銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

幕間 夜にうつろう③

公開日時: 2021年7月19日(月) 18:30
文字数:6,259


「そう言えば教会に入りたいって、話だったわよね?」


 思い出したように修道女が尋ねたのは、長話にひと段落ついた後だった。


 そう言われて、アクストゥルコがはっとしたように、顔をこわばらすのだから、アルトは呆れてしまった。彼女は思い出話に夢中になるあまり、当初の目的を忘れていたのだ。

 アルトがなんとも言えない感情を抱くのは当たり前だろう。ただ、ここまで仲が良好なのであれば、目的を果たすのも容易いと思われたので。まぁ良いかと、彼は考え方を切り替えていた。


 それで、素直な事情を伝えた方がよいと判断した。


「ああ〜それなんですが。実は…………」


 話せる範囲のことを偽りなく語ると、今までの苦労はなんだったのかと思うほど、順調に会話は進んだ。どころか夜は寒いからと、教会の中にも入れてもらえた。


 教会の中に入ると修道女は、服の置いてある部屋を指し示した。それでアクストゥルコは、教会の中をぺたぺたと走り、その部屋の中へ駆け込んだ。あやうくお礼も忘れかけるほど、彼女の足取りは早かった。

 アクストゥルコがなぜ修道服にそこまで拘るのか、アルトには理由が分からなかった。でも何か言うのも面倒だからと、彼女の足を止めるような事はせず、黙って見送った。


 そうしてアクストゥルコを見送った後のことだ。トントンと横から肩を叩かれた。なんだろうと振り向けば、修道女が一枚の丸めた鹿皮紙かひしを持って、立っていた。


「修道服が貰えるならそれでいいって話でしたけど、一様推薦状は渡しときます」


 強引に手が取られ、有無を言わさずに「はい」と、その紙がアルトへ手渡される。驚いて、大丈夫だからと返そうとしたが、無言で首を横に振られてしまう。


「遠慮しないで下さい」


 そこまで言われてしまうと、見届け人としてやってきた立場上、押し返すことはできなかった。恭しくお辞儀をすると、アルトは推薦状を懐にしまいこんだ。

 ただその動作が、たどたどしかったからか、何か引っかかりを覚えられてしまったようだ。修道女は細い目つきを、より深いものにした。


「アクストゥルコちゃんには個人的にも、すごく渡したかったんです。彼女は子どもに優しかった。特に孤児に、いつも童謡を歌ってくれました。慈しんだ目で……。

 いわゆる優しいって言われる人はいっぱいいますけど、殆どが無関心に優しいだけです。自分と関わりがない全くの他人を愛せるっていうのは、誰にでも出来ることじゃない。凄いことなんです」


 いまいち話の流れが汲めないが、信徒の説教とは、往々にしてこういうものだとアルト知っている。だから「ええ」と、いかにも【いわゆる優しい人】の笑みでもって相槌をした。

 その様子を見て、修道女がさらに感じ入る部分があったのは、言うまでもないだろう。だが彼女はその感情を、努めて覆い隠し言葉を続けた。


「私達聖職者にだって、そういうことが出来ない人は、恥ずかしながらいます。そういうことが自然にできる彼女は、だから貴重な存在で……。尊敬されるべきだと思います。是非教会に入って欲しくて、貴方に渡したんです」


「そうなんですか……」


 そこに意味が込められているのは疑いようもなかった。だが、その込められた意味を、どうしても言語化出来なかった。それで場繋ぎに、あまり考えもせず、そう言ってしまったのだ。悪意なく言ったにせよ、その反応は正しくなかった。


「そうです」


 食い気味に言われたその言葉には、静かな怒りを感じるほど、【硬さ】があった。アルトは修道女がなぜ怒ったのか分からなかった。それで原因も分からないまま、これ以上話すのはまずいと考えた。

