銀の歌
第36話
「アスハさん、急に飛び出しちゃってどうしたんでしょうね?」
「まぁ、あの人のことだから……どうせ」
トーロスさんは胸の前で両手をぎゅっと握り、アスハさんのマネをする。
「『ユークリウス様の素晴らしい肉体美を見に行かなくては!!』とかそんなとこでしょ」
ふふっと笑って、トーロスさんの言葉に同意する。
「ありえそうですね」
「でしょ〜。あの人ってほんと……」
なんて話をする。あれからトーロスさんに髪を洗ってもらったり、ラックルさんの白くい肌に触れたり、ミーちゃんとお風呂場ではしゃぎ回ったりした。トーロスさんに叱られたりもしたけど、とにかくお風呂というものを心底楽しんだ。
ただ、気になるのはその途中。アスハさんが“外が騒がしい。先に出る”と自分の身体に書いて、一足先に外に出てしまったことだ。
その行動には、皆でー特にラックルさんー心配したけれど、結局その後も何だかんだ、ゆるりとお風呂に浸かってしまった。そしてようやく、わたし達はお風呂場を出て、こうしておしゃべりをしながら、脱衣所で着替え始めたのだ。
「いやぁ、それにしても風呂ってのはいいもんですね!」
トーロスさんに渡してもらった、子綺麗な布で身体を拭きながら、快活に言う。
「そうね。私も好きだわ」
笑顔で同意したトーロスさんの姿は、湯上りだからか、艶やかしくとても綺麗だ。湯上りに長い髪ってすっごく似合う。彼女は普段ポニーテールだから、髪を下ろした姿はなかなか見ることができない。
それに、ほんのりと赤らんだ肌も大変色っぽい。トーロスさんの後ろ姿は、とても流麗で美しい。こういうのを曲線美と言うのだろう。ーーただ前からはダメだ。そこからだけは見ちゃいけない。
ミーちゃんの肌はきめ細かくて若々しい。けれど本当に注意深く見てみると、所々打ち据えたような痕がある。入る時は気付けなかったが……考えてみれば当たり前だ。荒事稼業だ、彼女達の普段の苦労が垣間見える。
ラックルさんも程よい肉付きと、アスハさん程ではないが、膨よかな胸がある。着痩せだったのか……なんて思いながら、着替え途中の彼女を見る。
風呂場でも言及したが、彼女の肌は大変白い。多分聖騎士団の中で一番白い肌をしている。しかし彼女の瞳は、はっきりくっきりした赤だ。身体と目のギャップがあり、こちらも大変魅力的だ。
皆それぞれに良さがある。一人早く着替え終わったわたしは、彼女達の姿を見てうんうんと頷く。そんな様子を不思議に思ったのだろう。ミーちゃんが声をかけてきた。
「どうしたの? そんなふんふん頷いて?」
「いやぁ。別になんでもないんですよ」
そう、なんでもないのだ。
「ただ……わたしが一番かなって」
「そう思っただけで」と小さく呟く。ミーちゃんは不思議そうに小首を傾げたが、それ以上は何も聞いてくることは無かった。ただラックルさんだけは一人こちらを見て、「ああ……そういう」と呟いていた。
ーーそうだ。わたしは完成された身体として産み出されたのだから当然だ。
「あれ、わたし今何か言いました?」
一瞬思考に空白が生まれた。それに唇が動いていたような錯覚があったので、それがなんだったのか、周りに尋ねてみた。けれど皆は困ったようにするだけだった。
……まぁいいか。わたしは深く考えるのをやめた。
✳︎
「いやぁ! ほんと気持ちよかったです!!」
わたし達は長風呂を終えて、ようやく外に出てきた。
着る服は、お昼に買ってもらった新しいやつだ。もうアルトさんのお下がりじゃない。その事実が心を弾ませる。だからすっごくるんるん気分。
「とと……ええ、そうね。
うわぁ、大分寒いわね〜。春先じゃあこんなものなのかもしれないけれど」
少しよろめいて言うトーロスさん。
「そうですね……少し寒いですね。アスハさんどこ行っちゃったんでしょうか?」
