勇者とは、この世界で女神に祝福され人族の守護を担う役割の者を指す。
が、魔族により初代、二代目の勇者が討伐されたことで王国を中心とする人族の為政者たちは本来の勇者の力を疑い、伝承にしかない異界の勇者の召喚を望んだ。
伝承でしかなくとも、召喚のためのアーティファクトであると目されている召喚玉はある。
それならば、と各国が自国の利害を超えて知恵を寄せ合い、賢者を集め、総力を挙げた古書や伝承の研究、そして試行錯誤でこの世界にも異界にも多大な犠牲を強いた結果、今から五十年ほど前に初めて異界から勇者の召喚に成功した。
その勇者は「カナル」の「ペルドサナス」している「ダルビニエキ」であった。
これは当時の記録にも記載された勇者の言葉をそのまま受け取った内容であるが、何のことかまるで分からなかった。
当然のことではあったが勇者の言語はこの世界とはまるで異なるものであったため、まずは害意のないことを態度で示した上で意思疎通を図らなければならないと、下にも置かない接待をし専属の研究者がかかりきりで翻訳に努めた。
結果、勇者についてわかったのは元の世界カナルで物品を販売(ペルドサナス)している巨大な商会で働いていた(ダルビニエキ)だった、ということだ。
異界とはそんなくだらない自己紹介を真っ先にするものなのか、と研究者たちの徒労感を激しくさせたそれであったが、何にしても拙いながら意思疎通のとっかかりができたことは確かであり、まずはそれを進めることと勇者の実力を測ることが喫緊の課題であった。
ところが勇者は伝承通り強くはあったが魔法を使えず、戦傷に特別な治癒力がある訳でもなかったことから、不死の存在でないことは確かだった。
となると以前の二人の勇者とさほど変わらない。
───失敗か。
一部の関係者はそう顔に陰りを見せたが、膂力が常人を超えたものであることは確かだし、その力だけで魔族の一軍に匹敵する戦術兵器を手放すことはできない。
もちろん、人族を見限られるようなことがあれば一大事だ。
故に、人族諸国家は勇者のご機嫌取りに走った。
戦線は本来の軍に任せ、為政者たちは必死に勇者を人族に止める策に奔走し、武に秀でた者たちに指導をさせ、この世界に慣れたところでようやく戦線に投入した。
だが、魔族司令官アルノヴィーチェは圧倒的であった。
人族としては突出した勇者の膂力も、数年の訓練成果も、どれも何ひとつ発揮することなくあっという間に殺されたのだ。
それはもう詰まらなさそうに。
数合は打ち合って足止めをした初代勇者や、魔法操作に抵抗を示せた二代目勇者と比べるまでもなく、あっさりと。
人族はそこでようやく理解した。
戦争の火蓋が切って落とされた時から、交渉の申し入れの一切を受け付けなかった魔王軍が数都市を陥として停止していたのは戦略的な理由があったからではない。
ただアルノヴィーチェが「飽きたから」だと。
そう、アルノは実に「飽きて」いた。
初代勇者はほんの数分くらいは楽しませてくれた。
なにせ魔族には魔王以外に相手になるものがいない。
どれだけの力を持っていようと全力で楽しむことはできず、消化不良であったことは確かだ。
その暴走の結果が緒戦での街の壊滅であり、魔王からの「殲滅するな、ほどほどを弁え魔族に役立つ街を丸ごと接収せよ」との絶対命令と、人族のあまりの脆弱さの間で手加減の難しさを感じていた。
そこに初代勇者が現れ、膂力では楽しませてくれた。
二代目勇者は、アルノの精神魔法に抵抗してみせた。
が、どれもその程度だと知れば飽きて殺してしまう。
しばらく間が空いてやってきた三代目勇者は今までと毛色が違うと思ったが、楽しませてくれるなら誰だろうと良かった。
それなのに、力も魔法も全てが中途半端だった。
セーガル河を挟んで睨み合いをしながら、アルノは楽しませてくれる人族を待ち望んでいた。
異界からの勇者召喚に成功したほぼ同じ頃。
まだ戦場に出せない勇者の代わりとして、誰が戦線維持に努めるのかという問題に頭を悩ませていた人族に朗報が転がり込む。
王国軍に、突出した戦果を挙げる小隊がある。
調べてみれば、そこに所属する新兵が変わった能力で戦果に貢献していることがわかり、彼を軍本部に引き上げ諮問した結果、一軍や軍政全体の改革を任せることとなった。
つまり、切り札である勇者を温存するため軍の底上げをしたいと思っていたところに、降って湧いたような幸運としてハルが見出されたのだ。
