銀の歌
第63話
左右を草原に挟まれながらの道を行く。
昨日寝ようとした時雨が降ってきて、対処に追われた。でもでもアルトさんが、すぐに大きい葉っぱを持ってきてくれたので、そこまで濡れることはなかった。
まぁ、冷え込んだのは事実なので、少し鼻声ではあるが。
「ううううう」
鼻水をずるずるとすする。薄着なせいもあるのだろうが寒い。一歩前を行くアルトさんは、何枚か重ね着しているそうで、朝着替えていたのを見た。自分だけずっこい。
唇を尖らせる。でもつまらない気持ちは変わらない。気分転換の意味も含めて、ちょっと後ろを見る。
そうすると後方にはヘテル君がいて……。彼は、アルトさんお手製の、大きめのマント※をはおっている。※異業化している腕を隠すため。
それから特筆するべきことがもう一つ。後ろを着いてきてくれているとは言え、いかんせん、距離があるのだ。
「……ううん」
仕方ないことと理解しているが、こうも壁を作られてしまうと、少々やりにくい。
わたしはこんなだっていうのに、それにしてもアルトさんはいつも通りだ。シーちゃんの手綱を引きながら、のんきにあくびまでしちゃっている。
今の状況に不満……という表現は適切ではないが、もう少し改善することは出来ないのかと、疑念を抱いている。だからアルトさんに、何か良い案がないか聞いてみることにした。
「ねぇ。アルトさん」
「なんだ?」
「この状況どう思います?」
「別に……どうでもいいんじゃね?」
この男は。
内心で殺意を高めつつ毒づいた。けれどアルトさんのこういった冷静さを見ていると、自分の方が間違っている気がしてくる。
わたし的には、皆で仲良くワイワイした方が良いと思うのだが。
「お前の感情よりあいつの感情を優先しろ。お前が本当に仲良くしたいならな」
こちらの考えを見透かしたのか、アルトさんが不意にそんなことを言ってきた。釘を刺すような言葉は、実際、わたしの心に突き刺ささった。
今さっきまで考えていたことは、確かにずうっと自分のことばかりだったから。下唇を噛み、色々な想いを自分の体にしまい込む。
「全部は否定してやるな。状況を好転させようと、お前が頑張ってるのは【俺も】分かってる。ただその方法は、色々あるってことだけ知っておけ」
「……はい。アルトさん」
どこまで人の心を見透かすことができるのだろう? わたしが抱いている感情を、わたし以上に知っている気がする。その都度その都度、適切な言葉をくれる。
それでようやく冷静になれた。
昨日色んなことを聞いて、わたしは多分……焦ってしまっていたのだ。それが不安の原因だったのかもしれない。
色々なことに八つ当たり気味に、いちゃもんをつけていたのは謝罪したいところではある。
ーーでもまぁ……誰に聞こえた訳でもないだろうし、別にいいか。それにわたしが文句を言ったのは、結局アルトさんだけだ。彼にだったら、そこまで罪悪感を感じなくていいよね。
「少しは罪悪感を感じろ」
なんて聞こえてきたが、気にしないことにした。
✳︎
思えば今まで道らしい道を歩いたことはなかったかもしれない。
ヤチェの村からダングリオに行くまでの道程だって、近道をするために、散々荒れた道を通ってきた。獣人の里に行く時も……酷いものだった。
うんうん頷きながら思い返して、改めてそれらを乗り越えた自分を褒めてあげる。
とまぁ振り返ってみて、何が言いたかったかと言うと、そんな道ばかりだったから、誰にも道中あったりしなかったよなー。ということである。
進行方向には、あせた緑色のマントを羽織る大柄な男性がいた。
その人は、無造作に赤い髪を伸ばし、前髪で視界を覆い隠していた。こちらからも相手の目元が見えないくらいだ。その様から、なんだかだらしない印象を受けた。
せっかく澄んだ明るい髪質を持っているのに、もったいない。光の当て方によっては、アルトさんと同じ、橙色にも見えただろう。
それからマント姿だったから、分かりにくかったが。よく見ればマントの下には、時代を間違えたような、風変わりな装いが見えた。服は全体的に古臭くて、あとなんだか臭そうだった。
そんな変な風体の、四十路入りしてそうなおっさんが、道のど真ん中で、少女を抱きしめ泣いていた。
「うおおおおおおおおおお」
こいつは危ねぇやつだなと直感した。
しかし抱っこされている黒髪の少女ーヘテル君よりも小さいから、最早幼女ーが気になる。なんだか息苦しそうだし、頰が赤くなっている。このままほっとけば、湯気でも出るんじゃないだろうか。
そんな少女のことが気になって、立ち止まって見てしまった。そうするといつの間にか、おっさんの顔もこちらに向けられていて……。
おっさんは前髪で目を隠しているから、目が合ったという表現は厳密には違うかもしれない。でもなんとなく、目があったように感じた。
「これが神の導きか……!」
おっさんの危ない独り言が聞こえて来る。でもそこはいつもの気にしない精神で。なるべくおっさんの言葉を、意識の中に入れないようにする。
だがしかし!