 だけど何よりまずかったのは、心情を修道女にも見える形で、表現してしまったことだ。彼は、口元を手で覆い隠した。


 喋って欲しくないのではなく、修道女はそれこそ、理解して欲しかったのだ。そのため話すこと自体を拒否する素振りは、悪印象でしかなかった。ただ、自分にも非があると知っていたので。彼女は、話しやすい話題を選んで、尋ねたのだ。


「…………そういえば、ダングリオでは殺人鬼騒ぎがあって大変だったと思いますが。大丈夫でしたか?」


「ええ、まぁなんとか。何でも殺人鬼は死んでしまったらしいですよ。英雄ユークリウス・ラーレアンが、悪しき怪物を仕留めたみたいです」


「そう、なの…………」


「何か気にかかることでも?」


 せっかく話しやすい雰囲気にしたと言うのに、また壊すような真似をしたくなった。しかし伝えたい想いに繋がる内容でもあった。なので余計だと思いつつも、ついつい修道女は、口を挟んでしまった。


「いえ、大したことではないのですが」


 そこで言葉を区切ると、警戒して辺りを見渡した。辺りに人気がないのを確認すると、ついに意を決して、修道女は話し出したのだ。


「……殺人鬼って本当に悪い人だったのかしら」


 修道女の瞳に写された感情は猜疑であった。立場をある程度保証された信徒ではあるが、それでも、今彼女が擁護したのは、明確に人を殺し回っていた【悪】だ。そんな存在を庇うことは、客観的に見てあまり良くないことだ。


 修道女自身も危ういことを言ったと自覚して、緊張しているのだろうが、聞いている側の方がはらはらは強い。だからアルトは聞き返す。


「それはどういう意味で……?」


 ことと次第によっては、誤解されかねない内容だからと。問いただすように確認する。

 アルトは殺人鬼騒動の顛末と、殺人鬼に関して色々と知っているからいいが。事情を知らない誰かであれば、もっと剣呑な雰囲気になっていたはずだ。


 今までの会話から、それが分からない人物ではないと分かっていたので、アルトは余計に混乱した。危険を払って、そんなことを言う訳が分からない。


「殺人鬼が人を大勢殺していたのは知っています。悪い人だって分かってます。ですがあの人は、決して子どもを殺さなかった」


 だから? というのがアルトの素直な感想。殺人鬼が子どもを殺さなかった。だからといって他の人が殺された事実に変わりはない。人殺しは誰でも分かる罪だ。

 そして修道女が殺人鬼をかばった理由が、子どもを殺さなかったからだとしたら、それはなんて浅はかなのか。


 アルトはいつのまにか、自分が冷めた目つきで、目の前の人物を見ていることに気づいた。そんな冷徹な感情を知ってか知らずか、修道女の語り口は気づけば早くなっていた。


「ダングリオの街で、殺人鬼騒ぎが起きるようになってから、沢山の子ども達が、聖騎士に連れられて教会に来るようになりました。親が殺されたからです。最初は孤児が増えるたびに、私は憤りを感じました。でも、子どもの言葉を聞いて、考える所があったんです」


 殺人鬼の殺人事情には、それほど興味はなかった。しかしこの修道女がなぜ、ここまで白熱しているのかは興味があった。だからアルトは、一見不毛に感じられた会話でも、相槌を打って聞くのだ。


「それは……なんと?」


 修道女が一拍開けて答える。


「殺人鬼が【泣きながら僕のお父さんを殺した】んだって」


「……それは……驚きですね」


 十分にためを作って、さも驚いている風な様子を演出する。しかしそれは、想像してみれば、割と納得のいく風景で。以外な事実とまでは言えなかった。だが容易に想像できてしまったという事実が、アルトを困惑させた。


 アクストゥルコが存外良いやつなのは、なんとなく分かって来ている。人を気遣える奴なのも、なんとなく理解し始めている。だがそれを【なんとなく】の段階で抑えているのは、今までの行いがあるからだ。彼女が人を何百と殺したのは紛れもない事実で、そこにどんなに正当性があろうと、人格は疑われて然るべきこと。