勇者軍と呼称されていただけの烏合の衆でしかなかった人族連合軍を、ハルは寄せ集めではなく機動的な戦闘ができる軍勢に改革し、戦場に出ればその特異な能力で戦果を挙げ続けた。
迷うことなく人族は投入を決定する。
彼は所属していた隊の小隊長を副官として、対魔族最前線を安定させた。
魔王軍司令官アルノヴィーチェ自身とぶつかれば一進一退となってしまったが、これは三人の勇者すら指先一つで亡き者にする正真正銘の化物なのだから仕方ない。
さて、異界の勇者は研究によって、彼の持つ膂力が世界遺伝子によるものであることが明らかにされていた。
女神の祝福を受けていない、つまり超常の力でそうなったものではないのだ。
これは、召喚された個人だけの特性ではなく、異界で生まれ育った者全てが持つ、異界出身であるということが条件の力だということだ。
それはつまり、彼の遺伝子を受け継ぐことさえできれば女神の祝福という制御も発現の推測すらも出来ない力に頼ることなく、自分たちの手で人外の膂力を持つ勇者を量産できるということになる。
これに色めきだったのは為政者たちだ。
彼らは常に戦後の自国がどう立ち回るかを視野に入れており、その点からすれば勇者の特性はお誂え向きだ。
もう一人の異質な存在であるハルは、本人曰く女神の「呪い」を受けている割には至って普通の人族だ。
能力によって軍の指揮に適正があっても受け継げない力は為政者には必要のない異物である。
そのことが明らかになってから、人族は再度の勇者召喚に躍起になった。
目を覆わんばかりの犠牲の末、次の勇者が召喚されたのは十年前のことだ。
今度は「ニホン」の「コーコーセー」であった。
この勇者には、人族指導層が頭を抱えることになる。
連合軍の主体を成す王国にて教育や指導を受けることになった彼は、王女をはじめとする王族や貴族の子女のみならず、城仕えの侍女や御用商人の娘などに次々に色目を使い、挙句の果てには当時五歳であったカノ王女にまで舌なめずりする始末。
しかも、五年経っても六年経ってもこの世界の教養を身につけたとは言えない体たらく。
最初こそ遺伝子提供に協力的であると好意的だった貴族たちもさすがに苦い顔をするようになり、好色な遺伝子まで受け継がれては敵わないと三年前にハルの率いる勇者軍へ送り込む。
幸か不幸か、勇者の胤を身篭った娘がいなかったことから、人族は早々に見切りをつけた現勇者の代わりを再召喚することを決め、前線での地獄絵図を現場に任せきりにして召喚儀式に没入した。
そのハルは、当初こそその能力に惹かれた王族や貴族は多くいたが、特異な能力以外は武技も体術も優秀ではあるが人族の枠を多少はみ出した程度と捉えられていた。
黒檜の魔力操作も事象への作用に変換できないとあらば、宝の持ち腐れでしかないとも認識されている。
決定的なのは不老の特性がその頃には明白になっていたことだ。
支配層が興味を持つのは家勢の拡大、その家や遺伝子を継いでいくことだ。
引き継ぐべき力もない、不老で存在そのものが理解できない気持ち悪さが残る、となれば喜んで嫁ぐ女もいなければ子を成したところで希望に沿うとも思えない。
そんな訳で、彼は王都にて軍の体制改革に一定の成果を見た後すぐに最前線に送られ、今は不在であるものの旗頭である勇者を形式上補佐する参謀として、セーガル河に張り付くこととなったのだ。
魔王軍司令官アルノヴィーチェは喜んだ。
取るに足らない人族の軍で、唯一攻防を楽しめるハルがセーガル戦域に常駐する。
いつでも戦いを楽しめるということだ。
戦域内にいくつか魔王の意向に沿う街があるから、それらを取った取られたを繰り返していても問題はなく、ひたすらあの心躍る戦争を楽しめる。
果たしてアルノの望み通り、ヴェセルと共に正式に赴任したハルが本腰を入れてセーガル戦域に目を光らせると、時にアルノを驚かせ、時に欺き、時には自らが経験で磨き上げた武技を以てアルノに相対し、勝ったり負けたりを繰り返した。
その間実に五十年。
アルノからすれば瞬く間ではあるが、ハルが引き連れてきた人族にしては見どころのある兵士たちはヴェセルを除いて全員が消え、王都からの邪魔が入るようになってハルが動きづらくなるに至りアルノの機嫌は完全に傾いた。
そこへ間の悪いことに、新たな勇者まで現れる。
