銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第85話 求めた声と訴えた声

公開日時: 2020年12月6日(日) 18:30
文字数:4,749

 今回の話は、すごく難産だった覚えがあります。



銀の歌



第85話



「くそ! 敵が多すぎる……!!」


 何十もの死体に囲まれて、絶望的な状況でありながら、それでもシグリアは剣を振るい続ける。

 猛者が多いユークリウス班において、シグリアは決して目立つ位置にいたわけではないが、それでもかなりの実力者であった。


 シグリアなら何十の相手に囲まれていようとも、自分一人だけであれば、血路を開いて逃げ出すこともできただろう。もちろん手傷は負うだろうが、それでも彼ならかいくぐれる。そう一人なら。


「剣士長……剣士長……」


 後ろでは戦いにも参加せず、すんすんとすすり泣くアスハがいた。そして彼女が抱いているのは、大陸一番の英雄ユークリウス・ラーレアン。

 憧れの人物を守る盾になれるなんて名誉は、戦士であれば誰もが嬉しいことだ。しかしシグリアは、そんな浮かれた心境ではいられなかった。

 自分だけが犠牲になるのなら割り切れる。でも彼には、今後ろで守っている二人以上に、大切な人達がいた。アスハが何をおいても、ユークリウスが大切なのと同じだ。


「貴方達のことを逃すように頼まれているんです! 僕に多くの者を犠牲にさせた上、貴方達にまで死なれたら、文句の一つも言いますからね! アスハ副剣士長……泣いてないで戦ってください! 貴女だったら、これくらいどうにかできるでしょ!!」


 シグリアがこんなことを言うなんて、ユークリウス班の誰も想像すらしないだろう。緊急事態だと言うのもあるだろうが、それにしても普段の彼のイメージとはかけ離れている。

 見栄も外聞も関係ないのだ。なぜならシグリアにとって、一番大切でなによりも守ってあげたいのは、幼馴染二人だけだ。


ーーミリア! ドルバ!

 心の中で二人の名前を呼ぶ。


 自分の何に代えても守りたかったが、彼らの生存を半ば諦めてまで、軍規を乱してはならないからと、優先度を考え上官(トーロス剣兵長)の指示に従った。


 涙を飲む思いで、ここまで来たと言うのに、どれだけ言葉を尽くしても、アスハは決して動かない。彼女の心境を考えれば、仕方のない部分はある。でも自分の大切なものを、捨てる覚悟で来たシグリアにとっては、許せないことであった。


 一緒に振り切って逃げるのが無理でも、今はせめて共に戦って欲しかった。守りながらの戦いでは、自分一人では不可能と理解できるから。


「くっそ! 何が……何が英雄だ! 何が天才だ! くっそ! 僕の大切なものを……くっそおおおおおお!! せめて、せめて生き残って下さいよ!!」


 シグリアの剣は腐肉がこびりつき、斬れ味がどんどん悪くなっていく。しかし死体達は、息つく暇もなく詰め寄ってくる。泣きたい思いを必死にこらえ、決死の覚悟で盾に成り続けるシグリアの姿勢は、尊いものであった。


 だからこそ、その姿に応えようと、英雄の腕はピクリと動いたのだ。


「……ユークリウス様?」


✳︎


「あっ……」


「トーロスさん!!」


 トーロスさんが倒れ込んだのを見て、慌てて駆け寄って手を差し伸べる。ラックルさんに関しても、わたしの背を守るように付いて来てくれる。なので背後は彼女に任せて、トーロスさんの肩に手をかけ、持ち起こそうとする。

 その時、パンと大きな音がした。


「えっ……」


 わたしの頰は赤くなり腫れ上がっていた。

 トーロスさんがわたしのことを叩いたのだ。


「何してるの……?」


「えっ……?」


 トーロスさんの言動が、何を考えてのものか、全く分からなくて、二度ほど瞬きした。


「ねぇ。何してるの!? 逃げなくちゃあ……ダメじゃない!!!」


 トーロスさんのひやりと冷えた手が、わたしの頰に触れる。


「私の足が動かないのは、当然知ってるわよねぇ! こんなに囲まれていたら、荷物を抱えて逃げられる訳ないじゃない!」


 つりあがった眉から、怒りの感情を読み取ることは容易かった。けれどトーロスさんが、怒りからこんな行動を取ったんじゃないのは、彼女の目を見て分かったことだ。


ーートーロスさんの瞳は潤んでいた。


「ラックルだって……正直あんまり強くないのよ……? この状態が続けば、数分と持たないから。でも……今ならまだ……まだ間に合うかもしれない。だからお願い。私に構わないで……逃げて……?」


