「ぐるるるるるる…………」
と、いううなり声が背後からしたかと思った、次の瞬間である。
わっと、背中に乱暴な何者かが飛びついてきて、
「うおッ!」
その首筋にちろりと、しっとり濡れた何かが触れた。
一拍遅れて、それが、生き物の舌だと気付く。
次の瞬間、何者かの唇が狂太郎の首の横の辺りをちゅうちゅう吸っていて、
――すわ、吸血鬼か。
ゾッと背筋を凍らせる。もちろんすぐさま《すばやさ》を使うが、そのままベッドに押し倒され、――懐に、筋肉質な腕が滑りこんだ。
「があ! ぐわあ! ぐがあがががが!!」
狂太郎は今朝、その声に似た音を聴いたことがある。乱婚型の猿、……とりわけチンパンジーが激しくまぐあう時にするような、そんなうなり音だ。
「やめっ……ちょ、………あ、そんなとこ……だめぇ!」
為す術なく、生娘のようにいやいやをする狂太郎(本日二度目)。
「どこっ。ど、どこに……この香りは……ッ」
見ると、呉羽だ。
どうやら彼女、グレモリーの部屋に引き続いて、こちらをマークしていたらしい。
――だが、この状況は一体……ッ?
まさか、薄雲の《パンツ》を取り返そうとしている訳ではあるまい。
彼女はいま、その丸太ん棒のような腕で狂太郎を抑えつけ、まるで童女が人形にそうするように、乱暴に身体をまさぐっている。
密室。男女が絡み合う状況。
これは、――非常に良くない。同僚にこのような姿を見られるわけには。
「くんくん。くんくん……っ。あっ。み、見つけたあ!」
呉羽の手のひらが、その股間にあるものをまさぐり当てた時、――狂太郎は努めて紳士的に、彼女を引き剥がした。
「ちょっとやめないか。きみ。これ、いわゆるレイプと呼ばれるものですよ」
「ぐ、ぐるるるる…………」
だが、どうも様子がおかしい。呉羽が興奮しているのは、――たったいま狂太郎がポケットに詰め込んだ、グレモリーの証拠品のせいらしい。
狂太郎は、素早くポケットから、香料入りの袋をベッドの上に放り投げる。
「わっ」
すると呉羽は、玩具を与えられたペットのようにそれに飛びついて、その上でごろんとひっくり返った。
「……な。なんなんだ、これは」
狂太郎が疑問符を浮かべていると、ひょいと背後からクロケルが現れて、
「どうもそれは、《においぶくろ》のようだ。魔族、魔物、――総じて、”闇の民”と呼ばれる者たちを惹きつけるために使われる。かつて”光の民”と”闇の民”が対立していた際に使われていたもので、主に魔王討伐に向かった冒険者たちが、レベル上げのために利用していたらしい。
……なお、いま、呉羽が行った暴力的な行動は、《においぶくろ》の効果に触発されたものであるため、ペナルティには数えない」
ナレーション口調でそれだけいうと、彼は再び、背を向けて部屋を去る。
――補足説明に来たのか。わざわざ。
苦笑しつつ、まだ興奮気味の呉羽に、
「おい。そろそろ正気を取り戻してくれ」
と、そう告げる。すると彼女、徐々に冷静さを取り戻して、
「ん、む! わ、わっちはいったい……?」
「いったん落ち着いて、この証拠品を見てくれないか」
狂太郎が、たったいま取り返した《においぶくろ》を摘まんで見せる。
「これひょっとして、……”マジック・アイテム”?」
「そういうことだ? ちなみにこれ、グレモリーの証拠品みたいだな」
「信じられない。――なんであの娘、こんなものを。……どういうこと……?」
ちょっぴり廓言葉を忘れている呉羽に、苦笑しつつ。
この一件だけで、グレモリーが一気に犯人に近づいた格好だ。
「次の会議で、この件について彼女に問いただそう。怪しい発言がないか、呉羽の方でも気をつけておいてくれ」
「……うん」
しゅんとして頷く彼女。どうやら、正気を失ったことを反省しているらしい。
――次は、追いかけてこないだろう。
彼女の気が変わらないうちに、さっと部屋を後にする。
▼
その後、狂太郎が食堂に戻ると、紅く目映い、宝石を眺めている薄雲と出くわした。
彼女、どうやら捜査は終了していて、今は”証拠品”を検分しているところらしい。
「それ、――ひょっとして、《命の指輪》?」
訊ねると彼女、ネコ耳をぴょんと立てて、
「おっ。よく知ってるねぇ」
「たまたまね」
今日、殺音と出かけたリブリバー魔法雑貨店で見かけたのとほとんど同じものだ。
「せっかくだし、一つ証拠品、見せて貰っていいか。その代わり、こっちも何か見せよう」
「ふーみゅ」
薄雲は、少し疑わしげに狂太郎を見上げた後、
「ま、いっか」
と、気軽に言った。
狂太郎、《においぶくろ》をテーブルの上に投げ出し、一応、その効果を説明する。
「違法な”マジック・アイテム”。レベル上げに使うものらしい。――やっぱりグレモリーのやつ、ちょっと怪しげだな」
「ふーん。レベル上げ……」
どうやら、薄雲にとってそれは、見慣れぬものらしい。
