前回のあらすじ。
『あれからなんだかんだあって、後五、六匹獲ってきた』
「はい。料理を始めます」
「展開はっや」
「巻きでいこう、巻きで」
そう言うアルトさんは、木の調理台の上に、アルゴザリードを乗せた。もう既に命はない、形だけのそれを。
アルゴザリードは調理台の上で、ぐったりと倒れている。
ちょっとかわいそう。そんな風に思って目をそらす。
その挙動は見られていたらしく、厳しい言葉が投げかけられた。
「お前がどんな風に考えてるかは、こんだけの付き合いだ。ある程度分かるけどよ。だったらなおのこと、ちゃんと見ておかないとダメだろ?」
刃物が肉に食い込んでいく音が聞こえてくる。重みのある音だ。
「だってよ。今から俺たちはこいつを食べるんだ」
ジョリジョリと肉が裂けて、何かがべっと地面に払い捨てられた。
「俺はそうやって見ないふりをする方が、命に対する冒涜だと思うがな……」
パキッとどこかの骨を折る音が聞こえてくる。そうして自重を支えきれなくなった何かが、ズルリと調理台の上に落ちた。わたしの背後で、今まさに、命がさばかれている。
命に対して、どう接するかも決め切れていないのに、時間だけはどんどん進む。
「残り一匹だが? どうするよ」
そんなことを言ってくる。アルトさんは酷い人だ。厳しくて、甘さがない。だけど言葉や態度で分かる通り、わたしの意志を尊重してくれている。
今だって包丁の柄の部分を、わたしに向けているだけ。決して強要しているわけではない。この包丁を手に取るかどうかは、わたしに委ねてくれている。
「無理にとは言わんがなぁ」
包丁をくいっと回転させて持ち直すと、アルトさんはまたアルゴザリードに向かいなおした。
「さぁ、最後だ」
腕まくりをして、包丁を構えるアルトさん。そして包丁を持つ彼の手を、わたしはバッ! と握るようにして触れた。
「ーーそうか、やるか」
アルトさんは眉を寄せて、なんとも言えない笑みをわたしに見せた。彼ももしかしたら、わたしがあんまりにも情けないから、迷っているのかもしれなかった。
だから決意に満ちた瞳で答えるのだ。
「やりますよ。だって食べるんですもん」
✳︎
「こ、これがアルゴザリード……」
向かい合ってみて初めて生々しさが分かる。
つい先ほどまで生きていた命だ。当たり前だ。彼らが泳ぎ回っていた姿も知っている、というか見ていた。アルトさんが木の枝という名の槍で、殺していく場面を何度も見た。その証拠に首元には小さな穴が空いている。
グッと唇を噛み締めながら、震える手で包丁を力強く握る。
「そんな強く握ったら逆に危ねぇぞ」
手の甲に重ねるように、アルトさんが手を置いてくる。すぐ横には彼の顔。真剣な面持ちだ。その顔につられるように、気を引き締めた。
「よし、じゃあ最初だ。まずは頭を切り落とす。首のあたりに包丁を入れていくんだ」
腕は震える。けれど、アルトさんの誘導もあって、包丁は無事、アルゴザリードの首元に寄る。ゴクリと生唾を飲む。
これを振りかぶって下に下ろせば、アルゴザリードの首を落とすことができる。そう出来てしまうのだ。包丁を持つ手が震える。
「……まぁ分かるけどな。お前は特に優しいたちだしな」
いつまでも包丁を振り下ろさないので、思う所があったのだろう。アルトさんが声をかけてくる。そして彼が言った言葉は、やっぱり優しいものだった。
あくまでも考えを尊重してくれる。だからわたしは、甘えからか。アルトさんに助けを求めるように彼の顔を見た。
そうするとアルトさんの顔つきが変わった。
「けどな。優しい……だけじゃ生きてはいけない。俺達が生きていくには、何かを食べなきゃいけない。んでもって食べるってのは殺すってことだ」
逃げようとするわたしの心に喝を入れてくる。
「だから、やれ。これはお前が決めたことだ。お前が俺から包丁をとったんだからな」
そう告げて。アルトさんはわたしの握る包丁を、もう一度アルゴザリードの首に当てさせると、軽く重ねた手をどかした。
わたし一人にやらせようというのだ。ああ。本当に酷い人だ。でも優しさがないわけではない。
いよいよ持って決意を固める。包丁をしっかり握り、アルゴザリードの首めがけて振り下ろす。
──バス。
鈍い嫌な音がした。視界には胴と頭が切り離されたアルゴザリードがいる。
とたん。吐き気がする。喉の奥が辛くなり、むせそうになる。あわや吐いてしまうという所で、アルトさんが肩を叩いた。
「よくやった」
吐き気をこらえるわたしを宥めるように言った。そして。
「はい。じゃあ次はこいつの胴を裂いていくぞ」
わたしにとっては絶望的な言葉が宣告された。
「嘘……ですよね?」
「ううん。違うぞ、本当だ」
慈悲もない。
「んじゃ次はだいたいこの辺りに包丁を入れて、臓器を取り出してだな…………」
アルトさんの地獄のような講習は、この後しばらく続いた。
✳︎
「よ、よやく、ようわく、ようやく……終わったぁ」
包丁を調理台に慎重に置き、ばたりと地面に倒れこんだ。
「お疲れ。あとはやっとっからしばらく休憩してろ」
アルトさんは言うと、巨大なスコップで地面を掘り出して、臓器を投げ捨てたり。鍋を取り出して、油を入れたりと、手際よく準備し始めた。
それをゆっくり見る余裕すら、今のわたしにはないので、オロロロと木陰で、何かしら白いものを吐き出していた。
大丈夫。茶色じゃないから、これはまだ、ゲロじゃないはず。だからまだゲロインではないはず。自分に言い聞かせながら、調理が終わるのを待っていた。
✳︎
地面の上にコトリと、料理が入れられた皿が並べられた。そのどれもが魅力的に見え、大変食欲がそそられる。よだれを垂らしながら見ていると、アルトさんが眉間にしわを寄せ、苦笑いをする。
「女、女か?」
あまりにも失礼なことを言うので、むーーーと頬を膨らませた。そうするとすぐに、「悪かったから」とアルトさんは身を引いた。お詫びと言わんばかりに、料理の説明をしてくれた。
「はいはい。んじゃ、これがアルゴザリードの揚げ。臓器を取っ払ったやつの中身をよく洗って、不要物を取り出して油でさっと揚げたやつ」
黄金(こがね)色に輝き、香ばしい匂いを漂わせる。お頭ごとあげられたそれはどこか雄大な迫力があった。目にも美味しい料理である。うまそう!
