轟音。
鋼鉄すら破壊する拳が突き刺さり、粗末なベッドが、くの字に折れる。
ヤマトの決断は早く、――常人にはとても、その行動を静止することができなかったであろう。
あくまで、常人には。
「……なぜ、止める。狂太郎」
男の、鷹を思わせる目が、こちらを見据えていた。
すでに狂太郎は、リリーを小脇に抱えた格好で、部屋の隅に移動している。
「なんでって」
なんでだろ。
なぜ、人を殺してはいけないのだろう。今さらになって、そういう根本的な疑念が頭に浮かぶ。
「そいつは、何千人もの人間を殺したし、これからもきっと殺すような女だ。新しい情報もないようだし、さっさと始末した方が良い」
「それはそうかもしれんのだが。――こりゃ参ったな」
この友人を説得する論理的な考えが、まるで思い浮かばない。
それもそのはずだ。狂太郎も心のどこかで、そうした方がいいと認めてしまっているから。
だが、それでも彼を説得する必要があった。なにせ彼には、《セーブ》と《ロード》がある。やろうと思えば、いくらでも自分の望む結末を選び取ることができるのだ。
狂太郎がいま、咄嗟に殺しに反対したのは、あくまでリリーの見た目が幼くて可愛らしくて、殺すに忍びないから、子供を殺すのは論理に反するから。――その程度の理由に過ぎない。
しかし彼女の若さは、ほぼ間違いなく、虚像だという。
「ちー! ちー!」。
ヤマトの肩に乗るネズミがこちらを向いて、ぷんすか怒っていた。どうやら彼も、こちらの反対意見らしい。
狂太郎は少し眉間を揉んで、……自分のその行動が正しいかどうか迷いながらも、こう言った。
「ヤマト。――聞いて良いか」
「何を?」
「きみ、あるいは彼女を、個人的な欲望を満たすために、殺してはいないかい」
「………………」
「もし、きみがそういう気持ちで殺しをやるなら、ぼくはそれだけで反対だ。たとえこの少女がどれほど邪悪で、この少女を生かすことで、どういうリスクが待ち受けていようと、だ」
狂太郎はそこで、大きく息を吸って、吐く。
そして、たっぷりと間を作った後、
「……ぼくたち”救世主”の仕事は時に、殺しの罪を忘れさせてくれる。ぼくたちが人を殺すことで、何千万、場合によっては何億もの命が救われるとわかっているからだ。だがそこに、ほんの一さじでも個人的な感情を交えてしまったら、――これまで帳消しにされていた罪は、きみの両肩にぜんぶ、のしかかるぞ。
付き合いは短いが、ぼくはきみが良い奴だと思ってる。
ぼくは、友人であるきみに苦しんで欲しくない」
「…………ぐ、む」
その言葉に、ヤマトは押し黙った。太助も同様である。
「こいつのためじゃない。――自分のために、殺すなと言いたいのか」
「ああ」
アドリブで思い浮かんだ説得だったが、意外とこの男の胸に刺さるものがあったらしい。
狂太郎は、さすがに顔面蒼白になっているリリーを床に寝かせると、ヤマトはどかっと、自身が破壊したベッドを座布団のようにして、座った。屋敷の持ち主であるアザミが、ちょっぴり厭な顔をしている。
そして男は、嘆息混じりに語り始めた。
「長々と話す内容じゃねえから、簡単に言うが。――”転移者”に、仲間が二人、殺られてる」
「二人も」
「ああ。――それも、ただの仲間じゃない。義兄弟を契った仲の二人だ」
「……そうか」
それ以上、深くは聞かない。
だがようやく、この男の高いモチベーションの源泉を思い知った気がした。
狂太郎はその時、こう思った。「もし、自分の家族とも言える、殺音と飢夫が殺されたら」と。
彼と同じことをしでかさないと、何故言えるだろう(※2)。
狂太郎は少し考え込んだ後、
「二人とも、”救世主”だったのかい」
「……ああ」
「なら、とうに死ぬ覚悟はあったはずだ。少なくとも、ぼくはそのつもりでいる。きっとあんたも、そうなんだろう? ――それなら、生者であるきみが、これ以上呪われる理由はない」
何気なく言ったこの一言に、――ヤマトの怒り眉の角度が、少し下がる。
