銀の歌
第47話
大きな斧で木を切り終えたアルトさんは、通常とは異なる持ち方で、木を加工し始めた。
斧を横に倒し腹を当てて、鉋のように削ったり、持ち手を短く持って、余計な枝を切り落としたり。何か、一つの形を作り出そうとしていた。
そんなアルトさんを間近で見ていて、少し不安になることがあった。
「アルトさん。腕……大丈夫なんですか?」
「ん? まあな」
数日前に自己申告で治ったと言ってもらえたが、それにしたって今日のこれは酷使しすぎなのではないだろうか?
全治二ヶ月という怪我を負ったのに、多分……二週間もしないうちに、アルトさんは包帯やギプスを取ってしまった。だから少し心配だ。
「正直な……」
「はい」
「自分でも不思議なんだよ。ここまで早く怪我が治るってのはな。最近やたらと傷の治りが早い……」
枝も木の皮もなくなり、丸太のようになった木材の上に立つと、アルトさんは何度も斧を振り下ろした。そうして丸太の真ん中に、大きなくぼみを作り出す。
「そう……なんですか」
「ああ」
最後の仕上げらしい。また斧を横に倒して腹を使い、棘などを丹念に削っている。
「色々と不安はあるが」
斧を分解し、シーちゃんの背中に積まれた、荷の中に入れると、手ぶらになった手で、代わりに出来上がったものを叩いた。
「でもまぁ……この通り」
得意げな顔で、出来上がった物ーー小船を見せてきた。それは人が二人は乗れそうな大きさだった。
「ずっと作ってたのはこれだったんですね。なんかちゃっかり櫂(かい)まであるし」
※櫂とはようするにオール。
船に立てかけてある木でできた櫂を見て言う。
「時短だよ。時短。だいたい分かるとは思うが……。こいつであの湖渡っていくぞ」
「沈まないですかねぇ?」
小さく不安の言葉を漏らした。
✳︎
湖をアルトさんお手製の船で行く。彼の話だと湖を横断するのにかかる時間はさほどでもないと。
湖の距離がどうたらこうたら、船の速さがうんぬんかんぬん言ってたが、まぁ、いつも通り気にしないことにした。
そんな訳で船の上にいる。見たことはないが海とは違い、湖は波が起きない。だから安心安全な船旅を送れている。刺激がほとんどないのは、物足りないが。
※重量の問題でシーちゃんだけは先に向こうまで送り届けられた。
唯一腑に落ちない事と言えば、船内が狭いという事だろうか。木一本から作り出した船に、二人乗っている時点で仕方ないかとは思うのだが……。
後ろを振り返れば、そこにはシーちゃんの背から降ろされた沢山の荷物がある。そしてその最奥で、櫂を漕ぐアルトさんがいる。
狭いなぁ。
致し方ないと言えど、窮屈なものはやっぱり窮屈だ。シーちゃんを先に向こうまで送り届けて、疲弊しているアルトさんがいる手前、声には出せないが……。
ここでふと疑問に思う。
そういえばこの木って、本当に沈まないのかな? シーちゃんと荷物をいっぺんには、流石に重いだろうって判断で、二組に分かれたわけだけど……。それでもまだまだ重いはず。
「ねぇ、アルトさん」
「ん、な〜んだぁ。よーいしょ」
キー、キーと漕ぎ続けるアルトさんは、こちらへ視線だけをよこした。
「この船って沈んだりしないんですか? 例えばこの荷物とか、とっても重さがあって、心配なんですけど」
「ふむ」言って、アルトさんは指を顎に当てる。例の格好だ。そうして長話になるのか、彼は櫂を水中から引き上げると、船に置き話し始めた。
「この木はな。モリクって木で、実は浮遊樹の一種なんだ」
「浮遊樹?」
「植物(マフト)界。水食目・浮遊樹科・水上浮遊樹亜科。モリク種──モリクだ」
──?
何? 何て? 植物(マフト)界? 浮遊樹?
