銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

桃色とモノクロの外伝② 前編

公開日時: 2021年9月27日(月) 18:30
文字数:6,130


 ルカナスタ王国の最南端、ここルスク街では、今日も人々が賑わいを見せていた。

 特に噴水のある大通りの活気は目を見張るもの。子どもも大人も多様な種族が入り乱れて、雑多な会話、遊び、物品の売買などが行われ、静かさとは無縁の世界が広がっていた。


 そんな大通りの端の方、なるべく人目につきにくい場所を選んだのだろう、険しい顔をして目を瞑る幼い子どもがいた。


 年頃は恐らく、七、八歳ほどだろう。だがそれにしては、その立ち姿があまりに堂に入っている。軽く見ても四十、五十ほどの貫禄がある。そんなだから、大通りの端で一人佇んでいても、心配そうに見る目はあったが、実際に話しかけたりする者は、極々少数であった。

 もしかしたら子どもが身に纏う、真ん中を帯で区切っただけの、上下で分かれていない奇怪な服も、その一助になっているかもしれなかった。


「へぃ、そこのガキ。何か困ったことがある感じ〜?」


 声をかける者など、ほとんどいない。だが稀にどのような目的かは知らないが、こんな感じで『助けが必要か?』といった内容で話しかける者がいる。

 子どもはこういった手合いに、申し訳なさや煩わしを感じながらも、キツイ言葉を使うことで、何度か撃退してきた。だから今回も手っ取り早く済ませようと、口を尖らせる準備をしたが……少しおかしいことに気づいた。


 子どもが自分から言うには憚られるが、客観的に見て子どもの容姿は、愛くるしい幼児の中でも特に整った美形である。あるいは中性的とも表現できる、子どもの顔立ちは一見性別が分かりにくい。しかし声をかけた者は誰もが、まず『お嬢さん』だったり『女の子が一人で……』といった三人称を、子どもに対して使用していた。


 その理由は単に、単純に愛らしさという一点で決めつけたのかもしれないし、あるいは子どもが意図して身に纏っている、服の装飾ゆえの判断かもしれなかった。

 子どもの性別は希薄で、自分でもどちらか分かっていない。しかし子どもは自分をなるべく女性として周囲に見せたい気持ちがあった。ゆえにこそ、可愛らしい花柄が施された、全体的に女の子っぽい服を選んだという背景がある。


 なので『お嬢さん』『女の子』そういった三人称を使われるのは、全く嫌ではない。むしろそう言わせるよう服や色合いで誘導している。


 だというのに、今話しかけてきた人物は、『ガキ』と表現した。確かに間違いない、それが蔑称だったとしても、子どもに対して使う三人称としては正しい。だが問題なのは、その発言に幾ばくかの悪意があるように感じられたことだ。

 こちらが意図的にやっていることを知っていながら、あえてそれを無視しているような。そんな底意地の悪い悪意。


 今まで話しかけてきた人物には、尖らせた物言いをするくらいで済ませてきたが、流石にその物言いは見逃せない。だから子どもは、ゆったりとした威厳を感じさせる動作で、薄目を開けた。


 例え声をかけた人物の声音に聞き覚えがあったとしても、例えただの悪戯だったとしても、気分を害されたのだ。優しい振る舞いをすることは……できないだろう。


「遅いぞ、リール……」


 低く鋭い声。子どもの周り、近くに誰かがいたなら、その声の出所が分からなかったに違いない。それほど、げに恐ろしい声だ。しかし返される言葉、反応は大変軽いもの。


「いや〜すんません、すんませんカナン殿下」


 『リール』と呼ばれた男性は、へらへらとした態度で、にかっと笑いながら言った。


「何してたんだ?」


 子ども──カナン殿下は、そんな謝り方では許さないと、なおも厳しく追求する。


「ちょっと野暮用でして」


 それに対して取り合う気は全くないと、リールは尚も軽く返す。

 そのふざけた態度に心底ため息しか出てこない。ただの遅刻だけなら、ただの悪ふざけだけなら、確かにこちらが大人気ない部分もある。だがしかしカナンは、カナンがこの格好をする理由は……突き詰めればたった一つだ。