 だがセアとの会話を経て、そしてアクストゥルコとの対話を通して、彼女のやったことと、考えていることが、アルトの中で一致しなくなって来た。どんな理由があろうと、人を殺したことに変わりはない。ならば多少、ある程度、かなりの残忍さは人格としてあるべきなのだ。

 そうでなければ命を奪うという行為は、自分にとって苦痛にしかならないことを、よく知っている。


 だからアルトは、自分の想像と修道女の話に、驚きはしないものの困惑する。アクストゥルコが涙を流すのは、何かの冗談だと。


 復讐のために人を殺す、理解できることだ。自分の快楽のために人を殺す、それも理解できることだ。人格が破綻しているから人を殺す、理解できることだ。

 ただ泣きながら人を殺すのだけは訳が分からない。だってそれは、理性を保っている証拠、命を奪うことが禁忌と分かっていることに他ならない。


 一族を人間に殺されて、憎いから復讐のために人を殺す。それがアクストゥルコの基本的な姿勢だとアルトは予想していた。それならば、彼女が本当は優しかった。までなら理解することができた。優しい人物が復讐に狂い、罪悪感を相手側の罪で塗りつぶして殺す。実に分かりやすい構図だ。

 これであれば多少はアクストゥルコを測れるというもの。しかし今聞いた話が、その予想を破壊する。


 アルトはまだ納得していないが、もしアクストゥルコが、本当に今でも優しい人物で、加えて倫理観が狂っていないというなら。涙を流して人を殺す理由(わけ)として思い当たるのは、アルトが考える上では、たった一つしかない。


 まともな人間が涙を流して人を殺す時。それはどうしようもならない理由で、自分にとって愛しい人を殺すことに他ならない。


 種族が違うから、上記のままの定義では当てはめられないが、似たようなものだ。つまりアクストゥルコにとって人間は、今でも親しい隣人ということになる。


 そんな風に人間を今でも大切に見てしまっているなら、それは痛くないはずがない。心の苦痛から涙だって流れる。だが本当にそうなら、心が持つはずがないのだ。自分にとって愛しい存在を殺し続けるのは、どれだけ精神が頑強な人物だって不可能だ。


「他にも殺人鬼について、子ども達からいくつか聞きました。【苦しそうだった】とか、【胸を抑えていた】とか」


 そういう持論を展開するが、後から出てくる新情報が否定する。今も確かにー歪な形でだがーアクストゥルコの優しさは、続いてしまっているらしい。


「それらを聞く内にこう思うようになりました。きっと感情の整理がついていなかった人……いえ子なんだなと。殺人鬼の人となりを知るたびに、殺したくて、殺しているような子には、とても聞こえなくなってきて。

 それよりも不条理に苦しんで、誰にも助けてもらえなかった子どものように思えて。……憎むことが難しくなりました。街の人がいっぱい殺されたのに」


 殺したくて殺している子には見えない。どんな事情があれば、その言葉が論理的に成立するというのか。自ら苦しみにいっているようなものだ。

 だがその言葉が、殺人鬼アクストゥルコのことを言い表す上では、疑いようもないほど適していた。


「人を殺す殺人鬼と、優しいアクストゥルコちゃんが重なる訳じゃないです。でも何の関わりもない他者を慈しむことができるっていうのは、愛せるっていうのは、簡単に出来ることではないんです。

 だから私が言いたかったのは、なんていうか、その……。貴方の言動の節々に、アクストゥルコちゃんの優しさを蔑ろにしている部分が感じられて、それで、それが少し許せなかったんです。だって貴方はあの子の見届け人なんでしょう?」


