昼食後。
お腹がくちくなった二人が「最近食べたもので、いちばんうまかったものは?(※13)」的な議論を愉しんでいる、と。
「こんにちは」
どこか、子猫をあやすような女の声がする。
発音は、「こんにちは」の「ん」にアクセント。やはり標準語ではない。
すると仮面少女は、さっと仮面を頭にずらして、直立不動の姿勢を取った。
「あっ、あっ……そ、村長!」
「お邪魔してよろしい?」
「え、ええっ。散らかってますけども」
「かまへんぇ」
同時に、きい、と音を立てて木戸が開かれる。
そこから、眼を細くした美しい小顔と、――石けんの甘ったるい匂いを感じて、狂太郎は目を見張った。
「おや? ……あんた」
「あらあら。まあまあ」
顔を合わせるなり、二人揃って意外そうな顔になる。
そんな二人に、仮面少女は顔をぴょこぴょこ動かして、
「えっ? えっ? お二人、お知り合い?」
「いや。初対面だ」
すると”村長”も、皮肉っぽく笑った。
「せやねえ。知り合いっちゅうわけやない」
「じゃ、なんで……?」
不思議そうな表情の少女に、”村長”は猫をくすぐるような口調で、
「悪いけどあんさん、ちょっと席、はずしていただける? うちはちょっと、この方とお話したいことがあるから」
「えっ。……でもぉ」
「ええから。はように」
有無を言わさないその口調に、仮面少女は「はあい」と応え、渋々その場を後にする。
そうして、二人っきりになって。
狂太郎はまず、先に口を開いた。
「驚いたな。――ぼく以外の”日雇い救世主”に出会うのは初めてだ」
「あら、そおなん? うちは三度目やけど」
そう応えた女は、一目でわかるほど、この世界には似つかわしくない格好だ。
一見、学生服のように見える。だが世界中を探しても、彼女の着ているような制服は見当たらないだろう。
強いてそれを一言で表現するならば、――「物語に登場する架空の魔法学校の制服」とでも言うべきだろうか。彼女はそのコスプレじみた格好を、まるでそういう私服であるのように着こなしている。
あるいはその、堂々とした態度と自負心が為せる業かもしれない。
歳は若い。十代後半、あるいは二十代前半。
その容姿の第一印象は、
――黒髪の乙女、だな。
というもの。
つまり彼女は明らかに日本人で、ついでに尋常ならざる美形だった。
髪を高い位置のサイドテールにまとめている点がちょっぴり子供っぽいが、それすら彼女から漂う高貴さのアクセントとなっている。
好みが分かれる点があるとするならば、その勝ち気な眉と、他人を射貫くような眼光だろうか。
総じて彼女は、なんだか触れがたい、手を出しがたい類の美女であった。
とはいえ狂太郎も、美人と出くわすだけで舞い上がるほど、若くもない。
あくまで仕事上の付き合いであるという体を崩さず、
「ええと……こういう時、ぼくは、どうすればいいんだろう?」
「あら。ご存じないん? そういうときはね、担当の名刺を見せるんよ」
少女はにっこりと眼を細めて笑う。薄目を開けて覗き見える黒目が、こちらに完全には気を許していない事実を物語っていた。
――そういえばナインのやつに、「最初に渡した名刺、絶対なくすなよ」とか言われてたっけ。
鞄のポケットの小物入れになっている場所をまさぐって、今はくしゃくしゃになりかけていたそれを取り出す。
「ほら」
表面には印刷された文字で、
『人事部
社員 No,9
(有)エッジ&マジック異界管理サービス』
裏面には手書きで、
『・スキル:《すばやさⅩ》を付与しました。
・スキル:《バベル語(上級)》を付与しました。
・スキル:《異界適応術Ⅰ》を付与しました。
・スキル:《異界呼吸術Ⅰ》を付与しました。
・スキル:《精神汚染耐性Ⅰ》を付与しました。』
「ふーん。そっちの天使は、……ナンバー9なんやね」
「そちらは?」
「ナンバー6」
「へえ。何番までいるんだろ」
「さあ? うちも正直、連中のことはよぉ知らんし」
なんだろう。
そのセリフを素直に受け取れないのは、その丁寧すぎる言葉の抑揚のせいだろうか。
彼女は裏面の文字をゆっくりと読んで、
「《すばやさⅩ》か。なんやずいぶん、使いにくそうなスキルやねえ?」
「ん。……ちょっとまて。”救世主”ごとに付与されるスキルは違うのかい?」
「あらら。そんなことも知らんの?」
「そうだ。嘘を吐く理由がどこにある」
「ふうん……」
少女は、妖しげな微笑を浮かべる。
