銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第66話 人を救うのは特別なことじゃないと信じきっていて③

公開日時: 2020年11月15日(日) 18:30
文字数:4,419


銀の歌


第66話



「わたしは……多分コイントスをします。

 それで表なら身近な人、裏ならその赤の他人さんです」


 これがわたしの思いつく、いやきっと誰もが当たり前に思いつく、最良の答えだ。

 人は……生命は誰もが平等。等しく同じだけ価値がある。だから誰を生かそうと、素晴らしいことに違いはない。全てが大切な命だ。


「そうか……」


 わたしとしては、当たり前の答えを言ったつもりだったけれど、トリオンさんにとってはそうではなかったようだ。彼は深くため息をついた。

 どうしてそんな風に落胆したのか、わたしには分からなかった。この答えで落ち込む理由が分からない。我ながら言うのもなんだが、今の答えは誰にとっても平等な、間違いないもののはずだ。


 けれどトリオンさんは言う。


「だからかな。今の段階でそう言うってことは、外殻がなくてもきっと君は同じことを言ってしまう。正しいのかもしれないけれど、その言葉はとても悲しいものだ」


 トリオンさんの発する物悲しい雰囲気は、わたしの首に巻きついてくるようだった。人の抱いている感情は、周囲に伝播するというが、あれはどうやら本当のようだ。

 それらも相まって、何か間違いを犯してしまったのではないかと、自分を疑った。


 そうこう考えてると、顔はどんどん沈んでいった。

 そんな時にだ。


「知ってるよ」


 この場を取り巻く、鬱屈した閉塞感を吹き飛ばす、強い決意に満ちた言葉が響いた。


「だからどうした? こいつがおかしいのなんて、分かってたさ。だから少しづつ教えてたんだよ」


「少しづつじゃ、間に合わなくなったと言ってるんだ青年。その子には自我を保ったまま、色んな意味で急速に強くなってもらわないと困る」


 相反する言葉も鋭いもの。強い覚悟が備わっていた。わたしにはどちらの言い分も正しく感じられて。

 わたし自身のことなのに、どう判断していいのか分からなかった。だけどアルトさんは更に言った。


「俯くな、お前ら! 何も間違っていないから」


 前に立つアルトさんは凛としていた。


「おっさん、それはお前の理屈であり、お前の価値観だ。

 その価値観を俺達に押し付けるな!!」


 それはトリオンさんから言われた言葉だった。

 けれど今度はあの人がそれを言われている。自分が言った言葉の正しさを、自分自身で証明するのは、どんな皮肉だろうか。

 言葉に殴られたトリオンさんは、よろよろと後退りした。でも後ろへと引く足は、何歩とはいかなくて。一、二歩下がった所で立ち止まった。


「カリナが動き出した」


 よく分からない単語を呟いた。【カリナ】それはいったい何だろうか。カリナと聞いて、頭の中で何かが浮かびかけるが、それは霧がかったようにぼやけていく。

 見ればアルトさんも、わたしと同じようで。手で顔を抑えていた。


 少しもやもやするが、そんなことを考えるのではなく、差し迫った今の現状について、頭を動かすべきだ。


 アルトさんの返す言葉は強くて、わたしだったらあんなこと言われたら、何十歩も引き下がっていた。それに思考することさえ放棄したと思う。いや、事実してしまった。

 だというのにトリオンさんは、言葉を受け止め、こちらを真剣に見据えている。


 前髪で隠されたその瞳には、どんな感情が宿っているのだろうか。

 とにかく、トリオンさんの姿は、今のわたしが持っていないもので、あまりにも眩しくてまいってしまう。


「カリナ……? それがお前の最期の言葉でいいんだな」


 恐ろしい言葉が聞こえた。アルトさんの表情は、背中越しのため分からないが、その声音とトリオンさんの驚きようで、大体は分かった。


ーー怒ってる。


 激しい殺意があるように思った。

 アルトさんは短剣の持ち方を変えると、腰を深く落とした。重心を置く軸を作ったのだろう。

 それはつまり、先ほどのような脅しではなく、臨戦態勢。すぐにでもアルトさんは、とびかかれるのだ。


 だけど待ってほしい。確かにトリオンさんは、さっきから不思議なことを言っているが、具体的に何か酷いことをされたわけではない。わたしだって傷一つ付いていないし、ヘテル君だって……。


「アルトさん!」


「黙ってろ……」


 零度の言葉。話し合う余地はないらしい。アルトさんは、わたしの言葉を一蹴した。

 だけど、だからといって諦めてはダメだ。トリオンさんが殺されるなんて、この世界の人が殺されるなんて、そんなことあってはならない。

 それも、原因がわたしだとすれば余計に。


「ト、トリオンさんは……わたし達のことを傷つけてはいませんよ!?」


 必死の弁明。しかし返ってくる言葉は、こちらの抗う心を打ち砕く内容だった。


「違う! もうそんな次元の話じゃない。こいつ気づいたろ?」


「気づいた……何がですか?」


 不意にわたしの右手がびくりと震えた。それで自分の手に繋がれた……いいや、自分の手に纏わりついているのが何かを思い出した。

 気色悪い触り心地のそれは、間違いなく異業と化したものであった。

 そこまで気づいて、ようやくヘテル君の手が、むき出しになっていることを理解した。


 いつの間にかヘテル君のマントはめくり上がっていて、両方の腕が丸見えになってしまっていた。

 もちろん長い服は着せてあるが、それでも全部は隠せていない。黒いものは服を汚し、汚水の匂いを放っていた。どこまで異業と化しているかは、パッと見分からないだろうが、異業となっていることは、はっきり分かる。


