銀の歌
第82話
上手く皆を纏められない時に、ラックルさんがトーロスさんの窮地を救った。日頃から人の手助けをしている賜物だろう。
「さぁ。剣兵長。号令を……」
それでいて譲るべき所を譲るのだから凄い。
聖騎士団はきっと縦社会なのだ。戦闘が始まってからというもの、トーロスさんが皆のことを愛称で呼ばないで、「〜剣兵」と呼んでいるのを聞いていれば、それを察することができる。
それから彼らは決められた階級の、決められた人物が指揮を出すことを徹底しているように見える。
上官がいる場で、それより下の階級の者が、好きに号令を出していたら、多分指揮系統が乱れてしまうのだ。指揮官が動揺して、動けなかったとしても、下の者が好き放題出しゃばったら、それこそ収集がつかなくなるに違いない。そしてそれを理解しているラックルさんだからこそ、最後の号令は譲ったのだ。
ラックルさんに「さぁ」と促され、トーロスさんは頷くように号令を飛ばした。
「ラックルの言葉は聞こえたわね! 後退して展開……! ドルバ剣兵は武器を他の者に預け、あの少女を背負いなさい」
「「「はっ!!」」」
「あいよトーロスの姐さん!」
トーロスさんの言葉が聞こえた後、皆が行動を開始する。その動作は流石に訓練されているだけあって、洗練されている。素晴らしいの一言に尽きる。
それから彼らの優しさというか。
トーロスさんが、不甲斐ない……のは分かっていたであろうに。それでも彼らはトーロスさんの【言葉の後】に行動を開始した。今が不調だったとしても、今までの積み重ねがあるから、皆から信頼されているのだ。
それにトーロスさんはやっぱり強い人だ。期待に答えるように、気持ちをちゃんと立て直して来ている。
ーーやっぱり貴女は必要な人ですよ。
彼らの信頼を横目にそう思って、目頭をあつくさせた。
「ラックルお願いね」
「はい。車椅子は周囲を見渡せれるように、動かさせていただきます」
「うん。ありがとう。
さっ……セアちゃんにアルトさんも、どうぞ付いてきて下さい!」
こくりと頷いて、トーロスさんの誘導に従おうとした。これで何もかもがうまくいく、そう思った矢先だ。
「剣士長」
皆が後退を始める中。アスハさんはただ一人、その場で立ち尽くしていた。ユークリウスさんと、鎧の人物の闘いを不安げに見守っていた。
「アスハ副剣士長……!」
それに気がついたトーロスさんは、アスハさんの名前を呼ぶ。だが彼女はなんの反応も示さない。まとまりかけていたが、皆の間に動揺の波が広がっていく。
「……ッ」
トーロスさんは歯噛みする。
「アスハ副剣士長! お気持ちは分かりますが、どうか下がってください!」
本当だったら文句の一つも言いたいはずだ。だがトーロスさんはそれを押し殺し、今は呼びかけることを第一とした。けれどアスハさんはそれでも動かない。彼女がユークリウスさんのことを大好きだというのは知っていたが、これほどまでとは思わなかった。
【人の感情とは思い通りにいかないもの】。その言葉の一種の照明のようにも見えた。
大人の対応をしていたトーロスさんも、いい加減業を煮やしたのか、怒声を飛ばした。
「いい加減にして下さい! わがままを言える時じゃあ、ないんですよ!!!」
車椅子の上で荒げて叫んだ。その後はぁはぁと、心臓の鼓動を早鐘のように鳴らしている。文字通り力一杯、呼びかけたんだと理解できた。
それでアスハさんは、気まずそうな顔で振り返り、あまりにも重い足取りでだが走り出した。葛藤が多くあっただろうに、それでもそれを振り切り、駆け出すことができた彼女に、わたしは賛辞を贈りたかった。
ーーが、そんな努力。呼びかけも葛藤も無駄だとでも言いたげに、一つの物体がわたし達の間を通り抜けた。
飛来する物体は暮石の一つに当たると、それを砕いてガラガラと破片をまき散らし、土煙を上げた。なんだという思いで誰もがそこを見つめた。そして土煙が晴れた時に顔を曇らせた。
ぐったりと倒れ沈黙したそれは、間違いなくユークリウスさんだった。彼の体には大きな傷が増えており、真っ白なマントは赤い血で薄汚れていた。
「ユークリウスさん……」
失意の感情があった。
大きな裂傷があっても、敵が強大だと分かっていても、それでもユークリウスさんなら、なんとかしてくれるという確信を、どこかで皆抱いていた。
だからユークリウスさんの、言い訳のしようがない敗北は、皆の心に強く響いてしまっていた。あのアルトさんでさえ、言葉をなくし硬直してしまっている。
「そこまでアレは強いのか……」
アルトさんが虚ろな目で、そう言葉を漏らした時、誰かの駆け出す足音が聞こえた。
