あるいはその、「お嬢さん」呼びが最後の一押しになったのかも知れない。
煽ったつもりはなかった。
だだこの男の失言は時々、芸術的なところがある。生え際の後退著しい人の前で髪の毛の話したりとか。
――あ。やらかした。
仮面少女の顔色が、朱色にグラデーションしていくのがわかった。
そして彼女、ばたーん、とその場で大の字になって、
「あーーーーーーーー。もーーーーーーーー! やだ! ぜんぶなんもかんも、やになったぁ!」
「ちょ、いい年した娘がそんな、はしたない格好するんじゃない」
「どーーーーーーーーーーーでもいいし!」
「参ったな」
実を言うと狂太郎は、この手の子供じみたヒステリーの対応を最も苦手とする。
とはいえ、一度術を見せた以上、手を抜いて負けるわけにもいかなかった訳で。
「では、仕事はひとまず後回しにして、ぼくを村に連れてってくれないか」
「それはもっと嫌ーっ!」
「はあ?」
「あんたが村に行くってコトは! あたしが負けたってこと、みんなが知るってことやろーが! だから嫌! 嫌嫌嫌ーっ!」
少し眉間に手を当てて、
「……神に誓ってもいい。誰にも言わない。きみの名誉を守るよ」
「そんなん、信じられへんし! 男はすぐ、その場しのぎの嘘を吐くし!」
「じゃあ、きみはぼくにどうして欲しいのだ」
「死ね! ここで野垂れ死ね!」
本気、ではない。
それはわかっていたが、若い娘に言われる「死ね」は、おっさんの胸に突き刺さるものがあった。
「悪いが、そういうわけにはいかん。それにきみだって、いつまでもここでこうしているわけにはいかないだろ」
「じゃあ死ぬし! ここでおまえと野垂れ死ぬし!」
「……そーかね」
狂太郎は、少女の傍らにどかっと座り込む。
彼女、いじけたままの格好で、ぴくりとも動かない。
どうやら、なんとかして彼女の機嫌を直す必要があるらしい。
時計を見る。
この世界に来てから、すでに一時間が経過していた。
――ひどいロスだな。できれば最初からやり直したい。
そう願うものの、人生と同じで再走はできない。
狂太郎にできることは、常に状況に対応しつつ、最適解を選び続けることだけだ。
いったん、少女と同じく横になり、焦る内心を落ち着けた。
彼が急ぐ理由は、いくつかある。
早い、ということが、この仕事の評価に繋がるらしいことが一つ。
そしてもう一つは、たいていの場合、異世界の食事は口に合わないことによる。
これまで狂太郎は、四つの異世界を冒険してきた。
しかし、こと”食”という点において満足できた試しは、ただの一度としてない。
剣と魔法のファンタジー系世界観というのは一般的に、中世ヨーロッパ……的な時代背景を元に構築されていることが多い。そのためだろうか、出てくる食事出てくる食事、どれもこれもまったく洗練されていないのだ。
野菜の形がヘンテコなのは、まだいい。
特に困るのが、変な匂いのする香辛料や、得体の知れない動物の、聞いたことがない部位の肉を喰わされる羽目になった時(※10)である。
カッチカチに固いパン、目玉が浮かんだスープ、虫の塩焼きに、干した芋茎を縄状に編んだ、武士の野戦食めいた食べ物……。
現代食に慣れた狂太郎には、この手の食糧で腹を満たすのは耐えがたいものがあった。
故に最近の狂太郎は、必ずソイジョイやカロリーメイト、羊羹や飴など、登山家が携行するような食糧を大量に鞄に詰めてから転移するようにしている。
「――ふうむ」
嘆息しつつ、狂太郎は鞄の中からスニッカーズをとりだし、ぱくりと口に入れた。
一本につき、248キロカロリー。
運動した後だからか、ピーナッツ入りのヌガーが悪魔的に甘く感じられる。
「いやー。うまいな。うまい」
むろん、わざわざそのような真似をしているのは、栄養補給のためだけではない。
この、原始人みたいな格好の異世界人の興味を刺激してやろうという腹づもりである。
努めて隣の少女を気にかけないような素振りを見せながらチョコレート菓子を口に運んでいると、案の定、キラキラと目を輝かせた仮面少女が声をかけてきた。
