からん。
「よ」
「ん……さて言い訳を聞こうか」
「いきなりかよ」
今夜の「夜に鳴く鶏亭」は、刺々しいアルノの詰問から始まった。
つい先日の何となくいい雰囲気は何だったのか、と思ってしまうほど赤い目に憤慨を滲ませ、ぐぎぎと言わんばかりに鋭い犬歯を見せてハルに噛み付いた。
いや、物理的にではなく。
「まあまずは飲めよ。とりあえずビール頼ん……ああ、来た来た」
ほれ、とアルノに届いたジョッキを渡し、半分ほど空いた自分のジョッキを持ち上げる。
「お疲れー」
「乙」
なぜか二人の間では礼儀となっている、始まりの「よ」「ん」と必ずまずは乾杯、ということだけは律儀に守る魔王軍司令官。
が、ぐびりと一口飲んだ後は詰問タイムの再開だった。
「で、言ってみろ」
「だーかーらー、もちっと落ち着いて楽しめや」
「楽しめるかクソが」
「あらやだお下品」
「殺すぞ」
睨みつけてくるアルノに首を竦めるハル。
軍同士ならともかく、本気で殺り合ったらハルなどサンドバッグ以下だ。
他人を活用することには長けていても本人の戦闘力は、単一の絶対種であり星から魔王が生み出した吸血鬼にかかれば瞬殺間違いなし。
「大将、マルリードくれ。あとネムプテル焼いて」
前者は自分のつまみ、後者はアルノへの賄賂代わりの魚。
果たして単純なアルノは早速懐柔される。
「ね、ネムプテル入ってるのか!……ふむ、あれは良い。良いな。だがしかし!」
だめだった。
「誤魔化されんぞ。今年最後の会戦だったと言うのに、なぜ出て来なかったハル」
「良いじゃねぇか、お陰でボロ勝ちだったろ」
「そういう問題ではない」
「しかもえげつねぇ勝ち方しただろ。お前どうすんだよ、あんな範囲を『隠された泥濘地帯』化しやがって。あそこ当分どうにもならんぞ」
「仕方ないだろう、お前が出てくると思っていたのだ」
「いやいやいや、俺が出るかどうか以前に後先考えろアホ。百人単位で溺死させるとか、死体沼になっただろうが」
「肥料になるんじゃないか?」
「なるかボケ!て言うか例え肥料になっても死体で肥えた沼地で農業なんかせんわ!」
「口に入れば何でも同じだろうに」
アルノの返答を聞いてハルは、ああ自分はここまで感覚ずれてはいないな、とほんの少しだけ安心した。
当面の問題はアルノの怒りの矛先をどうにかすることだが、
「しょうがねぇだろ、───で忙しかったんだから」
「なるほどそれは仕方ないな、ってわかるか!」
「吸血鬼でもノリツッコミするんだなあ」
まだ女神の制約に引っかかっているらしい。
であるならば、ハル自身にはどうしようもない。
この程度のことは言っても問題ないと彼自身は思っているが、何せ基準はあのクソ女神だ、よくわからない事情で言えないようになっているのだろう。
それはアルノもわかっているようで。
「制約にかかってるなら仕方ないが……まったく、完全に消化不良ではないか。この火照った体をどうしてくれるのだ」
憤慨する余り妙なことを口走る。
思わずぎょっとして含みかけたビールを吐き出しそうになったハルは、慌てて口を離すとアルノに、
「おま、言い方!」
「何が?」
「火照った体てお前……そこは滾った血とか何とか、表現しようがあるだろ。俺じゃなかったら性的に襲われてんぞ。……性的に」
「なぜ二回言……」
言いかけてはっと気づく。
確かに表現がはしたなさすぎた。
しかもハルの前で性的に襲われそうな表現をしてしまった。
「いやっ、いやいや、そういう意味じゃないよ、違うの、えっと、そう、血が滾ったって言うか」
慌てて口調が素に戻る。
「あのあの、ただ戦い足りなかったって言うか、だから」
「わかったわかった。とりあえずそんなつもりじゃなかったってのは理解してるから落ち着け。女みたいな口調になってんぞ」
「ひょえっ?!」
「なんだその叫び声」
あわあわとしながら落ち着きなく目線を動かしたアルノは、とりあえず目に入ったジョッキを口にする。
ごっごっと音を立てながら飲むアルノに、よく炭酸を一気に飲めるなと半ば感心しながら眺めていたハルは真っ赤になっているアルノに当てられたかのように、何やら気恥ずかしい気分になった。
何だこれ、と思うものの原因も現象もよくわからない。
いや多分現象としてはアルノの女言葉だろう。
どうも最近、アルノが美少年ではなく美少女に感じられてしまって調子が狂う。