訳がわからないよ。そんな表情を浮かべる。
「うん。まぁ知ってた」
呆れもしないし、笑いもしない、わたしの知っていることを、アルトさんはよく知っているのだ。だからかいつまんで要点だけを簡単に説明してくれる。
「生物には似たような共通点があったりしてな。例えば尻尾が二つあるとか、蹄があったりとか。そこら辺のを分かりやすくするため分類ってのがある。
大まかに界。何を栄養元とするかで目。範囲を決めていくための科。んで、さらに細かく範囲決めする亜科や種がある」
「ヘェー」
「抑揚がないぞー」
咎めるような口調のアルトさん。せっかく説明してくれているんだから、ちゃんと聞けばいいというのは分かっている。しかしそれでも、小難しい話を聞くのは、この上なく面倒くさいのだ。
「まぁいい。そんな訳でこの木は浮遊樹科に属している訳だ。中でも、水上浮遊樹だからな。なかなか水には沈まない構造になっている。なにせ【水中】に根を張るくらいだからな」
──水中に!? 相変わらず、この世界の動植物達は面白い個性を持っている。
へぇと思わず相槌を打った。そうしたらアルトさんが、心なしか嬉しそうに微笑んでいた。変な人だ。
「さて! 休憩は終わりとしよう。ちょうど湖の真ん中らへんだからな。あと少しだ」
半分あるなら、あと少しじゃない気がするけど、面倒臭いのでつっこまなかった。
気合いを入れて立ち上がるアルトさんを見てそう思った。そして彼が櫂を持とうと手を伸ばした時。
その手がピタッと途中で止まった。アルトさんの表情がだんだん険しくなっていく。今までの経験から、ただ事ではないのだと察したわたしは、小さな声で尋ねた。
「どうしたんですか?」
アルトさんは質問には答えず、人差し指を立てると口に当てて、静かにするようにと身振り手振りで伝えてきた。
「なにか……何か大きなものが水中から、こちらへ向かってきている。水面を見てみろ。かすかに震えてるのがわかるだろ?」
言われて辺りを見渡すと、確かに揺れているのが見て分かった。
さらに情報を集めようと、湖の奥の方まで、注意深く見渡していく。透明度の高い湖は、水の中に没した文明の後を、くっきりと映し出している。そんな所を、くぐり抜けるようにして、何かが巨大な何かが、姿を表そうとしていた。
最初は影だけだったが、やがて、それの輪郭が少しづつ浮かび上がり、ついには目に見える辺りまでやってきた。
「セア!」
いつの間にか身を乗り出していたらしい。アルトさんに、ぐいっと船の中に引き戻された。
「顔を出しすぎだ! あれは……まずぃ」
最初は焦っていたのだろう。大きな声だったが、冷静さを取り戻したのか、アルトさんは声を落として言った。
急激な感情の落差は、わたしに驚きと戸惑いをもたらした。だが逆に言えば、アルトさんがここまで警戒するような何かが、湖の底から来るということなのだ。
ひそかに心拍数を上げつつ、わたしはアルトさんの言葉に従った。静かに船内へと身をひそめる。そんな姿勢をとった数秒後、辺りの水面は膨らみ、ざわざわと揺れ動く。
そしてついに【それ】が、姿を現した。
首長竜のような細く長い首。そしてその先端についている頭。ギラギラと怪しげにきらめく紫の瞳は、自分が獰猛な生き物であると語っているようだった。
体全体には白い縞模様があり、何かを形取っているようにも思えた。だがその白模様の下からは赤い血管が覗き見せるため、ひどく恐ろしかった。
口元には何かの肉塊がくわえられており、赤い血が水の中に滴り落ちている。大きく鋭い歯で抉り取ったのだろう。
全長4〜5m程の巨大な化け物は、肉塊をバリバリと骨ごと咀嚼し飲み込むと、高らかな叫び声をあげた。
「プッシャアアアアァァア!!!」
ザパンザパンと水面がまた激しく揺れる。静観していたアルトさんは言う。
「グルーガ・ハリフ……か」
アルトさんは「クリエイト」と小さく呟いた。
第47話 終了
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