銀の歌
第54話
何かの叫び声を聞く数分前。
──なんだろう? この鼓動の高鳴りは。
俺は不安と焦りを感じていた。最初は、あんなにも待ち焦がれた遺跡に、もうすぐ辿り着けるということに、突き動かされていただけだと考えていたが……。
「へそ曲がりが」
「水空両用で」
「テノーフォクスってのは」
自分の考えに間違えがないか、確かめるように言葉を並べてみる。セアやテテネは相槌を取っているみたいだが、その言葉のどれも、ちゃんとは聞けなかった。
この胸のざわめきが、それだけの余裕を俺にくれなかった。
アタラルドは強大な力を持った猛禽だ。彼がいるだけで、弱い生き物は逃げ出す。これは間違いない。そういった話を、人や本から散々聞いたことがあった。
もちろんそんな危険な生物に襲われたら、俺達だって、ただではすまない。けれどこれから向かう場所は遺跡。つまりは地下だ。
アタラルドは鳥だというのに、空だけでなく水中にも適応した生物で、知能も高いが、流石に地面を潜ったという話は、聞いたことがなかった。
遺跡の探検が終わった後は、すぐにこの地からは去る。だから会う確率は低い。それに仮に会ったとしても、セアを連れて逃げるくらいだったらできる。勝てはしないけど……。
アタラルドについて、改めて考察してきたわけだが、別段問題は無いように思えた。もちろん不測の事態はおこるかもしれないが、それでも大丈夫と、俺は言うことができるだろう。
俺の目的は、世界地図を作って故郷に帰ること。けれど今はそれよりも、優先するべき事が出来てしまった。
──セアを助けることが最優先。
だから仮に俺が死んだとしても、シリウスに頼んでおけば逃げ切って貰えるはずだ。俺だってただ殺されるわけじゃ無いだろう、限界までは引きつけられる。だからアタラルドは問題では無いと考える。
とすると……この胸のざわめきはアタラルド以外? なのか。──ならばなんだ。
心の中で呟く。すぐさま思考を張り巡らせて、何か見落としてないか考える。
例えばテテネのことが関係しているとか。つまり俺が何かしら騙されてる。
しかしその可能性は、『いや、それはない』とすぐに自分自身で否定した。なぜならその辺りは、ちゃんと警戒していたから。テテネとの一連のやりとりや、俺が彼女を警戒する理由となった、村長さんとの話し合いを思い出す。
こちらが有利な状況だったのに、交渉は確かに手間取った。だがそれは、俺が遠巻きに攻めていったせいもある。何より最終的には、こちら側の勝利に終わっている。だって案内人を付けさせることに、成功するくらいだ。
頭が良いとは言え子どもだ。きっと俺を出し抜ける程ではない。それに今までの言動を振り返ってみても、基本従順な振る舞いだった。
アタラルド同様。ならばこれも違うなと考えて、頭の中から、その杞憂を捨てようとする。しかしそこで、違和感を覚えた。
待て、待て。数分前あいつはなんて言っていた?
『ーそれくらいなら【依頼】に支障はないしー』
テテネは確かにそう言っていた。多少不自然だが、ここまでのいきさつを考えれば、そこまでおかしな言葉じゃない。俺は言ってみれば、彼女に依頼をしたとも考えられるのだから。けれどあいつは、自分とのやりとりのことを、最初は『取り引き』だと言っていた。
なんだか揚げ足をとるみたいで、良い気はしないが、無性にこのことが気になった。だからもうちょっと、深く考える。
例えば依頼っていうのが、遺跡案内のことじゃないとしたらどうだろうか? 俺たちではなく別の誰かの……。
そう思いついた時、嫌な汗がほおを伝った。このまま、この発想で考え続ければ、何か気付いてはいけない事に気づくような。そんな危機感があった。
でもだとしてどうする? ここで気づいていないフリをしたら、余計にまずい事態になるんじゃないか?
腹を括って、試しにこの路線で考えてみることにした。
まず大前提。獣人達は馬鹿じゃない。だとしたら食材交換なんて、焼け石に水みたいなものって理解してるはずだ。今の状況を変えるなら、根本からどうにかするしかない。それはつまり、外来の上位種を排除したいということ。
獣人達が何を考えているかを知るために、彼らの立場に立って、今の状況を整理する。加えて、自分だったらどうするかについても考察する。
上位種が何か、俺達は分かっていない。でもアタラルドにしろ何にしろ、だいたいの姿や、どの辺りによく出没するかとかは、最低限確認していることだろう。
自分よりありとあらゆる意味で、強力な相手。こちらには人数の有利しかない。だとすれば罠でも仕掛けて、何人かの囮を使っ……。
その時電流が走った。つまり気づいたのだ。この焦燥の正体に。
そう。答えは囮だ。
この胸の不快感が正しいというなら、多分俺たちは囮だ。罠への誘導、もしくは注意をそらすのが狙い。そしたら今から連れてかれる場所は、そいつの住処だということになる。
だとすれば不味い……。
だけど先にも考えた通り、俺だったらアタラルド程度逃げ切れる。それにダングリオの街で、ギーイから聞いた話も思い出す。
『北の森に君の探してるものがあるよ』
それを信じて、俺は色々な情報を、ダングリオの街の中で集めた。アレの言葉を信じるのは、個人的にはかなり癪なことだが、何だかんだいつも有用な情報をよこしてくる。
あいつの発言の裏を取るために、色々と調べた結果、確かに北の森に、古びた遺跡があることが分かった。その際に、自分なりの地図も、作り上げておいた。
今歩いている方角は、遺跡への進路に相違ない。
大雑把にしか知らないことだけど、ーだからこそ案内人を用意させたのだしー進行方向はあながち間違いじゃない。
じゃあ何か、囮ではない? 他の運用?
