銀の歌
第98話
「もしかして俺って贈り物のセンスない?」
最早日課となった朝の走り込みの後、進む荷車の上で、ぐったりと仰向けに倒れ込んでいる時に、唐突にそれは始まった。
「は?」
頭の上に置かれた、布に包まれた氷をどかして、嫌悪を込めてアルトさんの言葉に応える。氷をどかした時に、それを置いてくれたヘテル君は、困ったようにしていたので、それにはごめんなさいをした。
「ちょっと、なんていうか。その、な……」
なんか女々しいことを言うアルトさんに、わたしは半身だけ起き上がらせて、文句を言うー氷をどかしたのはこのためだー。
「そんなめんどくさい彼女みたいなこと言わないで下さい! こっちは走り終わった後で疲れてるんですよ!!」
「すまん。んーーでもなぁ……」
前の席でシーちゃんの手綱を握るアルトさんは、そう言って俯いていた。彼の背中しか見えないため、正確にはそういう仕草をとった気がした、だが……。そんなことはもう見えなくても分かる。
「じゃあ、もう、あれです。センスありますよ、もう、ありありですよ。センスドバドバですよ」
大分めんどくさくなって来たので、投げやり気味に答えた。そうしたら。
「無責任なこと言わないでよ! 実情を知らないくせに……!」
なんてことを言い出した。
「めんどくせぇよぉぉぉおお。そんでその口調なんですかぁぁ……。なんです? 今日はわたしがツッコミの日なんですか? いいでしょう。受けて立ちますよ」
荷台の上で立ち上がって発狂すると、氷がダメならと、巨大な植物の葉で扇いでくれていたヘテル君が、顔をはっとさせた。それにはごめんなさいをしたが、今はこのめんどくさい男を、どうにかして黙らせたかった。こっちは朝の走り込みで疲れている。
すると流石に何かしら感じ取ったのか、アルトさんは唸り声を上げ眉を寄せた。見えなくても分かる。
それから「悪かった」といった声が聞こえて来たので、しょうがないのでそれで許してあげた。
わたしがいかにもぷんすかといったていで、荷台にガタンと座り込むと、その衝撃に驚いたのか、端の方でくるまるようにして、眠っていたソフィーちゃんが、目を開けてパチクリとさせた。そして「ふぁーー」と、何か抗議するような、呆れているような、そんな声を出した。
✳︎
ガタガタと進む荷台の上で、わたしは珍しく何もしていなかった。ここ数十日は走り終えた後、少し休んだら魔法の訓練を、また何時間もさせられていたのだが……。
だが今日に限って言えば、荷台の上で仰向けになって、空ばかり眺めている。その訳は、まぁ単純にアルトさんから「今日はしなくていい」と言われたからだ。まぁ当然疑問に思って質問したし、明日走る時間が倍増するかもと危惧した。
でも結局アルトさんの言葉に従って、今はこうして、空ばかり眺めている。たまに地平線にも目を向けるが、どこまでも続く街道は、なかなか景色が変わらない。そんな飽きが来ていた頃、アルトさんから声がかかった。
「そろそろ着くぞ」
今まで皆してぬぼぉーーっとしていたが、声がかかると、各々目を覚ましたように、その場で伸びをした。わたしはそれだけでなく、荷台の上からガタンと飛び出して、前の乗り手の席へと移動した。
「危ないぞ、お前!」
あまり広くない乗り手の席は、わたしの突然の侵入で、ぐらついた。アルトさんも多少バランスをとるのに苦労していたが、飛び乗ったわたしが一番バランスを失っていた。なので安全を求めて、座るアルトさんに、上から覆いかぶさるようにして抱きついた。
「うお! お前!」
アルトさんの罵声を無視して、更なる安全を求めて、抱きついた腕を前の方に伸ばすと、改めて前を向いた。
「あれが取り敢えずの目的地ですか?」
「……ったく。ああ、そうだ。ウェンの大森林までは長い。そこから一番近くの村エスペンまでも、まだ距離がある。だからこそ、いくつかの村や町を中継する必要がある。今見えているあの村、【サスラ】がその一つ目だ」
「なるほどぉ」
そう、わたしが今日創世魔法の訓練をしなくていいのはそう言うわけだ。今日になり、いよいよ村が近づいて来たとのことなので、今日はお休みの日となった次第である。
村ではやることがまた、色々とあるそうなので、今日はどこぞの宿を借りるそうだ。だから、明日の走り込みに関しても免除されている。
そう言うわけで、わたしはアルトさんの決定に何の反対意見も言わず、ただごろごろとしていたのであった。
走る距離が増えない、どころか免除となれば断る理由がないもの。
「言っとくが、明日休む分、明後日の走り込みは多少きつくなるからな」
前言撤回。急な休みなんてもらうものじゃない。会社でもそう、学校でもそう。テスト前にインフルエンザで休校なんて、良いことであった試しなんてないんだから。
✳︎
「さて、着いたな」
アルトさんが確認とばかりに呟いた。というのもこの村には、関所のようなものがなかったからである。どこからどこまでが村かが、定かではないのだ。
今まで行ってきた街ー例えばルスク街ーなどには、関所と呼ばれるものがあった。それでどこからどこまでが、街かを把握できていたが、この村にはそういったものがない。
だが関所がないのは、この村だけではなく、最初に見たヤチェの村や、獣人達の里にもなかった、というのを思い出した。こういうのが街と、村や里の違いなのかもしれない。
「……またここは、静かな村ですね」
村に入って、周りを見渡して見てみれば、ヤチェの村程ではないにしても、お世辞にも賑わっているとは言い難い。
