前回のあらすじ。
『紋様が描かれた黒い手袋をして、火を出すならロイ・マスタング』
「うるさいモノローグが聞こえる……。やかましいわ!」
アルトさんが、虚空に向かって叫んでるのは放っておいて、【アルフレッド・リヒター】と呼ばれた火球の着弾点を注意深く見ていた。
殺人鬼に当たった時、火球は勢いよく爆発して、火の粉が舞った。辺りに煙が充満し、視界が悪くなっている。そしてそれはまだ、完全には消えていない。殺人鬼がどうなったかはしっかり見届けなければ……。
「……ううぅ」
煙の中に人影が浮かんできた。どうやら殺人鬼はまだ生きているようだった。
それから少しの間待ってみると、煙が晴れ、殺人鬼の姿がよく見えてきた。片腕はだらりと垂れ、血がなみなみと出ている。傷ついたその手を、無事な方の手で守るように抱えている。
服は全体的にボロボロになり、服のほつれの間から見える肌は、どれも焼け焦げ炎症を起こしている。美しかったあの姿は見る影もない。
「あぅ……ううぅぅ」
殺人鬼は辛そうに喘ぐ。ただでさえ致命傷を負っていたのに、さらにアルトさんの大火力の攻撃を、まともにくらってしまったからだ。お腹からは血が、どぶどぶと黒く濁ったものと一緒に流れ出していた。
──見ていられなかった。目を伏せたかった。でも殺人鬼が未だに殺意の宿った瞳で、こちらを睨みつけ膝をつかないのだ。
だから、だから、だから……目を伏せれないんだ。
「……苦しそうだな。今、終わらせてやる」
アルトさんはそう言った後「クリエイト」と呟いた。しかし何も起こらなかった。
「っち! 魔力切れか」
苦々しく呟くアルトさん。ここでやらなければ後々面倒になる、とでも言いたげな顔で殺人鬼の方を睨んでいる。無理に飛び込まないのはやっぱり、警戒からなんだろうな……。
しかしここで、ひらりと一枚の紙が宙に舞っているのを目にした。そこには。
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いや、これで十分だ……。援護感謝する。
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乱雑な文字でそう書かれているのをわたしは目にした。こんなことを書いたのはあの人しかいない。
広い視野で辺りを見渡すと、剣を握り、土煙舞う中心部を避けるように、あろうことか壁を走り、殺人鬼へと迫るアスハさんの姿を見つけた。
アスハさんは壁を思いっきり蹴ると、殺人鬼の右斜め空中から剣を振り下ろした。
「くたばれええぇ!」
こんな時だって言うのに、アスハさんの綺麗な声に意識を奪われる。
殺人鬼はアスハさんの方をゆっくり見上げ、これまたゆっくりとした動作で頭から出た耳をヒクヒク動かすと、これが最後に聞く声か……とでも言うように、どこか悟った目をした。
✳︎
「と、いきたい所なんだろうけどさぁ〜」
いやらしく下卑た、人の不快感を煽ることが目的だとでも言わんばかりの嘲笑を込めた声が、わたしの【後ろから】聞こえた。
パン!!
