銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

エピローグ 物語の最初の終わりと優しい殺人鬼

公開日時: 2020年10月10日(土) 18:30
文字数:4,357



銀の歌



エピローグ



「〜〜〜♩〜〜〜♩〜〜♬〜〜〜〜〜♪〜♫」


 深夜の森の中、どこからともなく歌声が聞こえてくる。


 パルス国の首都ダングリオから、数刻ほど行った先にある深い森。そしてそこには綺麗な湖畔が一つあり、そこから美しい旋律は聞こえてくるようだった。


 湖畔に目を移してやれば、そこには仰向けで眠るようにして水の上に浮かぶ、銀色の体毛を持つ少女がいた。

 一糸纏わず、湖に浮かぶその姿は大層魅力的で、艶かしい。


 獣の耳に、獣の尾。月光に照らされ、銀色の光を淡く放つ彼女は、最近までダングリオで、多くの人間を惨殺してきた殺人鬼。名前をアクストゥルコという。


 先の戦いで傷ついた身体を癒すために、アクストゥルコは湖に来ていた。

 だが別に、この湖自体に、傷を癒すための、何か特別な力があると言うわけではない。アクストゥルコー銀狼ーは非常に再生力が高い。澄んだ水や、混じり気のない空気を吸い込めば、それだけで自然治癒が驚くほど進むのだ。

 だからこうして水に浸かり、ただ夜空を眺めているのである。それだけで銀狼の身体を持つ者にとっては、十分な休息となる。


 ゆっくりと目を開ける。空には満点の星と物憂げな月が見える。夜空を眺めて何か思案した後、アクストゥルコは岸まで泳ぐ。


「ぷはぁ」


 プルプルプル。


 陸に上がりまず行ったのは身震いをすること。髪の毛や尻尾、そして身体の体毛に付いた大小の水滴を弾き飛ばす。

 これはもちろん、水が嫌いだからとかそういう理由ではない。ただ単純にこれからすることを考えたら、水気は無い方が良いと感じたからすぎない。


 アクストゥルコは地面に落ちている衣服まで視線を移す。

 そこまで歩くと、その服をつまみ上げた。


 アクストゥルコの服は、ある人物によって焼かれた。その時に服は着ることが困難になるほどの損害を受けた。そしてその後、自分が服を着たまま巨大化するなどして、引き裂いてしまった。それであの服は完全に、着ることが出来なくなった。


 本来服を着るという文化は、銀狼族にはない。その価値観があるのはアクストゥルコも同じで。その上舞台を転々とし、そこで人を惨殺し続ける彼女には、服の予備などは、もちろんあるはずもない。彼女の服はズタズタになったあれだけなのだ。

 ……それなのに。アクストゥルコの手には、修道服がしっかりとつままれていた。この服はいつのまにか、ここに置いてあったのだ。こんな出来事は普通に考えれば恐怖でしかない。


 しかしアクストゥルコは考える。こんなことをするのは、【あいつ】だけだろうと。彼女の脳裏に、胡散臭い笑みを浮かべた、黒い服を見にまとった男の影がよぎる。


「ーーッ!!」


 その幻影を振り払うように、アクストゥルコは服を地面に投げ捨てる。


「ふぅーーフゥーー!!」


 獣の呼吸。口から漏れるその吐息には、荒々しくもどこか品がある。アクストゥルコの姿は、どこを切り取って見ても美しいのだ。……かつて彼女の一族が犯され襲われたように。彼女もまた、多くの人々を魅了する美しさを持っている。

 この服を置いていったのも、アクストゥルコの美しさに心酔した者が、勝手に行ったことだ。別に彼女が頼んだわけではない。


 本当に気味が悪い。アクストゥルコはそう感じながらも、投げ捨てられた服の元まで歩き、またもそれをぐいと掴んだ。そして今度はその服を着始めた。


 アクストゥルコはこの服を置いていった人物が、どこまでも嫌いだ。視界の中に写すことすら億劫で、偶然にでも見てしまったのなら、間違いなくアクストゥルコはその人物を殺すことだろう。