いつだってわたしの願いは叶わない。こちらに気づいたおっさんは、無情にもにじり寄ってきた。下卑た笑い声を上げて近づいてくる姿は、【きもい】を通り越して【怖い】である。
「そちらのお三方! 旅の商人とお見受けしたが如何だろうか? よければおっさんの頼みを聞いてくれないか!?」
気迫もさることながら、堂々とした態度でわたし達の前に立ち塞がった。ちょっとやそっとじゃこのおっさんは、どいてくれないであろうことを確信した。
「えっ!? えっ!? な、なんでしょう?
た、助けて下さいアルトさん」
救いを求めて隣を見るが、そこには誰もいなかった。
いったいどういうことだと、慌てて辺りをキョロキョロと見渡すと。
「脇……失礼しますよ」
「あっ、どうぞどうぞ」
そんなやりとりをして、何事もなく、おっさんの横を通り抜けるアルトさんがいた。どころかヘテル君まで、おっさんの脇を何事もなく通り抜けている。
「「いや! ちょっと待てよ!」」
おっさんとわたしの声は重なる。わたし達は互いに、片手を開いて前に突き出して、アルトさん達を止めるべく追いかけていたのだ。
言葉だけでなく、やってることも一緒……。
嫌なシンクロだなと、わたしは思った。
「いや、どういうことなんですかアルトさん! あんな濃いおっさんを、わたし一人に押し付けないで下さい!」
「そうだぞ、おっさんは無視されたら死んじゃうんだゾ。最近のおっさんの心の弱さをみくびるなよ!」
なんか、すごく嫌なんだけど。どうもこのおっさんとは、似た波長を感じる。もしかしたら同類なのかもしれない。
だがそんなことよりもアルトさんだ。この手のことに関しては、彼に対処してもらわないことにはどうにもならない。
それに正直関わりたくないが、でも何か困りごとがあるなら、話を聞いて助けてあげるというのが、人間として当たり前の行動だろう。
おっさんに抱き抱えられた少女を見て、そんなことを考えた。
そうしておっさんと二人で詰め寄っていくと、面倒臭そうな顔をしたアルトさんはこちらに振り返り、わたしに耳打ちをした。
「お前は馬鹿か……あんだけ話したろ。俺達は今何と行動をともにしてる?」
苛立ちが込められた声は、どこか辟易としているようでもあった。
アルトさんの言葉によって、昨夜の彼の言葉を思い出す。いや、本当は忘れた訳じゃないけど。
ただアルトさんの言動。「誰も信じるな」とでも言いたげな振る舞いが、わたしにはどうしても受け入れられなかったみたいで。無意識の内に彼の言葉を、心の奥底に押し込めていたようだ。
わざわざ誰かに言うつもりはない……が、だからといってそれで、外部との交流を全部絶ってしまうのは、正しいことなのか。言わなければ、腕を晒さなければバレないのではないか? それに仮にバレたとしても。そこまで酷い人達ばかりではないはすだ。
昨夜は急なこと過ぎて、あまり言い返すことも出来なかったが、時間を開けた今のわたしの思考としては、そんな感じ。心の中で猛抗議しているのだ。
でもその反感の内容を、今も言えないでいるのは、アルトさんの話を、結局受け入れているからなのか。
「あの〜頼み、聞いてもらってもいいですか?」
「うわっと!!」
アルトさんは振り返らないで進んでいくが、わたしはさっきから立ち止まってしまっていた。
だからか、おっさんに狙いを絞られてしまっていた。
「実は儂のむす……いと……まご……。
エリーゼって言うんですけどね。彼女が旅の途中で、高熱を出してしまって、ほら昨夜雨が降ったでしょう? あれの影響かなって」
「ああー雨。ずず」
昨夜の雨のことを思い返したら、鼻水がとろりと垂れてきたので、吸い込んだ。