なにかが破裂するような音が響く。その直後アスハさんは「ぁん!」と綺麗で美しい、そして悲痛なうめき声をあげた。
振り上げた剣は結局、殺人鬼に振り下ろされることなかった。剣は放り投げられ、アスハさんはドチャッと頭から地面に落ちると、動かなくなった。恐らくは衝撃で気を失ったのだ。
その光景を前に殺人鬼は、一瞬驚きと戸惑いの入り混じった顔をしたが、すぐにわたしの背後の何かを苦々しく睨みつけた。そんな光景を見て、慌てて後ろを振り返る。
そこにいたのは。
「はぁ〜全くさぁ、この展開にいい加減読者も飽きるよ。ま〜た後ろからだれか出て来たよ。はいはい……。みたいな感じでね。でもまぁ安心してくれよ。今回の章で不意に登場するキャラクターは【僕】が最後だから」
「それと、もう誰も参加できないように、そこにいた兜をかぶった人は気絶させといたよ。誰かを呼びに行かれたりしたら面倒くさいしね。人物の多さ的な意味でも」
顔に何かの器具をつけた、黒のコートを纏ったあの男。だが最初見た時と違い、手には見慣れぬ黒塗りの何かを持っていた。それは手から少しはみ出す程度の大きさだ。
注視して見てみれば、黒い何かには筒のような所があり、そこから白い煙が吹き上がってるのが分かった。どうやら先程のパン! という音の発生源はそこのようだった。
「ああ、今のは忘れてくれて構わないよ。君達も、そして【君達】も。だって僕はただ彼女に会いに来ただけなんだからね……。
いや〜それにしても面白かったよ。君達の手に汗握る攻防は。銀狼族最後の生き残りのアクストゥルコ様も、これにはお手上げだったんじゃないかな? ……っね! トゥコちゃん」
アッハッハと笑う黒の男。その振る舞いはなんだか、化け物が、無理して人間の真似をしているみたいだった。彼は人間に見えるのにそう感じるのはなぜだろうか。
黒の男は教会に敷かれたカーペットの上を上品に歩く。その歩みに一切の乱れはない。
教会の中は激しい戦闘でボロボロで、この場所で彼は、異様なまでに不釣り合いに見えた。
それは悪い意味か、はたまたいい意味かは分からないが。
「ああ、そんなに警戒しないでくれよ。さっきから僕の死角を取ろうとしている君も」
アルトさんが、黒の男の少し離れた背後に姿を現わす。彼が黒の人を見る目の色も、殺人鬼の瞳と遜色がないぐらいに殺意で濁っている。
通り道にいたわたしの肩に手を置き「ちょっとどいてね」と不気味に感じるほど優しい声音で言うと、わたしの前を通り過ぎていった。
そしてついに黒い服の男は、殺人鬼の前にやってきた。
殺人鬼が先程までと、比べ物にならないくらいの殺気を放っているからか、一定の距離は保っているが。
そして自分の胸に手を置くと、誰もが好印象を持つであろう笑顔を殺人鬼に見せた。あんな異様な現れ方をした男の、紳士的な振る舞いは正直気味が悪かった。
だが周りの評価はどうでもいいんだと言いたげに、【カリナさん】はこう言った。
「やあ、久しぶりだね。トゥコちゃん? あいっかわらず君は…………」
殺人鬼の身体をジロジロと舐め回すように見る。
「うん! 焼けた肌もセクシーでキュートで、最っ高に可愛いーよー!!」
まともな感覚をしていれば殺人鬼の今の身体を褒めるようなことはしないだろう。
まぁ慰めからなら理解できる。一億歩譲って嘲りからでも……受け入れられないが理解はできる。
だがカリナさんの言葉はなんだろう? 心の底から賞賛しているようではないか……。それに彼の復讐とはいったいなんなんだったんだ。どうしてそんなに朗らかに笑えるんだろう。
まともな感性をしていない……。そう感じた。
「いや〜どうしたんだいトゥコちゃん? 一言も喋らないじゃないか。そんなんじゃ僕は悲しいよ。君の可愛い声が聞きたいな」
喉だって焼けてるんじゃないかな……。
アルトさんの放ったあの炎は、彼女の全身を間違いなく焼いていた。その証拠に全身痛々しいほどに真っ赤だ。
カリナさんはさっきからいったいなにを言ってるの? 理解……できないし、したくもない。
