銀の髪を持つ青年は、仲道狂太郎の信奉者だった。
狂信者、と言い換えても良い。
故に彼は、一切の迷いなく、行動を起こすことができたのだろう。
じり、と、ゆっくり間合いを詰めて。
「おいッ、お前……」
ガンダム鎧の男が、余計なセリフを発する。
その次の瞬間だった。
危険を察知した悪魔が、掴んだ首を、ぎゅっと握りしめる。
即座に気道が締め付けられて、
「……ぐ、え……ッ」
うめき声をあげる。
意識が遠くなる。死ぬ。
ごくごく平凡に生きてきた男にとってそれは、想像を絶するストレスだった。
「――ッ」
その表情を呼び水に、青年は駆ける。
「うりゃあああああああああああああああああああッ!」
気合い、一閃。
青年の絶叫が響き渡った。
狙いは、悪魔によって盾にされている狂太郎の腹部である。
それは、異世界人ならではの知恵であったかもしれない。
心臓と脳さえ避ければ即死はしない。即死しなければポーションによる治癒が可能である。そういう理屈だ。
かくして青年は、敬愛する男の横っ腹に剣を突き立てた。
「……ぐっ」
消えかけた意識に、活が入る。
その痛みは、――想像を絶するものだった。無理もない、内臓には多くの神経が通っているためだ。
だが一方で、狂太郎はこんなふうに考えている。
いまどき切腹を経験してみるというのも、レアな体験だな、と。現実逃避は得意技だ。
彼がぎりぎりのところで意識を保つことができたのは、全ての顛末を見届ける義務がある、と、そう想っていたためである。
「ぐう……お、おのれ……ッ」
狂太郎を貫いた剣は、悪魔の右胸に突き刺さっている。
目を潰され、胸を突かれても、それでもまだ、この怪物は死なない。だが弱っている。狂太郎を掴む力が、明らかに緩んでいる。
ずるり、と、”デモンズソード”が狂太郎の身体から引く抜かれた。
悪魔、もはや人質の価値なしと判断したのか、狂太郎をゴミのように床に転がして、
「お前のような……雑魚にッ!」
青年の頭部に、さっと爪を振り下ろした。
「――危ねえッ!」
それを受けたのは、間に飛び込んできたガンダム鎧である。
彼は、見た目通りの勇猛さでその爪を受け止める、が、彼自慢のナントカ剣は、たった一撃で根本からへし折れた。
「う、嘘だろッ?」
その表情から、希望の色が消える。
だが、まだ戦意を失っていない者がいた。ギンパツくんである。彼はそのすばやい身のこなしで悪魔の背後に回り込み、下段から、棒きれを叩き付けるような要領で、渾身の一撃をお見舞いした。
「が、あッ!」
鋼鉄より硬いはずの鱗が、彼の一撃では易々と引き裂かれる。
「救世主さまの言った通りだ……ッ」
小さく、声が漏れる。
――諦めなければ、きっと勝機がある。勝ち筋は見えてくる。
そんなセリフを、まるで念仏のように。
「何故ッ!? おまえなんかに、こんな力が……」
悪魔は困惑している。
それに関して、――仲道狂太郎には、一つの答えがあった。
六人の巡礼者たちの中で、ギンパツくんだけだったのである。
”庭園”ステージにおける魔物を殺した経験があったのは。
これはつまり、彼のみ、高い経験値を取得している、ということでもあった。
――この世界において、どうやら我々異世界人はルールの枠外の生き物らしい。
これに気付いたのは、”伝道者”との旅路、”城下街”ステージの攻略途中だ。
その際、自身が感じた違和感。
