銀の歌
幕間
ーー今日も憂鬱だ。
そんなことを考えながら、無造作に雑草が生えた道を歩く。
ここはユコートの街。パルス国が保有する街の一つだ。しかし街と言っても、前までいたパルス国の首都ダングリオと比べたら、非常に閑散としている。それに道もあまり舗道されていない。
寂れた街という表現が、よく似合うだろう。
そんな通り道を、髪を揺らしながら私は行く。街の雰囲気も相まって、心はあまり揺れないが。
先のことを考えると、とてもじゃないが、ウキウキとした気持ちになんかなれる訳がない。
殺人鬼包囲作戦……本当に上手くいくのだろうか?
先程まで上層部の者だけで、作戦会議をしていたのだが、そこで議決に至った作戦というものが、山林に追い込んでの包囲作戦だった。
以前逃亡中の殺人鬼。しかし私達はなんとか足取りを掴むことに成功した。
現在殺人鬼は水没都市……? から東に数キロ先の所にいるらしい。水没都市がどういうものかは、私にはよく分からないが、とにかくそういった所にいるみたいだ。
そして私達がいるこの場所は、殺人鬼がいると推測される位置から、さらに東に数キロ先にある。
位置関係としては悪くはない。しっかりと準備や下調べをすれば、殺人鬼に会うことくらいは叶うだろう。
問題なのは捕まえられるのかということ。最悪命を奪ってもいいという結論ではあるが、私としては人の王、グローリー・バースが定めた法のもと、しっかりとした裁きをしてあげたい。
そこで持ち出されたのが包囲作戦。これはユコートの街に駐留している、王国聖騎士団との合同作戦で、四方から殺人鬼を山へと追い立て、徐々に徐々に包囲を狭めていくというものだ。
その時重要なのが、包囲の穴を一箇所開けておくということ。開けておく箇所は山あいの狭い道。そこに複数の罠を用意し捕らえるというのがこの作戦の全貌だ。
罠が上手く決まれば、機動力をどんどん落としていけると思われる。それに山あいの近くには、いざという時にすぐ動けるよう、ユークリウス剣士長が待機する手筈となっている。
何も問題はないはずだ。しかしそれでも不安に思ってしまうのは、性(さが)なのかもしれない。
私達剣兵長や剣兵、追い立て組は、何も戦うわけじゃない。夜を待って篝火を多く焚いて、こっちは大人数がいるから危険だぞと主張して、誘導するだけ。何も心配はない。
自分の安全や部下の安全を、頭の中で計算する。不安ごとを追い払うように。
「うん。大丈夫!」
胸の前で拳を作り、自分を鼓舞する。そんな風に心の安定を図っている所に、後方から重圧な声がかかった。
「……何が、大丈夫なのだ? トーロス」
ビク!! まず始めに肩がすくみ、次いで顔がこわばった。声をかけられただけで、こんな反応を取るのは、失礼に当たるとは思うのだが、私の後ろにいる人物の事を考えれば、誰にも理解されないというわけではないだろう。
私はギリギリと身体を動かし、声をかけてきた人物の方へと振り向く。そして近寄ってくるその人物を視認した後、深々と礼をして返事をする。
「はい。ユークリウス剣士長」
「……ふむ」
温度のない言葉を投げかけてくる、この冷たい瞳をした人物の名前は、ユークリウス・ラーレアン。私達の班のリーダーであり、ここコクヨウカ大陸において最も有名な英雄だ。
彼は英雄に相応しい実力を兼ね備えており、事実私が知る中で最も強い人間の一人だ。
頭も良いため、今回の作戦立案に一役買って出た。多知の将と称される、ユコートの街に駐留している【ザガン準剣士長】もおし黙るほどだ。
勉学の点で彼らに遠く及ばない私には、今回の作戦は不安に思うことが多々あるが、きっとそれは杞憂なのだろう。
しかしそんな一見完璧に見えるユークリウス剣士長にも、一つだけ弱点ーー欠点がある。
「なんでもいいが、貴様には小班を任せることになっている。……指揮官がそのような情けない態度で、部下が付いてくると思うな……」
「はっ」
