銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第37話 「守ってくれてありがとう」

公開日時: 2020年10月7日(水) 18:30
文字数:5,034



銀の歌



第37話



「うえぇ。分かんないよぉ。ここどこぉ……」


 べそをかきながらわたしは一人歩いていた。ぐすっぐすとすすり泣く音が、静かな夜の街並みにはよく響く。


「ぐぞぉおお! 分からん、分からんよぉ!」


 ダミが入った声を漏らしながら、夜の街を徘徊する。その姿はどう見ても不審者だ。この状態のわたしと、偶然にも会ってしまった人達は皆、目も合わせずに逃げていく。だから道を聞こうにも聞けない。

 道が分からないから、べそをかく。べそをかくから、道を尋ねれない。何というジレンマだろう。


 泣き止めば良い話なのだが、なぜかそこまで頭が回らない。このままじゃお家ー宿屋ーに帰れない。


 どうしたら……。そんなことを考えていたら、見覚えのある人影を見つけた。その人物はのらりくらりと曲がり角に入っていく。この救いの糸を逃してはならないと、その人物を追いかけて角を曲がる。


「まっ、待って!!」


 声をかける。するとその人物は、ゆっくりとこちらに振り返り、「キュヒーン」といなないた。

その人物は四足歩行で、茶色の毛に覆われている。それだけではない、黒い布で顔や身体の一部分を隠している。

 それ人間じゃなくね? と問う人は多いだろう。わたしもそう思う。何で人影なんて表現をしてしまったのだろう。相当頭がぼけている。


 だがまぁここまで言えば、誰を見つけたのかは分かってもらえるだろう。彼の瞳を見て尋ねる。


「帰り道知りません? シリウスちゃん」


※馬に道を尋ねる少女の図。


✳︎


「着きましたね……」


 シリウスちゃんに案内されて、宿屋の前までたどり着いた。何で着けちゃったんだろう?


 シリウスちゃんはわたしの訴えを聞くと、付いて来いと言いたげな瞳で歩き始めた。そんな彼の後ろ姿を追いかけて、歩く事数十分。いつの間にか見慣れた大通りに入り、そのまま道並みに沿って歩いていたら、あら不思議。いつの間にかたどり着いてしまった。


 この子わたしより頭良くない?


「まさか着くとは……」


 シリウスちゃんの横で呟く。今までも何度か、彼の頭の良さは見せつけられてきたが、今回の件は最早、驚きを通り越して感嘆するばかりだ。

 そしてシリウスちゃんの頭の良さを知ってしまったから、ついでにこんなことを尋ねてみた。


「そういえば、アルトさんってどこにいるんですか? お昼に別れてから、わたし……一度もアルトさんに会っていないんです。どこにいるか分かりません?」


 流石に無理かなと思いつつも、心のどこかでシリウスちゃんに期待するわたしがいる。彼ははぁと、人間のようにため息をつくと、腰を低くした。


「……まさか、乗れと?」


 尋ねると「キュヒン」と鳴いた。馬の言葉が分からないため、意味は理解できないが、きっと肯定の意思を示しているんだと思う。シリウスちゃんの身体をよじ登り、なんとか彼の背中に跨ることに成功した。


「取り敢えず乗りましたけど、連れて行ってくれたりするんですか?」


 さらに訊くとシリウスちゃんはまたも、「キュヒン」と静かに鳴いた。パカパカと大通りを歩き出す。


 この子、賢すぎない?


 内心驚きつつ、シリウスちゃんにありがとうの気持ちを伝える。


「シリウスちゃん、頼りっぱなしですみません。それとありがとう」


 シリウスちゃんは、今度は何も言わず、ただ黙ってコクリと頷いた。わたしの言葉を受け入れてくれたのだ。そんな彼の様子を見て、一つ思案する。


「ねぇ。シリウスちゃん……」


 パッカパッカと蹄鉄の足音が合間に鳴る。


「あのね」


 パッカパッカとただ静かに。その音だけが耳に入る。それはまるで、これから言おうとしていることを、言ってはならないと警告するような物に何故だか聞こえた。

 けれどわたしはその制止を、あるいは妄想を振り払って、シリウスちゃんに伝える。


「わたし、あなたのことをシーちゃんって呼んでもいいかな?」


 尋ねるとこちらの方に瞳を寄せ。「なぜ?」そんな疑問の目を向けてきた。


「いや、あのですね。わたし今日友達がたくさんできまして。それで教えてもらったんです。仲がいい人とか、仲良くなりたい人とは、あだ名で呼びあうと良いって。

 あなたのこと。なんだかお馬さんとみれなくて、なんていうか……その。ーー女の子の友達みたいだなぁって。それもわたしより賢い」


 不安げに言ってしまう。トーロスさんがこの場にいたら、体調を気遣って「大丈夫?」と声をかけてくれることだろう。

 まぁそうじゃなくても、はたから見たらわたしの言動はおかしいから、「大丈夫?」と頭を心配して言ってくれることだろう。そんな客観視を出来ていながらも、制止する蹄鉄の音を耳にしながらも、わたしはもう既に言ってしまった。どうしても口にするのを、止めることが出来なかったのだ。