「はい。それで誰かに診てもらえないかと……。でなくても近くの医者がいる街まで、一緒に行ってもらえないかなと。儂、あんまり強くないので……。道中一人だけだと、危険な動物(マヘト)に食い殺されてしまうんです。儂だけならいいのですが、エリーゼだけは……」
「なるほど」
そういう事情であれば仕方ないのではないか。このおっさん人格は濃いし、少女との間に怪しい関係性が見えるけど。話している内容はまともで、そこまで悪い人には見えない。
それに丁度腕の良い……かは分からないけど、医者まがいのことができる人なら側にいる。
「それでしたらアルトさん。あの橙髪の人に言ってください。助けになってくれるかもしれません!」
「ほ、本当ですか!?」
言うやいなやおっさんは、通り抜けて行ったアルトさんを追いかけると、話しかけた。ここからだと距離が遠くて、会話は聞こえないが。彼のことだ。渋々だろうけど、助けてくれるはずだ。
どうやら会話が終わったらしい。おっさんがわたしの元まで帰ってきた。
「どうでした?」
「……」
返事はない。事態を察したわたしは走り出し、アルトさんへ詰め寄る。
「アルトさんいいじゃないですか! ちょっとの間だけですよ!」
責めるように言うと、アルトさんは「ぺっ」と唾を吐き捨てた。
即座に足を引く。わたしは裸足なので、あれが当たったらたまらない。
「そこまでとは……」
ものすごい拒絶を目にして、続く言葉が出なくなってしまう。困り果てヘテル君の方を見るも、彼は目を合わせてくれなかった。そうした中、後ろから大きな独り言が聞こえてきた。
「誰かいないかな〜! 医療技術がある人!」
「アルトさんあれって……」
「知らねぇよ」
アルトさんはまだ足を止めない。それを見ておっさんは、諦めじとまた馬鹿みたいに大きく独り言を呟いた。
「エリーが怖がらないよう。19歳くらいの、安心感がある家庭的な男性で、医療技術が少しでもある人。いないかな〜」
「ほら、やたら限定的だし」
「面倒くせぇなぁ! 娘のお見合い相手探すんじゃねぇんだぞ!」
アルトさんは耐えきれなかったのか、額に青筋を浮かべている。今にも爆発しそうである。
しかしこんなことで怒るのは、嫌らしく。アルトさんは努めて、感情を収めるようにしていた。指で眉間に寄ったしわを広げようとしている。
「橙色って、お日様の色っぽくて、なんだか温かさがありそうでいいよね。あとアルトって言葉の響きは、素敵だと思います」
「ほらもう完全にそうじゃん」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ。…………しゃーねぇなぁ」
ヘテル君のフードをより深く被せるように、ぐいっと引っ張ると、観念したとばかりに反転した。
「診てやるよ……」
「ああ……! ありがとうございます!」
おっさんは涙を流してひくひく鼻を動かすと、地に這いつくばってアルトさんにお辞儀をした。
「何もそんなにひれ伏さなくても」
わたしは眉を寄せておっさんに言う。頭の中にはどうせアルトさんだしという考えや、治療行為というのを安く見ている所があった。なぜなら旅の途中、わたしが怪我をしたり、風邪を引いたりした時、彼がぱっぱと診て治してくれたので、治療っていうのが、そこまで大それたものじゃないと思ったのだ。
おっさんが見守る中、アルトさんの診断は始まった。少女の口を無理やり開けると、しばらくの間覗き込んだ。もちろんわたしは怪訝な顔で訝しんだ。
「あんな風に病状の確認を行おうとする者は、旅人ではかなり珍しいよお嬢さん。治療って出来る人凄く少ないんだ。彼……青年でいいか。
青年と旅が出来るっていうのは、凄く恵まれていると思うよ」
おっさんが、こちらの感情を読んだみたいにそう言ってきた。前髪で目元を隠しているから、真意は分からない。でも喋り方から、どこか怒っているように見えた。
何が気に食わなかったのだろうか?