一瞬逡巡したが、それが誰かは考えなくても分かることだった。ユークリウスさんがやられた時、一番感情的になりそうなのは、今までの言動を思い返せば、すぐに思い当たることだ。
「嫌だ! ユークリウス様!!!!」
アスハさんは誰よりも早くユークリウスさんに近寄ると、倒れた彼を抱きしめた。そして何度も彼の名前を、涙声で呼んでいた。
「嫌だ! 嫌だよぅ!!! 剣士長! 剣士長! ユークリウス様!!」
何度も何度も繰り返したそれは、その度に力を入れて抱きしめていたようで。何度目かの圧迫の時に、ゲホっとユークリウスさんは血を吐いた。
「生きてる……。生きてる!! 生きてるんだ!!!! ラックル! ユークリウスさんを助けて! お願い!!」
周りの状況なんて一つも考えずに、ユークリウスさんが生きていると分かると、ただ目を輝かせて訴えた。だがその声に応える声はない。
「……ねぇ。なんで無視するの?」
アスハさんは分からないよと首をかしげる。そこからは多分な狂気が感じ取れ、ユークリウスさんをその手に抱いていなければ、掴みかかっていたのではないかと感じるほどだ。
ではそんなアスハさんを何故放置するかというと、別に無視でも何でもなく、身動き一つわたし達は出来ないだけなのだ。ーーのしのしと歩いてくるそれを目の前にして。
ソレは威圧感がある。まだ距離はあるというのに、下手に動けば真っ二つに斬り下ろされそうな、そんな直感をわたし達全員が感じていた。足を小刻みに震わせている。それはアスハさんをのぞいたら、一人として例外はない。こんな状態では、声を出して反応することだって出来る訳ない。
アルトさんやラーニキリスさんでさえ、動き辛そうにしているのだ。他の人はもっとたまったものじゃないだろう。
「……まずいな」
そんな中、アルトさんは呟いた。口元を嫌味ったらしく吊り上げて。
「おい。ラーニキリス……。アレ……殺るぞ。お前、一合打ち合え。その隙に俺が一撃で仕留めるからよ」
ラーニキリスさんの近くに寄ると、アルトさんはそんなことを言った。
「何言ってるんだ……。無理に決まってる。逃げるべきだ」
ラーニキリスさんは、『ありえない』と顔を強張らせ返す。アルトさんには悪いが、彼の言葉の方がどう考えたって正しい。ユークリウスさんでさえ勝てないのだ。二人が協力したところで、どうにかなるとは到底思えない。
「だが……見ろよ」
アルトさんは後ろを振り返るように促した。ラーニキリスさんは言われた通りに後ろ、ーーつまり【わたし達の方】に振り返った。そうすると何かを察して、彼は口元を歪めた。
「ユークリウスがやられた今、指揮はがた落ちだ。動けそうなのは、俺とお前くらい。無理でもアレを殺さなきゃ、俺達は総崩れ。誰も生き残れない。だいたい逃げるっつっても、あいつは逃しちゃくれないだろ」
わたしは自分の震える足元を見た。それでそうかと理解した。もうまともに動ける人なんて、ほとんどいないことに。全員で逃げるなんて出来るはずもない。
「んで、お前はアレを倒せる力を持ってるか?」
ラーニキリスさんは諦めたように目を瞑ると、首をぶんぶんと横に振った。
「だろうな。俺だってアレを倒すのは相当厳しい。だがお前と違って、俺には創世(そうせい)魔法がある。それで一撃の威力を大幅に高めることができる。だからこそ……お前が隙を作ってくれ」
アルトさんの言ってることは、今まで一緒に旅をしてきたわたしだったら、納得できることだった。確かに彼は今まで、何度か大技を行ってきた。例えば【アルフレッド・リヒター】などだ。
あの大きな火球を思い出してみれば、もしかしたらという期待感は持つことができる。だがそれだって、ユークリウスさんを倒せた相手に対して、どれくらい効くか分かったものではない。加えてラーニキリスさんは、アルトさんがそんなことをできるなんて知らないだろうし、そもそも一合打ち合えーー囮になれというのは、【死ね】と言っているようなものだ。
ラーニキリスさんは顔を限界まで歪ませた。わたしが今考えたように、色々な事実を天秤に乗せて考えているのだろう。もしかしたらそれだけでなく、わたしが知らない彼らだけの事実もあるのかもしれない。
だがついにラーニキリスさんは結論を出した。
「地獄で恨むぞ……!」
ラーニキリスさんは吐き出すように吠えた。覚悟を決めたらしく、彼は剣に手をかけ構えた。
「恨む相手がまだ生きてりゃいいがな」
アルトさんもまた顔を硬らせて、「クリエイト」と呟いた。
第82話 終了
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