今日は戦場でのアルノを見てないからだろうか。
「ぷしゅるぅぅぅぅ」
酔ったわけでもあるまいに、変なため息をついたアルノがジョッキをどん、と卓に置く。
すっかり空になったそれを見て大将に追加を頼もうとしたハルの前に、氷を浮かべたグラスが置かれる。
ちら、と目線を上げると大将が「こっちを飲ませてやれ」と言わんばかりの表情で視線だけをアルノに向けていた。
まだ落ち着いていないようで真っ赤な状態のままだから、確かに度数が低いとは言えアルコールより水が良いだろう。
それほどあの表現は恥ずかしかったのだろうか、いや確かにハルもむせてしまいそうになる発言ではあったが反応が極端すぎる気がする。
「ほれ、とりあえず水飲め、水」
グラスを押し出してやると、ハルの方を見ずに手に取り再び勢いよく飲み干す。
「ふぃぃぃ」
ようやく落ち着いたアルノは口に氷を含みながら、
「みゃああひぇりゃ、はひはあいひょこほみへた」
「うん、わからん」
「ひぇうにほーおーひあうゃえひゃにゃい。ひょみゃーあひぇんにゃひょひょふゅーはら」
「ふむふむ、なるほどわからん」
というか、でかい氷をからころ言わせてるのがうるさい。
「とりあえず氷舐めてろ。で、落ち着け」
こっちは適当に食って待ってるわ、とちょうど大将の嫁が運んできたネムプテルの塩焼きに箸をつけ、アルノ用に慎重にほぐして行く。
うまいが小骨が多いのでちゃんとほぐしてやらないと、「骨ごと食えばいい」と言いながら、刺さったら刺さったで「ちゃんと小骨取らないからだ」と文句を言いだすので。
あまりつまみを頼んでいないので、カロ豚のシヨガ焼きでも頼むかなーと思いつつ今日は戦闘に参加していないのでさほど空腹ではない。
すっかり身体は戦争が当たり前の状態になっている、と苦笑しながらからころとやかましい隣を気にしないように集中する。
「落ち着いた」
「落ち着いたか」
「うん、落ち着いた」
「そりゃ良かった」
ちくしょうなんか可愛いなこいつ、いや待てこいつは男、しかも二百歳超えのジジイ、と自身の性癖に真っ当な道を歩ませるために念仏のように繰り返す。
ハルもアルノもまるで気付いていないのだが、アルノの精神魔法が解けかかっていることは確かだった。
無意識のうちに「男と思い込ませたい」が「女として見てもらいたい」に変わってしまっていることが原因だが、意識していないからこそ、そんな心情の変化にも二人はまったく気づいていなかった。
だからハルは自分が同性愛者になってしまったのかと悶えてしまうし、アルノは経験したことのない羞恥の感情に戸惑ってしまう。
そんな二人を、大将は黙っていつものように見守り、大将の嫁はどことなくニヤつきながら生温い視線を時折送ってくる。
この場にヴェセルやカレンがいたら煽りに煽ってくるのだろうが、二人は未だ妖族の街に来たことはない。
「ん、まあそれでだ」
「おう」
「……なんだっけ?」
「いつも俺が話の流れを忘れると怒るくせに、お前が忘れるのかよ」
「お前が変なこと言うからだろ……う……」
言いながら思い出して恥ずかしくなったか、アルノの声は尻すぼみに小さくなっていく。
ハルとしても掘り返して自分の性癖が特殊化したなんて思いたくもないから、話題を逸らすことにした。
「まあいいじゃねぇか。ほれ、ほぐしてやったから食え」
「悪いな」
「ちゃんと小骨も除いてあるからな」
「ガキ扱いするな」
「いやガキじゃねぇかよ」
言いながらも、そう言えば吸血鬼の年齢と成長について正確に教えてもらった記憶はないな、とハルはこの際聞いてみることにした。
「なあ結局さ、吸血鬼の年齢ってどうなんだ?」
「どふとは?」
「いや黙って食ってていいわ。この間生まれは教えて貰ったけどよ、二百歳って成長度合いとしてはどの段階になるのかな、と。実際まだ子供って扱いなのか、それとも成人していると考えて良いのか」
ハルの疑問にネムプテルをもぐもぐしながら暫し考える。
何しろ同族がいない。
親もいなければ兄弟姉妹もいない。
比較対象がないから、自分の段階が子供なのか大人なのかと言われると困ってしまう。
魔族全体に広げて考えてみても民によって成長度合いは違うし、魔王に次ぐ存在として畏怖の対象であるアルノに「ガキ」だの「ババア」だの言う輩もいる訳がない。
あけすけに色々言ってくるのは、魔王にカレン、ハルくらいだ。