 慌てて直したが後の祭りでしかなかった。


ーーどうして手を握った時気づけなかったのか。

 ヘテル君はさっきから、唐突な出来事に頭がついていけてないらしく、身体がガタガタと震えている。そんな彼に何とかして欲しいというのは、無理があったと思う。

 だからわたしが、何とかするしかなかったというのに。


 トリオンさんは、マントがめくれる前から、ヘテル君が異業であることに気づいていた。だからここで問題なのは、彼が気づいていることを、アルトさんに気づかれてしまったことだ。

 こういう時のアルトさんは非常に残酷だ。


「ほら。バレてんだったら、もう殺すしかない。

 おっさん、逃げられると思うなよ」


 ちゃきりと刃音を鳴らすと、地面を強く踏み込んだ。今にも飛びかかろうとするアルトさん。

 しかしそれをトリオンさんは、意外な方法で制止した。神妙な顔つきをすると、前髪をどけたのだ。


「……お前……その目……」


 黒々とした弾性のありそうな気持ちの悪い物質は、いくつもくぼみを作りながら、トリオンさんの目に当たる部分で蠢いていた。


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ーーあの人は両目が異業と化していた。


「……分かるだろ? 儂はヘテルの坊やのことを、聖騎士団には報告できない。だからその点に関しては大丈夫だよ」


 トリオンさんの言葉を皮切りに、アルトさんの殺気が急速に萎えていくのが分かった。


「なるほど……な」


 剣は下ろすものの、懐にしまうことはしなかった。まだ何か、アルトさんは思う所があるのだろう。だけど戦う理由を見失ったようではあった。


 それからわたしも、トリオンさんの言動に、ようやく得心がいった。つまりあの人は経験しているから、わたしに教えてくれていたのだ。異業種っていう存在と、一緒に行動をする大変さを。

 それは……そんな事情を抱えていれば、教えるのに熱が入り、真に迫ったものになっただろう。当たり前だ。何せ自分が異業種であったのだから。だからあんなにも覚悟を説いてきたのだ。


「そういう……ことですか」


 呟いたわたしはヘテル君の手を強く握った。この不可解な手を、彼の手と表現していいのかには疑問が残るが、こちら側の手を握るべきだと思ったのだ。


 トリオンさんは十分な時間、自分の両目をわたし達に見せた後、前髪を下ろした。


「……まぁ、全部見てた訳じゃないからな。俺は……。なんかしら事情があったんだろう。お前達の中で」


 徒労だったなとアルトさんは空を見上げた。

 ただこれで全部が丸く収まる訳でもなかった。もちろんそこはアルトさんだ。わたしが今まで考えた通りの人物であるなら、当然。


「まぁ、だが……。俺のガキどもを傷つけたんだ。

 トリオンさんには色んなことを教わったし、尊敬できる知識人でもあったけど、悪いが別行動とさせてくれ。エリーゼも、そう。起きたことだしな」


 決別の表明だった。これが妥当な落とし所なのだろう。

 アルトさんがトリオンさんに懐いているのは、側から見ていて分かっていた。それだけに、わたしのせいでこうなってしまったのは、本当に申し訳ない。


 トリオンさんもまた、アルトさんと同じように、何か惜しむように俯いた。しかし言い分には納得しているようで、「手荒くして、すまんかった」それだけ言うとわたし達に背を向けた。


 何もかもが元通りという訳ではないが、これで一件落着。そう思った時だった。


「いや、待て。やっぱりダメだ……」


 アルトさんが呟いた。何か不味いことを察したらしい。


「おっさん、知ってるんだもんな。自分が異業種だからと言って、これで終わりにするのは不味いなぁ。いくら聖騎士団に直接報告することができなくても、第三者に伝えさせるだとか、文字をかけるなら手紙だとか、いくらでも方法はある」


 アルトさんは再び短剣を構えた。そして今度は途中で止まることなく、飛びかかった。


「悪い。殺すわ」


 短剣は振るわれた。不意打ち気味に放たれたその一撃を、トリオンさんは、なんとかすんでのところで躱した。


「うわっ……っと!」


 ばしゃばしゃと河原に逃げ込み、ズボンを水で濡らした。荒々しい粗野な濡れ方は、今の回避が、まさに奇跡的なものだと物語っていた。


「アルトさん。やめてください!」


「いいや、ダメだ! こいつはここで殺す。知ってるやつはなるべく少ない方がいいんだ。殺すに越したことはない」


 短剣を振るってトリオンさんを追うが、またも彼はギリギリで躱す。反撃を一切しないのは、わたし達への贖罪か、それとも反撃をすることができないだけか……。いずれにせよ、躱すだけで何の抵抗もしないトリオンさんは、このままでは死んでしまう。

 きっと甘いのだろうし、この考えは間違っているかもしれない。それでもわたしが持つ倫理観では、誰かが死んでしまうのはダメなことであった。


「あ、アルトさん!」


「くどい!!」


 素早い速さで行われる、熱意のある闘いだからだろうか、こちらに飛ばす言葉も突き刺さるように鋭かった。

 トリオンさんは実際上手くさばいているけれど、こちらにどこか遠慮している節が見えて、行動がもたついていた。


ーーだからアルトさんの剣尖に捕まってしまった。ビリィと衣服を裂かれて、薄皮一枚切り落とされた。そして体勢を崩したトリオンさんは、河原に倒れこんだ。


 水しぶきがあがる。熱い日に晒されて、きらめく水泡は透明な輝きを放っていた。それがどんな風にトリオンさんから見えたのかは分からない。


 けれどそんな絶体絶命な彼を、わたしではどうやっても助けることが出来ない。それだけは間違いなさそうだった。


「トリオンさん!!!!!!!」


 



第66話 終了

※ちなみにヘテル君のマントは、シリウスが蹴った時の風圧で、ぺろんとめくれました。

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