銀の歌
第86話
誰の目にも絶望的な状況は明らかだった。
悲哀の声はどこからも上がり、次の瞬間には自分が彼らの仲間入りをしているのではと思う者も多かった。
精神的な柱は折れ、それを支える支柱もひび割れていた。だというのに、敵は無限に沸いてきて際限がない。どう考えても終わりだった。けれど、雲の隙間からさす光を追ってみれば、そこには希望があった。
人に尽くして、人に尽くされた彼女は、ポニーテールを揺らして、どこまでも凛々しく立っていた。
彼女は多くの者を視界に入れて叫んだ。
「先ほどの言葉。『死地とこころえよ……』。それは取り消すわ。私は……私も生きる! だから貴方達も、生きるために戦いなさい……! 」
高く振り上げた剣は、倒れる者の目にもよく映った。
✳︎
「ドルバ剣兵動ける? 動けるなら戦線を確保しなさい。大振りでいい! とにかく戦斧を振れ! 」
ドルバは突然の声かけに驚き、んな急に無理ですよ、言いたげに顔をぶんぶん横に振った。
「トーロスの姐さん。こっちの状況を見て言ってくださいな! んで足はどうしたんすか!? まさか治ったんすか? 」
いくつもの死体に密着され、囲まれていたドルバは、指示通り動けそうな状況ではなかった。しかし彼が否定の言葉を言った次の瞬間。いくつもの矢が、動く死体の身体に突き刺さり、動きを止めさせた。
「これでいい?」
弓矢だけで脚部や頭部を破壊して、一時的に動きを止めさせるなんて、人間離れした芸当を披露するトーロスさん。しっかり地面を踏みしめたからできることとはいえ、やっぱりこの人も凄い。
「いいなら返事!」
口を開けて動けないドルバにぴしゃりと叱りつける。彼はびくりと身体を震わせると、細かいことはまぁいいかと、大きな声で「わっかりましたァ!!」返事をしていた。
それから指示通りに、手に持つ斧を大振りで振る。当たりこそしないものの、死体を寄せつけなかった。
「カルテ剣兵、ベルベット剣兵は、ドルバ剣兵が押し広げた戦線内にいる負傷した人を、私のいる中央まで避難させて」
「「はっ!」」
トーロスさんの指示は的確なもので、すぐに状況が変わっていく。もちろんトーロスさんの指示に、十分に応える剣兵達だからこその結果だとは思うけど、それでも彼女の働きは賞賛されるべきだと思った。
しかしそんな彼らの努力を嘲笑うように、向こうからはあの鎧の人物が近づいてくる。わたしが蹴り飛ばした痛みがあるからか、走ってはこない。でも一歩一歩静かに歩み寄ってくる姿は、より一層重厚感を感じさせられた。
「ッ…………」
トーロスさんも忌々しいと歯を噛み合わせる。せっかくドルバが戦線を押し広げて、勢いに乗り始めたというのに、その勢いをアレはたった数歩の歩みでかき消していく。
「まずいけど、でも……でも大丈夫。なんとかするし、なんとかなる」
トーロスさんは突如として吹いた風に髪をなびかせ、それを払うとわたしに笑みを向けた。そして弓を引き絞る。
矢の先にはソレがいて、しっかりと射線に収まっている。トーロスさんの腕であれば、決して外すことはないだろう。でも彼女の矢が決定打になるとは、正直思えない。
「平気よ。ベルベット剣兵達がみんなを回収してくれているから、誤射なんてありえない。それにほら、アルトさんだって、今まさに抱えてもらってる」
相対するものの威圧感に内心押しつぶされそうなのは、滝のように流れる汗を見れば分かることだ。でもトーロスさんは飄々と、いつもと変わらない声音で言った。
それを聞いてわたしは、まだトーロスさんは自分を犠牲にするつもりなのだと悟った。あれだけ言ったっていうのに、まだ考えが変わっていないのだろうか。
焦りと苛立ちを覚えたわたしは、声を荒げた。
「トーロスさん!」
トーロスさんはその言葉に反応しているが、こちらに一切振り返らなかった。代わりにただ一言、自信に満ちた後ろ姿で言った。
「大丈夫」
その姿勢がどうしようもなく清々しいものだから、顔を見ずとも、心の内が見えずとも、今トーロスさんが何を考えているのか分かった。
それでわたしは、続く言葉を変えた。
「頑張って下さい……」
今のトーロスさんであれば、自分を犠牲にはしない。何かしらの勝算があって弓矢を構えているのだ。
鎧の人物はもう随分と近寄ってきた。矢を射るにはちょうどいい間合いだろう。一人前に出ていたドルバも、状況を把握すると、霞に紛れるように後ろに下がった。
矢を放つとしたら、間違いなく今であった。
「ハッ!!!」
弓の弦を限界まで引き絞って放たれた矢は、風をきってソレの頭部に迫った。
弾こうと鎧の人が大剣を構えるも、動きが鈍くなっており、間に合いそうになかった。もし防ぐのであれば、見てからではなく、予見して防がねばならなかっただろう。
トーロスさんが放った矢は、鎧の人の兜を貫通して、ちょうど額の辺りに突き刺さった。
それからしばしの膠着があった。