「えっ、えっ、えっ。何それ。何なのその、乾燥したうんちみたいなの」
だが、彼女が興味をそそられた理由は、「美味しそうだから」とは正反対のところにあるらしい。
「……うんちではない。これはチョコレートという。都会では実に洗練された食糧なのだ」
「うっそー! 完璧にうんちやん! どうみてもうんちやん! 未消化の豆入リやん!」
「あのちょっと、きみ」
「こわ! あんた、うんち食べるん!? 怖!」
「止めなさい。……友人がこの話を小説に起こすとき、訴訟案件になりかねない」
「この都会もん、うんち食べよるぅううううううううううう!」
少女の無邪気な笑い声が、窪地状になっている草原に響き渡った。
「良かったら、きみも食べるかい」
「あほ! いらんわ!」
「……ですよねー」
狂太郎は嘆息して、
「ところで、きみの村には何か、これだという旨い食べ物はあるのかね」
「そらもう! この島は素材の宝庫やからな」
「……へえ」
「あたしらの自慢は、おまえら都会もんが何百万円(※11)積んでも食べられへんよーな食材を、山ほど食べられること! だからあたしらはみーんな、都会の連中よか、ずーっと長生きで、身体も丈夫なんやって!」
「ほう。すごいんだな」
「もっちろん! あたしの村は宇宙さいこーだもの!」
「宇宙、ねえ」
言われてみれば、――これまで見てきた平均的な異世界人と比べても、彼女の肌は健康的に浅黒く……。
「スケベな目で見んな! クソジジイ!」
「……きみ、若いからって何言っても許されると思ったら大間違いだぜ。ジジイはひどい。ジジイは」
「おーん? 傷ついたか? もっぺん勝負すっかー!?」
ため息が出る。さすがに、二度も同じことを繰り返す気にはなれない。
それならば。
――彼女が固執する、”勝負”というキーワードを利用してみるか。
そこで狂太郎、背嚢から銀色のパッケージに覆われた菓子類、色とりどりのあめ玉などを取り出し、少女の前に並べて見せた。
「なんや、この……不自然な色の……なんや?」
「ぼくが持ってきた食糧だ」
「ふーん」
「こういうのはどうだい。ぼくが持ってきた都会の食べ物と、きみの村で食べられる”宇宙さいこー”の食べ物。どちらがうまいか、勝負だ」
「……ほほう?」
予想通り、少女の眼がキラリと輝く。
「そーいや、飛竜の肉が残っとったな……この意味わかる?」
「さあ。知らんけど」
「おまえら都会もんが一生掛かっても食えへん、ドラゴンのステーキが食える、っちゅうことっちゃ」
「なあに。こっちにはカップラーメンがある。チリトマト味だぞ」
「……やる気ってこと?」
「無論だ」
ぶっちゃけ、狂太郎にとってはこの勝負、勝とうが負けようが構わない。
村に案内してさえもらえれば、それでいいのだ。
「ええやん。……おもしろそーや」
どうやらこの提案、彼女のお気に召したらしい。
「そうと決まったら、ハチミツとやらをさっさと集めて、……村に帰ろうぜ」
「よおし。いっちょうやるかあ!」
どうやら彼女、あまり感情を引きずらないタイプのようだ。
先ほどまでつむじを曲げていたことなど嘘のようにぴょんぴょん跳ねて、そびえ立つ巨樹の方へ走り去っていく。
「やれやれ……」
その姿を追いかけながら、狂太郎は背嚢を背負い直した。
大樹は蒼穹を支えるように、雲の中へと突き刺さっている。
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(※10)
特に、”日雇い救世主”が旅するような世界は基本、終末がすぐそばまで迫っている危険地帯ばかりだ。
観光地で出されるような食事が出されることは稀なのである。
(※11)
ちなみに言い忘れていたが、異世界の単位(メートル、時間など)は全て、我々にとって馴染みあるものに変換されている。
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