”救世主”として働いていると、時折勘違いしてしまうことがある。
この世で起こる争いごとは全て、”正義”と”悪”という、二つの勢力による殴り合いに過ぎない、と。
”救世主”の敵は、”終末因子”である。
多くの”終末因子”は、世界の終焉を目論む。それは恐らく、絶対的な”悪”だ。
だから沙羅は敵と戦う時、あらゆる容赦を考えない。
”終末因子”を殺し、救世を行い、――そして会社から、月給を受け取る。
それが彼女の”正義”だった。
だがここのところ、ぼんやりとした違和感を覚えている。
覚悟が、定まっていない。
仕事に、苛立ちすら感じている。
――あの時から、ずっとだな。
そう、思った。
沙羅の故郷のヨシワラには”ミノタウロスの借り腹”という悪習が存在する。
”WORLD0148”にはミノタウロス(※26)という、牛に酷似した種族が存在するのだが、これはあらゆる異種族の子を孕む性質があるらしい。
”ミノタウロスの借り腹”とはすなわち、ミノタウロスの雌に精子を提供し、子を孕ませ、産まれたそれが五歳になる年にソテーにして喰らうという、ある種の健康法だ。
血の繋がった親と子は、魔術的に特別な繋がりがあるという。
そのため、自らの子を喰らうことで、より強力な魔力を獲得することが可能となる。
欲望の追求には寛容なヨシワラでも、これはさすがに違法とされているが、――法律というものは時に、破られるために存在する。
法に縛られぬ一部の有力者が大枚はたいて、金のないミノタウロス娘の腹を”買う”。
そのような行為はヨシワラにおいて、人知れず行われ続けているのだ。
恐るべきは生命の持つ、『強くなりたい』という欲求であろうか。
ある日のこと。
沙羅が、同僚のミノタウロスに助けを求められたことがあった。
なんでも彼女、金に困って”借り腹”の仕事を受けてしまったらしい。
だが今は、ひどく後悔している。
――望まず宿された我が子だが、今や情が産まれている。あの子をディナーの皿に載せたくない。
同情した沙羅は、彼女を逃がすことにした。
だがその時は、相手が悪かった。
ミノタウロスが取引した相手は”サトゥルヌス”と呼ばれる神話クラスの大物で、ことはもはや、沙羅たちの手に負えないレベルの事態に陥っていたのである。
とは、いえ。
彼女には、Cスキルの力がある。
禁じられた行為ではあるが、――本気で望めば、”サトゥルヌス”を殺してしまうことも不可能ではなかった。
だが結局、沙羅はそれをしなかった。
泣きじゃくるミノタウロスを説得し、我が子を引き渡すことを同意させたのである。
沙羅たちの世界には、『七つまでは神のうち』という言い伝えがあった。
法的にも、契約的にも、産まれてから七歳までは『神の所有物』らしい。
”ミノタウロスの借り腹”の契約は、そうすると決めた母親にのみ、罪が及ぶ。
何せ相手は、神の眷属。
彼にしてみれば、自ら手をかけた家畜を捌いて喰うだけに過ぎない。
もしあそこで契約を反故にしてしまったら、――彼女はもはや、この世で生きていくことは敵うまい。
母と子。どちらも救えぬと言うのなら、せめて片方だけでも。
だが、未だに自問自答することがある。
あの時、自分がした行為は果たして、正しかったのか?