劇的な一言二言で、心にこびりついた憎悪がてきめんに癒えるようなことはない。
だが少なくとも、この場を治めることはできそうだった。
▼
少々置いてけぼりを喰らっていたのは、――この世界の”主人公”役、アザミであった。
狂太郎は改めて、リリーを小脇に抱えて、
「アザミ。――そろそろ、お別れだ」
と、あっさり申し出る。
「え?」
少女は目を丸くして、
「も……もう、ですか? 今日? いまから?」
「うん。――この通り、”終末因子”も捕らえたし」
「あ、そっか」
彼女自身、日記に書いていたから覚えているはずだ。
「あー、でもでもせめて、お別れ会を開いたりとか、できませんかしら?」
「お別れ会。――ううむ……どうだろう。ぼくの基準じゃこの世界、長く居すぎてるくらいなんだがね。できれば早く帰りたいところだが……」
すると、アザミは明らかに動揺した素振りを見せて、
「そ、……そうですか……」
しょぼんと、うつむいた。
狂太郎はそんな彼女の仕草に、ちょっぴり複雑な気持ちになっている。
いつもより長く、この場所に居すぎたせいだろう。この世界にはかなり、情が湧いていた。
もちろん、アザミだけではない。
この村で生活を営む、気の良い”食屍鬼”や、隣村の素朴な住人にも、一言別れを言いたかった。
狂太郎は、ちょっぴりヤマトを見て、ため息。
「……すまん。もう少しだけ、この世界に居ることにする」
ヤマトの方も、そこはさすがに「ダメだ」とは言わない。
「わかった。――どれくらい、いる?」
「長くはかからない。夕食後には、帰るさ」
「では、それくらいに迎えを来させよう。己れは、一足先に戻ることにする。報告書を出さなくてはならんからな」
「報告書。”金の盾”は、そんなの書くのか」
「なにか、おかしいか?」
「いや、――きみみたいに太い腕の男が、ちまちま文字を書いているところを考えると、少し笑えてね」
「うるせえやつだ」
言葉とは裏腹に、その顔にはいつも通りの笑みが戻っている。
そして、ヤマトは《ゲート・キー》(※3)を使用。
自分が住処とする世界へと、帰っていく。
別れ際、――友となったこの男は、こう付け加えた。
「あ、そうそう。”転移者”の口車に乗せられるなよ。――己れはあんたを、ぶち殺したくはないからな」
「……冗談じゃない。きみにはぼくが、そういう類の能なしに見えているのかね」
「はっはっは」
特に相談した訳でなく、リリーの対処は、狂太郎が責任を持つことになっている。
たぶんヤマト自身、彼女を抱え込むような真似はできないという自覚があったのだろう。
――それに、リリーだって一応、ここの一員だった。
これからどうなるにせよ、彼女も仲間とのお別れはすべきだ。――本人がどう思っているかは、さておいて。
それにまだ、リリーにはいくつか、質問したいことがある。
「アザミ」
狂太郎は、小さく嘆息して、
「と、いうことになったよ」
「……はい!」
微笑む彼女の目尻には、何故か涙が浮かんでいる。
「それじゃ、腕によりをかけたご馳走にしなくっちゃ!」
――泣き虫な娘だ。
彼女の涙を前に見たのは、――そうだ。
去年の秋頃、喧嘩をした後のことだったっけ。
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(※2)
なおこの疑問、のちのちになって筆者がインタビューしてみたところ、
「あー。それな。どうでもええわ。好きにしてぇ。ただ、うちのコレクションだけ譲ったるさかい、大事にしてな」(殺音)
「時間の無駄だし、仇は取らなくて良いよ。個人的な趣味でやる分には構わないけど。でも、わたしの気持ちを勝手に代弁するとか、そーいう寒い真似は止めてね」(飢夫)
とのこと。
(※3)
異世界と、”金の盾”社内を繋ぐ魔法の鍵。
空中で鍵を捻る動作をすることで扉が出現し、世界を移動することができるという。
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