 「ね?」と最後に囁かれた言葉は優しかったが、わたしにとってはあまりにも辛かった。トーロスさんの諦めた顔は、この数時間でたくさん見てきた。でもここまでのものはなかった。


 はりさけんばかりの笑顔は、聖女の如く清くて。わたしを憂う瞳は、自分の生存の一切を切り捨てていた。悲し過ぎた。でも周りを見渡せば、トーロスさんがこんな顔になるのも理解できる。


 阿鼻叫喚の叫びは墓地一体に駆け巡り、どこからも悲痛な叫び声が上がり、遠くでは甲高い泣き声が聞こえた。地面に倒れる人の数だって少なくないし、そこには死体の群れが集まっている。このままいけば、彼らに噛みちぎられ、最後にはきっと、原型すらなくなる。


 そしてその中の一つにはアルトさんも居て。


「……………………………あ」


 今更ながらわたしも恐怖心に駆り立てられた。ラックルさんが守ってくれているとはいえ、それがどこまで機能しているかなんて分からない。後ろから風を切る音は聞こえてくるので、最低限生きてはいるのだろうけど、振り返る勇気はない。


「分かってくれた?」


 戸惑いは顔にも現れていたようで、安心したようにトーロスさんは呟いた。


「うん。怖いよね……? でもまだ大丈夫。だからラックルと一緒に逃げて……?」


 頰に当てられた冷たい手は、いつのまにか暖かく包み込むような手に変わっていて、その感触には覚えがあった。


ーーそう、この手は。昨夜の……。


 トーロスさんがどういう心境で言っているのか理解して、涙が溢れた。よく見てみれば、彼女の顔だって昨夜のものを思い出させるものだ。

 わたしの大好きで、大嫌いな顔だ。全てを悟ったように諦めて、それでいて希望を託すような、自分の運命を受け入れた顔。


 あなたは何度わたしの気持ちを、こんなにも揺らぎさせるんですか?


 そんな顔をされたら、言うことに従わなきゃいけない気がしてくる。とてもじゃないが、こんな尊い表情には逆らえない。

 自分の気持ちが、トーロスさんを見捨てる方に、傾いているのを感じるからこそ、わたしはきっと……泣いたのだ。いく末を察して。


 わたしは彼女に求められた。ーー生きてと。


 きっと最期になるだろうから、聞いてあげてもいいのかなと思った。でもその顔があまりにも、諦観の混じったものだったから、許せなくなったんだ。


「……だ」


「何? なんて言ったの?」


 聞き取れないからと促してくる。だからいっそのこと、思いっきり叫んでやった。


「嫌だ!!!」


「え………………。…………ば」


「『バカなことを』なんて言わせませんよ」


 言いたいことを先取りされたトーロスさんは、驚くとともに押し黙った。


「トーロスさん。トーロスさんは自分の母親のことを、『いい妻であり母だった』なんて言ってましたけど、わたしはそう思いませんよ……」


 母親のことを貶すと、みるからに不快そうな顔をしたけど、それでも言いたいことを止めたりしない。


「だって、あなたのお母さんは、あなたに呪いを残しました。自分でもなんとなく分かりますよね?」


 問いかけるとトーロスさんは言葉に詰まったようで、反論の言葉が出ないみたいだった。彼女自身がはっきりと『母親になれなかった』と言っていたように、お母さんの存在が、彼女の心に深く楔を打ち込んでいるのは、自他ともに認めるところだったのだ。

