銀の歌
幕間 後編
振り下ろされた剣を躱そうとするが、突然の事だったので足がもつれた。「ウァ」と悲鳴を出してよろける。
それでも諦めず、首を横に傾けたら、斬撃はなんとか回避できた。だがその後が問題だった。よろけた足では踏ん張れず、地面に倒れこんだのだ。
「ガァッ!!」
ベチャンと地面の上を一度はねる。痛いのを堪えて上を見上げると、あたしを見下すアルトがいた。そして瞬間悟る。
ーーこの位置はまずい。
案の定アルトは剣を持ちかえ、すぐさま追撃を仕掛けてきた。
「よく避けた……次はどうだ」
顔面めがけて剣が落ちてくる。
これも顔を横にそらして、避けることはできた。その時、お腹が張り裂けそうな程痛んだが、死ぬよりはましだと思った。
先程まで自分の顔があった場所には、剣が深々と突き刺さり、ちょっとやそっとじゃ抜けそうにない。
恐ろしい。顔が恐怖で歪んだ。
距離を一度とるべきだと考え、アルトとは逆の方に横転した。
剣が地面に突き刺さっているので、簡単には追撃できないだろうと考えていたのだが、その見通しは甘かった。アルトは「クリエイト」と呟くと、あろうことか、地面に突き刺さった剣を、指だけを使って弾き飛ばしてきた。
地面をガガガガガと砕きながら、鉄製の剣がこちらに迫る。
まだ充分な距離はとれていなかったが、背に腹は変えられないと、遮二無二(しゃにむに)手で地面を押し、跳ねるように起き上がる。
起き上がる時、剣が頰を掠めた。ヒリヒリと痛む。
それでもかぶりを振って臨戦体勢をとる。そしてアルトがいた場所を睨み付けるように見ると、そこにはまたも彼の姿がなかった。
驚きで顔を歪めていると、太ももに激痛がはしった。
「アン!!」
その痛みに驚き、反射的に飛び上がる。そしてそちらを振り向けば、やはりそこには誰もいない。
そして次は右腕に激痛がはしる。
「ゥゥウ!」
右腕を見てみれば、何か鋭利な刃物で斬り付けられたような跡ができていた。そこで確信する。前に戦った時よりも強いと。
そんなことを考えてる合間にも、全身がズタズタに切り裂かれていく。背中に切り傷ができたかと思えば、胸の辺りに血が滲み、肩を切られたかと思えば、お尻の辺りの皮膚が、衣服ごと切り裂かれていた。
前から後ろから上から横から、縦横無尽に影のようなものが、あたしの身体を引き裂いていく。
ーー速い。あまりにも。
時折見えるのは、橙色の残像だけ。今の状態ではアルトの動きについていけない。けれどこのままじゃ、いずれは殺される。
だからあたしは全身の毛を逆立て、一か八かの決死の覚悟で、辺りに声を響かせる。
「ーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
声にならない叫び、あるいはそれは音の爆弾。自分を中心として、地面が木々が湖畔の水が、音の衝撃に耐えきれず、ぐちゃぐちゃに壊れていく。
全方位に響く無差別攻撃だ。
水面は激しく狂い、水しぶきが空に舞い、空中で分解され姿を消す。木々は次々になぎ倒されていき、辺り一帯から命の鼓動が消えていく。
「ぁぁぁ!!! はぁ! はぁ! ぁっぁっ……ぁっ」
荒げた呼吸を整えようとするが、上手くはいかない。だから身体の循環がおかしいままで、お腹や切られた箇所から血がどぷどぷと漏れ出る。
「ぐぷぅ……」
逆流してきた血を口から吹きながら、辺りを見渡す。
「はぁ。はぁ」
あたし達銀狼族は、竜にも劣らない、どころか勝るほどの発声器官を持つ。激しい音の衝撃は、物質を中と外から破壊する。音ゆえに回避手段もなく、射程内であるならば、誰であっても防ぐことはできない。
今のあたしの射程距離は四十メートル近く。本当はもっと出せるのだが、今は身体がズタボロだ。だからこれだけしか出せない。呼吸を整えながら、もう一度辺りを見渡す。
だいたい三十メートルくらいまでは一切の物質が視界に入らない。
「はぁはぁ」
充分だろう。
充分だろう。
充分だろう……。
充分だよね……?