うーん、とあれこれ思い出そうとするも最終的には魔王が口にする言葉くらいしか、自分に対する表現を思いつかなかった。
「魔王様はよく『立派に育った』と言ってくれるな」
「……育ってるか?」
腰掛けていても自分の目線よりだいぶ下にある頭を見ながら言う。
その言葉に顔を顰めるも、面倒なので突っかかることもせずに、
「だが『お前は変わらないな』とも言われる」
「どっちだよ。え、て言うか待って、お前って生まれた時からそのまま?もしかしてその姿で生まれたのか?」
「そうだが、なにか」
「ええー……じゃあ生まれた直後から二百年、外観はまったく変わってないってことか。吸血鬼やべぇな」
「ふふん、何しろ最強種だからな」
「なぜドヤ顔」
人族は言うまでもないが、魔族でも容姿の変化が緩いフルドラ民ですら生まれた時は赤子だし、副長のようなのは異質な存在だ。
彼らだって普通は百歳を超えてからゆるゆると老い始める。
生まれた時から二百年同じ容姿、というのは魔族としても非常識な存在だと言えるだろう。
はぇー、と間抜けた声をあげながらジョッキを開け、追加のビールを頼んだハルは今更ながらよくもまあ敵として対峙して今まで殺されずに済んだな、と自分のことを棚上げにしながら呆れた。
「ほんと魔族ってのは見た目で何も判断できんな。するとあれか、もしかして魔族で最長老ってお前だったりすんの?」
「ロヒの長老がほぼ同い年だったと思うが。ああ、フルドラの教え爺が二百三十だから私より上だな」
「お、おう……桁がおかしいな」
「さすがに教え爺は歳も歳だからな、最近は湯治に篭りっきりだが」
苦笑して言うアルノの言葉に、ハルは懐かしさのあまり飛びついた。
「え、何、魔族も湯治すんの?」
「健康な奴らは別にしないが……年寄りは好んで湯治場に行ってるな。なんだハル、湯治がそんなに珍しいのか」
訝しげに首をかしげるアルノ。
珍しいわけじゃないが、と前置きしたハルは鼻息荒く前のめりに説明する。
「体感がないけど扶桑帝国は温泉文化が栄えてたって記憶はあるからな。こっちじゃ温泉湧いててもただのお湯が出てるって認識だから、湯治場的なものがないから残念でよ。こう、のんびりと露天風呂にでも浸かりてぇな」
「野営中の風呂は露天だろう」
「あれを露天風呂と言うのかお前は」
「ふむ、言わんな」
「だろ」
お湯か水で体を拭くだけの行為を、風呂と言って良いのかどうかがまず疑問ではあるが。
湯治場、露天風呂、と熱に浮かされたように呟くハルにそういった文化が珍しくもないアルノはしばしきょとんとしていたが、
「なら今回の休戦期に行くか、湯治場」
ぽり、とマルリードを噛んで何気なく言うと、
「マジ?!いいの?」
ぐるんと凄い勢いでこちらに顔を向けて興奮してくるハルに若干引き気味になる。
どんだけ温泉好きなんだこいつは。
実体験はしてない癖にここまで食いつくとは、異界人ってのは本質的に温泉好きなのだろうか。
そう思いながら魔族の年寄り、と言っても頑健な魔族のこと、二百歳超えの少数派だが彼らが好む湯治場をいくつか思い浮かべる。
ハルの見た目はフルドラ民に近いが背格好が違いすぎる。
背丈も容姿も近いのはフルグの民だから、アルノの精神魔法でハルとヴェセルの肌を褐色に見せておけばいけるか、と算段した。
それでも人気のない方が良いだろう、そうなるとちと寒いけれども北部山脈の麓にある湯治場を借りきるのが良さそうだ。
「うん、なんとかなるな。用意しておいてやるからヴェセルにも言っておけ……っておい」
「いやーマジありがとうな!なあ、露天風呂ある?ある?」
「おい聞いてるのか、ちゃんとヴェセルにも」
「大丈夫大丈夫、あ、浴衣とかもあんのか?持ってった方が良かったりするか?」
ふんすふんすと喜びを顕にするのは良いが、興奮のあまり徐々に近づいてくる。
顔を逸らしたアルノの視界に、残った氷の溶けたグラスが映った。
「落ち着けバカ」
ばしゃっとグラスの水を掛ける。
大して残ってはいなかったが、顔面直撃したハルが仰け反った。
「て、ぅおい!冷てぇだろ!」
「ちょっとは頭を冷やせ馬鹿者が」
ともあれ、相変わらずな二人だったが夏と違って今度は魔族領を旅することが決まった。
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