相変わらず低レベルな勇者は瞬殺したが、次にやってきたのは何と二十七人もの勇者の群れだ。
人族も笑えることをしてくれる。
ハル以外で面白いと思えたのは久方振りだったが、どうにも今回の勇者共は悪い意味で突拍子もない輩であった。
ハルのように人の生死に何ら感情が動かない故の意外性で楽しませるのではなく、平等だの博愛だの平和だのと小賢しい。
間抜けな勇者を捕まえて遊んでみようと思ったら、どうにも腑抜けた阿呆なことしか言わない。
条約に従い上級捕虜として遇してみれば、意味不明なことばかり囀る。
あまりの鬱陶しさに、面倒だから殺すかと思ったのだがさすがにカレンに止められた。
しかし、あれを二十七人も扱うとなれば、ハルの足枷が増えただけで何ら益のないことだ。
まったく、いつになったらハルと永遠に楽しめる時が来るのだろうか、と魔王軍司令官は自分も温泉旅行という平和な時を過ごしたことを棚上げして、ぼんやりと執務室で考え込んでいた。
「んじゃま、行くとするか」
セーガル河戦域の引き継ぎを終えたハルは、自分の部屋でなくなった執務室で最後の書類にサインを終えると伸びをして見回した。
美しく楽しい思い出、などありもしないがいざ去るとなると散々苦労した記憶もまあ、笑える思い出くらいにはなる。
「アルノに挨拶くらいしておきたかったけどな」
「仕方ないじゃろう。お主は実質的に戦線の最高司令官じゃ。敵軍の将に人事令を伝えられる訳なかろうて」
女神の制約により、「ハルがアルノに」伝えることはできなかった。
ヴェセルの言う通りだ。
対峙する勢力のトップが敵軍のトップに、自らの進退を告げられる訳がない。
「まあな。しっかし、いつも物に囲まれてる気がしてたけど予想外に荷物がなかったな」
「ほぼ軍務資料じゃったからのう。流石に鞄一つというのは想定外すぎるがな」
「服なんて軍服があれば良いし、食事は師団食堂か『夜に鳴く鶏亭』だから食器もないしな。……あれ、もしかして俺ってすごく寂しい生活送ってる?」
「私物もなければ思い出の品もない、ついでに記憶も未来もない、と儂の口から言うのはさすがに哀れじゃから言わんでおく」
「言ってんじゃん」
ヴェセルは副官として連れて行くし、彼らが雇用する私兵も同様だ。
不老不死であるからか、物に執着しない彼の荷物など数えるほどしかない。
身軽に腰を上げられることは良いことだが、けれども心情としてはなかなか腰を上げられない。
記憶がないから過去を振り返ることが少ない。
世界の異物である自覚があるから、未来に興味を持てない。
そうやって割り切ってきたはずなのに、アルノに異動を伝えられないからと旅行を遠回しに強請ってしまったのはどうにも、
「らしくないよなぁ」
紙一枚置かれていない執務机を見ながら呟く。
この世界に何の希望も見出していなかったはずなのに。
「いや、お主らしいぞ」
足を止めたハルの呟きに気付いたヴェセルが、入り口で振り返って笑う。
「毎晩酒に頼るくせに、生き延びるために足掻いていたお主らしい」
「そうか」
「そうじゃよ」
元の世界に戻るつもりはなかったし、この世界に来る途中の曖昧な意識の中でもぼんやりと戻ることはできないという女神の言葉は覚えていた。
だから、彼にはこの世界で生きていくしかなく、運良くヴェセルに拾われた直後は何か役立つ能力はないかと試行錯誤していた。
それは拾ってくれたヴェセルに恩を返したいという気持ちであり、世界への執着でもあった。
長い時を経て孤独感だけが増し、様々な柵に縛られることで薄れてしまった執着心が戻ってきたということなのだろうか。
「アルノ殿には感謝じゃな。お主が生きようとしてくれているのじゃから」
「……そうだな」
再び戻ってくるかどうか、それはヴェセルの仕込みでもわからないけれども、「夜に鳴く鶏亭」でアルノと馬鹿話をする時間は必ずやってくる。
そうするためにも、今は一時撤退だ。
「じゃ、さっさと行って西から王室派を突っつきますか」
「王女殿下には飛び火せぬようにせんとな」
「いやあ、あのガキなら喜んで飛んできた火花を大火事にしそうじゃね?」
笑いながら出ていく二人の声が遠くなり、無人の執務室には冬の陽が揺れるだけだった。
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