これだ。この人は人の気持ちが分からない。弱い人間の心が分からないのだ。
今回相手にするのは驚異的な力を持った殺人鬼。もし作戦がどこかの瞬間に瓦解し、誰かが何の準備もなく、殺人鬼と相対するようなことになれば、ユークリウス剣士長以外では決して敵わない。
次点でアスハ副剣士長なら、傷ついた殺人鬼であれば食い止められると思っているが、とにかく私達のような者であれば、一太刀浴びせることも出来ずに殺されるだろう。
そんな不安をこの人は分からない。ユークリウス剣士長は、得てしていつも冷たい。それが悪意から、来ている訳でないのは分かるのだが。
「ふむ……本来は貴様のような階級の低い立場であれば、今回の作戦立案の話し合いに参加すること自体……。許されることではないのだぞ。たっての願いということで許したのだ。その辺りをよく考えることだ……」
「はっ。度重なるご迷惑をおかけして、申し訳ありません。ユークリウス剣士長」
この通り。気遣いというものはない。もしかしたらこれが彼なりの気遣いなのかもしれないが、だとしたら余計に手に負えない。それに上層部の話し合いに参加したのは私の意思じゃない。
アスハ副剣士長には、まだ私達が必要みたいですから。
世間体も考えて、私が無理矢理、お願いしたということになっている。しかし実際は……。
ーー言いはしないけれどね。
そんなこちらの事情を知りもせず、こちらを非難する言葉は続く。しかし目を伏せ、ただ静かにしているのを見ると、ユークリウス剣士長は親指を下あごに当てた。
「ふむ……。そこまで不安か?」
少しだけ驚き、ユークリウス剣士長を見る。こんな風な言葉遣いは、アスハ副剣士長に対してのみだと考えていたからだ。
「え……っ。あっ、はい」
「そうか」
こちらを見ずに静かに言う。目を合わせてこない分、少しだけ威圧感が減り、言葉が発しやすくなる。
「私は……私達は貴方のように強くはありません。なにかの手違いで、と言うこともあります」
「ふむ」
「例えば、この山林を突き抜けて、崖を下っていったとしたら……。逃げられてしまいます」
「そうだな」
短い言葉のやりとり。そこからはやはり、温度のようなものは感じられない。これから作戦が開始するのだ。和んだ雰囲気というのも、おかしな話ではあるが、士気が下がるのもまずいと思うのだが。
でも、これが彼の精一杯なのだろう。英雄だって人間だ。どこかしら不完全なのだ。今は静かに話を聞いてくれるだけ、ありがたいとも考えることができるだろう。
「ふむ……そうだな。しかしこちらは人員不足だ。そこには兵を回せない。加えてそこの崖はあまりにも急だ。さらに高い。落ちたら無事では済むまい」
その先に続く言葉はなく、これで十分だろう? と視線で促してくる。こちらとしてはまだ消化不良なのだが、これ以上引き止めては悪いだろうと考えて、礼をする。
「はっ。理解しました。ご助言ありがとうございます」
「ふむ。明日には出る。用意をしておけ。貴様達と私は別行動だ。くれぐれも部下を頼むぞ」
「はっ!」
ユークリウス剣士長はそう言うと、こちらに振り返ることもせず、歩いて行ってしまった。
なんとも言えない気分になり、どこか遠くの窓を見る。この行動には、なんの意味もない。それでも私は、この寂れた街の中、ただ佇んで、不安と焦燥に駆られ続けていた。
「もうすぐ、か……」
✳︎
ピラピラと紙片(しへん)を弄ぶ、片目の男がこの部屋にはいる。窓際の椅子に座り、憂鬱げな女剣士を眼下に入れ、野獣のような笑みを浮かべている。しかし片目の男ーードルバの関心は、女剣士ではなく、あくまでも他にある。
紙片の表紙には、笛を吹く女性の絵と、日が昇るような絵が描かれている。しかしその絵は見方を変えれば日が沈むようにも見える。
「始まりを告げる聖女か……。終わりを歌う乙女か……」
どちらだろうねと「クク」と笑う。何か悪しき企みをしているような顔だ。今この人物を、正義の体現者、聖騎士団だと言っても誰も信じないだろう。