 それを理解していながら、未だにそう茶化す、自分の従者にして想い人たるリールが許せないのだ。だから一見行き過ぎた怒りも見せてしまったし、だから結局の所、カナンは深いため息をついて終わらせてしまうのだ。


 リールがそういう態度をとる限り、自分では手の出しようがないのを知っているから。


「はぁ〜全く……気が抜けてるぞ。禊達が何故この街に来たのか、分からない訳じゃないだろ?」


 声の鋭さは幾分か無くなり、業務的な叱責へと変化する。


「ここは禊達が住んでいた国じゃない。敵地だ。気を付けろ」


「ういっす」


 リールはそう言って頷いた。


「……さて、来るべき時に備えて、禊達は情報収集をしなければいけない。分かってるな?」


 本来ここまできつく言う内容じゃない。リールは普段の言動こそふざけているものの、いざ敵地に入ったのなら、少しの油断もせず、緩慢なく辺りを警戒する。そういう事実をカナンは知ってるからだ。

 盤上の戦略ならともかく、こと戦闘、こと戦場において、リールの右に出るものをカナンは多くは知らない。


 カナンのこういったことを、ナユターカナンの国にいた偉人ーに説教というのだろう。

 わざわざ言うまでもないことだから、リールはもちろん、「ええ、分かってるさ」と、やはり軽く返すだけだった。


 カナンは不毛だとは感じつつも、自分への戒めも込めて、どうせだったら最後まで言おうと思ったらしい。


「今は……なんだ。この街はルスク街などと呼ばれてはいるが、昔の名前は全く違うし、用途も違った。

 名も用途も、多くの人が忘れてかけているが、完全になくなってはいない。この街に眠ったままだ。対策は立てなければならない」


 この街に入る前、事前にカナンより聞かされていたことを、もう一度聞かされたのだから、リールは退屈気味に「ふぁ」と欠伸をした。


 こんなことになったのは、元を辿れば、遅刻をしたりと、色々腑抜けていたリールにあるのだが、そこは惚れた弱みとでも言おうか。

 任務の失敗の追及ではない、個人的な呵責であれば、飲み込む他にないかと、ついにカナンは諦めて、彼よりも大きなため息をついた。


「だが……この街をより深く調べる前に。取り敢えずはご飯を食べに行こう。お前を待っていたからな、もうお昼過ぎだ」


 気分転換。自分に言い聞かせるように、話を変えたカナンは、これ以上リールと向かい合ってても、さらに怒りだしてしまうからと、彼から顔を背け、出店などに目を向けた。


「さて、何かいい店はないか。ああ……そうだ。今日は禊、久しぶりに魚が食べたいな」


 リールに背中を向け、大通りを歩き出す。怒ってはいたし、まだむかむかした感情は消えてなくならない。しかし不思議なもので、意識が外に向くと、それほど気にも留めなくなるものだ。


 カナンもそれは例外ではない。というよりも長年、リールと共に過ごしてきたのだから、こういう場面には何度も遭遇してきたわけで……。普通の人よりもよほど、感情の切り替えは上手だった。