心の内に湧いて出た疑問を自分で無理やり解消しようとする。
「はぁはぁ」
抑えようとしても一向に治らない激しい動悸。なみなみと地面に注がれる赤いもの。
「はぁはぁ」
ポロポロと涙まで流れ落ち始めた。
「はぁはぁ」
もう限界だ。
「はぁはぁ」
これが意味を成さなかったとすれば、もうあたしに手はない。それにもう動けない。
「はぁはぁ。はぁ……げぽ」
軽く血を吹いて、力なく腕をだらりと下げた。もぅこれで終わるように願いながら。
しかし……どこからともなく、あたしにとっては絶望の声が響いてきた。
「あぁ。すごいな。本当に……」
ザッザッと大地を踏みしめ、あの忌々しい男が歩いてきた。
「あっ……あっ……」
絶望の声を漏らす。たいした傷も負っていないアルトを見て、死を確信した。ボロボロと際限なく涙を流す。
「おいおい……そんなに傷つくなよ。これからお前を殺すっていうのに、手が震えて上手く当たらなくなっちまうだろ?」
がっしりと右手で剣を握り、そんなことを言う。あたしはその様子に絶望しながら「どう……して……」と呟やく。
「ん? どうしてって、そりゃあ……」
剣を持っていない手で頰をかいて言う。
「んなもん対策だよ……対策」
もう驚く気力もなく、アルトの言葉に黙って耳を傾ける。
「もう既に一度。それは教会で食らってるからな。前のよりも威力は高かったが、それでも変わらん。一度見せてしまったのが、お前の敗因だよ……」
「どうやって防いだかは、教えられないがな」と最後に付け加えて言う。
そしてついにこいつは、すぐ近くまでやってきた。手を伸ばさずとも触れられるそんな距離だ。ここまで接近を許した。その時点で死は決まっているようなものだ。
うなだれるあたしの首筋に一度剣を当ててくる。
冷たい……。恐らく今は、剣を振り下ろす箇所を決めているのだろう。
死の間際だっていうのに、やけに自分の頭は冴えていた。脳内にアルトの言葉が響く。
「ここかな」
それを聞き目を閉じた。
そのまま振り下ろされるだろう剣を、黙って受け入れた。
「ダメですよぃ……っと……」
パン! 音が響くと、アルトの振り下ろされた剣は、何者かが差し出した武器によって弾かれた。
激しい腐敗臭がする。そしてこの甘くべったりとした嫌な感じは……。
「あっ……ああ……あっ」
カリ……ナ? そう考えながら、そちらを振り向く。
するとそこには、顔の左部分を激しく歪ませた、化け物のような男が立っていた。
カリナではない。けれどこの男も……似たようなものだ……。
そいつは手には三又の槍、上半身にはマントだけを纏わせた、半裸の男だった。いやらしくつり上がった口元は、アルトなんかとは比べものにもならないぐらい、ひどく醜いものだった。
ーーこれが人間の笑み……。
恐怖心すら抱く気持ちの悪い笑み。その笑みをたたえながら、あたしの顎に腐敗臭のにおいがする手を当てて、クイっと上にあげた。そして無理矢理あたしに顔を見せつけてくる。
「どうしたんですぅ……お嬢? お嬢ともあろうお方がぁ……」
べろりと舌を出し、あたしの額から頰の辺りまで流れる血をなめとる。そして声をくぐもらせて言う。
「ここまでの傷を負うぅぅ……」
舌をんべと出し、血を見せつけてくる。
「あっ……うぅ」
怯えから声を出す。こいつが敵でないことをあたしは知っている。こいつがあたしを守ってくれる存在であることも知っている。
だがあたしはこいつを敵として認識したい。
だって、だって……。
潤ませた瞳で目の前の男を見て思う。
ーーこんなにも気持ち悪いんだもの……。
「……うぇ……うぇ」
涙を流す。涙で歪んだ視界は、なぜだかは知らないが、離れた場所で戸惑うように立つアルトの姿を捉えていた。
「おい!! てめぇらぁああ!! 出て来いやぁぁああ! お嬢が泣いてるぞ!!」
その声に呼応するように、「えへへ」「うぇへへ」「げびび」と意味不明な笑い声を上げて、近づいてくる人間達がいた。
そのどれもが、甘くべったりとした腐敗臭を漂わせていた。そして彼らの肌は醜く歪み、唾液が卑しくダラダラと流れていた。
「あっあっ!! いや! 嫌!! 来ないで!!」
お腹から血が出るのも忘れて叫んだ。それ程までに生理的嫌悪が強かった。
「どうしたんですぅ……お嬢? そんなに叫ばれては」
お腹がぶにっとつままれる。
「ほぉら……血が出てしまいますよ?」
お腹の傷口から太い手が体内に潜り込んでくる。
「うっ!!」
顔がひきつる。最早叫ぶことすらできない。とてつもない恐怖からだ。しかしそれでも心は恐怖を叫んでいる。
嫌! 嫌! 嫌! 嫌! 嫌! 嫌! 嫌! 嫌! あたし……あたしは……嫌! ……嫌。嫌だよう……。
あたしの視界はまたも、橙の髮の男を視界に映す。そしてついつい求めてしまう。助けて……と。
声にはならないが、そんな言葉を心の中で呟いてしまった。
「あれれれれれれ? お嬢! お嬢おおぉぉ! ぁぁもう! お前らが! そんなだからぁ……!! お嬢が泣き止まねぇじゃねえかぁああ!!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
髪を両手でわしゃわしゃとかきむしり、あぶくをはいて、唾を辺りに撒き散らしながら半裸の男が叫ぶ。
そして半裸の男は、近くにいた彼の部下と思わしき人物の頭をガシッと掴むと、抱きしめ始めた。
「ああ、ああ! ああ、ああ……。アアアアアアアアア!!!!」
叫びながら、抱きしめていく。抱きしめて、抱きしめて抱きしめて、そして。
ペキ。
ブーーーーーーー!!!