あれだけの攻防を繰り広げた人物の突然の沈黙に、意識がある者は、緊張感を持って警戒した。ただしばらく待っても、鎧の人物は動き出しそうになかった。
まさか矢の一発で動かなくなるとは、正直皆、予想外だっただろう。でも実際アレは沈黙していて、動き出さない。こんどこそ終わったのか? そういう雰囲気が辺りに立ち込めてきて、誰かが声を上げようとした瞬間、トーロスさんから声がかかった。
「まだよ!」
トーロスさんは二射目の矢を構えた。気が緩んでしまったわたし達だったが、彼女の言葉のおかげで、集中力を保つことができた。
そして鎧の人はトーロスさんの言葉通り、ギギギと身体を軋ませると、再び動き出した。しかも今回は盛大なジャンプを披露してだ。
一瞬にしてトーロスさんとの間合いを詰めた。
どう見てもトーロスさんは危ない状況だったが、当の本人に諦めの表情はなく、むしろ闘志がみなぎった、生存を目指す顔つきだった。
まだ何かがあるのだ。わたしにはその何かが分からなかったが、トーロスさんは最後の切り札とでも言うように、強く叫んだ。
「今です! 剣士長!!」
予想外の言葉に驚いて目を見開くと、そこにはトーロスさんの代わりに、鎧の人の大剣を受け止める、英雄の姿があった。
「……ッ」
パンと弾けたような音がすると、ユークリウスさんは鎧の人を弾き飛ばした。死に体の身体でどうやって? 彼をよく見てみれば、その身体に傷跡はなくなっていた。
そして手に持つのは、先程までの無骨な剣ではなく、神々しく光る無色の剣だった。太陽の光を凝縮した様な、生命の輝きをかき集めた様な剣。ただあるだけでその場の者に強い存在感を示すそれは、確かに奥の手といえそうな代物であった。
「ユークリウスさん!? えっ! どうして!?」
「……細かい話は後だ。今はあれを仕留める。トーロス等は、アスハを頼む」
光輝く剣を握ったユークリウスさんは、俊敏かつ強力な攻撃を何度も繰り出し、鎧の人物を圧倒していく。
「すごい……」
ユークリウスさんの連撃は見事なもので、どこかから賞賛の声があがった。死体達がまだ動く中、注意が逸れてしまうのはまずいことであったが、目を惹きつけられるのも、わからない話ではなかった。
ただそんな中、苦悶の表情で、うめき声をあげる者が一人だけいた。
「ぐゥ。あ、ああ……!」
アスハさんだった。傍らにはシグリアが居て、その身体を支えている。どうやら一人では、立つのも困難なようだ。
「これは一体?」
血管がいくつも浮かび上がり、全身を何度も痙攣させているアスハさんを見ながら、シグリアに尋ねた。しかし彼は分からないと、眉を寄せるばかりだった。
「これはね。ユークリウス剣士長が、彼女から剣を引き抜いたことで起きている現象なの」
戦線を下がって来たトーロスさんが、シグリアの代わりに教えてくれた。途中で矢を何発か放ったようで、周りの死体の数が減っていた
「……どういうことですか?」
『剣を引き抜いた』。よく分からない言葉だったが、アスハさんの今の状態を鑑みるに、その言葉には何か意味があるのだろう。
案の定予感は当たっていて、トーロスさんはシグリア含む皆に号令を出した後、知っている限りのことを話し始めてくれた。
「動ける者はアスハ副剣士長、並びに怪我人を守り抜け。今度こそ絶対に突破されるなよ」
✳︎
「命の剣?」
トーロスさんは目を瞑ると、ゆっくり深く頷いた。ユークリウスさんが握る剣は、彼女曰くそんな名前の剣だった。
命の剣に対するトーロスさんの説明をまとめると、あれは隷属対象のギン素。つまり他者の命を糧として動く代物だそうだ。通常、生物の身体の中に収まっている命の剣は、所有者が引き抜くことでのみ使えるらしい。「私も詳しくは知らないんだけど」とはトーロスさんの言葉だ。
「命の剣は、引き抜く者のギン素を活性化させ、能力を数段上昇させるとともに、治癒効果ももたらしてくれる、本当に凄い武器で、私達の国の宝剣だったの」
「それがなんでユークリウスさんの手に? 英雄だからですか?」
「ごめんね、詳しくは知らないの。私も見たのはこれで二度目だし、二人の事情もろくに聞かされていないから」
尋ねた疑問は解消されることはなかったが、トーロスさんは、ただと続けた。
「ただ、あの剣が原因でユークリウス剣士長は僻地……と言ったら申し訳ないけど、最前線から後退させられたの」
「原因ですか」
「そう、でも悪いことばかりじゃなくて。あの力が、あの剣があったからこそ、竜を単独で討伐できたみたい」
喋るごとにトーロスさんの表情は暗くなっていった。確かに知れば知るほど、気が重くなる内容だ。興味本位で首を突っ込むべき話題ではない。
「話を戻すと、命の剣を使うものは所有者と鞘の二つに分けられるの。あの剣で斬った方が所有者に、斬られた方が鞘になる。そしてあの剣は斬った対象の魂を束縛し、己と所有者の力の糧とする。アスハ副剣士長が苦しんでるのも、それが原因だって聞いてる」
