ぴょんぴょんと屋根の上を飛び移りながら、制作者を追う。
追跡そのものは簡単だった。彼の走った後にはもれなく、ブロックノイズに似た痕跡が続いているためだ。
――こいつ、ホントに逃げる気あるのかしら?
厭な予感がする。
敵の罠が、想定よりも遙かに周到なものである可能性があった。
――このへん、みんなが避難した後で良かったな。
もし常人がこの戦いに巻き込まれたら、ひとたまりもない。
例えばこの、――制作者が創り出した、モザイク状の痕跡である。常人なら、これに少し触れただけでたちまち肉体がぐしゃぐしゃになってしまうだろう。
これ以上戦いが長引くと、犠牲者が他に現れないことも限らない。
できれば、さっさと始末を付けてしまいたい、が。
「ちょっとぉ、待ちなさーい!」
「………………………」
なんど追いすがっても、制作者がする行動は変わらなかった。ただ、逃げ続けるばかりなのだ。なんだか得体が知れない。
もちろん、”けつばん”を迎撃に向かわせてきたり、
「ここは道具屋だよ。だよ。だよ。だよ。だよよよよよよよよよ」
「武器や防具は、装備しないと意味が、意味が、意味が、意味が、0%。0%。0%」
「お気の毒ですが(笑) 冒険の記録は(笑) 消えました(爆笑)」
言動のおかしい住人を出現させたりして時間稼ぎをしたりしたが、それすら「一応」という感じが拭えなかった。
明らかに、何かを狙っている感じだ。
「――?」
当然、沙羅は訝しんだが、追跡を止めるまでには至らない。
だがもし、この場に狂太郎がいたのであれば、きっとこう助言していただろう。
――ここはいったん、勝負なしだ。戦っちゃいけない。
彼女が制作者に追いついたのは、それからたっぷり、十数分ほどかけた後。
大通りの真ん中に、ぼんやりと佇む太っちょを見かけて、沙羅は慎重に辺りを見回す。
コンビニ、なし。
罠が仕掛けられた痕跡も、なし。
すぐそばにはただ、『ゲーム制作会社』という、本来ならあり得ない社名(※27)が書かれたビルが見えるだけだ。
念のため、狂太郎からのメールをチェック。新着メッセージは、ゼロ。
彼が仕事を終えるまで、まだ時間がかかるということだろう。
狂太郎にはしばらく、仕事に集中してもらう。
そして自分は、自分に出来ることをする。
制作者を、倒す。
場合によっては、殺してしまおう。
あてられている自覚はあった。だが怒りは時に、力になる。
火の精霊である彼女は、それを重々承知していた。
男は、その場でじっと立ち止まって、こちらを睨んでいる。
ふう、ふうという荒い息が、人気のない街で聞こえる、唯一の効果音だった。
――大した運動をしたようには見えないのに、ここまで疲労するものかしら。
見たところこの男、運動そのものが苦手らしい。
身体の強度そのものは、中の下。沙羅が本気で殴れば、一撃で死ぬ程度の存在。
――だが問題は、こいつがこの世界の仕組みをぜんぶ知っている、ってことだ。
ドジソンが”ウル技”と呼んでいたもの。
この世界で実行可能なあらゆるそれを、こいつは自由に利用することができるはず。
制作者は、十数秒ほどたっぷりかけて息を整えた後、
「一つだけ、はっきり言っておこうか。――条件は整った。もはや私に敗北はない、と」
「えーっ? なんでぇ?」
沙羅は、自惚れがひどい客に接する無知な女店員の演技で、訊ねた。
すると男は得意になって、
「……いま。一度の戦闘中に、8度の『にげる』行動を行った。今後、私とその配下の攻撃は必ず”かいしんのいちげき”になるのだ」
わかりやすく答えてくれる。
「会心の一撃って……」
この世界における、強力な攻撃の一種であったか。
「だから、どうしたの? 当たらなければどうってことないわ」
「では、――試してみよう」
同時に、天から降ってくるように現れたのは、”けつばん”が三匹。
「――ちっ」
沙羅は、連中を順番に相手しながら、制作者の様子を伺う。
”けつばん”の攻撃は基本的に、《無敵》によって無視することができるはず。
『”けつばん”Aの こうげき! かいしんのいちげき!
ミス! ダメージを あたえられない!』
『”けつばん”Bの こうげき! かいしんのいちげき!
ミス! ダメージを あたえられない!』
『”けつばん”Cの こうげき! かいしんのいちげき!