「べ、別にアルトさんのことを貶したい訳じゃないですけど……」
アルトさんの診断。わたしはされて嫌だったのだ。無理矢理口を開けられて、時には変な棒を突っ込まれたり、耳も触られたりする。別に変な意味でも何でもないのは分かってる。でもだからと言って、アルトさんの治療行為が良いものかと聞かれたら、うんとは頷けない。
でもなんだろう。わたしがそう思えば思うほど、おっさんの反応が厳しくなっていく気がする。口元が横に広がり、広角が上がっている分、余計に不気味だ。
「終わった……」
「あっ、本当か!? 青年! それで……どうだった?」
いじけるわたしをよそに、おっさんはアルトさんのもとに近寄った。そして心底愛おしそうに、少女ーーエリーゼちゃんを抱きしめた。
「風邪だな……休めばよくなる」
「命にかかわることではない……そうですか?」
尋ねるとアルトさんは、こくりと頷いた。
「良かった……!」
服の衣摺れの音が聞こえてくる。エリーゼちゃんの無事が分かり、彼女のことを更に強く抱きとめたのだ。
そんな安堵の感情を見せるおっさんを前に、アルトさんは「ただ」と付け加えた。
「ただ。無理……させるな。よく分からんが、そいつの体内なんか滅茶苦茶だ。動かさない方がいいと思うぞ」
「はぁ」
思い当たる節があるのだろう。おっさんは分かりやすくしょげた。
「んじゃ俺達はこれで……」
さっさか歩き出した。だからわたし達は叫んだ。
「「ちょっと待って!!」」
やっぱりわたし達の声は、寸分の狂いもなく重なる。
「「まだ解決してない! 病状が分かっただけ! 助けて! ちょっとだけ、先っちょだけでいいから……!」」
「あ? 先っちょだけ助けるってなんだよ?」
アルトさんは苛立ちげに言った。わたし達が引き止めなければ、これは間違いなく、立ち去るつもりだったに違いないだろう。彼の態度に臆するが、それでも食い下がる。
「いや〜〜でもこれは……ねぇ?」
「えっ。ええ、まぁはい」
おっさんに目配せされ、その場限りの連携を編み上げる。わたし達はそこからしばらくの間にらみ合ったが、根負けしたと、アルトさんがまたため息をついた。
「はぁ。はぁーーー。分かったよ。分かりました。近くの街……。ここからだと、そうだな……【ルスク街】か。そこまでは一緒に行きましょうか。その女の子を抱いたままじゃ、道中危険ですものね……」
その言葉を聞いて、おっさんは勢いよくお辞儀した。わたしも続いてお辞儀したが、どこかでこうなることは分かっていた。だからおっさんのしたそれとは、少し意味合いが違ったのかもしれない。
……人を助けるのは当たり前のことだし。ヘテル君がいるから警戒するのは分かるけど、アルトさんって何だかんだ優しいから、こうなるの分かってましたとも。
地面を見たままにへへと笑う。
するとその時視線を感じた。それは冷たい視線だった。
バッと顔を上げると、目を大きく見開き、心臓の音をいつもより早く鳴らした。
「うおお! 何もそんなに……迫真の顔しなくても。顔芸か?」
アルトさんの言葉が遠い。彼の言葉を無視した形で、辺りを見渡した。しかし周りにはわたし達以外誰もいなかった。
「今の……は?」
気のせいだったのかなと感じて、急速に焦りや興奮が冷めてきた。
「変な奴だな……。まぁいい。それよりもおっさん。あんたの名前を聞かせろ?」
横暴ですよ! まずは自分達からでしょうが! ツッコミを入れたかったけど、先程の視線が後引いているからか、反応が遅れてしまって、何も言えなかった。
おっさんはアルトさんの言葉に、何ら不快感は感じていないようで、にこやかに話した。
「エリーの……エリーゼの紹介は大丈夫か。儂は【トリオン】。よろしくの」
第63話 終了
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