ーーけれど。


 アクストゥルコはポンポンと、土煙で汚れてしまった服の汚れを、丁寧に手ではたき落とす。大切に、大切に、大事なものを扱うように。


「あいつは嫌いだけど、この服に罪はないもんな。ごめんな、投げたりして」


 自分の着ている服のことを慈しむ。その居住まい表情は、殺人鬼とは思えないほど慈悲があった。


✳︎


 湖畔を足でつついて、水面を揺らす。そのたびに水面に映る自分の姿は、ゆらゆらと揺らめく。アクストゥルコは何をするでもなく、ただずっとそんなことをしている。無意味な時間だとでも言いたげな顔で。




 アクストゥルコには自分が辛い時や苦しい時に、支えてくれる者がいない。愛を囁いてくれる者も、身を呈して自分のことを守ってくれる者もいない。

だがそれは当然のこと。アクストゥルコは近づく者の多くを殺してきたのだから。復讐に駆られた獣を助ける者は誰もいない。彼女の後をついてくるのは、頭のおかしな男、ただ一人。


 だからこんなにも寂しくて不安な時、アクストゥルコは夜空を見上げて自分の身体を、【自分自身で】抱きしめるしかできないのだ。


 チャポチャポと水面を揺らす。頭の中にある不安をかき消すように。

 チャポチャポと水面を揺らす。火傷の痛みを忘れるために。

 チャポチャポと水面を揺らす。気持ち悪いあの男のことを忘れるために。

 チャポチャポと……チャポチャポと……。


「……うっ…………うっ……うぅ」


 瞳から何か透明な雫が流れ、ほおを伝った。そしてそれは、地面に落ちて弾けて消えた。目をゴシゴシと拭う。すると着ている服は、体温を帯びた水で湿ってしまった。


「〜♪」


 悲しみから逃れるために、アクストゥルコは歌を歌う。昔、彼女の母親が、優しい腕で抱きとめながら歌ってくれた歌を。


「嘘〜つーきはー本当のこと〜しか語らない〜。本当のじぶーんを見てほしいー」


 ポツリポツリと旋律にのせて、歌を歌う。最初は小さな声だったが、知らず知らずの内に歌声は、徐々に大きくなっていた。


「嘘〜つーきはーいつでも誰かを見つめてるーいつかは信じてくれるよにー。〜〜♪〜〜♫」


 アクストゥルコは静かに微笑む。誰に聞かせてるわけでもないのに、少し頬が赤らんで、何故だか照れ臭くなってしまう。そしてその後「お母さん」と一言呟いた。先ほどより少し明るい声で。


 湖畔の水に浸けてあった足を、そろりと上げようとする。すると後ろから、何者かの足音と拍手の音が聞こえてきた。


ーーアクストゥルコは瞬時に足を湖畔から抜き取り、背後に振り向き臨戦態勢をとる。


「誰だ!!」


 厳しい声音で叫びつつも、アクストゥルコは内心、この人物が誰かを理解していた。こんなことをするのは、彼女が知る限り、たった一人しかいないから。


 ガサガサと茂みの中から、一人の人物が現れた。


 それを見て『ほらやっぱり、カリナ』。そう思いかけた自分の思考を止める。目にした人物は、自分の想像とはかけ離れた人だった。


「いい歌だったぜ……。優しい声だ。それにそれは童謡か? 可愛いじゃないか……」


 橙の髪の毛の壮観な男性が前方に立っていた。

誰だ……? あれはカリナじゃない。アクストゥルコは不審な顔で橙の髪の青年に尋ねる。


「お前は誰だ!? あいつの……カリナの使いかなんかか!?」


 威嚇をしながら問いかける。すると男性は戸惑ったように、髪をかいた。


「ん、カリナってのは誰だ? ……いや待て。思い出せそうではある……のか? だがなんだこれ。頭の中で、思考がまとまらねぇ」


 あやふやな返事をしてきた。

 こんな風に返されたら、質問した方が戸惑うというものだ。しかしアクストゥルコはその反応に見覚えがあったので、驚きはするものの、戸惑うことはなかった。カリナを知っているはずのやつに、『カリナ』と言うと、時々こうなるやつがいた。