もちろん、安易な考えで”借り腹”に契約した母親にも罪がある、とは思う。
だが、我が子を喰らうサトゥルヌスも、決して許されるべきではない。
法律は時に、上位者を護るために働く。
そこに絶対的な正義を見いだすことはできない。
沙羅は未だに、あの時の答えを見つけられないでいた。
だが、――この世界で出会った彼と。
仲道狂太郎と過ごすうち、何かがわかる気がしていた。
我らが為すべきこととは何か。
”正義”とは何か。
その普遍的な在り方について。
▼
「――ぶっつぶす」
沙羅が宣言すると同時に、制作者が手の中に”何か”を出現させた。
ぱっと見では何も持っていないように見えるが、――よくよく観ると、透明な剣、……のようなものが存在している。
――さっきの攻撃は、あれを使ったのか。
見えない、武器。
これも何らかの”ウル技”だろうか。
一瞬、訝しげな表情を向けた沙羅に、目の前の男は不機嫌そうに答える。
「そうだ。……そういえばお前ら、《■■■■》を求めていたんだったな」
「……いま、なんて?」
「《■■■■》だ。お前らは、《無》だとかなんとかいていたが。……名前はどうでもいい」」
「あなた、《無》に心当たりがあるの」
「ある」
――それなら、ここまで来て良かった。
こいつをボコボコにして話を聞けば、それで済むじゃん。
そう、単純に思う。
だが、制作者は不敵に笑って、
「期待させて申し訳ないが、《無》はもう、この世界のどこにもないぞ(笑)」
「……え」
「そのバグに関してのみ、――”ガール”が来る直前に、バグ取りさせてもらった。もう二度と、お前らみたいなのが現れないようにな」
「――そっか」
落胆する。
元々期待してはいなかったが、現実として突きつけられると、空しい気分だ。
ただ、このように考えることもできる。
――あとはもう、こいつをボコボコにして、気持ちよく故郷に帰るだけだ。
と。
そして沙羅は、身構えた。
《無敵》が効かない相手との戦い。
命がけの戦いになるだろうが、――構わない。
「ふふふ。ヤル気満々、という感じの顔だな」
「…………」
「本当ならお前には、一切の抵抗をしないでもらいたかった。それこそが”完璧”なバトルというものだからな……」
だが、お前が抵抗するなら、それもいい。勝負だ。
とか。
わからないが、たぶんそういう感じのセリフを言おうとしていたのだろう。
沙羅は気にせず、《火球》により制作者の胸を狙う。
「――ふん」
制作者が透明な刀を振るうと、すぐさま沙羅の火焔が打ち消された。なかなか鋭い剣(?)捌きだ。
とはいえこちらも、そこまでは想定以内。
沙羅はすかさず、《炎柱》によって出現させた魔方陣を、敵の足元に出現させる。
《火系魔法Ⅱ》で目くらましして、《火系魔法Ⅴ》でトドメ。
これは、サラマンダーが使う定石の戦術だ。
「死、ね!」
もちろん、異世界人であるこの男は、それを知らないはず。
――勝った。
沙羅がそう思った、次の瞬間。
「………ふふふ」
一切の予備動作なしに、目の前の男が消失する。
――消えた?
一拍遅れて、猛烈な勢いの火柱が、その場に出現する。ドラゴンすら焼き殺すその技は、室内を少し明るく照らすだけに終わった。
「えっ。あれ? どこいった!?」
よくわからないが、異常な挙動を見せたように思える。
ぱっと見たところ、……真上に、猛烈な勢いで跳んで行った、ような。
しかしだとすると、少し奇妙であった。
この部屋には一応、天井がある。敵はその天井を通り抜けていったようだ。
――あいつ、どこに?
透明になる能力。移動する能力。
まあ、どれを持っていてもおかしくはない。なにせ相手は、『ファイナル・ベルトアース』というゲームの制作者なのだから。
――だが、万能ってわけじゃないはず。
沙羅は知っている。
この世で、真に万能な存在がいるとするならば、――それは”造物主”と呼ばれる存在だけだ。
――そのはずなのに……これは、どういうことだろう?
気づけば自身の両腕に、異変が発生していた。
先ほど、ほんのわずかに傷つけられただけの部分に、ブロック・ノイズのようなものが発生している。
まるで身体の一部分が、”けつばん”と化してしまったかのように。
異変は、毒が身体を巡るように、ゆっくりと腕全体に広がっていた。
「やっば……!」
つん、と、鼻の奥が痛む。
かつて、ミノタウロスの娘を説得したときと同じ感覚。
絶望の匂いがした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※26)
我々の世界で有名なギリシア神話の登場人物とはまったくの別物、とのこと。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!