「シリウスちゃんとはもっと仲良くなりたいな……。ダメかな?」


 もう言ってしまったのだから、どうせだったら全部言うべきだと、自分の気持ちを最後まで話し終えた。

 そしてシリウスちゃんは、こちらに向けた瞳を前へと戻した。その後一度だけ静かに目を閉じると、「キュヒン」とやっぱり鳴いてくれた。


 どういう意味で鳴いたのかは分からない。だけど……肯定の意味で、きっと鳴いてくれたと思う。


「ありがとうございます。シリウスちゃ……。シーちゃん」


 パカパカと大通りを歩く。昼間はあんなに人通りが多かったというのに、夜はぽつりぽつりとしかいない。蹄鉄の足音が辺りに響く。シーちゃんのたくましい首元に身体を預けて、わたしは目を瞑った。


✳︎


「ブルルルル」


「うわっと」


 唐突に地面が揺れた。慌てて転げ落ちそうになるが、後ろの方の地面がせり上がり、なんとか落ちないで済んだ。

 重い瞼をそれでも持ち上げて目を開く。


「あっ……そうか。わたし寝ちゃってたんですね。シーちゃん」


「キュヒーン」


 シーちゃんが言葉を肯定するようにいなないた。それで少し状況把握が出来て安心した。改めて辺りを見渡すと、まず湧いて出たのは疑問。ここはどこだろう。

 石畳みでできた大通りではなく、今わたしは、小高い丘の上にいる。なんでこんな場所にいるんだろうか?


「えっと、ここはどこですか? シーちゃん」


 シーちゃんに尋ねると、彼は首をくいっと動かして、丘の上の一番見晴らしの良いところを指し示した。そこには橙の髪をした誰かが、夜空を見上げて寝転がっていた。


「ああ……そっか。そうだったね。こんなところにいたんだ」


 下ろしてと目で訴える。するとシーちゃんは背に乗せた時のように、わたしが降りやすいよう、膝を折り曲げて姿勢を低くしてくれた。そうして彼に補助されながら、安全に降りた。


 トス。草と地面は着地音をかき消した。

 この静かで完成された空間を、出来るだけ壊さないよう、彼の下まで慎重に歩く。草花が当たる感覚が素足には少しむず痒い。

 彼は途中でこちらに勘付いたようだった。しかしこちらに首を傾けることも、視線を移すこともなかった。彼は口だけを動かした。


「どうしたんだ? こんなところまで来て。もう夜も遅い。子どもは寝る時間だろう」


 皮肉げな物言い。しかしどこか優しさが込められていた。なんというか本当に不器用な人だ。いや、変わっている人と表現してもいいかもしれない。


 彼はその言葉を言った後、気怠げな動作で態勢を変え、ようやくわたしの方へ身体を向けてくれた。彼はあぐらをかいて座っている。

 わたしも視線を合わせるために、地面に腰掛けて座る。髪をかきあげて、彼の方を見て囁く。


「こっちのセリフですよ。ずうっと姿を見せないで何をしてたんですか。ーーアルトさん」


✳︎


 アルトさんの隣に座って街を見下ろす。真夜中なので、灯りが灯っている民家は数少ない。

 けれどだからこそ少しの火の灯りが、際立って見え美しい。


「綺麗」


 感動からついつい言葉を漏らす。するとアルトさんは、顔つきをにやにやとさせた。そのにやにやがいつも見る、皮肉げな物とは全く違って、無垢な子どもを連想させた。彼のこんな表情は初めて見た。


「だろう? 持論だが街の雰囲気を知るには、街全体を見通せる場所から夜景を眺めればいい。

 そうすると昼間の喧騒とはうって変わって、人がいない分その街本来の独特の匂いとか、空気とかを感じ取れるんだ。その街が持っている本質……独自の世界に旅人でも溶け込むことができるんだ」


