銀の歌
第9話
わたし達は斜面を急降下して降りていった、やがて馬の足音から平坦な道のりになったことがわかった。土手林では幸い途中で怪我をする事はなかった、要するにあの危険なロデオは無事に終わったのである。パッカパッカと平坦な道を馬が駆け抜けて行く、けれどわたしは怖くて、やっぱりまだ目を開けれないでいる。けれど。
「セア、もう目を開けて大丈夫だぞ。一先ずはあの騎士団も追っては来れない。それに今気づいたんだが、陽が落ちかけているんだなぁ、結構……綺麗だぞ。」
アルトさんの優しいーわたしを気遣ったー声を聞き、恐る恐るゆっくりと目を開けてみる。そこには。
「わああぁぁぁ……」
思わず感嘆の声が漏れるほどの綺麗な夕焼け……。ちぎれ雲が浮かぶ空はほんのりとオレンジの色を帯びている。アルトさんの髪の毛とおんなじ色だ。鼻腔をくすぐる爽やかな草の匂い、時折吹く穏やかな風の音、わたし達が走っている所は、どこまでもどこまでも続く草原だった。
馬のパカパカという音が心地よい、その響きがこの景色の美しさをさらに上げているような錯覚を覚える。広く広く美しい草原がどこまでも、そしてその草原達を紅く染め上げる太陽、草原には温かみを帯びた影が伸びていた。そんな景色の中にいると、まるで自分が物語の一ページになっているような気さえしてくる。この景色に飲み込まれ今までの怖い事を今だけは忘れられていた。
綺麗だ……わたしは初めてこの世界に居てよかったと思った。記憶がないから、今までもみるものは新鮮で、森の中の鬱蒼とした木だって、ただの空だって、わたしにはどれも素晴らしいものだった。
けれどわたしはこの景色はきっと記憶がある時の自分でも見たことはないんだろうなと感じた。
だってこんなに綺麗なものを忘れられる訳がない。
そんな風に景色に見惚れて、口を開けてぽけ〜っとしていると、邪魔者が割り込んでくる。
「どうした?さっきから一言も喋ってないが、よほど気に入ったみたいだな」
アルトさんは前を見ながらわたしをからかうように声をかけてくる。アルトさんはそんな風に言ってくるけどわたしは思う。いや、違うこの景色に見惚れない方がどうかしてるのだ……と。
「感傷に浸っている所悪いんだが、そろそろ森の中へ入って行くぞ。本来の街道とは違うんだがこれもショートカットになるからな」
「だからこの夕焼けも見れなくなるが……まぁ許してくれ」
言われて思い出す。そう言えば今は逃げている最中だった。
アルトさんの言葉で不意に現実に戻された。でもどうしてもこの景色を見ていたら言いたくなる言葉があった。
「ねぇ、アルトさん……」
「んっ?どうした」
今までの全てを噛みしめる様にゆっくりと感慨を込めて言う。
「生きてるって素晴らしいんですね。」
アルトさんはギョッとしてわたしの方に顔を向けかけたが、やがて仕方なさそうに笑って。
「ああ、そうだな……。生きてるからこそこの景色を見れたんだ。俺もまだしたいことがあるしな、取りあえずは生きれて良かったよ……」
わたしの言葉を、考えを、アルトさんは肯定してくれた。それが少し嬉しかった。だから気恥ずかしくって額をアルトさんの背中に預けた。けれどアルトさんは優しい笑顔を潜め温度を下げて言う。
「だが、まだ生きれるって決まった訳じゃない。ある程度ショートカットをしながら進んでるからすぐに追いつかれる事はないが。まぁ時間の問題ではある。だから夜になったら話すぞ、これからの事を」
アルトさんは真剣な面持ちのまま馬に何事か告げる。やがてしばらくすると森が見えて来た。そのままわたし達は深い深い森の中へと入って行く。
*
「この辺りか」
アルトさんは一人呟く。あれからさらに何時間も馬を走らせ続けたため、辺りはもう夜の帳が降り真っ暗である。美しい夕焼けはもういない。今あるのは怖いくらい鬱蒼とした木々だけである。アルトさんはある程度開けた場所まで行くと馬を止める。ブルルと馬は少し不機嫌そうな鳴き声を上げた。これまでずっと休みなく入り組んだ道を走り続けたから、この子も相当ストレスと疲れが溜まったのであろう。
「さぁシリウスも止まってくれた事だし、降りるとしよう」
そう言ってアルトさんはひらりと馬から飛び降りる。とても手慣れた動作だ。思えばこの馬とアルトさんはとても息が合っているような気がする。でもそれは長い年月をかけ二人で信頼関係を築いてきたからなんだろうなと考えた。そしてそんな物思いにふけっていたら、アルトさんの声が聞こえてきた。
「おいどうした。降りないのか?」
言われてアルトさんの方を見ると、手をこちらに伸ばしている。どうやら補助をしようとしてくれているようである。
「えっ……?あっ、はい!」
素っ頓狂な声を出して彼の手を取って馬から飛び降りる。けれど体がふらつき思うように上手く降りれず、受け身を取り損なって。
「ぐぅええ!」
全身で地面にダイブする。