レベルが上がらない、ということ。
『デモンズボード』は、ダンジョン探索型のロールプレイングゲームである。つまり、レベルアップを始めとするキャラクター育成要素が存在する。
だが狂太郎の場合、敵を殺しても自身が強くなった実感はなかった。
――ひょっとしてこの世界ではそもそも、敵を殺しても強くなったりしないのだろうか。
あり得る話だ。そこまで何もかも、ゲームに即した世界観とは思えない。
だが、こうも思った。
ここまでゲームの世界を再現しているのだ。もしレベルアップ要素がないとするなら、ちょっとした片手落ちだな、と。
だから念のため、”庭園”ステージの攻略はこの世界の住人を連れて行くことにしたのである。
道中の魔物と、ボスキャラクターの撃退。
この若者に殺しを強制したのは、決して自分の手を汚したくないからではない。彼のレベル上げに必要だったためだ。
一振りの剣と、五本の爪が斬り結ぶ。
若き勇者は、真っ青な顔色ながら、それでも互角に戦うことができていた。
仲道狂太郎は、この友人の活躍を薄目で眺めながら、腹部から大量に流れ出る血液をぼんやりと眺めている。
――ぼくは、よくやった。たぶん。
率直に、そう思う。
十数年間、まともな職に就かなかった者の仕事としては、大したものだ。
「おい! しっかりしろ!」
ガンダム鎧が、狂太郎を抱きかかえるようにして距離をとる。そして、その口元にねじ込むようにして”ポーション”を飲ませた。
力を振り絞って、それを口に含む。
味は、なかった。
「――!? なんだこれ? ……どうして治らない……?」
やはり、か。
予測された事態だ。
仲道狂太郎と、この世界の住人の身体は、根本的に異なっている。
”ポーション”とやらが役に立たなくとも無理はない。
狂太郎はそれでも、薄目を開けてギンパツくんの動きを見守っていた。
せめて。
せめて、ヤツを倒すことができれば……。
結論から言うと、――狂太郎の願いは、届いた。
いくら悪魔が必殺の術を持とうと、当たらなければ何の価値もない。
銀髪の青年の剣が、悪魔の左肩を大きく傷つけた。
「いけえ!」
とんがり帽子たち遠距離攻撃の部隊が、怪物の背に矢を射かける。ありとあらゆる属性の魔法符によって全身を焼かれ、――それでも怪物は、悲鳴を上げなかった。
死ぬ。
それをはっきりと予測したが故、だろうか。
堂々たる態度である。
狂太郎はその姿に「武蔵坊弁慶の立ち往生」という言葉を思い浮かべている。
「お、わ、り、だ…………ッ!」
瞬間、ギンパツくんの見事な一撃が、怪物の首から上を吹き飛ばす。
同時に、悪魔自身の手によって生み出された剣は、その使命を終えたとばかりに根本からたたき折れた。
刃が、くるくると宙を舞って、狂太郎の足元に突き刺さる。
そこに反射した、腹部からどくどくと血を流している自分の姿を見て。
――勝ったか。
安堵。
そこで彼の意識は一時、途絶えている。
▼
それから、どれほど眠っていたのだろうか。
狂太郎の主観では、二、三時間はたっぷり横になっていた気がする。
だが、そんなはずはなかった。
薄目を開けて、ぼんやりと辺りを見たところ、――跳ねられた悪魔の生首が、まだ床に着地していない。
見上げると、例のガンダム鎧がまだ、心配そうな表情でこちらを見ていた。
何もかも、ピタリと静止したまま動かずにいる。
――ここは……加速した時間の中か……?