 ふふんと鼻を鳴らして得意げに語る。その姿はいつもより子どもっぽくて、少しだけ愛らかった。


「良い持論ですね」


 アルトさんの言葉に賛同する。彼の話を聞くだけじゃ、きっと多くの人が理解できないだろう。

 だけど実際に街の夜景を眺めて、彼と同じ物を見ていたのなら、誰もが納得するはずだ。星々が輝く空のもと、人間達の営みを眺める。……これはある種の贅沢だ。


 人間が街を創り出し、その中で人々は自分のしたい事をする。物を売ったり、食べ物を作ったり、服を仕立てたりと、行うことは多岐に渡るが、そうした人々の【したい】が集まった場所が街なのだ。


「珍しいな。お前が俺の言葉に賛同するなんて……」


 街の景色に魅入られて、すっかりアルトさんの存在を忘れてた。慌てて言葉を返す。


「わたしだって、時にはアルトさんの事を肯定しますよーだ! わたしのことを、そんな酷い人間みたいに言わないで下さい!」


 頰を膨らませて言う。アルトさんは苦笑いしながら「悪かったよ」と肩をすぼめて言った。そんな彼を横目で見ながら、もう一つ夜空に向けて囁く。


「もしかしたらわたし達は世界の美しさを知るために産まれてきたのかもしれませんね」


 驚いた……。アルトさんはそんな顔でしばらく、わたしのことを見つめた。フッと皮肉げに鼻で笑った彼は、街並みを見渡すと「そうだな」と呟いた。

 くっそ恥ずかしいから、正直つっこんで欲しかった。……逆にこいつはこんなことを真顔で言われて、恥ずかしくないんだろうか。


ーー。


ーー。


ーー。


 無言のまま時だけが過ぎていった。といっても時間にしてみれば、一分か二分といったところだが……。


 アルトさんの横顔を眺めて思う。ここ数日、本当に激動の日々だったと。わたし達は互いの事もよく知らないのに、お互いに協力して殺人鬼という不確かな何かと戦った。


 英雄に襲われて、長い道程を休みなく走って、ギーイさんに翻弄されて、ようやく殺人鬼を見つけて……。アスハさんと共闘して、殺人鬼と戦って。聖騎士団の人達と仲良くなって……それで、それで。


 感慨に浸る。何だかんだ、ずっとずっと、今までの事をゆっくり思い返す時間はなかった。今までの自分の労をねぎらう。これも事を済ませたことにおける大切な儀礼の一つだ。


 夜空を眺める。眺めて思う。もう一人、わたしには絶対労をねぎらわなければならない人がいる。


 もう一度彼に視線を戻す。


 血色の良い肌は、わたしに比べると少し浅黒い。橙の髪はお日様のような雰囲気がある。赤い瞳には鋭さと厳しさ、それから少しの優しさが宿っているように見えた。

 しかしよく見ればもう一つあって。今まで多くの苦労をこなしてきたからだろう。物悲しい……諦観が入り混じっていた。そしてその諦観の中には、今回の事もきっと含まれるのだろう。


 何度も頭の中では思っていた。聖騎士団の人達にも言われた。これは異常な事なのだと。

 初対面の人物を、普通は命がけで助けたりしない。そんなことは、言われなくても分かってる。だから言わなきゃいけない。わたしの気持ちを、言葉をちゃんと。


ーーけれどやっぱり言えない。恥ずかしさからだろうか? 分からない。


 ずっと横顔を見てるのも変だと思って、視線を正面の街並みに移す。そしてわたしは、本当に言いたい言葉ではなく、別な。ともすれば無駄な事を言う。


「もう何もかも終わったんですね……」


 呟いた。アルトさんは、小さく「おう」と返してくれた。


ーー。


ーー。


ーー。


 また沈黙する。言えなくて、言えなくて、自分が不甲斐ない。でも、彼は「おう」と言ってくれた。今までのことからも分かるように、アルトさんは察しが良い。だから、もしかしたら、わたしが本当に言いたい事を彼は気づいているのかもしれない。


ーー希望的観測が過ぎるか。


 自嘲気味に笑った。不甲斐ない自分を悔いて、黙りこもうとする。しかし思い出す。そういえば、ずっと気になっていたことがあったんだと。

 おずおずと上目遣いでアルトさんを見る。普段の様子との違いに気づいたのか、彼が問いかけてくる。


「ん? どうしたんだ。何か聞きたいのか」


「……はい」


 少し間を開けて頷く。そして尋ねるんだ。


「どうしてあなたは、旅をするんですか?」



第37話 終了

忘れられてるかもなのでもう一度。シーちゃんは男。

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