銀の歌
第89話
「もうみんな、行った頃ね」
目の前にいる女性はそう言って目を鋭くさせた。その目に見られると、なぜだか身がすくんでしまう。でも彼女が言った通り、ここー小高い丘の上ーにいるのはもう僕らだけだ。助けてくれる人がいないのだから、いざという時、怖気付いて動けない、そんなことになってはならない。
「取り敢えずごめんなさいね、貴方だけ呼び止めてしまって。もうアルトさんやセアちゃんは宿に戻ったっていうのに」
申し訳なさそうにしているものの、彼女こそがまさにこの状況を作り上げた張本人なのだから、謝罪が形だけの物に見えてしまう。
「話って……何?」
世界から敵対視されている異業種のこちらとしては、一も二もなく逃げ出したいところで、無駄に話している余裕なんかない。さっさと本題に入って欲しい。
もちろんその本題というのが、僕にとって良いものでないことは承知の上だ。そして僕の予想通りの内容であれば、僕だけでなくアルトやセアさんにも迷惑がかかる。
だがどういうわけか、僕の身を守ってくれているアルトは、彼女の僕と話したいという要望を、「あいつとは話しておいた方がいい。お前が嫌なら断るが」と、主体的には拒否してくれなかった。
予想と違うアルトの言葉。だから僕も反応に困ってしまった。それでつい流されて、結局こんな風に一対一の話し合いの状況となってしまったのだが……。呼び止めた彼女の方が、なんだか話しづらそうにしている。
「そう……話していいのね……」
返す言葉もどこか弱いもので、落ち着きはあったが覇気というものを、あまり感じ取れなかった。
僕を呼び止めたのだから、どうせ言うことなんて、決まっているようなものだろうけど、それでも言い出そうとしないのは、まだ確証とまではいっていないからなのか、それともこの人自身の優しさからなのだろうか。
ともかくその後に続く言葉はなかなか紡がれず、彼女はそのまま黙ってしまった。
トーロス・アプシーという名らしい目の前の女性。彼女のことを、僕はまだよく知らない。時折セアさんの話に出てくるが、逆に言えばその程度だ。実際に出会ったのは、つい一昨日で、話した時間なんて30分もなかっただろう。
トーロス・アプシーは聖騎士であり、異業種と敵対していて、僕を殺す可能性がある。その程度の認識だけでいいと思っていた。
でも少しまごついて、眉間のシワに指を当てるトーロスは、なんていうか非常に人間臭かった。そしてそれは僕に人間らしさを見せていることの証明であり、同じものとして対応してくれているようで、少しだけ、ほんの少しだけだが警戒心が緩んだ。
「……そうね、そう。…………うん、ごめんね、お待たせ。話したいことがあるって決めて話しかけたのに、年下の君に気を遣わせちゃったね」
やがて意を決したように口を開いたトーロスは、またも頭を下げた。今度の謝罪もまた、さき程と似たようなものだが、僕の中での受け入れ方が違った。そのために、今度はすんなりと謝罪を受け止めることができた。
「いや、大丈夫。それで……何を言いたかったの?」
僕が再び促すと、トーロスは俯いて苦しそうに笑った。でも顔を上げると僕を見て言った。
「君は異業種なんだよね」
言われてしまえば簡単で、なおかつ予想もしていたというのに、それでもそう言われた後、心臓は跳ね上がったし、鼓動も早くなった。目眩がする感覚を覚えながら、自分でも分からない間に一歩二歩、そして数歩引き下がっていた。
「ああ、違うの、それだけが言いたかった訳じゃない。そこから話がしたかったの……!」
僕が逃げ出そうとしていると思ったのか、トーロスは慌てた声をあげた。もともと逃げる気なんてなかった僕は、彼女が言い終わるのと同時くらいに、立ち止まることができた。彼女はそれを見て、安心したようにほっと息をついた。
トーロスは空いた距離を埋めるように、僕の方へと歩いて来る。こちらをなるべく刺激したくないのだろう、その歩みはゆっくりで、足音だってしなかった。
僕の目の前まで来ると、またトーロスは話し出すのだ。
「貴方が異業種って気づいたことに対して、説明はいりそう?」
「……」
「……そう、そうよね。足を止めるの早かったものね、まるで言われるのが分かってたみたいに……」
トーロスは苦い顔で、自嘲気味に笑っている。
「私はね、王国聖騎士団コスタリカの一員。だから異業種は見つけ次第、斬り殺さなきゃいけないの」
ちょんちょんと腰元辺りを、手の甲で叩いて見せた。本来ならそこには、剣が帯刀されていたのだろうが、葬式だったのもあり、そういった得物は備えられていなかった。
「貴方の身体のどこが異業化してるのかは分からない。
でも異業種だっていう風な確信があるなら、私は聖騎士団の規律の元に君を斬るべきなの。『疑わしきは罰せよ』この言葉本当は嫌いなんだけど、私個人の問題でね、異業種には普遍的憎悪の他にも恨みがある。
だからこの規律を、異業種を相手にする時には、都合よく使わせてもらいたいんだけど……」
そこまで言って言葉を区切ると、穏やかに笑った。
「君は殺せない。少なくとも疑惑の内は殺せない。例え九割方の確率でそうだとしても、私は残りの一割を信じて、全力で見ないふりをする」
ーー今、なんと言われた?