「ちなみに、そっちの情報は?」
「大したものは、ないにゃん。……見せられるのはこの、《命の指輪》だけ」
「それ、具体的にはどういうものなんだ?」
「単なる、治癒系のポーションが噴き出す”マジック・アイテム”にゃ。この宝石の部分を咥えて、ちゅーちゅー吸うにゃ。……でも、治癒系のアイテムなんて、旅人なら誰でも持ってるからねえ」
「そうなんだ」
「うん。――実はこれまで、みんなの部屋を探ってきたけど、必ず一つは、この手のアイテムがあるにゃ。……つまり、ハズレってこと。かくゆー私も、《治癒ポーション》なら持ってるにゃ」
「ふーん」
そういうものもあるのか。
狂太郎は指を口元に添え、「と、なると……」と、考え込む。
治癒系のアイテムを持っていないことが、――怪しまれる理由になり得るかも知れない。
「なあ、薄雲」
「ん?」
「きみは、旅人なのに、――《治癒ポーション》を持ってないってのは、少し奇妙に思う?」
「そりゃ、まあ。そーだけど」
「では、今のうちに言っておこう。ぼくそれ、持ってない」
「え?」
「ぼくの証拠品をいくらさがしても、その《治癒ポーション》なるものは出てこないと思う」
「……それは……」
「少しおかしいんだよな。――どうも、冒険用のアイテムがなくなってるらしいんだ」
「どういうこと?」
「たぶんだけど、仲間のうちの誰かに、部屋のものを盗まれていると思う」
もちろんこれは、嘘、である。
先ほど読んだ、飢夫のアドバイスを活かした形だ。
とはいえこれは、悪意のある嘘ではない。下手な追求を躱すための方便だ。何せ狂太郎は実際、犯人ではないのだから。少なくとも。
「たぶんだけど、盗んだのは、グレモリーあたりじゃないかな。彼女、透明になる術を使うだろ? 盗みも難しくないはずだ」
「………………ふーみゅ。確かに彼女、《金の懐中時計》なんて、似合わないものを持ってたにゃ。あれが盗品だとすれば……辻褄があうかも」
「だが、もし彼女がただのこそ泥だというのであれば、むしろシロに近づいた格好じゃないか?」
「? そーお?」
もし、これが普通の事件であれば、そうはならない。
だが、マーダーミステリーの登場人物に、何か後ろ暗い点があるのは普通だ。
あるいは、――《においぶくろ》も、誰かから盗んだものかもしれない。
「だってもし、自分の強さに自信があるやつなら、こそこそする理由はないだろ」
「ふむ。そーかにゃ」
なぜ、人は強さに憧れるのかを突き詰めていくと、……究極的には、自分のワガママを通したいからだと聞いたことがある。
「女将曰く犯人は、『魔物を腐らせるまま放置していた』という。そういう豪胆さを持つものが、せこい小銭稼ぎに手を染めるというのは、――少し、イメージが合わない」
「にゃるほど」
食堂での会話は、そこまで。
狂太郎は、さっき呉羽に嘗められた部分をぽりぽりと掻きながら、『ライト・サイド』を後にする。
▼
狂太郎が次に顔を出したのは、――死体の発見現場だ。
すでに情報は出尽くした感じのする所だが、そういうところこそむしろ、まだ何か情報が眠っているかもしれない。
宿の外へ出ると、数人の村人たちがこちらを見張っているのと出くわす。
彼らは、狂太郎を目を合わせると、慌てるようにそれぞれ、身を隠した。
――やはり、ずいぶん嫌われてるな。
嘆息しつつ、黒焦げた”死体役”のマネキン人形の隣に座り込む。
「さて……」
狂太郎が呟くと、いつの間にやら、GMのクロケルが隣に立っていた。
彼は、狂太郎の行動に対応して、以下のような情報を口にする。
「――仲道狂太郎が、再び死体を検分する。……と、その時のことだった」
ひゅ、と、頬を何かが掠めて、
「おおッ!?」
一瞬、腰を抜かしかける。
石を、投げられたらしい。
夢魔の作り出す世界の現実感は強い。頬を撫でると、ぴりりと痛みが走るほどに。
見ると、――まだ子供だ。”闇の民”の男の子で、種族こそわからないが、紫色の肌をしている。
少年は、
「――モン兄ちゃんの仇ッ!」
それだけ言って、さっと道路を逃げていった。
「……………」
なんと言うべきか迷っている、と。
「なお、その後、仲道狂太郎がいくら探しても、死体から新たな情報を得ることはできなかった」
と、クロケルが告げる。
狂太郎、眉間に皺を寄せ、
――ハズレだったか。……いや。
顎に手を当てて、
――少し、妙だな。
「――モン兄ちゃん。……サイモンの仇、か」
たしか、以前出た情報では、『被害者は村人から煙たがれていた』ということだが。
――あの少年にだけは特別、親切だった、とか?
ありえなくはない。しかし……、
と、そこまで考えた辺りで、鐘の音が鳴る。
全体会議、――第二ラウンドが始まるのだ。
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