抱きしめられた男は痙攣しながら、空高く血を吹き出して、絶命した。
「ああ……」
両手を口に当てる。こわいよぉと、泣きながら。
「あれ? 死んじまった? 死んじまった? 死んじまったんだぁあ!? よっしゃああ!!」
あははははと笑いながら半裸の男は叫ぶ。そして。
「なんだぁあ! てめえら! 笑えねぇのか!! 笑え! 笑え! 笑えよぉ!!」
わめき散らして、辺りにいる人間に言う。
そうすると辺りにいた人間達は怯えながら、「エヘ」「アヒャヒャ」「エヒャヒャヒャ」と狂ったように笑い始めた。
その様子を困惑しながら見つめていた。本当に気味が悪い。笑い声が響く中、半裸の男は話しかけてきた。
「どうですぅ? お嬢? この通り……あなたのヒーローが助けに来ましたよ。向こうにいる男は、この俺にお・ま・か・せ・お」
「ゲヒ」と笑って向こうを振り向いた。しかしその時既にアルトの姿は見えなかった。……恐らく。
「なんでぇ。逃げたのかよ」
そう、逃げたのだ。
仕方ないとは思う。こんなの……あたしだって今すぐ逃げ出したい。でも今の自分にはそんな力はない。
だからこの男に、いいようにされるほかないのだ。
そう諦めていた時、半裸の男の元に、一人の見目麗しい女性がやってきた。そして彼女は言う。
「大王。向こうの方から何者かがやって来ます。先ほどの青年ではない模様。また巨大な大剣を片手に持ち、非常に戦闘力が高そうに思います。……実際我らの斥候が一瞬にして葬られました」
その報告を聞くと半裸の男ー大王ーは、今までの態度は何だったのかと思うほど、冷酷な声で「そうか」と頷いた。そしてさらに続けるように促した。
「はい。つきましては、お手を煩わせ申し訳ないのですが、大王自らのご出陣を願います」
見目麗しい女性が言うと、大王は「わーったよ」と答えて、三又の槍を担いで歩き始めた。最後にこちらの方に振り返り。
「まぁ。んなわけで俺はぁ行きますがねぇ。また会おうじゃないですか……お嬢」
そう言って卑しく笑い、闇の中へと消えていった。
ここで体力はついに限界を迎えた。立っていられなくなり、地面にばたりと倒れ込んだ。やがてすぅすぅと寝息を立てて、気を失うように眠った、そんな気がする……。
✳︎
「ーーっあ!ーーっあ!」
勢いよく飛び上がり、小屋の中で目を覚ます。
「おお。起きたか……どうだ。過去と決別はできたか?」
「ふぅーふぅー」
息を荒げたあたしの心を慮るように、優しい声で囁いてくる。
「……お前は?」
「ん? さっきも会ったろう?」
歯を見せて笑う。笑う彼の歯は真っ白で、とても綺麗な歯並びだった。そしてしわがれた声で彼は言う。
「でもそうか。まだ名前は名乗っていなかった」
顔のシワを深めて言う。
「当方の名前はヒーロー。今は忘れ去られた言葉だが、ヒーローとは英雄を指す言葉。そして当方はそれに……憧れている。だからヒーローと」
邪気のない顔でそう言った。あんまりにも無防備だったので、今だったら首をとれるなぁとか、そんなことを考えながら、頰を濡らしていた。
「……あれ?」
あたしは頰を拭う。
「あれ? あれれ?」
ほっぺたは赤らんだままで、収まってくれない。それに鼻はつまりだす。ズビビとすする。
「あれ? なん……で?」
目は腫れている。とてもじゃないが引っ込みそうにない。
そんなこんなであたふたしていると、しわがれた肌の男性はハンカチを取り出し、そっと涙を拭ってくれた。
「大丈夫だよ。当方が貴女を守るから」
ーー頭を撫でられた。そんなのは久しぶりだった。暖かった。優しかった。だから布団を濡らしたのはあたしのせいじゃない。
泣き喚きながら、男の胸に抱きつく。
「なん、あん……で!? あたひ……は、さつじん……ンビッ。き……!」
ゴシゴシと男の服で涙を拭いながら訴える。
ーーあたしが泣いたのは……きっと……この手が暖かいのが原因なんだ。今までは自分の涙を受け入れるのは自分の腕だった。だから……だから……あたしの、あたしのせいじゃない。
「ヒーローは困っている誰かを助けるのが役目なんだ。そこには善も悪もない。貴女が苦しそうだったから、つい助けてしまった」
そう言って微笑んだ。その笑みにあたしはほだされて救われてしまった。
ーーだからあたしのせいじゃない。人間を頼ってしまったのは……あたしのせいじゃないんだ。
自分のことをヒーローだと名乗るこの人物は、その後泣き止むまで、ずっとずっと胸を貸し続けてくれた。
✳︎
「うん。もう大丈夫だね」
彼は頭を撫でると、あたしから離れていってしまった。
「……あっ」
名残おしそうな声を漏らしてしまうと。「参った」と笑ってスープを運んできた。
「ただ、これを取ってこようとしただけなんだ」
彼の手には、スープの入った皿があった。鼻をヒクヒクと鳴らすと分かる。温かさと、美味しさが。
その皿を受け取ろうと手を差し出して、引っ込める。あの時弾いてしまったものー優しさーをまた受けとってもいいのだろうか? 考えて。
ためらう。その心の葛藤を見透かしたように、彼はスープをすくうと、スプーンを口元に近づけてきた。
「どうぞ」
食欲を刺激する匂いが、鼻腔をくすぐる。
あぁ。とっても美味しそうだ。でも、いいのかな。本当に。こいつは人間で、あたしは殺人鬼で……。
「もう入れてしまうよ?」
「んぐぅ!」
熱々のスープがあたしの口に無理やり入れられる。熱い。けれどそれ以上に、美味しかった。毒も入っていない。苦くもない。不味くもない。気持ち悪くもない。怖くもない。
だから心から言えたのだ。
「ありがと……美味しい」
それを聞いたヒーローはにっこりと笑う。そしてスープとスプーンをあたしの手の届く位置に置いて言う。
「うん。食べられそうだね。なら大丈夫かな……」
ひとつ間を空けて言う。
「当方はもう行かなくちゃぁならない」
温かな目を悲しませて彼は言う。
「勝手に貴女を連れてきて、勝手に療養させて、その上勝手に去っていくなんて……都合が良すぎるね。でも、ごめん。当方にはやることがあるんだ。
当方は困っている誰かを救うのが役目で。だけど元気になったら、その人のために去るようにしているんだ。
当方はね。全世界を渡り歩かなければならないから。当方は救うだけ」
本当に勝手なことを、ベラベラベラベラと一息に喋り終えた。口を挟む間も無く行われたそれは、彼にとっては大事なことなのだろう。誰が何と言っても変えることのできないようなものだった。
要領はつかめないが。まぁそれでもいいさ。
要するに助けられた自分は、幸運だったっということだろう。頭の中で結論は付けたが。しかしやっぱり憎まれ口のひとつは叩きたくなる。だって泣き顔だって見られちゃったんだし……。
「本当に勝手だね」
「返す言葉もない。この小屋も実を言えば、当方のものじゃない。使わずに置いてあったから、利用させてもらっただけだったり」
やましいことがあるからと目をそらす。そして布団の横に置いてある人形の手を掴んで、フリフリと手を振らせる。
本当に呆れた。どこまでも勝手だな。不満げな表情で頰を膨らませていると、しょうがなさそうに笑う。
「うん。だけど。約束するよ。困った時には呼んでくれ。『助けてヒーロー』と。そうしてくれたら当方は必ず助けに行く」
頭をまた撫でてくる。そして背を向けると、部屋の隅に立てかけられた大きな剣を背負う。
木製のドアをガチャリと開けたまま出て行くと、今度はこちらに振り返ることもせずに、ゆっくりと歩いて去って行った。その様子を見届けて思う。
ふらりと現れて、すぐにどっかいっちゃう。なるほど、まさしく英雄(ヒーロー)だ。身勝手極まりない……。小さくなっていく彼の背中。そしてそこにある大きな大剣を眺め、そんなことを考えた。
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