ドルバの振る舞いには多々問題がある。命令違反はするし、可愛いと思った女性をなんぱはするし、終いには鼻歌混じりに勤務中に酒まで飲む始末だ。
これにはトーロス剣兵長も、シグリア剣兵も頭を悩ましている。
そんな彼だ。やることなすこと、どれも信じてもらいにくい。他所の誰かに占いをしている所や、同じ聖騎士団の同期に占いをして、小銭を稼いでいる所を、ミリア剣兵には何度か見られている。
その時の占いに関しては、正直どれも適当なことばかり言っている。だから当たっても外れてもどっちでもいい。明日がよい天気になろうと悪くなろうと、そんなことは人生において重要じゃない。
それにドルバに占ってもらった彼らだって、何も真剣に考えて頼んだことではない。単なる道楽だ。だからドルバが占い結果に対して、真剣にならないのも仕方ないことだ。
しかしドルバは正当な対価を支払った者や、外せない時が来た時には、必ず自分の祖母の名にかけて占いを行う。
「これをあの女は、正位置で引いたのか、逆位置で引いたのか」
手に持つ笛吹きの紙片は、多くの紙片がそうであるように、引いた向きによって意味が変わる。
一枚目に引いてもらったのは出会いの傾向。二枚目に引いてもらったのは転調。そして三枚目の意味は、出会いの終わり。
正位置でこれを引いていたのだとしたら、更なる繁栄、新しい舞台での、出会いの幕開けを意味する。しかし逆位置であれば、この世の終わりを見届けるものとなる。
そんな極端なものだ。ドルバとしても、これは誰にも引いて欲しくなかった。だから彼は、それを忌々しげに、机の上に無造作に投げる。
そうしてドルバが無為な時間を過ごしている時、トントンと不意に、彼のいる部屋の扉がノックされた。
「なんだぁ? 入ってくださって大丈夫ですよぉ」
荒々しい物言いの中にも、敬語はかろうじて入れてある。これは相手が上司である可能性を考慮してのことだ。もし、一切敬語を使わずに、返事をしてみようものならば、ただでは済まない。
トーロス剣兵長やラーニキリス剣兵長であれば、軽い小言で済むが、元々ここにいる駐留部隊の、例えば【ザガン準剣士長】であったりなんかしたら、その時は大目玉だ。
まぁそんなお高い位の人がわざわざ、一番下っ端の剣兵なんかを、直々に呼びに来る訳がないだろうがよ。
ドルバはそんなことを考えて、来訪してきた人物のことを出迎える。
「はい。こんにちは。ドルバ剣兵」
「あぁ。ラックルか」
人相の悪い顔でククと笑う。やっぱり杞憂に終わったかと考えて。
「それで、どうした? なんかようか?」
同期の人間だと分かると、最低限取り繕ってあった外面も無くして、くだけた話し方……くだけちった話し方をする。そんな様子に長身の女性であるラックルは、ふふと微笑み、報告だけをする。
「うん。届いたんだよ。ドルバ剣兵、あなたが頼んでいた例の武器が……」
「ーー本当か!?」
ラックルの肩をゆすって尋ねる。
「はいはい。そんなに急がないでくれ、ドルバ剣兵。案内する行こう」
その色よい返事に、ドルバはやんちゃな子どものように、何の混じり気のない笑顔で「おう!」と答えた。
ただその部屋を出るとき、最後にふっと机を見た。そこには一枚の、折り目のついた紙片が置いてある。その折り目は比較的新しい。ここ最近でついたものだ。
ドルバは先ほど、何とは無しに、窓から見た空の景色を思い返しながら呟いた。
「今回の作戦は、あんまし上手く行かねえんだろうなぁ」
ドルバが本気で行う、占いの的中率は非常に高い。彼の今の言葉がそれの証拠となる。もちろん外れることもあるかもしれない。しかしその答えは全て未来が教えてくれる。
ドルバの占いがどこまで正確なのか。ここから先は誰も知らない。
ドルバはふっと笑うと祖母の事を思いながら、ラックルと共に歩き出した。
幕間 終了
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