ミス! ダメージを あたえられない!』
しかしすぐ、誤算に気づいた。
”けつばん”の攻撃も案外、バカには出来ない、と。
なにせ、これまでは”ざっくりと”でしかなかった”けつばん”たちの攻撃が、――とてつもなく的確なものに変貌したのだ。
これまでの”けつばん”を、棍棒を振り回す野蛮人とするなら、いまの”けつばん”は、達人の演舞のよう。
「わ、わ、わ、わ!」
敵は、沙羅本人を狙っていない。むしろ攻撃は、周辺の地面に対してのみ、行われている。
そしてその結果として――彼女の足場が、恐ろしい勢いで失われていた。
制作者の意図した通りに、立ち位置を追い詰められている。
――これまでちょくちょく、調べられてる感じはしたけど。
このままでは、身動きが取れなくなってしまうだろう。
ここで、沙羅の《無敵》について少し解説させてもらいたい(※28)。
彼女のスキルは要するに、――『領域への干渉を禁ずる力』、と言い換えることができる。
彼女が創り出す”無敵領域”の性質は、以下の三つ。
(1)”無敵領域”は、認識できる範囲内である必要がある。
(2)”無敵領域”は、おおよそ立方体のイメージでなければならない。
(3)一度設定した”無敵領域”は、いったん解除しなければ再設定ができない。
強力な能力だが、――これには弱点があった。
足止めに弱い、という点である。
土砂による埋め立て。足場の破壊。
ただそれだけで、敗北することはなくとも無力化されてしまうことはありうる。
――と、なると。
ここからが、正念場。
”救世主”としての腕の見せどころだ。
沙羅は咄嗟に、作戦を少し変更する。
このまま真っ向勝負を挑むのは、あまりにも危険すぎた。
まず彼女は、すぐそばにあったビルを目指す。
いくつか、プランがあった。
その内の一つが、
――8度逃げれば、攻撃がすべて”会心の一撃”になる。
この法則を逆に利用してやる、という作戦だ。
”ウル技”は、この世界にいるあらゆる住人に適応されるもの。
――”かいしんのいちげき”には”かいしんのいちげき”で対抗してやる。
またもう一点、ビルに逃げ込むメリットがある。この世界の建物は”不壊のオブジェクト”でできているため、戦場をそちらに移せば、少なくとも足止めを喰らう状況からは逃れられる、と、そう思ったのだ。
「鬼の交代だな。――待て!」
だが、その作戦は少々、無謀であったかもしれない。
制作者も馬鹿ではない。ビルの入り口は、事前に巨大な石版で塞がれていたのである。
なお石版には、
『わが といかけに こたえよ
ただし、 かいとうじかんは じゅうびょう いない とする。
A)呪われる。
B)苦しみを選ぶ。
C)注意する。
D)何故あなたは死ぬのだろうか?』
という文章が彫られていた。
「なに、これ……?」
石版そのものは、かつて狂太郎が”ジャブジャブ温泉”で見かけた石版と同じものだろう。沙羅はとにかく不愉快な気持ちになって、を力尽くでひっくり返す。
「電波系は、もうたくさんだわ!」
そう吐き捨て、ビル内に飛び込む。そして、ポケットに詰めた予備のクッキーを、いくつか口の中に放り込んだ。
その、次の瞬間である。
待ってましたとばかりに”けつばん”の群れが、『ゲーム制作会社』ビルの出入り口に殺到したのは。
「――!?」
千匹、……いや、二千匹。これまでみた数の比ではない。
「うそっ。まだこんなにいたなんて」
恐らく、密かに生み出した”けつばん”を、『ゲーム制作会社』ビルの壁面に化けて隠していたのだろう。
『やっほやほやっほやっほやっっほやっっほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』ほ』
『0000000000000000000』0』0』0』0』0』0』0』0』0』
『おいしい パスタを つくりましょう』わ。』わ。』わ。』わ。』わ。』わ。』
『いいぞ。』ぞ。』ぞ。』ぞ。』ぞ。』ぞ。』ぞ。』
得体の知れない、恐らくは何の意味もない台詞が、さざ波のように聞こえてくる。
それはまるで、生命の宿ったモザイクタイルが牙を剥いているようだった。
「うへえええええ………」
これも、罠か。
誘われている。
だがそうだとわかっていても、彼女は階段を昇る方向に進むしかない。
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(※27)
恐らく、この世界において唯一の『ゲーム制作会社』であるため、他と見分ける必要がないのだろう。
(※28)
本人許諾済み。
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