「あっ。でも、ちょいまち」
「?」
「あたしかて、餓鬼の使いとちゃうからね。わりぃんやけど、戻る前に一仕事、終わらせても構わへん?」
「仕事、というと?」
「ハチミツ集め。あたし、採集班やし」
「なるほど。ハチミツ。……どのハチミツ?」
「そら、この辺におるんはテラバチよ」
「テラ、というと……ええと、ギガの上か」
「せやね」
狂太郎は、先ほど攻略wikiで見かけた情報を思い出し、
「確か、回復薬かなんかの材料になるんだっけ」
「そらそうよ。ってか、それ以外の用途、あるん?」
「はちみつなら、いくらでも他に用途がありそうだが」
「例えば?」
「お菓子とか」
我々の世界のハチミツと、この世界のハチミツが同じものとは限らないが。
「ああ。……それは考えつかんかったな。確かに味は悪ぅない」
「そうかね」
「でもぶっちゃけ、もっと美味しいもん、いっぱいあるやん? わざわざ薬の材料、食べるっちゅうのもなあ」
どうやらこの世界の住人は、『デモンズボード』の時のように食事をとらない、というようなことはないらしい。
最初の転移を経験してから、狂太郎はまずそのことを調べるようにしている。
「そんじゃ悪いけど、ちょっぴり付き合ってもろて」
「いいけど、荷物持ちとかはできないぜ。今持ってる分で一杯一杯だからな」
「べつに、そんなたくさん採らんから、ええけど。……両手、空いてるやん」
「すぐ疲れちゃうんだよ」
「力に自信もないくせによくもまぁ、こんなとこまで来たなあ」
「逃げ足には自信があるんだ」
不思議と繰り返し言う羽目になっているセリフを口にしながら、狂太郎は後頭部を少し掻く。
「ちなみにきみの方は、力に自信があるのかい」
「そらね。自慢やないけど、子供衆の中なら、いちばんやとおもう」
「へえ」
とはいえ、この手のゲームで性別・体格差がキャラのパラメータに影響することはほとんどない。
そういう意味でこの島は、完璧な男女平等が実現していると言って良いのかも知れなかった。
「ほな、行こけ」
「場所は、――どこにある?」
「北に進むと、そらもう天を衝くような巨樹がある。そこにあるうろの一つが、テラバチの住処になってるんよ」
「そうかね。わかった」
巨樹がある場所なら、顔を上げればすぐに見つかる。道案内なしでも行けそうだ。
「では、そこまできみを背負っていくが、構わないか」
「背負う……って、アホいいなや。そないな恥ずかしい真似、できるかいな」
「だが、ぼくが背負っていった方がはやいぞ」
「なんやと」
その言葉、どうやら彼女の負けず嫌いに火を点けたらしい。
「ほな、――競争になるなぁ。あたしとあんた、どっちが早いか」
「構わんが、さっきのぼくの動きを見たろ。ぼくはちょっとばかり、不思議な術を使う」
「不思議な術がなんやっちゅーねん。こちとらガキんころから、この辺りは庭みたいなもんやぞ」
「では、仕方ない。さきで待ってるよ」
こういう手合いは、いったん力を見せた方が後々のためになる。
「よーい、どん」
と、気のない語気で言いながら《すばやさ》を起動。
――レベルは、6段階目。10倍速くらいでいくか。
この世界は、とにかく歩きにくい。スキル使用後は身体能力そのものが底上げされるとはいえ、障害物との接触でいらぬダメージは負いたくなかった。
再び、世界中がスローになる。
仮面少女はすでに移動を開始していて、狂太郎に背を向けてすぐそばの獣道に足を踏み入れているところだった。
「じゃ、お先に失礼」
呟いて、重さの感じられなくなった四肢を巧みに動かし(※8)、兎のようにぴょん、ぴょんと跳ねる。
彼女の向かう方向へ少し行くと、大きく拓けた道があった。
――たぶんこの辺り、何か、身体の大きいモンスターの縄張りなのだろう。
でなければ、森の中にここまで歩きやすい道がある理由にならない。
などと冷静に状況を分析していると、――頭の上を、例の仮面少女が隼のように飛び越えていく。
「うわ、すごいな、あの娘」
その身体能力は、常人を遙かに超えていた。
あちこちに点在するつる植物を巧みに使って樹から樹を飛び回る彼女の姿は、さながら『ターザン』のようだ。
――しかも何がスゴイって彼女、いろいろ荷物を背負ったままだってところだな。
と、感心している場合ではない。
狂太郎は少しだけ小走りになって、さっと彼女を抜き返す。
「………………う、そ、や、ろッ!?」
スローに引き延ばされた彼女の悲鳴が聞こえる中で、狂太郎は《すばやさ》のレベルをもう一段階、上げることにした。