この人との会話に応じたのは、セアさんとの接し方や会話を通じて、人となりが分かっていたから。バレてもすぐに殺される訳じゃなさそうという信頼があった。でもまさか、ここまでの言葉を聞けるとは思わなかった。
「驚いてるんだろうけど、私の中では意外と正当性があることなのよ」
驚きが顔に出ていたようだ。トーロスが冗談めかして言う。そしてその後に続いた言葉で、僕はだいたいの事情を察することとなった。
「……貴方達の一行の誰かさんに、どうしようもないほどの恩を受けてしまったの。人生観を変えられるような、根本から救われるような……そんな恩を」
そんな風に言ってもらえる人物は、アルトには申し訳ないが、きっと彼ではないだろう。というより分かりきったことだ。遠目に見ても二人は、非常に仲が良さそうだった。加えてそんな優しさを周りに渡せるのは、間違いなくあの人だけ。
僕の脳裏には、いつかの情景が思い出されていた。逃げようとする僕を追って、泣きながら必死に訴えてくれた彼女の姿が。
「私はその恩を尊重していきたいし、例え国の規律に反するとしても、恩を仇でなんか絶対に返したくない。
だから私は、何も知らないことにしたの。どれだけ怪しくても、最終的な証拠がなければ、行動に移さなくてもいいもの……。そう、だからさっきのは助かったわ。私の質問に答えないでいてくれたのは。あれだけなら分からないもの……」
最後に思い出しかのように言うと、子どものようにくつくつと笑った。遠目には大人な女性のように見えたトーロス。そんな彼女が、幼い笑顔で笑うのは意外だった。でもこれも、セアさんのお陰なのかと思うと、胸にストンと落ちた。
「うん。私が言いたかったことの一つが、これでようやく終わった。でも後もう一つだけ、とっても大切なことがあるの。嫌かも……しれないけど。貴方のためにも聞いてもらうわ」
ピタッと笑うのを止めたトーロスは、白けた顔つきで僕の目を見た。
「私が何かをすることはきっとないでしょう。あまりにも大胆に分かりやすいことをしない限りは。でも私以外は違う。
貴方がこの世界から生存を望まれていないことだけは間違いない。それは人だけでなく、全ての真っ当な在るものがそう思っているはず。
だって……みんな貴方達という種族を嫌悪している。貴方達はいずれ暴走して、周りに被害をもたらす。そして木も川も動物(マヘト)も、そして人間(マヒト)でさえ、貴方達の不定形の黒に犯される」
先程までの優しい顔とは打って変わって、影が入った冷たく暗い表情が姿を現した。トーロスの言葉は、まるで呪詛のように、僕の身体に絡みついてくる。一つ一つの言葉が聞いていて億劫なもので、思わず座り込んで耳を塞ぎたくなる。だが僕がそうなることはなかった。
自分がやらなかったからではない、止められたからだ。
女性だとしても、鍛え抜かれた戦士の身体というわけか。僅かな距離ということもあって、すぐに間合いを詰められた。それで僕の首もとを、腕で挟み込むようにして押さえたんだ。ーー耳元で囁かれる。
「もちろん私もお前達異業種を、嫌い疎み恨んでいる。私が君を殺すことはないだろうけれど、味方になることもありえない。輪廻の輪から外れた者である君に、安らげる安寧の場所なんて今の世界には存在しない。…………君は悪くないと思うよ。でもごめんね。この世界はこういう所なんだ」
拘束されているから、語るトーロスの表情は見れなかった。でもそれで良かったと思う。もし、今の彼女の瞳を、うっかり覗き込んでしまったのなら、それは今後一生続く、トラウマになるのは間違いない。人の顔をもう見れなくなるかもしれない。そうと感じさせるほど、おっかない気配が僕の首後ろにあったんだ。
耳にかかっていた温かな息遣いは、やがて離れていった。トーロスが僕と少し間を開けた。その時に見た彼女の顔は、別段恐ろしいものではなかったが、まだどこかに怒り……憎しみの感情が垣間見えた。
だが視線が合うと、罪悪感に苛まれたようにトーロスは顔を歪ませ、僅かに残っていた怒気を、どんどん萎ませていった。
「…………ごめんね」
最後にそれだけ言うとトーロスは僕に背を見せた。そしてそのまま振り返ることもせずに歩き去って行った。
最初から最後まで謝罪をしていたトーロス。言われた内容にはきつい所も合ったが、話ぶりからは彼女の人間味を感じられた。きっと酷い人間ではなかったのだろう。いや……それどころか良い人間であったに違いない。
去り際、目から雫がこぼれたのが、それのいい証拠だ。
僕に警告を告げたトーロスが、良い人と分かると、それ故に、余計嫌なことが分かってしまう。
僕自身異業種となってからまだ日が浅い。だからこそ僕の異業種としての迫害体験は自分の里だけだ。もちん異業種となった瞬間から感覚的に、これを見られたら、全てから嫌悪されるだろうという直感はあった。
でも目が覚めてから会ったセアさんやアルトは、異業種を気にしているようには見えなかった。だから少し勘違いしていた。異業種という存在のことを。
セアさんやアルトが例外中の例外であっただけで、今去っていった【良い人】であるはずのトーロスは、僕を敵とみなしていた。恐らくあれはとんでもなく優しく、そしてできた人だった。……それでもあれなのだ。
だというなら、この異業と化した腕が、誰かに見られてしまった暁には、いったいどんなことになるのだろう。
誰もいなくなった草原で、一人空を見上げた。
トーロスの話す内容は怖かったが、あれは親切心から来る忠告だった。『自分の正体がバレると、セアさんやアルトに迷惑がかかるぞ』ということを、暗に示されている気がした。僕と彼らが、無残に殺されていくのを脳裏に浮かべた。その嫌な想像に思い至ると身震いして、目尻に涙を溜めた。
その後その場に吐き出してしまった。ツンと酸っぱい匂いがする。嫌な匂い……嫌な存在だ。
あるだけで生理的嫌悪を駆り立てられるこの吐瀉物は、しかしそれはきっと、彼女から見た僕でもあったのだろう。
第89話 終了
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