だが、そうなると奇妙だった。狂太郎はスキルを発動した覚えがない。
あるいは、知らず知らずのうちに力を起動していたのだろうか。
「おい」
ふと、身体が揺さぶられていることに気付いた。
「おい。おきなよ。さっさと」
寝付いたところを叩き起こされた気分で、狂太郎はむくりと起き上がる。
予測された身体の痛みは、なかった。
改めて身体を見ると、剣を突き立てられた腹部が、完璧に治っている。
不思議なことに、服にべったりと付着していたはずの血痕すら綺麗さっぱりなくなっていた。
――おかしい。ぼくに”ポーション”は効かなかったはず……。
不思議に思いながら半身を起こすと、眼の前にいたのは、つい数時間前にも見かけた、奇妙な生き物。
『システィーナの聖母』の足元にいる天使、その三人目だ。
口を開いたのは、向こうが先だった。
「やあ。ずいぶんとよく眠っていたじゃないか。アホ面め」
「う、む……」
少なくとも、好意的な口調ではないことがわかる。
最初に顔を合わせた時と同じだ。
この、純白の羽根を生やした生き物を”天使”と呼ぶに憚られたのは、愛らしい外見に反した邪悪な精神性を感じたためである。
「感謝しろよ。オレサマが。他ならぬオレサマが手を尽くしてやったんだからな」
狂太郎は少し眉をひそめて、一応、「ありがとう」と感謝しておく。
「だが、どうやって……」
「武器軟膏を使った」
「ぶき、なんこう?」
「めんどくさいから、いちいち教えない。帰ったら自分で調べな(※32)」
狂太郎は顔をしかめる。
超越者。上位者。他者を弄ぶもの。
目の前の生き物から受けた印象は、以上のようなものである。
「……どうして、ぼくを助けた」
「決まってる。おまえはどうやら、役に立つらしいからね」
目の前の生き物を見て、狂太郎はどうしても思い出さずにはいられない男の顔がある。
大学卒業後に入った、同僚を自殺するまで追い込んだ会社の上司だ。
思えばそいつも、天使のような笑顔で悪魔のような所業を行う者だった。
「たった四時間で仕事を終えた日雇いバイトの例は、これまで一度だってない。オレはね、おまえのことがすっかり気に入っちまったよ」
「そうかね」
目を逸らして、そう応える。
「だが、人間を一人、死なせた。魔物も山ほど死なせてしまった」
「大した問題じゃない。魔物など、絶滅させても構わないくらいだ。そういうふうに作られたんだから」
そうしてヤツは、くすくすと笑う。
狂太郎にはそれが、ひどく不適切な笑顔に思えていた。
「言っとくがあんた結構、大したことをしたんだぜ」
だからだろう。褒められても、これっぽっちも嬉しくない。
「ところであんた、名前はなんていう?」
狂太郎は視線を逸らす。
「仲道。仲道狂太郎だ」
「そうか。すまんが今回のこと、詳しく文章にまとめて、後日提出してもらえないか?」
「――は?」
「いいだろ。新人救世主が、この短時間で世界を救った経緯が知りたい。今後のオレの仕事に役立つかもしれん」
「ああ。……まあ、別に構わんが」
狂太郎は内心、「うわ、面倒くさ」と想っている。こいつ、平気で仕事を持ち帰らせるタイプの上司か。
「それで、狂太郎。もしあんたが良いというなら、次の仕事も頼みたい。いいかい?」
――嫌だね。知ったことか。もう二度と顔を見せるな。
狂太郎の中の天邪鬼な部分が、そう応えようとする。
だが結局、彼はこう応えた。
「……ああ。いいだろう」
「よーし。決まりだ」
その生き物は、見た目だけ天使のように笑って、
「では、そのうちまた連絡するわ。そんじゃ。あとこれ、今回の報酬」
そう言って、ぽいっとゴミのように百万円を放って、あっさりと消えた。
「………………ヒットマンの報酬みたいに渡すんだな」
と、独り言ちて。
福沢諭吉が印刷されているそれを、ぼんやりと眺める。
そして、この世界に来てから、もっとも長い嘆息を吐いた。
とーん、と、空しくバウンドする悪魔の頭部。
その虚ろな顔と、視線が合った気がした。
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(※32)
ということで、ちょっと調べてみた。
”武器軟膏”というのは、(少なくとも我々の世界では)16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで信じられていた偽医療の一種であり、武器などによって傷つけられたとき、その傷を与えた武器に塗ることで効能を発揮する、というもの。
この時、”天使”くんがどのような意図でこのようにたわけたことを口にしたのかは不明だが、ある種の魔術を使ったと解釈するべきなのだろう。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!