「そりゃまぁ、グローリー・バースの支配域を、また抜け出してきたからなぁ」
「そうなんですか?」
疑問符を浮かべながらも、まぁ確かにと納得していた。ルスク街から出る時には、ここに入るのとは違って、いくつか関所を通っていたからだ。けど、それにしたって、ルスク街とはまた、何もかも違いすぎである。グローリー・バースが関わっているかどうかで、こうも変わるのか。
そんな疑問を抱いていたら、不意に声がかけられた。……というよりは呟き程度のものだったのかもしれない。
「そう……なの? お店がいくつもあって、人通りに何十人もいて話してるよ。これが静かなの?」
ヘテル君が荷台からひょっこり顔を出して、辺りを見渡した後にそう言った。
「えっ、まぁ……そうだねぇ……」
言いながら改めて周りを見渡してみる。確かにヘテル君の言う通り、全くの無音と言う訳ではないし、人通りが全然ないわけでもない。寂れた感じは受けないが、それでもどんなに贔屓目に見ても、やはりダングリオだとかに比べて静かな印象が拭えない。
「まぁ、あそこの……食べ物が売ってるお店とかは賑やかだね」
ヘテル君の言っている意味が分からない訳ではないが、だからといって全てを肯定することもできなかったため、「バナンの実大安売りだよ〜」と、客を煽っている店主の店を指差して、無難なことを言うに留めた。
「…………さぁ、宿に行くぞ。探せばいくつかはある」
ヘテル君の疑問に、上手く答えられそうになかったので、アルトさんその言葉には、正直助けられた。もしかしたら彼のことだから、そういったことに気づいて意図的に、助け舟を出したのかもしれないけど。ヘテル君の話を聞いて、考えるような素振りも見せていたし。
静かな……いや。
少し静かな村の中を荷車は進んでいった。
✳︎
ガチャリと扉が開く。それはわたしにとって、真なる安らぎへの招待でもあった。
「うわーー! やったー!! ようやく野宿じゃない! 部屋だ! 部屋がある!」
今日はもう、創世魔法の訓練をしないで、休んでいていいと言われたが、それでもグラグラと揺れて狭い荷台の上では、そこまで休まらない。だからこそ個室で、ベッドのある部屋は本当に嬉しかった。
「わーーい! だーいぶぅぅう!!」
感極まったわたしはそう言って、間を開けて二つ並んだベッドの内、右側の方へと飛び込んだ。するとガンという鈍い音がして、わたしは腹部を殴打した。
「あぶぅ」
わたしはその痛みに耐えかねて、ベッドの上で泡を吹いた後、よろめいてそこから落ちた。
「ごば」
そして背中を痛めた。
「大丈夫!? セアさん?」
「ほっとけ。アホなそいつが悪い」
それぞれ口上を述べながら、二人も後ろから部屋へと入ってきた。それにしてもアホとはまた失礼な。と思うものの、この無様な状態では、そう言われても仕方がなかった。
「やっぱりルスク街のベッドら辺とは、流石に違いますね……」
「あそこだって安い宿屋だから、そこまでのやつじゃないが……。まぁここと比べりゃな」
呆れ気味のアルトさんは、棒立ちで顔を抑えていた。そしてその足元、彼の足と足の隙間を縫って、ソフィーちゃんが部屋へと入ってきた。
「ん? ソフィーちゃんが……」
「どうした」
「いや、あの。森犬って、宿屋入っていいんですか?」
「ああ。そのことか。まぁシリウスと違って、別にそこまで大きくもないしな。勝手に漏らしもしないだろうし、構わないだろ」
「そういうもんですか」
わたしが納得したと頷くと、アルトさんの足元をすり抜けて、こちらまで来ていたソフィーちゃんは、踵を返して、アルトさんの足元に思い切り噛み付いた。
「いででででででで! 何すんだ! てめ!」
アルトさんが足をぷらぷら振って抵抗すると、ソフィーちゃんが口をぱっと離して、振られた足の揺れを利用して、ベッドに腰掛けているわたしの膝上に飛んできた。
見事な着地を決めると、わたしの膝の上から降り、アルトさんの横で一度身震いした後、通り抜けて部屋の外へと出て行った。
「ほら、もう。アルトさんったらすーぐ怒らせる」
それを見送ったわたしはアルトさんを責める。彼は一度唸った後、天を睨みつけるように、顔をしかめた。
「きっと、あれですよ。お漏らしなんて言うからですよ。ソフィーちゃん、プライド高くてちょっとだけ気難しいんですから、それで怒って出てちゃったんですよ」
「そうなのか……ううむ。やはり半端に人ってのもまた面倒くせぇなぁ。それとも女心か……?」
アルトさんの言ってることは、ちょっと意味が分からなかったが、反省しているなら何よりである。
それよりも、さっきから急に匂い出した、このつんとした臭いがわたしは気になっていた。
「アルトさん……何か変な臭いがしないですか?」
「は? なんだって?」
「うん、僕もちょっと……感じる」
ヘテル君もわたしと同じように、鼻をつまむような動作を取る。分からないのはアルトさんだけのようで、首をひねっている。だがしかしアルトさんも、自身にのみ起こったあることによって、その異変に気付いた。
「ん、なんか足元に違和感が……って! まじか!!」
アルトさんのズボンが湿っていた。
「あの野郎! よくもやりやがったな! ……半端に獣ってのもまた腹立つな!! このやろ、待ちやがれ!」
アルトさんは眉を寄せて、ソフィーちゃんを追いかけるべく走り出した。
第98話 終了
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