「そうね。あんまり遠くに行っていないといいんだけど……」
物憂げな面持ちで喋るトーロスさん。そんな彼女を見ていたら、つい「お母さん……」と言葉を漏らしてしまった。
するとトーロスさんは「やめて」と食い気味に否定してきた。ピシャリって擬音が似合いそうだ。
周りを見渡せば、すぐ近くにシグリアやドルバさん、それにラーニキリスさんの姿を見つけた。だから喜んで彼らに声をかけた。
「あっ! 出ましたよ! 遅くなりました〜」
元気いっぱい手を振る。しかし誰も何の反応も示さない。
それで何かあったのかと、トーロスさん達と顔を見合わせると、急いで駆け寄った。
一人うずくまるようにして座っている誰かを見つけた。彼らを押しのけて、その座り込んだ人物を確認する。
「ーー!」
そうしてわたし達は驚く。力なく座り込んでいたのはアスハさんだった。濡れた小金の髪がだらりと垂れ、アスハさんが下を向いていることもあって顔を覗き込めない。
「これは……いったいどうしたの?」
シグリアやドルバに尋ねるトーロスさん。 その間にもミーちゃんやラックルさんは、アスハ副剣士長に声をかけて心配している。
「ああ、トーロスの姐さん。それが分からねぇんです。俺たちが風呂から出て、ここに着いた時から、ずっとこの状況なんですよ」
「ラーニキリス剣兵長が私達よりも先にいました。なので、私達よりもラーニキリス剣兵長の方が色々と知っているかと思うのですが……」
言いにくそうに淀むシグリア。しかし状況を改善するには仕方ないと、諦めて呟く。
「当の本人、ラーニキリス剣兵長もこの有様で」
言われて、わたし達はラーニキリスさんに視点を移す。
「ラーニキリス剣兵長……?」
ラーニキリスさんの様子を見て、ミーちゃんが不安げに尋ねた。それもそのはず、彼もアスハさん同様、虚ろな目をしており、生気がなさそうだった。
「……ラーニ!! どうしたの? 答えなさい。何があったの……?」
トーロスさんが声を荒げて、ラーニキリスさんを問い詰める。彼は虚ろな目を動かして、なんとか彼女の問いかけに答えようとする。
「あ、あ……ああ。いや、その……なんだ。アスハ副剣士長は、その……言われてしまったんだ」
トーロスさんがいっそう顔を強張らせて尋ねる。
「言われてしまったって何を?」
しかしラーニキリスさんの言葉を待たずして、そのすぐ後、何かに気づいたみたいに口を開けた。
「まさか……まさか……【言われたの?】」
問われたラーニキリスさんは、気まずそうにコクリと小さく頷いた。
「……あぁ! あぁ! そう……なの。そうなのね。……でも誰に? それにどうして?」
やりきれないとばかりに、複雑な表情でトーロスさんは言う。
「それが、その」
だがラーニキリスさんはやはり言い淀む。どうしたものか、悩んで素振りを見せる彼は、やがてこちらの方を見た。わたしは周りをキョロキョロと見渡して、視線の先にわたし以外誰もいないのを確認する。
「えっ!? わ、わたし?」
よく分からないが、ずっと皆と風呂に入っていたから、アスハさんに何か酷いことをしようとしたとしても、できないと思うけれど。
目をパチクリさせながら、自分の無実を目で訴える。ラーニキリスさんは静かに、そして苦々しげに目を伏せた。
「あぁ……そう。そうなの……」
それでトーロスさんは全てを悟ったように呟いた。
しかしさっきから、彼ら以外は皆、何がなんだか分からずで、ちんぷんかんぷんだ。ただ彼らの他に、ラックルさんだけは、少しだけ理解の色を浮かべていた。
「アスハ副剣士長は喋ってしまったのね……」
「あぁ」
「あなたがいながら……」
ーーどうして! 口にはしなかったが、トーロスさんの瞳が叫んでいるように見えた。
その瞳の重圧に耐えられなかったのか、ラーニキリスさんは、自嘲気味に笑って喋る。
「むしろ、俺のせいなんだ……」
俺? 一人称に違和感を覚えるが、そんなことをつっこめる空気でもなかった。なので気にはなったが、考えないことにした。
「そう……。何が起きたかは後で聞くわ。今は早く駐屯所に戻らないと。アスハ副剣士長を休めることが、最優先」
何が起きたかは以前わたし達ーセア、ドルバ、シグリア、ミリアーは分からなかったが、事態の緊迫性は十分に理解できた。なのでうんと頷いた。
「後、ユークリウスさんはどうしたの? あの人じゃないと、アスハ副剣士長は助けられないでしょ。誰か知ってる?」
それに対し、シグリアが「はい」と返した。
「ユークリウス剣士長なら未だ湯船に浸かっているものと思われます」
誠実な返答をした。それを聞いた瞬間トーロスさんは「ああぁ」と口をわなわなさせて言う。
「ああ、もう! あの人は……いつまでお風呂はいってるの!! ほんっと! ほんっと!!」
グルルと獣が歯音を鳴らすように、忌々しげに銭湯を眺める。建物は悪くないですよと、わたしは内心呟いた。
「シグリア、剣士長をすぐ連れてきて! アスハ副剣士長が大変だって言えば分かるから。最悪、無理矢理でもいいから。今、すぐ、呼んできて!」
荒げた声で呼ばれたシグリアは、びくぅと震えると、飛ぶように銭湯へ入っていった。
✳︎
そして幾ばくかの間が生まれた。ラーニキリスさんは失意から、トーロスさんは疲れから、何も言えないでいる。わたし達もこの空気の中、雑談とかできなかったので、ずっと無言だ。
トーロスさんが不意にわたしの目を見た。
「見苦しいところ見せちゃったわね……」
悲しげな表情で呟くトーロスさん。
「いえ、お気になさらず……」
ふふと疲れたように笑って、トーロスさんは続ける。
「ごめんね。本当だったらこの後、あなたをあなたの宿屋まで、送ってあげようと考えていたのだけど……」
トーロスさんは具体的にどうとは言わなかったものの、何を言わんとしているのか十分に理解できた。だから心配をかけたくなくて、明るく振舞って言う。
「気にしないで下さい! 実はちょうど、一人になりたかったところなんですよ。大人の女性ですから。やっぱり一人で夜風に当たりたいと言いますか……」
そこで言葉を区切る。トーロスさんを見てみれば、彼女はやっぱり疲れた様子で笑っていた。だからせめて、早くこの場から立ち去ってあげようと考えた。
「だから、本当に気にしないで下さいね。わたしは一足先に帰ります」
笑顔で言って、彼女達に背を向けて歩き出す。そしてわたしは最後にもう一度だけ振り返り、今日一日付き合ってくれたことに対して感謝する。
「あっ、後、今日は一日ありがとうございました。また遊びましょうね!」
柔らかに笑って、わたしはまた前を見て歩き出す。
が、後ろからドルバの声が聞こえて来る。
「帰り道分かんのか〜」
今の彼らは、ただでさえ大変そうなんだから、心配はかけたくない。「大丈夫ですよ!」と近所迷惑になりそうな程、元気よく言う。なんだったら「馬鹿にしないで下さい、もう!」と口を膨らませもした。最後はなんだか、綺麗にはいかなかったが、そうして彼らに別れを告げた。
✳︎
アスハさんのことを心配しながら、入り組んだ道を通る。
本当に大丈夫なのだろうか? わたしは言ってしまえば部外者なので、あのままあそこにいても、邪魔にしかならなかっただろう。けれどうずくまるアスハさんの姿を思い出したら、何かできることがあったんじゃないかと、ついつい考えてしまう。
そしてしばらく夜道を歩いてもう一つ思う。
あれ? ここどこ? 帰れなくなっちゃった……。
第36話 終了
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