「もーう、恥ずかしがりやだな〜。それじゃぁ、もう一歩」
カリナさんが踏み込んだ所で、元は綺麗だったと思われるガラガラ声が辺りに響く。
「ぐるなあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
これは殺人鬼が発っしたものだ。鬼気迫るものがある。この声を聞けば、彼女がカリナさんを心の底から拒絶しているのが、誰にだって簡単に分かるだろう。
「う〜ん、どうしてそんなに嫌われちゃったのかな? 僕ひどいことなんて、そんなにしてないよ」
心底不思議そうにカリナさんは頭を傾けて尋ねる。そして「ああ、もしかしてあれかな」と指を一本立てて、とびっきりの笑顔で言う。
「トゥコちゃんの家族友人の全てが殺されるように仕組んだこと……? それとも大好きだった人間達全てに追い回されて、親しい人達に裏切られるように仕向けたこと……かな?」
「えへへぇ」と邪悪な笑顔で笑うカリナさん。
「いや〜楽しかったよ。君が可愛らしく愛らしく、必死になってみんなを助けようと、愛そうと、動き回っているのを見るのは。あのひと時……僕の感情は激しく揺さぶられ、永遠に忘れられない想いを抱かされた」
笑顔で語る、語る、語る。
「僕が殺人鬼の! トゥコちゃんの! 全てを奪っていく時間は! 本当に楽しかった!!」
「この、この゛グゾ野゛郎゛がァァアア!」
カリナさんが全てを言い切るよりも先に、猛然と駆け出す殺人鬼。今の彼女のどこにそんな力があったのか。凄まじい速度でカリナさんに迫る。
ただ……不意に見えてしまったんだ。彼女がカラカラの目で泣いているのを。
カリナさんはその速度に反応できず。
「あれ? これまずいかな……」
なんて緊張感もへったくれもないような、軽口を叩く。そして殺人鬼の強靭なアゴに、胴体の半分を食いちぎられた。
重心が傾いた体はベチャと地面に落ちた。そしてカリナさんはケラケラと笑いながら。
「あっちゃー。これ死んじゃうね〜」
ヘラヘラと心底優しい笑顔で笑った。
「お゛前゛なんがな゛ぁ、お゛前゛なんががい゛るがら゛ぁ!」
悲痛な声で叫ぶ、言い終わった後、ゴホゴホっと苦しそうに喉をおさえた。
「あっちゃー大丈夫? 今回は手酷くやられたね〜。でも平気だよ、もうすぐ月は満ちるからね」
カリナさんが言うと、アルトさんがその言葉にすぐさま反応した。彼は教会にある窓から上空を眺めると、やばいものを見たとでも言いたげに、冷や汗を垂らしながら言った。
「ま、まずい!! セア! 逃げろ!!」
緊迫した顔でそう言う。けれど、何がなんだか分からない。
「えっ? えっ? どういうことです? それに逃げるにしても、アスハさんやラックルさんが!」
そんなことを言うと、アルトさんは歯がゆそうに、ギッと歯音を鳴らした。
「ああ……もう!! そこらへんは俺が全部なんとかする。だからお前は、さっさと教会の外に出てろ!!」
言うと、瞬時にアスハさんの側まで駆け寄り、アルトさんは彼女を担ぎ上げた。
「うっ! 重……。ほら、てめーはさっさと行け!」
アルトさんは本当に切羽詰まった様子で言う。アスハさんもラックルさんも、置いて行きたくないのだけど、わたしの力では、二人を運ぶことができないのは分かりきったことだった。
ここに残ってもたしかに迷惑がかかるだけかもしれない。そう考え、自分の不甲斐なさにぎゅうぎゅうと心を締め付けられながら。
「わ、分かりました。教会から離れればいいんですね?」
アルトさんの返答を待たずに、様子を見ながら教会の外へと駆け出した。
その時、殺人鬼の身体が大きく、そして今までよりもさらに、獣の色をこくした姿へと変貌していくのを見た。
「トゥーコちゃん! いつものように逃げ道を用意しておいたよ! 君のその嗅覚で甘い匂いをたどってね!」
その言葉を聞くのと同じぐらいの時に、アルトさんがアスハさんとラックルさんをかついで教会から出てきた。