吸い込まれてしまいそうな眼に、狂太郎は思わず目を背けて、
「……それで? 君の能力は?」
すると娘は悪戯っぽく、応えた。
「えっ。教えられへんけど」
「は? こっちは名刺を見せたじゃないか」
「うん。せやね」
「だったら、そっちも見せるのが礼儀というものじゃないのか?」
名刺ってそういうものだろ。他人のだけど。
「いーや♪」
「なぜだ」
「きぎょーひみつやから」
この世の中には、とくな性格というものがある。
その者の不思議な魅力で、通常では道理の通らない取引ですら、あっさりと押し通してしまうのだ。彼女がそれだった。
「…………」
だが、こと仲道狂太郎に対して、その手は通用しない。
硬派だからとか、そういうカッコイイ理由ではなく、単に心が枯れているのである。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ。きみ、協力する気があるのかね」
「協力? ……うふふふふ。協力ねえ」
彼女は、先ほどと同じく、真意の読めない笑みを浮かべて、
「そんじゃ、やさしいうちが教えたる。”救世主”同士はね、あんまり協力なんて、せえへんのよ。”救世主”が同じ世界に派遣された場合、ほとんどは競争になる。どっちが先に世界を救うか、っちゅうね」
「そう……なのか?」
「うん」
「ってことは、……きみは、敵だと?」
「だとしたら、どうします?」
「今すぐきみを拘束して身動きを取れなくするだけだが」
「うふふ。こわぁ」
彼女は、笑みを崩さないままだ。
こちらの出方をうかがっているのか、――いや。
どうも、こちらが手荒な真似をした瞬間、手痛いしっぺ返しが待っている気がする。
彼女の纏う雰囲気は要するに、そういうものだ。
――敵意。
「そりゃ堪忍やねえ。……でも、直接手ぇだすのはさすがにNG。そしたら、うちの担当が黙っとらん。あんたもクビにはなりとぉないやろ?」
「ふむ」
狂太郎は少し彼女の言葉を斟酌して、
「喧嘩はNG。だが協力はしない。……同じ会社のライバル社員、みたいな関係ということかな」
「そ。聡い方でよかったわぁ」
掴めない態度から一転、どこか媚びるようなセリフだ。蕩けるように甘い言葉だ。そのギャップ一つで、彼女に夢中になってしまう男がいてもおかしくはない。
だが狂太郎、眉間にくっきりと皺を寄せて、
「……わかったよ。だが、そもそも”終末”を防げなければお話にならない。そうだろう」
「せやね」
そして、苦い顔を作った。
だったらやはり、お互いにスキルを把握しておいた方がいい気がするが。
もし”救世主”同士の争いに巻き込んで、現地民を死なせてしまうようなことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。
「なら、最低限度でいいから、情報共有をお願いできないか」
そっちだって、足を引っ張られるのは困るだろう?
暗にそういう意図を含ませている。
「もちろん。かまへんよ」
少女は下品でない程度に口角を上げて、
「その前にひとつ、うちら、やり忘れてること、あらしまへん?」
「忘れてる?」
「な・ま・え。うち、あんさんのこと、なんて呼べばええの」
「……ああ、そうだった」
名刺を渡したせいだろう。自己紹介した気持ちになっていた。
「ぼくは仲道狂太郎だ。よろしく」
すると彼女は、例の油断ならない笑みを浮かべて、
「うち、火道殺音(※14)いいます。あんじょう、よろしゅうにね」
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(※13)
ちなみに、仮面少女の方は、
「空きっ腹の時に囓った、シーアスパラガスっちゅう野菜」
狂太郎は、
「リンツ・リンドールのチョコレート」
とのこと。
余談だが、シーアスパラガスもリンツ・リンドールのチョコもコストコで買える。機会があったら、ご賞味あれ。
とくにシーアスパラガスはなんか……すごく異世界っぽい味がする。
(※14)
物語の最初に断らせていただいたとおり、彼女も偽名とさせていただく。
なおこの偽名は、のちに筆者がお会いした際、本人に直接、名付けてもらった名前だ。
コロネパンが好きだからつけたらしい。だとしてもこの当て字はどうかと思うが……。
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