銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第129話 優しくなるほど、摩耗するから

公開日時: 2021年12月6日(月) 18:30
文字数:5,455


 いつものように門前でたむろするわたし達。今日はまた出発の日だ。そんなわたし達を見送る門出の朝は爽やか……という訳では、残念ながらなくて。雲の合間に陽が出たり入ったりするような曖昧なお天気で、それになんだか少し肌寒かった。


 何より今朝のわたしは、理由は分からないが、やたら身体が重たくて、寝覚めも悪かった。

 どんなに姿勢悪く寝ても、どこで野宿しても大丈夫になったのに。宿屋で寝て、ここまで辛い朝が来るなんて。


「昨日何があったんですかね?」


 思わず呟いた。


 アルトさんはもちろんシーちゃんも、突然何言ってんの? って顔してた。でもね、ヘテル君はわたしと同じように、今朝からずっと体調が悪そうで、自分だけがどうっていう風に思えなかった。


 案の定今だって、ヘテル君はわたしの言葉に、うんうんと同意してくれてる。


「昨日、なんだか女の子の声が聞こえて来て。起きちゃった気がするんだけど」


 ヘテル君はまだ眠いのか、可愛らしく口元に手を当てて目を細めた。彼の言葉に対して、何か思う所はあるものの、これといった何かは出て来なくて。強く同意は出来なかった。


 うーん。覚えてない


「ソフィーちゃんは何があったか、覚えてます?」


 手詰まりになって、思い出したとばかりに屈んで、ソフィーちゃんと目線を合わせた。

 突然会話を振られたから、ソフィーちゃんはきっと戸惑って、それで後ずさった。


「おい、前触れもなく、イカれんな」


 そもそもそいつは動物だから、会話できないでしょと、アルトさんが嗜めてくる。

 首根っこを掴まれた。


「むーーー。でもでも、今日本当に体調が悪くて。出発、延期できたりしません?」


「…………出来ないこたないが、それだけ遅れるぞ。色々」


「むーーーー。じゃあ頑張ります」


 駄々をこねても、却下されるだろうと思っていた。それに体調が悪いと言っても、咳や熱とかではなくて、身体に無視できない違和感がある程度だ。我慢できる範囲なので、本気でわがままが言いたい訳じゃない。

 なので、むしろ譲歩的な提案にびっくりした。


 ヘテル君も特に辛さを訴えないから、強く言う気はないけど、もしかしたらもうちょっと言えば、本当に延期してくれるんじゃないだろうか?


 そんなことを考えて、もんもんとしていると、選択肢は一つになってしまった。


「悪い。ちょっと行ってくる。お前達は出発の準備を始めててくれ」


 辺りを見渡していたと思ったら、不意にアルトさんはそんなことを言って、走らないまでも足早に、宿屋の方へと一人戻っていってしまった。


 なんでしょうね? ヘテル君と顔を見合わせながら、荷台をシーちゃんに結び付けたりと、支度を始めた。



✳︎



「師匠……血の匂い……ギーイ」


 呟きながら来た道を戻る。


「っふ。……俺の人生こんなだな。過去は変わらない」


 皆から離れて、一人歩き出した理由は簡単だ。こんなことをぐちぐちと呟くためじゃない。

 偶然に、あいつが視界の中に入って、所か視線がかちあったからだ。本当、話す気はなかったんだけれど、こうなってしまったからには、何か会っておかなければならない気がした。


 宿屋の前まで戻ると、奴が俺を眼前に見据えた。そして朗らかに言った。


「やぁやぁ。昨日は騒がしかったのう」


「ああ、迷惑かけたな。セアのやつが怖い夢を見たって、泣きべそをかくもんだから。宥めるのに苦労した」


 やれやれと手を振る。すると奴も苦笑して。


「それは……はは。なんとも災難だったの」


「悪いな。おっ……。トリオン」


 おっさんと言いかけて、トリオンと言い直す。そうしたら哀しげに「うん」と相槌をした。


✳︎


「あいつは何やってんだ?」


 隣に並んで、顔を向けることなんかせずに、目の前を指して言う。

 トリオンは「ああ」と頷き、こちらへ横顔を向けると、俺の視線をなぞった。


 視線の先には、昨晩泊まった宿屋がある。

 扉はートリオンが開けたのだろうー開き切っており、受付まで見えていた。そして、その受付でエリーゼが一人、手にぬいぐるみを持って、店主と何やら交渉をしていた。


「エリーが人形を編むのは、青年も知っての通りだ。それであの子は、自分のために編むだけじゃなくて、ああやってお礼だって言って、行く先々で自分の編んだ人形を手渡しているんだよ。飾ってねって」