そして教会がガラガラと崩れる音がし、代わりに教会の残骸から何かが出てきた。それは……いや、考えなくても分かる。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉん」
閑静な夜の街並みに、獣の遠吠えが鳴り響く。それはとても大きな音で。きっと、突如として鳴り響いたこの声に驚き、目覚めてしまった人もいただろう。しかし響く遠吠えに、乱雑なやかましさはなかった。なんというか統制の取れた一流の演奏を聴いているような、そんな感覚する覚えるほど、彼女の遠吠えは綺麗なものだった。
そんな一匹の獣を見上げて呟く。
「あれが銀狼ですか?」
「ああ、あれが都市伝説の正体だ」
独り言のようなものではあったが、アルトさんが答えてくれた。見上げる先にいる、おびただしい傷を負った四足獣(しそくじゅう)。
どう猛な牙をはやし、尻尾を揺らしている。外見は犬のようにも見えるが、それよりももう少しは凶悪そうな人相で、犬という表現は適切ではないと思った。……要するに狼だ。
ただしその大きさは、わたし達が先程までいた教会よりも大きい。いったい何メートルあるのだろう。
「伝説は比喩なんかじゃなかったんですね…」
わたしはそう言う。
「そうみたいだな。ありゃ事実、城よりも大きいぞ。そして……ああ、こりゃ動けなくなるよ。畏怖だなんて、記載の仕方が変だとは思ったんだ」
アスハさんやラックルさんを地面に下ろすと、アルトさんは呼吸を整えるためか、一度深く深呼吸をした。
息が途切れるくらい疲れ果て、いっぱい傷ついているのだから、何も喋らず休憩していればいいと思ったし、わたし自身、アルトさんの身体が心配だったので、そうして欲しかった。
けれどアルトさんの続けようとする言葉を止めることはしなかった。だってアルトさんが何を言おうとしているか、予想がついてしまったから。目の前にいる巨大な狼を見て、分かってしまったのだ。
「美しいなぁ。死の間際にだって見惚れられるよ」
「えぇ……」
狼の姿になっても傷は癒されないらしい。火傷や、激しい血の跡、切り傷が山ほどついていた。だけど、彼女は凛々しく立っていた。星の輝きを一身に受け、その姿を眩い銀色に輝かせていた。
「銀狼……ですか」
「ああ、これが、何千枚と金貨を支払ってでも、人々が手にしたかった伝説の獣だ………」
夜空を見上げて彼女とどちらが美しいかを比べてみる。
答えはすぐに出た。
ああ……やはり彼女の方がなによりも綺麗だ。
✳︎
誰もいなくなった教会。
ガラガラと残骸の下から音がする。
「いてて……もうトゥコちゃんは行っちゃったか。それに彼らもいないみたいだね」
「よいしょ」と男は瓦礫の下から這い出てきた。瓦礫は本来であれば、彼の力一人では決して動かせないようにみえた。だが彼は一人で瓦礫を次々どかしていった。
「ああ、ありがとうミデア。ごめんね〜大君主ともあろう君に、こんなことをさせるなんて……助かるよ」
男は何もいない虚空に話しかけるように呟くと、腹部が半分なくなった身体でケラケラと笑う。彼は歩き出しかつて彼の肉体だったなにかを拾い上げた。瓦礫にまみれたそれは、もはや単なる肉塊。それを彼はしらーっとみつめると空中に放り投げた。
空中でその肉塊は奇妙な音──グチャリという音と共に、消え失せた。そして次の瞬間、彼の身体には欠けた部品など一つもなくなっていた。
「……ふぅ、疲れた」
彼はゆっくり伸びをすると、静かに語り始めた。
「でもまぁ、面白いものが見れたからよしとしようか。まさか……【ギン】とはねぇ、それにあれは……」
何か思案するように手で口を覆った。
しかし数秒もしない内に「まあ。でも、そんなこともどうでもいっか」とヘラヘラ笑い出す。
カリナは夜空を見上げ、愛おしげに呟いた。
「また会えたね……トゥコちゃん」
これで今章は一旦の区切りです。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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