いや、そんなことはないだろう。仮に俺達を利用するのなら、囮として用いるのが一番良い。見知らぬ他人を作戦に巻き込むなら、危険な役割を押し付けるのは理に適ってる。
そうこう考えていると、いつの間にか眼前には、事前に伝えられていた、遺跡へと繋がる洞窟があった。その洞窟は、滝の裏側にあるようで、流れ落ちる水流の隙間から、ちらほらと垣間見えた。
結局着いてしまった。
以前感じる胸のざわめきに困惑しながらも、取り敢えずは着いたという事実に安堵する。そしてその滝を見て思いつく。
一匹いた。この状況に合致する奴が。
思考が遅くなる。どうしようもなく不気味な感覚を感じて、激しい不安感に襲われる。
囮だと考えついた時よりも、もっと冷や汗をだらだらかいている。背筋は凍るし、顔なんか絶対真っ青だ。
でももう取り返しがつかない。だって既に縄張りの中にいる。
商売の儲け。そんな美酒を飲まされて油断した。
これだけ賢いんだったら、そっちが儲けを多くとることもできただろうに。……いや、あぁそうか。【丁度いい勝利】の演出か。粘ってきたのも、時間をかけさせたのも。
思考が止まりそうな時に、何者かに肩を掴まれた。無理矢理、顔をぐいと動かされる。そんでもって聞こえて来たのは、事態をまだ飲み込めていない、緊迫した声。
「アルトさん!! テテネちゃんが!!」
セアが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。考えに没頭し過ぎていて気づかなかったが、途中何度か呼ばれていた気もする。
「えっ……?」
セアは俺の顔を見た後、ヨロヨロと後ろに数歩のけぞった。そこまで顔色が悪いか……。
滝の方へと振り返る。予想が正しければ、これから絶望がやってくる。背後を取られるのはまずい。
俺の考えなど分かりはしないのだろう。事態を理解していないセアが、大声を上げようとする。しかしそれは、何かの叫び声によって遮られてしまった。
「ガガガガガガガ##ガガガ####ガガガガ」
「krkrkrkrkrガガガガガ!!!!!!」
声と思っていいのかすら分からない、おぞましい絶叫。叫び声が響き渡り、地面が激しく揺れる。
俺達が目指していた、あの滝裏の洞窟から、何かが這って来ている。
「謀られた」
今起きている事態の全てが苛立たしくて、つい髪をかいてしまう。そうして臨戦態勢を取る、だけどこれは戦うためじゃない。いつでも逃げられるようにだ。
やがて滝裏の洞窟辺りの岩盤が、大きくひび割れた。それからすぐに破壊音がして、岩盤から剥がれた大小の岩が、滝壺へと落ちていく。その瞬間、青緑色の硬そうな甲殻が、ちらりと姿を見せた。しかしすぐに、滝壺の中へと、そいつは潜っていってしまった。
でもこれは逃げたんじゃない。蛇行するように水中の中を這って、こちらへ近づいて来ているのだ。
水底で蠢く影は不確かで、正確に大きさを図ることはできない。しかしその全幅は、通常の生物の範疇を優に超えていた。大きく、長い。それから水深深くを進んで来ているというのに、背中にある不気味なマダラ模様の甲殻は、はっきりと見えていた。それが恐怖心を駆り立てた。
ドン!!!!
大きな水飛沫を上げて、それが俺達の前に姿を現した。
目をぎょろりと突き出し、口元からシューシューと息を漏らしながら、長い舌を出し入れしている。
口の左右には大きな牙が生えていて、片方の牙は半分ほど折れているようだったが、その折れ方が荒々しくて、余計に恐怖を感じた。第一、折れているっていうのに、その牙は俺の身長の三分の二はある。怖くない訳がない。
鎌首をもたげ睥睨する。どう狩ってやろうかとか、きっとそういうことを考えているのであろう。強者ゆえの傲慢さと気高さが、その姿からは伺える。そんな時、背後から声がかけられた。
「ア、アルトさん……その怪物は?」
今にも背中を見せて、逃げ出すのではないかと思うほど、悲壮感がある。今更、事態を把握した自分を嫌いながら、薄い笑みを浮かべて返答する。
「こいつは……。いわゆる古代種の生き物で。今から五百年程前に絶滅したと言われている動物。
その性質は極めて残虐で、文献には豪雨の日に現れるとされていた。昔幾つかの村々や町は、こいつに襲われ壊滅したりもしたらしい。襲われた所の生き残りは、どこもゼロだったそうだ……」
「動物界。肉食目・水蛇科・多動触腕蛇亜科。ヴァギス種【ヴァギス】。口伝の中で伝えられてきた、大食らいの……災いの動物だよ」
第54話 終了
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