トーロスさんの説明をそのまま理解するなら、ユークリウスさんはアスハさんを斬ったことになる。それはでも……ちょっと訳が分からない。まぁ話ぶりから、彼女だってその辺りを知らされてないのだろうけど。
「今の命の剣には、二つの命が入ってる。一つが風の竜、そしてもう一つがアスハ副剣士長。風の竜に関しては、完全に命の剣に取り込まれたから、姿形がもうないんだけど、膨大な竜のギン素はそのまま残ってる。
そしてアスハ副剣士長は、ただ一人鞘として竜のギン素を受け止め、剣ごと体内に収めているの」
「…………」
想像していたよりも壮絶な内容に、口をつぐむしかなかった。
「私も、この班の全員も、彼らの事情をろくに知らないし分からない。でも一つだけ言える事がある。
そんな人の手に余るような代物を、体内にしまっているアスハ副剣士長の痛みは壮絶だということ。平時でさえ痛く辛いでしょうに。それを引き抜かれるというのは、アスハ副剣士長からすれば、どんなものなのでしょう。その痛みは想像することしかできないけど、例えるならきっと。
一番大切な部分を剥き出しにされて、慈悲もなく弄ばれるような……そんな感じなんでしょうね。破瓜の痛みなんて比じゃないんだと思う」
トーロスさんの説明ー個人の見解が混じっているだろうけどーを聴き終わり、なんとはなしにアスハさんを見た。
アスハさんはずっと悶絶している。時折「アゥ」だとか「ひグ」といった、声にならない声を漏らしている。
「命の剣を知っている私としては、どうして危ない時に引き抜かないのか不思議だった」
トーロスさんの視線はアスハさんから、戦っているユークリウスさんの方へと向けられた。そこには互角、いやそれ以上の戦いを繰り広げる彼の姿があった。彼女はそんな戦いぶりを見た後、またアスハさんの方へ視線を戻して呟いた。
「でも確かにこれは、引き抜くなんて簡単にできるはずもない。ユークリウス剣士長を大切に思っている、アスハ副剣士長だからこそ、耐えられているんだと思う」
その目にあるのは憐憫。そして、恐らくはいたたまれなさから、アスハさんから目を逸らした。
「でもだからこそ、引き抜いたからには、引き抜かせてしまったからには、絶対に敵を近づけさせる訳にはいかない。あの剣のおかげでユークリウスさんは今、互角に戦えているけれど。【鞘】であるアスハ副剣士長が傷つくようなことがあれば、あの剣はきっと消えてしまう」
トーロスさんの言葉はーどこからだろうー気づけば聖騎士団の皆に聞こえていたらしい。俯いていた彼らの顔が上げる。そこには強い決意があった。
「大丈夫、セアちゃん。君を守ることも忘れてないよ。それに……ううん。何でもない」
何かを言いかけたらしいが、トーロスさんは喋りすぎたと口を閉じ、矢をつがえた。そして迫り来る死体めがけて放った。
「さぁ、みんな、ここからはユークリウス剣士長があの鎧を倒すまでの防衛戦。気張れ!」
「「「はっ!!!!」」」
四方から声が上がる。いつのまにか見事な陣形が張られていたのだ。そりゃあ突き詰めれば急繕えな陣かもしれない。でも形勢は立て直した、そう言い切っていいだろう。
トーロスさんは息を吐き心を沈めると、怖いくらい真剣な顔つきをした。そして四方に注意を払い、改めて中央で指揮を取り始めた。それで空気が変わったのを肌で感じた。
わたしもいくつかの修羅場をくぐり抜けてきたから分かる。ーーついに最終決戦が来たのだと。
時間は進み、曇り空は少しづつ晴れていき、合間から光が差し込むようになった。しかし依然として空には、暗い雲がかかったままだ。
見上げた空模様が、まさしく今のわたし達を表しているようで、どこか不安になった。それで胸元の瓶を二つの手で握り込み、知らずに神様へ願いを馳せていた。
お願い、どうか彼らを守って……。
第86話 終了
Qどうしてトーロスは、ユークリウスが剣を引き抜いたのが分かったの?
A不自然に風が吹いた時。
まだ見習いだった時に彼女は、一度ユークリウスが抜剣したのを見たことがあります。命の剣が抜かれた時、また抜かれている間、竜の力で風が吹くのを彼女は知っていました。
後そろそろ来るんじゃないかっていう勘。
※ちなみにその時トーロスは、アスハの姿を見ていません。
Qなぜトーロスは死体の身体を破壊できたの? それだけ強ければ、もっと積極的に撃ってよかったんじゃない?
A狙いこそ普段通りですが、通常トーロスは、あそこまで破壊力のある弓兵ではありません。3割火事場の馬鹿力、7割がどっかの翠髪のせいです。
当の本人が一番びっくりしてそう。
多分疑問点だと思うのであらかじめ。作中の中で書けなかったのは、作者の力量不足です。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!