 金銭を払わせていたのだとしたら、少し思う所があったが、やはりそんなことではないらしい。トリオンは訊いて来た。


「少女らしい、心づくしだと思わないか?」


 阿(おもね)るようにも見えてしまうトリオンの笑顔は胡散臭い。いや、こいつの笑みが胡散臭いのは今に始まったことじゃないが。それにしたって、今のは特にだ。

 だから発言の全てが皮肉になってしまう。


「あんなの貰っても、金にならないんだから意味ないだろうよ」


 隣に視線を送ることはしないが、言葉だけでなく目つきも鋭くさせて言う。そうとう態度が悪い。セアに叱られてしまう。いや、最近のことを考えれば、ヘテルにも言われるかもしれない。あいつも何かと言うようになって来たから。


「そうかな? いや……そうかもね。

 貰った人が何も感じられず、いらないと思うのであれば、あれは売ることだって叶わない、邪魔な置物にもなってしまうね」


 トリオンは否定しようとするのだが、上手い反論が見つからなかったようだ。こちらの言葉に同意した物言いだ。

 ああ、ここで終わるのなら、態度も底意地も悪い人物として、すんなり終われたのに。


 トリオンは言葉を見つけて来た。青年だって納得出来るだろう? と。


「でも見て欲しい。あの宿屋の店主の顔を」


 エリーゼと話す店主は笑顔だ。上機嫌だ。人形をもらって喜んでいるように見える。


「青年がどう思うのは自由だ。むしろ、そっちが正しい世論にも思う。

 ただ儂は、ああいう顔を見る度に、なんだか喜ばしい気持ちになるんだ」


 人形の出来は巧みで、あの店主に娘がいたなら、喜んでくれるかもしれない。けれど穿った見方をすれば、人形をもらうこと自体は、全くそんなことはないかもしれない。ただ、可愛い子どもと会話が出来て良かった、そう思っての笑顔かもしれない。


 第一、あんたのその目じゃ見えないだろ。

 なんて思うけれど、それは今更だし。穿った見方ばかりする生き方は疲れる。


 だから今度は皮肉も言わず、そうかと言うのだ。


 トリオンは哀しそうにしていたが、なんで哀しそうにするかも分からない。だからもう放っておいて、これ以上話がないなら、あいつらの所に戻るかな……。思った時だった。


「ところで」


 トリオンは言いながら、顔をまたこちらへ向けた。

 見えないくせに、明らかな視線を感じる。


「……狼は朝ご飯、ちゃんと食べられた?」


 本当だったら、ここでドクンと心臓が高鳴るのだ。驚きと戸惑いから。でも俺の心臓は、うんともすんとも言わなくて。産毛がざわつく感覚はあったが、背筋が凍るとまではいかなくて。今の感情を言えば、平静……というよりは落胆だった。──そう。


