服屋での買い物はダングリオの街以来だったので、大変久しぶりで時間を忘れるほど夢中になった。色んな服を手に取ってどれが似合うか、億劫そうにするアルトさんへ無理矢理尋ねたり、ヘテル君の服はどれがいいか悩んだりと、充実した時間で……。
ただヘテル君は服屋に入ったことがないのか、最初は戸惑う……というよりは恐れたように、おどおどとしていた。まぁ似合いそうな物をいくつか勧めると、途中からは手に取ってくれたので良かったが。
印象的だったのは、初めて服に触れた時、ほわっと顔を緩ませていたことだ。
楽しい時間は過ぎるのが早い。服屋を出る頃には、夕焼けが街を茜色に染めあげていた。
買った服を荷台に乗せて、宿屋へ向かう道中、大きな湖を見た。空の赤を反射して、それは暖色へと変化していた。
ぼんやりとそんな景色を見ていたら、いつの間にか宿屋へ着いていた。シーちゃんは馬小屋に預けられ、わたし達は受付を済ませると、自分達が泊まる部屋へと向かった。
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ガチャリとドアを開ける。いつもだったら最初は、部屋の中を少し眺める所。しかし今回は部屋に入ると早々に、買い物袋を隅に置いて、すぐにベッドに寝転がった。アルトさんにねだってまで買ってもらった服なのだから、本当はその戦利品を、眺めたりしたかったのだが、疲れが上回ってしまった。
それでぐったりと脱力して言う。
「なんだか今日は疲れましたね〜」
返事は無かったが、皆その想いは共通していて、無言で頷いていた。
ただ少し分からないのは、【普段の方が疲れる事をしている気がする】。ということだ。
毎朝、気が狂うほど走らされて、お昼ご飯を食べ終わったら、魔法の練習がすぐに始まって、休む間もない日々だ。
今日は商談という別の負荷がかかったが、いつもの方がずっと大変な筈だ。
けれどわたしは今、ベッドで横になっている。
何でだろうなぁ。考えて寝返りを打つ。
そうして天井の染みでも見ていたら、思いつくことがあった。
逆に何も無い安全な場所にいるからこそ、普段の疲れがどっと出ているのではないかと。
伸ばしきった掌をぎゅっと握る。それでしばらくぶりに訪れた、大切な休息なのだと改めて気がつく。深呼吸して、身体を休めることに没頭する。
ただその内に雑念が入った。どうせ明日か明後日には、出発することが分かっていたから。
その事が気になって、思うように身体を休められず、いつの間にか閉じていたまぶたを開けて、アルトさんに尋ねる。
「ね、アルトさん」
「どうした?」
「この街は、後どれくらいしたら発つんです?」
脱力しきったゆるゆるな声で言うと、アルトさんは乾いた笑い声を上げた。彼は部屋に入ると真っ先に、平机の上に地図や手記だとかを並べて、金勘定をしていたから、わたしの態度に呆れているのだろう。
でも疲れているんだからしょうがないし、アルトさんだって休めばいいだけの話だと思う。だからなるべく気にしないようにして、聞こえて来る言葉だけに意識を傾けた。
「あーー。実はしばらくの間、この街に留まる予定なんだ」
「…………えっ!?」
驚いて、跳ねるように半身を起き上がらせる。
「所用でな。この街で知り合いと待ち合わせているんだ。だからそいつに会うまでは、しばらくの間この街に留まる」
予想外の言葉に、ヘテル君も驚いていた。上品にも口元に手を当てているからきっとそうだ。
「ほえぇ。そうなんですか。あっ、だからこれですか。部屋も普段より広い感じがしますもんね」
ぽんぽんと弾むベッドを叩く。サスラの村ではこんな良いベッドのある宿屋は泊まらなかった。村と街という差はあるものの、この宿屋の部屋は良質な物に見えた。
「そんな所だ。相手が相手だから、そこまで気を使う必要はないんだけど……。一様礼儀としてな」
単純に長い間泊まるから良い部屋にしただけかと思ったけど、そういうことじゃないらしい。そこまでのことを見通しての言葉では無かったのだが、どうも過大評価されたみたい。でも損はないから、訂正しなくても良いだろう。
感心の態度を受け取って、にんまりとする。
アルトさんには「なんでそんな変な顔すんの?」と言われたが、気にしないことにした。彼はそんなわたしの事を訝しんでいたが、やがて気を取り直したように平机の前の椅子を引いた。多分、くだらない事だと察したんだと思う。
そうしてアルトさんが椅子に座ろうとした時、その椅子がさらに後ろへと引っ張られた。行き場所を失ったアルトさんの臀部は、そのまま地面へと落ちていった。
「いったぁ!! ぐぉお」
情けない悲鳴を上げるアルトさん。まぁ実際痛そうだから、同情してしまう。不意を突かれてのことだから、さぞ痛かっただろう。普段の彼であれば、鋭敏に反応しただろうけど、疲れもあってか油断していたみたいだ。
ヘテル君とわたしは、その悲鳴と倒れた音の響きに気を取られ、何をするでもなく、じっとそちらを眺めていた。つまりわたし達がやったのではない。
そんな悪戯をする子なんて、正直この面々じゃわたしくらいなものだが、人間以外でだったらやる子はいる。
そう。サスラの村で、アルトさんにおしっこをひっかけた子が。
「ソフィーちゃん。ダメだよ」
椅子の脚を噛んでいたソフィーちゃんを、そこから引っ剥がすと嗜めた。
「ああ〜椅子に歯形がついちゃってますね」
椅子を触ると一部ざらざらした箇所があった。触って分かる程だから、弁償する事になるかもしれない。
「この椅子は宿屋さんの物ですから、大事にしないと器物損害罪で訴えられちゃいます。今度は気をつけて下さいね」
「心配する所って、本当に他にもない?」
なんてアルトさんの言葉が聞こえて来るが、それはまぁほっといて、ソフィーちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でた。すると彼女はむっとしたような、しゅんとしたような複雑な感情を面に出した。
それで一度「ワン」と吠えると、尻を抑えて痛がるアルトさんに近寄った。
「このクソ犬……」
四つん這いで、尻を抑えながらすごむアルトさん。
そしてこの後アルトさんの罵声が飛ぶことを予感して、わたしは耳に掌をぴったりとくっつけた。予測が可能なら回避はちゃんと出来るんだ。
そのまま目を瞑ってしばらく待っていたが、どれだけ経っても、空気が振動する事はなかった。おかしいなと思って、手をどけて耳をすます。すると……。
「ああ、そういうことか」
という落ち着いた声が、意外にも聞こえて来た。
それで目を開けると、尻を抑えながらも立ち上がるアルトさんが居て、「ちょっと出かけてくっから、待ってろ」なんて続け様に言っていた。
ソフィーちゃんと一緒に部屋を出て行く姿を、そのままぽかんと見送って、ヘテル君と顔を見合わせた。
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