「それからこれが、アルゴザリードを焼いたやつの切り身と、切った野菜を生地で包んだやつ。適当に下味つけてあっから。ソースはいらんぞ」
これも先ほどのもの同様、非常に食欲がそそられる。生地の隙間から見える、焦げ目のついたお肉が、実に美味しそうである。
「最後が……刺身だ。これがさっきお前が捌いたやつだな」
薄い桃色の肉が、綺麗に盛りつけられている。お頭も添えられていてなんだかとっても高価そうだ。
「下処理はしたから、寄生虫の心配はしなくていいぞ。それよりも……」
──それよりも。その先の言葉は言われなくてもわかっている。わたしがこれを食べられるか……? と言うことをアルトさんは聞きたいのだろう。
慮ってくれるのは嬉しい。でもわたしだって、もう……ちゃんと割り切った。
造りのお肉達を指でさっとすくい取って、口元まで運んだ。咀嚼するとモニュモニュと、独特な食感があった。
「おお……いったな」
内心はらはらしていたのだろう。アルトさんの声はわずかにうわずっていた。……あれだけ目をそらしてたら、それは心配もするか。彼に対して何か謝罪とか、心配をかけたとか言うべきだったかもしれない。
しかし、口を動かすたびに、その考えは小さくなっていた。それは何でか? 簡単だ。
単純に美味しかったから。
口の中で、ほどけるようにとけていくお肉。だというのに、濃厚な旨味だけは口の中に広がって……。口の中は逃げ場がなくて、旨みにずっと襲われ続けてきた。
それからアルゴザリードのお肉本来の味なのだろう。甘みと塩みも感じだと。
美味しい。よだれがじゅるりとまた落ちた。
「うわっきったね」
アルトさんが言ってくるが気にしない。だってこんなに美味しいんだもの。
頰に手を添えて赤らめながら、口の中の感覚に集中する。そのままお肉が喉元を過ぎるまで、濃厚な肉の旨味を楽しんだ。
こんなん絶対他のも美味しいじゃん。次の料理にも期待に胸を膨らませていた。
✳︎
「ふぃーー。美味しかったぁああ!」
満足気に腹をぽんぽんと叩く。
「元気になったか?」
「はい!」
アルトさんが心配そうに言うから、いつもよりもずっとよい笑顔を見せて。立ち上がると、駆け回ったりクルクルと回転したりした。
「ほら、この通り! 元気です!」
思いっきり頰を緩ませてアルトさんに振り向く。流石にここまでしたら、理解してくれたようで「そうかい」と彼は呆れ気味に言っていた。
食べる前はしょんぼりしてしまって、心配させましたよね。ごめんなさい。そんな気持ちを内心に抱えて、「呆れないでくださいよ〜」とむくれっつらをした。
でもアルトさんだ。隠した意図なんか、隠してないのと一緒だ。彼はすぐに理解したらしく、目を丸くさせた。
そしてその後、こちらに気を使わせないよう「あっおい。危ねぇぞ後ろ!」と全く持って関係無いことを言ったのは、経験の多さだろう。優しいなぁ。
その優しさがなんだか気恥ずかしくて、照れながらふふっと笑ってしまう。そうしてアルトさんから逃げるように、後退りすれば、ドンと何かにぶつかった。
何だろう? 木かな? そんな考えで後ろを振り返れば、わたしの身長の倍はあろうかという、大きな動物(マヘト)がそこにはいた。
それは一見すれば、二足歩行するトカゲのように見えて……。
「あれ?」
なんて考えていたら、視界は赤く染まった。頭をガブリと噛まれていた。頭皮に牙が突き刺さる。
「セアーーーーーーーーー!!!!!! だから後ろって!!!!!!」
アルトさんの叫び声が脳裏に響いた。それを聞いて、さっきとは違う意味で恥ずかしくなった。
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