瞬間、中空を進む彼女の動きがピタリと止まる。
その後、狂太郎の主観で、十五分ほどだろうか。
目的地である大樹の麓に到着した頃には、――二人の間に、埋めようがない差がついていた。
▼
「ぜはーっ! ぜはーっ! ぜはーっ!」
膝をついて、がっくりとうなだれる仮面少女。
狂太郎、彼女の息が整うのを待ってから、持ってきたアーサー・C・クラーク著『幼年期の終わり』(※9)の文庫本をぱたんと閉じる。
「やあ。おつかれ」
「ち、ち、ち、ちくしょう……こんな……こんな……っ」
「いやでも、よく頑張ってたよ。特に序盤の追い上げには驚かされた」
「うっさい! 何をえらそーに……」
そこで息が詰まったらしい。少女は水筒の水を、ごく、ごくと一気飲みする。
「だから言ったろ。不思議な術を使うって」
特に、優越感に溺れるようなことはない。この力はエセ天使に一方的に与えられたものだ。
――勝利というものは、努力と機知の報酬でなければなんの価値もない。
というのは、帰還後のセリフである。彼はここ最近、『Fall Guys』のチート・プレイヤーにコテンパンにされているのだ。
「うっさい、うっさい、うっさい! くそ! あんたみたいな都会もんに……!」
都会もん。
異世界語の翻訳が正しく機能しているのであれば、それは多少、差別的な意味合いを含んでいるはず。
――よくわからんが、ここの住民にその手の反骨精神が芽生えているのならば、……ちょっとばかり、面倒だな。
狂太郎は嘆息し、周辺を観察する。
恐らくは十数キロ以上にわたって柔らかな芝生が広がっているその場所には、見るからに草食系の、穏やかなモンスターの群れが点々と生息していた。
特徴的なのは、この辺りは全体的に、驚くほど平坦な土地になっているらしい、ということ。
明らかに、かつて人工的に手を加えられた痕跡が残っている。
まだ『ハンターズヴィレッジ・サガ』の設定をちゃんと調べられていないが、あるいはこの世界、かつて高度な文明が栄えていて……とか、そういうパターンのやつかもしれない。
原っぱの中央には、先ほど仮面少女が話していた大樹が、堂々たる姿で佇んでいた。
――でかいな。
我々の世界に存在する最も高い木は、アメリカ合衆国カリフォルニア州に存在する”ハイペリオン”という妙にカッコいい名前の樹であるが、この高さはおよそ115メートルほどだという。
だが目の前の巨樹はそれよりも遙かに高く――まさしくファンタジー世界の産物、とでも言うべきものだ。
恐らくだがその高さ、百キロとか、二百キロとか。目測ではとてもその正確な数字を図ることはできそうにない。成層圏を越えている感じもする。
むろん、その直径も大きい。
その樹の幹は、何百、何千もの巨大な蔓が複雑に絡み合ってできているようだ。
また、その周辺に生息している生命の多様性にも、目を見張るものがある。
異世界ではさほど珍しくもないことだが、そのサイズはどれも、我々の生きる世界の動物とは比較にならないほどに大きい。
遠くに目をこらすと、ブラキオサウルスの親戚みたいなモンスターが、5、6メートルほどの長い首を伸ばして、のんびりと巨樹の葉を食んでいるところが見えた。
その様子をぼんやりと眺めつつ、傍らの少女の息が整うのを待つ。
そして、タイミングを見計らってから、こう言った。
「では、さっさとその”仕事”、片付けてしまおうか。――お嬢さん」
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(※8)
狂太郎はこのため、ほぼ毎日かかさず、プールのウォーキングコースで一、二時間ほど過ごすことにしている。
なんでも水中での歩行は、加速した世界での移動にかなり近いようだ。
一般的に、胸まで水中に浸かると、体重の70%をカットした状態での活動が可能とされる。
これは《すばやさ》に換算すると五段階目(二倍速)~六段階目(十倍速)の間くらいの感覚だという。
とはいえ本人曰く、「若い男は水泳用のレーンを使うのが当たり前なので、歩行用レーンを使うとお年寄りに混じる羽目になる。それがちょっと辛い」とのことだが。
(※9)
ちなみにこれは、私の本棚から勝手に持って行ったものである。
読了後の感想は一言、
「これ、涼宮ハルヒのパクりではないだろうか?」
とのこと。
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