 記憶を辿れば、より詳細なことを思い出してきて。確かこの現象を引き起こす魔術の名前は、【記憶を曇らせる】で間違いなさそうだった。


 だが魔術をかけられたとなると、カリナそのものでも、彼の使いの者でもなくなる。むしろ被害者、あるいは彼の敵対者かもしれない。

 それに服装からして聖騎士団でもない。だとすればこの青年は何が目的でここまで来たのだろうか? アクストゥルコは自問だけでは答えに辿り着けず、観念して目の前の人物に尋ねる。


「お、おい! 貴様!! あいつ絡みじゃないとするなら、どうしてこんな所まで来た? 何が目的だ!?」


 銀色の尻尾を激しく振り回す。その様子を見て橙の髪の男性は、呆れ気味にはぁとため息をついた。


「なんだぁお前? つい二日前のことだってのに、もう忘れたのか?」


 橙の髪の男性は肩をすぼめて言う。顔からは嘲笑の色が見えた。その表情を不快に思いながらも、アクストゥルコは言われた通り、二日前の事を思い出してみる。


 「二日前……」一つ呟くと、自分の記憶を辿った。すると……『いた』。確かにあの男性は記憶の中にいた。


「そうかお前、あの時の……」


 少し警戒を緩め、話し合いの姿勢を取る。それを見た橙の髪の男ーーアルトは静かに頷いた。


「それで、お前は何しにこんな場所まで来たんだ? ここには何もないぞ」


 アクストゥルコはアルトに問いかける。すると彼は、きょとんとした顔を浮かべた。それでしばらくした後、「ぷぷっ」と吹き出した。


「な! なんだ! 何がおかしい!」


 アクストゥルコは顔を赤くして、癇癪を起こしたようにまくしたてる。するとアルトは、腹を押さえて一層笑い始めた。

 アクストゥルコはほおを膨らませる。身体が傷ついていなければ、彼女は地団駄を踏んで、暴れまわっていただろう。


「あー笑った。いやぁ、それにしても、それがお前の素か……」


 ニタニタしながらアルトは笑う。そんな彼の態度を見て、アクストゥルコは思う。この男もあいつーカリナーと同じ、あたしが嫌いな性格をしていると。

 だがまだ質問の答えは聞けていない。それがどんな内容かを聴くまでは安心できない。アクストゥルコは苛立ちながらも、もう一度アルトに呼びかけた。


「おい!! だから、お前は何が目的なんだよ!?」


 「グルルルル」と唸り声を上げる。これには流石に驚いたのだろう。アルトはにやけ面をやめ、真顔になった。それで彼は「ん? なんだ。本当に分からないのか」ボソリと呟いた。

 聞こえるはずはないと思ったのだろう、だがしかし獣の耳は、小さな音でも油断なく捉える。


「分からないって何が……?」


 尋ねられたアルトは驚くとともに、心底残念そうに鼻で笑った。


「あーー。教会にいた時は話が早くていいな〜って思っただけだよ。お前、そうとう疲れて、追い詰められてるんだな……。さっきっから素が出まくりだ」


 「だから俺がここに来た理由にも気づけない」と続けて喋る。しかしそう言われても、アクストゥルコはいまいちピンとこない。

 アルトがここに来た理由が本当に分からなかった。だから困惑した顔を向けた。本当に何も分からないという意味を込めて。


「ふ〜ん。そうか。まぁ、それならそれでいいさ」


 アルトは飄々とした態度でそんなことを告げる。けれど次の瞬間、彼はおぞましい程の殺気を全身に漂わせた。そしてどこからともなく剣を取り出して言った。


「お前を殺しに来たんだよ……殺人鬼」


エピローグ 終了

 これにて一章は完全に終了です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 一章の表紙絵です。誰が誰かが分かってもらえたなら、作者冥利に尽きます。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート