銀の歌
第83話
ラーニキリスさんは剣の柄に手をかけると、姿勢を低くして駆け出した。その進み方は直進ではなく、弧を描くようだった。アルトさんの無茶な要求に対しての、工夫の結果だろう。でもそれが通用する相手には、とても見えない。直進よりは軌道が読みにくいのかもしれないけど。
でもそれは、あくまで一人で戦ったらという話だ。
わたし達のすぐ前では、アルトさんが右手を下に深く落としている。そこには何もないように見えるが、彼は確かに何か、握り締めようとしている。
今回アルトさんが使う大技は、今までとは違うようだ。でも例に漏れず、今回も詠唱が必要みたいで、ぶつぶつと何か言っている。
アルトさんに準備が必要なことは理解しているが、どうしてもその姿は悠長に見える。彼の魔法の発動が遅すぎるせいで、ラーニキリスさんの特攻が無駄に終わる……なんてことだけはあって欲しくない。
アルトさんも急ごうとしているようだが、いつもの比ではないくらい、時間がかかっているように見える。緊迫した一瞬一瞬だから長く感じるだけか、それとも本当に長く言葉を紡いでいるのか、正確なことは分からない。
けれどアルトさんの魔法が、全員の生き死にを決めるのは疑いようもなかった。
✳︎
ラーニキリスさんが特攻を仕掛ける。不意打ちでもなければ死角からの攻撃でもないそれは、あまりにも見え透いた動きで、鎧の人物は、手に持つ大剣を深く握り待ち構えていた。
自分よりも遥かに大きい、それも巨大な大剣を構えた人物に飛び込むというのは、いったいどれほど勇気が必要だったろうか。アレが持つ剣と比べると、ラーニキリスさんの持っている得物は弱々しい。あんな小さな剣で、あれと一合打ち合えというのは無理がある。
だというのにラーニキリスさんは、足を動かさなければならない。それも自分にできる最高速度でだ。そうでなければ囮の役目すら務まらないから。恐れを知らないと言いたげな彼は、鎧の人物のすぐ前で走るのを止めると、進むのは慣性に任せて、狙いを澄ました。足が完全に止まった所で大地を蹴り、彼は剣を振った。
気迫が込められたそれは、打ち合うどうこうではなく、本体に向けた命を奪う一撃だった。全力を出さなければ、そもそも打ち合うことすらできないと考えていたのだろう。勇気ある決断で、本当に素晴らしいと思う。
通じて欲しかった。だがラーニキリスさんの目論見や、わたしの願いは……それでも甘かった。
大剣の前に、ラーニキリスさんはぐしゃりと押し潰された。
ラーニキリスさんが振るった剣は、当たり前のように届かなかった。鎧の人物は彼が振るうよりも早く、大剣を下方へ向けて振っていた。その際まぁ多少は、剣と剣がかち合ったかもしれない。でも鍔迫り合いなんて発生することなく、彼の持つ剣は真っ二つに折れ、彼自身も力づくで押し潰されてしまった。
巨大な大剣によって地面に叩きつけられた彼は、一度地面の上で跳ねると、口から赤い噴水をあげた。それを見てわたし達全員が、言葉を失った。
でもその中で……彼は、彼だけは、鎧の人物をしっかり見据えていた。
「呪うは対敵! 定めは腐敗! 死ね……!! 枯れの魔剣リヴェイン!!!」
いつかのラーニキリスさんのように身体をそらし、アルトさんは放たれた矢のように空を駆ける。その手に持つのは禍々しい装飾が施された、歪な形の黒い剣。
すでに剣を振るっていた鎧の人物は、持っていた武器の性質のために、まだ姿勢が整っていなかった。
しかしユークリウスさんや、ラーニキリスさんを真っ向から倒した、その実力は本物だ。
地面に叩きつけられた大剣を片手で持ち上げると、不意を突いた【アルトさんよりも早く】、そのまま下から上へと斬り上げた。それは多少無茶なやり方だったから、さらに大きく姿勢を崩すことになったけど、当たってしまえば関係ないと思っているだろう。そう……当たってさえすれば。
ーーアルトさんは、それを読んでいた。
鎧の人物の間合いの、ぎりぎりで着地したアルトさんは、好機だというのに動かず、アレの動きをひたすら見ていた。そして斬り上げを行い、さらに体勢が崩れた所で、ついに彼は飛び込んだ。
肉を斬る音がしたのは一度だけ。加えてアルトさんは鎧の人物の背後に居て、その剣を振り抜いている。相手の動きを完全に読み切ったこの勝負、どう見てもアルトさんの勝ちだった。
鎧の人物の斬り上げも凄かったが、剣を既に振り下ろしているという、不利な読み合いだったのだ。通常の差し合いではーあの反射神経だー、アルトさんが確実に負けていただろう。今回彼が勝つことが出来たのは、間違いなくラーニキリスさんのお陰だ。
ラーニキリスさんが特攻を仕掛け、剣を深く振らせたからこそ、アルトさんが読み合いを制したのだ。
後はアルトさんが創り出したあの剣が、いったいどれほどの効力を持っていたかにかかっている。ぎりぎりのやり取りをして、精神的にも疲労している彼だったが、わたし達の不安げな視線を感じると、荒い呼吸で説明してくれた。
「この剣は触れた部位を腐敗させ、そこから連鎖的に肉体が腐敗していく。最終的には全身腐り果てて絶命に至る……一撃必殺の魔剣だ」
語る内容は恐ろしかった。でもそんな剣に斬られたのでは、いくら強くても生きるのは不可能だろう。
強いて警戒することがあるとすれば、最後のあがきくらいだろうか。『連鎖的に腐敗する』つまり時間差はあるということだ。それがどれくらいの時間かは分からない。でも仮に一分でもあるようなら、一人や二人、あの鎧の人物であれば殺せてしまうだろう。
でも、『そんなことにはならないよと』憂う瞳でアルトさんがわたし達を見ていたから、下手な杞憂をやめた。
ならばとラーニキリスさんの状態を見るために走りだそうとする。ユークリウスさんが瀕死ながらも生きているように、彼だってまだ生きている可能性がある。彼らはわたしと違って、相当な訓練を積んでいるだろうから、身体は頑丈にできているに違いない。
そんな事後のことを考えていたのだが、【まだ】終わっていなかった。
突然に、アルトさんの持つ魔剣から、パキッと嫌な音がした。どうやら切れ込みが入っているようで、ほどなくするとぽきりと根元から落ちた。
「……!?」
アルトさんは目を丸くして、そこだけを一心不乱に見つめた。それで斬られた痕跡を発見したみたいで、「斬られた……バカな!?」と驚いて言っていた。ついで彼の肩口からは、激しく血が噴き上がった。それはラーニキリスさんと同等なくらいの勢いで、天をも赤く染めあげた。動脈までしっかり斬られたのだろう。
アルトさんはありえないとでも言いたげに、顔を歪ませると引きつった笑みを浮かべた。
「…………ありえない。俺は、だってしっかり攻撃を見てから……。それに、急繕えの模造剣とはいえ。俺の残った最後の魔力! 全部をかき集めて創ったんだぞ……硬度はそれになりに!!」
下手な真顔よりも、その笑みは絶望を物語っていた。それでこと切れたように、アルトさんはドサリと、乾いた地面に倒れこんだ。
わたし達の前には、巨大なそれだけが立っていた。
✳︎
「これはもう……無理だぁ」
誰かが言った。その言葉は本当だったら、咎めなきゃいけなかったのかもしれないが、それを非難する声はなかった。
そして不幸なことと言うのは、どうやら重なるようで、ドルバの近くに、あの面をつけた人型が、どこからともなく現れた。
「ア゛?」
ガンを飛ばしたドルバは、蹴り上げようとしたが、逆にその足を、鎌に取り付けられた鎖で捉えられ、転ばされてしまった。そして手元から、少女が転げ落ちた。
「いけない……!」
トーロスさんが即座に弓を構えて射る。だがそんなもの焼け石に水のようで、簡単に防がれた。
わたし達はみすみす、彼女を奪い返されてしまった。
仮面を被った黒い外套の人物は、「キシシシ」と笑い、鎧の人物の背に回った。
「すまねぇ。ミスった」
ドルバが立ち上がり口元を擦ると、言いづらそうに言った。
「いや。仕方ないさ。僕達全員が気後れしていた」
ドルバの近くに居たシグリアが励ますように肩を叩く。「すまねぇ」とそれでも言うドルバは、いつものあっけらかんとした調子はまるでなく、自己をひたすらに責めていた。
この場にいる全ての人の顔が陰る。こういう状況をなんと言うかは、知っている。
絶望だ。
わたし達は負けたのだ。死体騒ぎの元凶の少女は取り返され、ユークリウスさんは瀕死で、アルトさんやラーニキリスさんは生死不明。加えて逃げる足も、抗う武器もろくにない。
「シグリア剣兵は、ユークリウス剣士長とアスハ副剣士長を運んで逃げてちょうだい。サクヤ剣兵は先に伝令に走って。それ以外は撤退戦の準備を……各々ここが死地と心得よ!」
誰もが俯く絶望禍で、それでもこんなことを彼女は言うのだから。やっぱり強い人なんだと思った。
「だとよ、シグリア。武器持ってくれてありがとよ」
それを聞いて覚悟を決めたように、にんまりと笑ったドルバが、まず最初に動いた。相対するシグリアは複雑な表情で、何か言おうとしたみたいだけど、悔しそうに目を瞑った。それで彼に斧を返すと、ユークリウスさん達の元へ走って行った。そしてサクヤさんも目尻に涙を浮かべ、「行ってきます」一言だけ残して駆け出した。
それからミーちゃんが何か言おうとした時に、彼女だけ「ちょっと」とトーロスさんに呼ばれた。背をドルバに預けた彼女は、なんとか駆け寄ってきた。ゆっくりではあるが、近づいてきている鎧の人物に後ろを向けるのは、誰かが守ってくれてるとしても、とんでもなく怖かったことだろう。
「さぁ。ミリアちゃん。あなたはセアちゃんを案内して」
弓を携え、あくまでも周りを見渡すことをやめないトーロスさんは、ミーちゃんを見ずにそう言った。
「えっ……ミリアは戦力外ですか?」
衝撃を受けたように目を丸くする。その言葉に対し、わたしは何も言ってあげられない。けれどトーロスさんはその言葉予想していたように、「違うわ」と迷いなく言った。
「セアちゃんは純粋に守るべき市民でしょ。わたし達のすべきことは第一に人を守ること。敵を倒すのはその次……でしょ?」
完膚なきまでの正論で、ミーちゃんに一つの抵抗も許さなかった。ーーでもわたしからは言うことができてしまった。
「トーロスさん。申し訳ないですけど、わたしは逃げたくありませんよ。アルトさんだってあそこにいますし」
何言ってるの? 横目でちらりとトーロスさんは訴えてきた。
「ですからミーちゃんがここを離れる理由がないです。もちろん彼女が戦場を離れるのは賛成ですし、なんでしたらアルトさんを連れて、聖騎士団の皆さん全員が逃げてくださると、この上なく嬉しいですが」
トーロスさんはこちらを見なかったが、それでも怒っていることが分かってしまう。彼女は真にわたし……ミーちゃんや全員のことを心配しているんだと思う。だから誰が犠牲になるべきか、慎重に吟味した結果の人選だったんだと思う。
サクヤさんに関しては最初から言われていたことではあるが、それでも彼女に伝令を任せ続けたのは、やっぱりそういうことな気がしてならない。
死ぬ覚悟というものがある。
この場に残る者は誰もが出来ているのだろうけど、それでも死なせたくない者というのはいる。よくある女、子どもはというやつだ。
トーロスさんの目論見は、なんとなく分かるけど、ミーちゃんはそれでも、自分の意思で戦おうとしている。
それにわたし自身、本当に、別に逃げなくていいと感じている。
全ての人が大切なわたしとしては、わたし以外の誰かが犠牲になるのは許せない。わたしが逃げたいと言えば、ミーちゃんはもしかしたら、逃げれるかもしれない。
けれど他の人達がどうなるかは分からない。であれば、ミーちゃんの意思は尊重しつつ、他の人達のことも、命をとしてでも戦うっていうなら、最後まで見てあげていたい。
そしてわたしがいればもしかしたら……という意味不明な確信もあった。
だがトーロスさんはそれを許さない。
「ふざけないで!!!!!!」
周りを警戒することも忘れて、わたしの服をつかんだ。
「いいから逃げなさい!」
声は怒っているが、さっきの時と同じだ。あまりにも言葉に慈愛が含まれている。「逃げろ」なんて言う優しい言葉。自己を犠牲にする人間の美徳が、ここにはあるように思った。でもそれは、見方を変えれば悪徳にも思えた。だからわたしは引けなかった。
ーー違う……。引きたくない……だ。
トーロス・アプシーの人生は、自分を犠牲にすることが多いものだった。それをわたしだけが知っている。この人の生い立ちや性格が分かっているからこそ、彼女の優しさを素直に受け取ることができない。
だってそれは生贄のような優しさだから。献身は過ぎれば、自分を蝕む毒でしかない。はっきり言ってこの人がここまで、自分を犠牲にするような立ち回りは、しなくていい。他人の人格構成に何か差し込む余地はないのだろうけど、知ってしまったのだから、いくらでも差し込んでやりたい。
あなたの優しさは、【自壊】を含んでいますって言ってやりたい。そしてーー人を守るというていで、自分の罪を償うなんて真似やめてほしい。
言ってやりたい。
あなたの母親は、あなたを人々の犠牲になってほしくて、助けたわけじゃない。
言ってやりたい。……そう。言ってやりたいんだ。
でも血眼になって、わたしの決意を砕こうと頑張る今のトーロスさんには、わたしの言葉は届かないだろう。
どうしようと思っていたその時。わたしの……わたし達の視線はそれた。
ガシャンガシャンと鉄音を立てて、こちらに鎧の人物が駆け寄って来る。その速さというのも、また凄いもので。ユークリウス剣士長程ではないものの、他の者達の追随を許さなかった。
「くっそ! 目もくれないってか!」
ドルバやその他の剣士達が、己の武器を振るうものの届かない。
「すいません! 行きやした!」
何故急にと思った。でも考えてみれば明白だった。目の前に迫る鎧の人物は、【トーロスさんが警戒を緩めた所】で、駆け出した。理解しているんだ。誰が難敵になるのかを。反撃の基点になりうる人物を仕留めておきたいのだろう。
鎧の人物の判断に、賞賛を送りたい。
そうだ。トーロスさんはちゃんと能力がある。自己否定から来る献身で、自分を低く見積もって欲しくない。
自分の能力に気づかず、もうこれ以上、必要以上に自分を傷つけて欲しくない。
だから……目の付け所は良かったけど。鎧の人物、貴方は少し黙っていて欲しい。
「セアちゃん! 逃げて! ラックルお願いよ! 彼女を守って! もう誰も殺させないで!」
弓を構え射るが当たらない。トーロスさんは懇願するように叫んだ。そんな彼女を見て、これからすることを思えば申し訳ないと思った。
けどわたしは、胸元の瓶にそっと触れると、一歩前に踏み込んだ。
「花よ……開いて……」
第83話 終了
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