 驚きはあった。でも戸惑いがなかったのだ。


 端から気づいているんだろ? 昨日出会った時から、頭の奥底でそういう想定を、自分でも気付かぬ内にしていたんだ。

 その想定に合っていたから驚いた。そして、どうせこいつは、何も言わない。だから困惑しないのだ。


 「ああ……」って知っていたように返す。そうしたらトリオンは「なら良かった」って、慈愛を込めて頷く。


 その反応を見ても、何も言わなかったし、思わなかった。瞳が暗く濁っていくのだけ感じた。

 トリオンは訊いてきた。「青年は訊かないんだね」って。それで続け様に言うのだ。言い訳でもするように。


「もっと色々言われるかと思ってたんだ。だって青年を見ていたら、これまでどういうことをして来たのか、大方予想が付いてしまったから」


 それを訊いて、落胆を超えて、怒りが湧いて来た。瞬き一つ出来ずに、砂利だらけの禿げた地面を見つめた。


「嫌味か?」


「……え」


「そう言うってこたぁ、あんたもどうせ、何も言う気がないんだろ」


 言葉は氷柱(つらら)。鋭くて冷たくて、相手を傷つけることだって出来る尖り方。

 ああ、本当にセアやヘテルに怒られる。もっと相手を気遣いましょうって。嫌われてしまいますよって。


 だけど、こっちはもうずっと落胆し続けたから。もうずっと、我慢し続けたから。


「どうなんだ!!」


 大きい声が出た。心は冷静だ。多分冷静だ。頭が動いている自覚があるから冷静だ。でも呼吸は荒いし、訳もなく敵意に満ちている。俺は冷静なんだろうか。


「え、えっと。それは」


 トリオンは慌てた。セア達は当然、エリーゼにも届く声量ではないが、それでもすぐ隣にいる人物だ。荒げた声は誇張することなく、うるさくて迫力があっただろう。


「そら……みろ……」


 でもトリオンの事情など、どうでもいい。どうせ何も言わないこいつに期待することなんてないし、気に入られようとも思わない。


 もう、意味を深く考えることは疲れた。


 俺がそれ以上何も言わず、視線も向けず、黙りこくると、「も……して……誰かから……既に」そんな呟きが断片的に聞こえた。

 トリオンの声音から、焦っている事が伝わって来たが、どんな感情を持った声だとしても、全てが環境音程度にしか聞こえない。


「青年一つだけ。何かに誓うことすら出来ぬ身だけれど、それでも一つだけ。誠実に話すことを、どうか許して欲しい」


 何を言われても無感動。何も思わずに頷いた。

 するとトリオンは自分の胸に手を当て、噛み締めてありがとうと言っていた。……大袈裟な奴だ。

 それからトリオンは口早に、しかしはっきりと、耳に残る事を言った。


「儂はあの子のことを知らなかった。【名前以外は全て】」


 それを聞いて、【驚いて困惑した】。考えも纏っていなかったが、慌ててくってかかった。


「どういう意味だ? …………言え!」


 はだけた服の襟首をまとめて掴むと迫った。トリオンはこちらの行動を全く咎める気がないらしく、されるがままだった。

 こいつは口だけを動かした。


「あの子の家族でも同郷の者でも友人でも、どころか知り合いですらない。こっちが一方的に、彼女の名前だけを知っていた。後は何も知らない」


 その言葉を、その内容を、初めに話してくれていたなら、ここまで腹を立たせる必要もなかった。ふざけやがって…………。


「名前だけを知ってる……。あいつはやっぱりどこぞの国の姫だったのか?」


 初対面を思い出して言う。

 あの時のあいつの姿は、今でもはっきりと、異端な景色として思い出せる。


 高貴な人間にしか着る事が許されない服を、当たり前として身にまとう姿。容姿もそうだが、あの時の気品を思えば、どこぞの姫だとしても納得できた。


 知り合いでも、友人でもなく、一方的に名前だけを知っているなら、有力な立場なのは間違いない。……と考えての推理だったが。

 全く見当違いである可能性に気が付いた。


「待て………………。お前あいつの地位は知っているのか?」


 そう訊いたらトリオンは。


「…………」


 無言。ぴくりとも口が動かない。それに頭を振るような素振りもなくて。

 それが意味する所はつまり。


「本当に、名前だけってことか……」


「…………」


 それに対しても無言だったが、一白置いた後に、語り始める。


「うん。だから、なんていうか。

 儂を難しい考察の中に組み込む必要はないよ。賑やかし程度に思ってもらえれば。それで」


 話した理由として、適切ではないだろう内容で。納得も出来なかったが。考える事が減るというのは、純粋にありがたいことだった。


「青年。うん、頑張ってね。

 色々大変なことはあるかもしれないけど。でもきっと大丈夫だと思う。世界は回っているから」


 まるでアクストゥルコのように。こちらの心情をすっかり見透かして、加えて自己完結しながら、トリオンは言いやがった。それでふっと消え入るように微笑むんだから、本当にあんたをどうしてやればいいのか分からなくなる。


 白黒付けることが全てじゃない。だが、もう少し分かりやすくったっていいだろう。


「あんたはまた、訳の分からない適当なことを」


 苛立ちは声に込められた。でもトリオンは今度は、まともに相手取らず、何かよく分からない応援の言葉だけを残した。


「……情動を伴う良い旅を。またの」


「何言ってんだか……。会えたらな、ト……おっさん」


 色々と解せない部分が多いが、誠意は見えたから……。また自分に言い訳して、俺はおっさんに別れを告げて、その場を後にした。



✳︎



 アルトがいなくなった後、それでもしばらくそこに立ち尽くして、一人言う。


「青年すまん」


 まずは謝罪。そして考える。


「諦めている……のか? あれは良い諦めだったか。青年は今どういう状態なんだ。

 良くなっていると思ってたけど、そんなことないのかい? 同時に戻ってしまっている部分があるのか? あるいは……他の人の重さを背負いすぎた?」


 思考をぐるぐると巡らして、どんな状態が今のアルトに当てはまっているのかを考える。けれど全然分からなくて。こうだと言えない。

 だからトリオンの結論は、ここに帰着する。

 

「時間を……稼がないといけなくなるの。世界は、大丈夫。回っているから。回すから」


 目の前に持ってきた掌を、見えなくとも無心に見つめ、世界のことを想って知覚する。

 トリオンを中心として、辺りの空気がざわついた。彼は今、間違いなく、ここではないどこかを幻視していた。


 その内に呟く。


「ああ。お前さん達もか。動くんだね。平和の海賊」


 トリオンはなんとはなしに顔をあげる。すると、そこには不思議そうにするエリーゼが居て。


「何をしていたの?」


 尋ねられたが、かぶりを振って答えた。


「ううん、何も」

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