 母親への憧れと、見捨てたと思っていることによる罪悪感。それが元でトーロスさんは、自己の価値観を大きく歪めさせられてしまっている。

 【何をするにもまず自分が負担を負うべき】。それこそがトーロスさんの呪いの正体であるように、わたしは思っている。


「あなたの自己犠牲の精神は素晴らしい。でもあなたの姿勢は……痛々しいです。だから! わたしはあなたに訴えます!!」


 パン! 包むようにトーロスさんの頰を両側から叩く。今度はわたしが言い聞かせる番だった。


「あなたは自分のために生きてください! 利己的でいいんだ。やたらめったら犠牲になろうとなんかしなくていいんです……。あなたが、他の誰かが目の前で傷ついた時に傷つくように、わたしやラーニキリスさん、ラックルさん、アスハさん、みんな……みんなだって、あなたが傷つくことに、きっと傷つきます!」


「……でも母は、最後まで、私達のことを」


「わたしにまで呪いを残しますか?」


「……!?」


「たとえこの後、全てが上手くいって、みんなが生き残れたとしても、そこにあなたの姿はいない。だとしたら、みんなあなたの最後の姿を、印象深く記憶に残してしまう。『逃げて』、『生きて』と言ったあなたの姿を。

 ……わたしは、わたし達は言葉を残してもらいたいんじゃない……! あなたに残ってもらいたいんだ……! トーロスさんもそうだったでしょ?」


 記憶が再び始まってから、多くのことを学んだ。一歳にも満たない経験しか積んでいないのだろうけど、それでも自分が考えてきたこと、感じたこと、全部を詰め込んだ、彼女のためだけに贈る言葉だ。


 でも結局言いたいことは一つ。


「死なないで……?」


 さっきは怒りで我を忘れていただろうから、言えなかった。でもしっかりと目を見て話している今なら、届くのではないだろうか。

 けれどトーロスさんが瞳の中に滲ませた感情は、わたしが予想していたものの、斜め上の答えだった。


「わたしが生きてしまったら、あなたが不幸なことになるかもしれないよ?」


 よくわからない返答だったので、首を傾けたが、その後に言った一言で全てを理解した。


「ヘテル……君」


 背筋が凍った。けれど戸惑いは一瞬だった。


「…………それでもだ!! それでもです!! わたしはあなたに生きて欲しい! この気持ちに嘘はない!!!!」


 さっきからずっと泣いている。昨夜のように二人で泣いている。聞こえはしないだろうが、この場には色んな人がいるというのに、今この時だけ、わたしには世界に二人だけしかいないように思えた。


「ね? だから、『逃げて……』なんて言わずに。皆で一緒に逃げましょう? 大丈夫です。あなたはわたしが抱えます。死体は動きが鈍いですし、鎧の人も、さっきわたしが思いっきり蹴りつけてやったから、きっとすぐには動けません。だから大丈夫、逃げられますよ皆で……二人で……」


ーーこの時の言葉を後に思い出して、自分がなんて現実味のない提案をしていたんだろうって、嘲ることになる。

 でもこの時は、自分が何も間違ったことを言っているなんて、つゆにも思ってなくて、根拠なく正しいと確信していたんだ。


「あ、ぁぁ。…………あっ! セアちゃん! 死体が! 後ろ!!!」


 涙が流れて、ぐちゃくちゃなトーロスさんの泣き顔を最後に瞳に写して、目を瞑る。祈るように彼女の頰に置いた手は、その先で温かな光を放った。瞑った目の奥に、まぶたを貫通して光だけが届く。










 眩しくて、まぶたをあけてみれば、そこには。


「…………そっか。セアちゃんも何か不思議な力を持ってるのは分かっていたけど、まさかね……。アルトさんがどうして生きているか分かったよ。あなたの力は、癒しの力なんだと思う。……凄いなぁ。真に他者を想うって言うのは、こういうことなんだ」


 両足で大地を踏みしめて、剣を握り立ち上がる姿がそこにはある。周りの死体や、わたしの後ろから迫っていた死体達は、全て斬り伏せられたようで、いくつも肉片を散らばらせて散乱していた。


 赤黒く染まった血だまりや、肉片がこびりついた剣は禍々しいが、それでも車椅子なしで立つ、トーロスさんの姿には感じ入るものがあった。

 雲の隙間から光が差し込み姿を照らした。その様はまるで、この世界が、彼女の回復した姿を祝福しているようだった。




第85話 終了

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