「………! おい、大丈夫か!? まさか補助付きでこうなるとは思いもしなかった。なんだかんだ言っても疲労は溜まっていたか……足元がおぼついてなかったな。すまん……もっと配慮をするべきだった」
わたしはヨロヨロと立ち上がり。
「だ、大丈夫です、慣れてなかっただけですから〜〜」
なんて言ってみるけど、ハアハアと息は荒いわ、鼻から何かが垂れて行くのを感じるわ、そしてアルトさんが何重かにも重なって見えるわで。
ああ、これはダメだ。
案の上ズバターンと再び地面に倒れ込む。わたしが最後に聞 いたのは、「やっぱりダメじゃねーか!!」という罵声であった。
*
パチパチと言う音がする中、わたしは意識を取り戻して行く。ほんのり温かい、それに何か布が被せられてるみたいだ。
うーん、うーん、頭がくらくらする。まだまだ目も耳も上手く使えない、でもなんとか脳を働かせて現状を把握しようとする。
すると遠くの方に人影が見える。それはアルトさんだ。けれどアルトから聞こえてくるのは苦悶の声。「くうぅぅ……」と必死に何かをこらえているようである、だがよく聞いてみるとアルトさんの声だけでなく、他の第三者の声も聞こえてくる。嫌な予感がする。それを聞きわたしはばっと布を剥ぎ取って立ち上がり急いでアルトさんの所に行く。
「アルトさん大丈夫ですか!!??」
木の陰にいるアルトさんに向けてわたしは必死な声で彼に呼びかける。いくらか待っても返事が返ってこないのが分かったので、わたしは先程声が聞こえた第三者のことを警戒しながら裏手に回り込み、アルトさんの近くに行く。そしてそこでわたしが見たものは。
「ぐぅぅぅ! チッ、やっぱり傷が痛む。何発かもらっちまったからな。これは治すのしんどいぞ……」
なんて言いながら自分に布を巻いたり何かを塗って治療をしているアルトさんの姿がそこにはあった。自分のことが大変でアルトさんに気を回せずにいたが、よく考えてみたら彼は今日、何回も体を斬り裂かれ、節々を血で赤く濡らしていたんだった。自分で自分を治療する彼をみて本当にわたしは自分の事ばかりだな……と自責の念に駆られた。しかし今、最もわたしが言及すべきなのは。
「きゃあああ!! 全裸の変態がいるーー!!!」
そう彼は全裸だった。包帯を所々に巻いてるから厳密には少し違うが、同じようなものだ。肌色の面積が大きすぎる。だからわたしはついつい叫んでしまった。でもしょうがない、はぁはぁ言いながら深夜に自分に何かを塗りたくってる人を変態と呼ばずして、なんと言えばいいのかわたしは他に知らないから。
「ーー!? バッお前、もう起きてたのか! て言うか変態とはなんだ! ただ自分を治療してるだけだ」
ここでアルトさんはわたしに気づき、ささっとどこからともなく布を取り出して腰に巻いた。けれどわたしはH☆E☆N☆T☆A☆Iを見たくはなかったので、とっさにアルトさんとは逆の方に顔を向け、手で顔を覆ってしまったためそれを見ていない。つまりわたしの中では以前アルトさんは全裸のままである。
「いや、だとしてもですよ……深夜にはぁはぁ言いながら何かを塗りたくってたら誰がどう見てもHENTAI☆じゃないですか。そもそも全部脱ぐ必要はなかったと思うんですけど」
「ぐぅ……正論すぎる! だがお前が落馬して意識を失ってたから、まだしばらくは意識を取り戻さないだろうと思って、お前に気を遣わせないように影でこうやって治療してたんだよ! 結構深い傷が多いからこっちもセッパ詰まってたんだ! なんか一部分だけ発音がいいな!」
以前後ろを見れないままでいる。やっぱり乙女には殿方の裸を見るのは恥ずかしい! でもだんだんと沸騰していた頭は冷静さを取り戻し始める。
「………そう言えばへんた……アルトさん。先程まで誰かと話してませんでした?」
振り返らないので見えはしないが、アルトさんはハテナマークを浮かべ首をひねっているそんな素振りをしてるような気がする。
「いんや、誰とも話してないぞ。そーれよーり! いい加減こっちを見ろよ! もう服着たから!!」
アルトさんは無理矢理わたしの体をつかむと、こちらの意思を無視して後ろの方を見させようとする。
「きゃあぁぁ! やめて下さい!! 変態! 無理矢理女の子に迫るとか最低ですよ! わたしは汚物が見たくないだけなんです!」
「てんめー! 絶対許さねーぞ!! 命の恩人に向かって何を言ってんじゃーーー!!」
わたしは力叶わずMURIYARI手を払われて、なすすべなくアルトさんの方を見させられてしまった。
「きゃっ!」
可愛い悲鳴が上がる!!そしてそこでわたしがみたものは!
カジュアルな服装を纏い、露出した肌の所々に包帯を巻いたやたら小綺麗なアルトさんだった。わたしはブチギレて。
「ボケろよ!!!!」
怒鳴っていた。
第9話終了
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