 だから先程まで怒っていた人物に対しても、当たり前のように「お前は何が食べたい」と、尋ねることができるのだ。


──だがしかし、そんなカナンの労力を嘲笑うのがリールという人物だ。


「あっ、俺はいいっす、腹一杯なんで」


 は? 声に出さなかったものの、心の中では明確に苛立ちまじりにそう言っていた。

 非常に嫌な予感がする。カナンはそんな直感を覚えながらも、訊かなければ始まらないと、意を決して尋ねた。


「お前まさか用事って……」


「げぇぇっぷ」


 心の中で何かが折れる音がした。


✳︎


 リールが既に昼食を済ませていたということで、カナンの昼ご飯は後回しとなり、先に街の探索・情報収集から行うことになった。

 だから結局、あの後から三刻ほど経って、ようやく食事の席につけたのだ。


 正確な時刻は分からないが、宿屋の外の景色は茜色に染まっているものだから、遅めの昼食というには、あまりにも……である。

 そんな言葉じゃ慰めにもならないだろう。


「お腹空いた」


 カナンは王族とは思えないほど、情けない声を出し、テーブルに突っ伏すと両手をだらりと広げた。


「へぇ〜可哀想っすね」


「お前! ほんっとなぁ!!」


 ふざけた様子でへらへら笑うリールに怒鳴り声を上げる。しかしここが宿屋で、その食堂だと言うことをカナンは思い出し、すぐに手を口に当てた。周りの迷惑になってしまったなと後悔して、少し呼吸を整えた後、恐る恐る辺りを見渡した。


 そうしたらカナンが恐れていた、一人目立ってしまうといった展開が……広がっていることはなく、むしろ誰にも注目されていなかった。


 というか皆が皆、カナンの比ではないくらい、どったんばったんの大騒ぎを繰り広げている。


「どうなってるんだこれ?」


 リールに尋ねてみるが、彼は肩をすぼめ「さぁ」と言うだけである。もとから期待はしていなかったが、従者としての役目を全然全うしていない。反省のそぶりも見せないのだから、こいつ本格的に教育し直してやろうかな、そんなことをカナンは考えた。


 リールが従者として役に立たないので、カナンは浅ましいとは思いつつも、辺りの喧騒に耳を傾けた。こんな振る舞いはとうてい王族がやることではない。時に苦渋を舐めなければいけないことは知っているけれど、それは今ではないはずだ。


 そのことを苦々しく思いつつも、一人だった時には、こういうことは良くやっていた。慣れているし、もう仕方ない。カナンはこれか心境で、騒ぎの原因を聞き分けるべく、油断なく耳をすます。


 そうするとすぐに耳につく声があった。一番喧騒が酷い場所。そこから分かりやすく、他のどの声よりも、怒気を孕んだ声がした。


──これか。カナンはゆだんなく捉え、その人物と向かい合う人物の言葉を、一言一句逃さぬよう集中した。


「××××××××××××(お前俺の唐揚げ一個多く食べただろ!)」


「××××××××××××××(お前こそ、俺の甘味、勝手に食べやがって、表出ろよ決闘だ!)」


 すると聞こえて来た内容は、あまりにもあんまりなものだった。


「なんて下らない喧嘩なんだ」


 当人達からすれば、大事なのかもしれない。だけど客観的に聞いている分には、お互いに、そこまでムキになる内容ではない気がする。


 カナンはこの騒ぎが、何か自分達にとって物騒なものーー端的に言えば、異業種関連のものではないかと考えていた。

 今日来たばかりではあるが、多くのことを見聞きしたから、この街が大変治安が良いのを知っていた。だからこそ喧騒が起きるほどの争いなんて、そう簡単に起きないと確信を持って考えることができた。


 そのため、そんな街で喧騒が起きるなら、何かよっぽどのことがあると、偏見ではあるがそう考えていたのだ。そしてそのよっぽどのこととは、異業種関連のものが分かりやすい。だからもの凄く警戒したのだが……。


「×××××××(やんや、やんやー)」


 取っ組み合いの喧嘩を周りから眺め、煽り立てる人達を見ていたら、真面目に取り合うのが、ばからしく思えて来た。


「×××××××××××(お客様、困ります〜〜〜)」


 紫色の体色をした触手のあるー恐らくー亜人が、ぬるぬるとその場で震えながら言った。注意のつもりなのだろうが、態度もそうだし、声も及び腰で、そんなものでは全く効果はないだろう。