 修道女は言いたいことは言えたと、胸をそらせるとこちらを見上げた。


「あの子のそばに、これからも貴方がいるなら、ちゃんと彼女の優しい心を見てあげて下さい。あの子にはちょっとした恩がありますから、大切に扱って欲しいんです」


 自分よりも身長の低い、それも力も頭もなさそうな人物に、アルトはこの日、気圧された。

 それで今までのずれの正体を、ようやくアルトは理解した。アクストゥルコに対しての解釈が全く違うのだ。


 修道女の抱く、人格者としてのアクストゥルコと、アルトの抱く、残忍で我の強い人格という対比である。

 どちらも間違いではない。しかしそういった認識の差が、一人の人物に対しての評価を、ここまで変えたのだ。


 アクストゥルコの殺人鬼としての面を知っていて、どころかそっちの側から彼女の正体に近づいていったアルト。殺人鬼というレーベルの付いていない、アクストゥルコそのままと接することができた修道女。こういった経緯の二人では、彼女に対する考え方が違くなってくるのは、当たり前の話だった。


 そして素のアクストゥルコという人物は、修道女にとって、世間一般の評価に抗ってでも、庇いたいほどの人物で。だから一緒にいる癖して、あまり彼女に対して良く思っていない、同行者に腹が立って口が滑った。ただそれだけの話だった。


 そもそもの差にずっと気がつかないで、アルトはその先である、彼女の思考を読もうと四苦八苦していたのだ。それはすれ違いも起きる。

 それらのことに気づけたアルトは、そうだったのかと、心から納得して真剣な面持ちで頷いた。


「……肝に銘じます。ためになる話でした」


 しかしそんな顔をしても、もう遅いのか。自分に対するアクストゥルコを任せてもいいのかという信用は、ほとんどなくなってしまっていた。だが、それでもすんでの所で、崖端でよろめき立つことくらいは許されたようだ。


「貴方がどういう経緯で、あの子と一緒にいるのかは、分からないけれど。そう言ってくださるのは、あの子に助けてもらった身としては嬉しいです。出過ぎた真似を失礼しました。

 ……さっき渡した推薦状、アクストゥルコちゃんに渡すかどうかは、貴方に……任せます」


 委ねられた物は、一枚の薄っぺらい紙だから、重いはずないのだが、何故だかその重量は、実際の物よりもずっと大きく感じられた。

 誰かを想える人間の【任せる】という言葉は、そのままの意味と思い知らされた。この薄っぺらい一枚の紙の上には、目の前にいる修道女の、真っ直ぐな信用が、間違いなく乗せられていた。


 別にアクストゥルコのことなんて、そこまで責任を感じる必要は無いはずなのだが。それでも自分の見届け人としての立場をくんで、この推薦状の扱い方を、自分に委ねてくれた修道女と対面していたら……。

 この関係がただの設定だったとしても、疑うこともしなかった彼女への礼儀として、見届け人らしくアクストゥルコを、それなりに扱う必要があると考えさせられてしまった。


──そしてもう一つ、修道女との会話から考えさせられることがあった。ずっとアルトが感じていた違和感だ。


 アクストゥルコが優しい。


 殺人鬼というラベルが貼られていない彼女に対する、修道女とセアの評価は一致していた。一人なら単なる誤認だと思えた。でも二人も、それもどこからどう見てもな善人が、口を揃えて言う。


 虫を殺すのにも躊躇するだろう人間が語る、優しい人物というのは、果たして人を殺すのだろうか? アルトは改めて、殺人鬼アクストゥルコと話すたびに感じていた違和感を、言語化しようとしていた。


 今でも優しい人格者だと言うなら、どうして彼女は人を殺す? 狂化もしていないのなら、なぜ平気な顔で毎日を過ごす?


 結論は出ない。けれど…………。


 そのまま考え事を続けようとしたが、不意に聞こえてきた足音に、邪魔されてしまった。

 賑やかな足音だったから、誰かなんて見なくとも分かっていた。奥の扉に意識を向けると、やはりその人物がいた。


 何も知らずに奥の部屋から出てきたアクストゥルコは、幸せそうに修道服をぎゅっと抱え込んで、ほっぺたを擦り付けていた。その様子は宝物をもらった子どものようであった。

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