指輪》。使うと、指輪から治癒系のポーションが噴き出す。非常用。
《蚤の足枷》。使うと、周囲の重力を操作し、高く飛び上がることができる。
《焔の手袋》。使うと、三種類の簡単な火系魔法を発動する。
そして、各種巻物。火系、風系、水系、光系、一通りだ。
全てにⅠ~Ⅲの数字が割り振られているもので、どれも、この世界における冒険者にとっては必須のセットらしい。
「仕事道具にはケチケチしない、か」
もとより収集癖の強い娘であったが、案外、飢夫に影響を受けているのかもしれない。
「ちなみに、うちも”救世主”なんで。――その、”救世主価格”でお願いね」
しかも、しっかりしていると来ている。
とんがり帽子は苦笑しつつ、彼女の鞄に道具を詰めていった。
彼とはその後、二、三十分ほど、思い出話と雑談に華を咲かせることに(※20)。
なお、その際、とんがり帽子くんが語った、この世界の成り立ちに関しての情報は、以下のようなものだったという。
▼
【我々が生きる宇宙(※21)に関する、大雑把な所感】
1、名前――不明。
ひょっとすると上位の存在(創造主?)が名付けた言葉があるのかもしれないが、詳細は不明。
2、誕生の時期――正確には不明。
恐らくは、とてつもなく大昔のことだろう。たぶん、上位存在ですら観測不能なほどに。
56億7千万年間、ずーっとレベル上げし続けているという妙な兄さんと話したことがあるため、少なくとも宇宙誕生はそれより前だと思われる。
ちなみにその兄さんは”救世主”資格を持った者の一人で、弥勒菩薩と名乗っていた。
3、創造主――不明。
いろいろな異世界人から話を聞いたが、未だによくわからない。
四つの顔を持つ男だとか、年端のいかない女の子であるとか、ひげもじゃの白人だとか。いろいろな姿をしているらしい。
3、言語――一種類。
実のところこれは、正確ではない。
誰しも一度は、親から言葉を教わる機会に恵まれるであろうから。
とはいえ、大人になってから外国語を覚えるような手間をかける者は少なかろう。《バベル語》の術式は、そう難しくない。少なくとも、新たな言語を一から学ぶよりは、よっぽどいい。
とはいえもちろん、魔術・奇跡の類が一切存在しない世界などがあれば、別ではあるが。
4、文化――猥雑。
いろいろな異世界人と話をすると、我々の創造主さまはどうも、あらゆるものがごちゃごちゃに混ざり合った、闇鍋のようなものを好むタチなのでは、と思わずにはいられない。
あるいは、かくあることこそが、創造主が我らに望む唯一のことなのかもしれない。
5、面積――無限。
とある信頼に値する書籍において、「無限」とはこのように定義されている。
かつて存在した最大のものよりももっとも大きいもの。
「巨大」に「広大無辺」をかけて、「とてつもなく莫大」をかける感じ。
その書籍にはさらに、以下のような記述も登場する。
『”宇宙”の広大な面積に対して、我々人間の数は有限である。
有限の数を無限で割ると、その数値はほとんど無視して良いほどになる。
つまり我々の宇宙の人口密度は、ほとんど0である、という計算がなりたつ。
このため、たまに誰かと出くわすのは、狂った想像力の産物にすぎない。』
▼
しばし二人は、故郷の友人とそうするように語り合い、そして、お別れとなる。
店を去り際、
「ああ、そうそう」
「?」
「もうきみ、元の世界には戻りようがないんだろ?」
「……ああ。実はね」
「もし良かったら、元の世界への帰還、上司にかけ合ってみようか」
「………………うーむ」
とんがり帽子は苦笑して、
「いや、いい。私はこの世界、……この街で、骨を埋めようと思う」
「それでいいのかい?」
ここまで生活習慣が違う場所にいては、寂しかろう。
「ああ。この世界なら、いろんな異世界人との出会うこともある。私は、少しでも真理に近い場所にいたい」
「そうかね」
狂太郎は唇を斜めにして、
「同感だな」
会えて良かったな、と思う。
「また来るよ。期間は空くかもしれないが、――きっとね」
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(※20)
どうやら、最後の戦いに参加した者はみな、英雄として故郷でそこそこの地位に収まることができたらしい。
ディアブロのその後についてはもちろん、――誰も知らない。
(※21)
生命、宇宙、そして万物を内包する何か。
一応便宜的に”宇宙”と書いているが実のところ、この翻訳が適切かどうか、筆者にもよくわからない。
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