 そんなだから収まるどころか、取っ組み合いの最中、周りで囃し立てていた客に、ひょんなことから飛び火してしまったようだ。気づけば辺り一面、乱闘とかしている。


 最早真面目に席についているのは、カナンとリールだけである。酒場でもないのに、これほどの乱闘。

 真面目に考えるのは馬鹿らしい、一度はそう考えた。しかし店員の困りようを見ていたら、手を貸す必要があるかなと思えて来た。


 異業種である手前、目立つのはどうかと思うが、こちらに来て平謝りする店員は、気の毒でならない。


 さて、助けると決めたのならどうするか。カナンは思考を巡らせる。

 そんな時、不意に声がした。


「あっ、おい女ァ」


 野蛮な声だ。騒ぎ立てる者達もそうだが、カナンの隣にいる人物も、礼節など心得ようとしない野蛮な人物だ。


「××(えっ?)」


 しかも言葉も通じないのだから、声をかけられていることは分かっても、どう対処したらいいかなんてわからない。店員は戸惑っていた。

 しかし相手の事情は気にせず、リールはさらに続ける。


「あそこにあるもんは楽器かぁ?」


「×××××××(ごめんなさい。何をおっしゃっているのか)」


 何を言われているのか分からず、終いにはそう言って頭を下げる。カナンはそんな店員の様子が、たまらなく悲しかったし、申し訳なかった。


「リール少し待て。彼女が混乱している。禊が通訳する」


 リールを咎めて、店員に声をかける。


「×××××××(アそこに、あるモのは。何かノ楽器、デスか?)」


 発音の仕方が所々怪しいが、きちんと意味は伝わってはいる。店員は身体をぷるぷる震わせながら、そうだと答える。


「×××××××(えっ、ええ。そうですけれど)」


 回答に淀みがあったのは、自信がないからとかではなくて。言葉が通じない異邦の方と思っていたら、急に公用語を使われてびっくりしたからである。


「なんて言ってるか教えて下さい殿下」


 無遠慮なリールに腹は立つものの、もう仕方ないものだと、だいぶ受け入れている。カナンは大仰な振る舞いで頷いた。


「そうですかい。んじゃ、ちょっと使わせてもらうぜ」


 言葉の通じない店員にも通じるように、手振り身振りで感謝を伝えて、彼女の肩を叩くと歩き出した。

 乱闘が繰り広げられているというのに、それを何て事もないように通り抜け、お目当ての物の元まで簡単に辿り着いた。


 リールはばさりと、埃かぶった色褪せた布を取り払う。


 すると出てきたのは、横に広がりを持つ台形の物体だった。リールは元より、カナンも似たような物の見覚えがあったので、それが何であるか、すぐに察しはついた。

 教会にて音を奏でる木と水、それから金の加護を受けた木管楽器、あれに似ているのだ。


 それは長らく使われていなかったからだろう、経年劣化していた。とても弾ける状態には見えない。ぱっと見ただけでも、そうと分かるのに、しかしリールはそれでも、品定めをやめない。

 触りもせずに眺めて、そして一言「いいね」と呟いた。


 そんな時、乱闘のためだろう。どこからかリール目掛けて、椅子が吹っ飛んできた。直線上にいるから、このままでは間違いなく当たる。突然飛んできた、的の大きな物体を避けるのは、至難に見えた。

 しかし、これまで幾多の戦いを制してきた、歴戦錬磨のリールが危うくなるはずもなくて。飛んでくる椅子を見もせずに掴むと、良いものが来たとでも言いたげに、楽器の前にコトリと置いた。

 そこに腰かけると、肩をパキポキと鳴らす。


「最近は剣と盾ばっか使ってたからな。さて……勘は鈍っていない……かな?」


 語尾を上げて嘲笑的に笑う。それから、試し弾きとでもいうのか。いくつかポーン、ポーンと規則性なく音を鳴らした。

 それで用意は整ったのか。いつものふざけた顔つきから一転、リールは表情をなくした。ただ一つの役目を任された人形のように、真剣さとはまた違う、病的な過集中の状態に入りつつあるのだ。


「……さぁ、やろか」


 リールは呟いた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート