幕間
深夜に、教会の裏手の丘で、ざくりという音が断続的に何度もしていた。誰かが土を掘り返しているようだった。人気のない夜に、そんなことを行う人物は、不審者にしか思えないが……。その場所には、特別何かが埋まっている訳でもなかった。
あるのはそう、せいぜい昼間に埋められた死体くらいのものだ。しかし土を掘り返す人物は、掘り返す手を止めることはしない。手に握ったスコップは、汗で濡れている。
「結構深いな。まぁ、死体が動くなんてことがあったくらいだからな。深く埋めた所で何の意味もないだろうが……心理的には当然か」
額を拭う人物は、意味深に何か呟く。行動だけでなく、言ってることも怪しい人物であるが、その声音はよく聞き慣れたもの。ーー土を掘り返しているのはアルトであった。
アルトがこんなおかしな行動をしているのは何故? そう訊かれれば、そこには当然、彼独自の計算と目論見がある訳で。
アルトは殺人鬼ーアクストゥルコーの死体に出会った時から、何か違和感を感じていたのだ。死体が置かれたあの小屋の中は、今思い返しても、彼からすれば納得できないところが多々あった。
殺人鬼の死体に出会った時に、まず感じたのは、彼女の身体があまりにも綺麗すぎることだった。かさついていない皮膚の状態や、死斑(しはん)を確認できないのはどう考えてもおかしかった。
みずみずしささえありそうな肌は、素人目にも違和感を感じる者もいたー事実セアもある程度、その違和を感じ取っていたー。
それから死体というのは、通常、死後二日もすれば腐敗が始まる。埋められていたり、冷やされた場所に置かれていた場合には、この限りではないが、ユークリウス班の状況を鑑みるに、そんなことをして運んだ風ではなかった。
それなのにアルトの見た所、彼女の身体は腐敗が進んでいなかった。もっといえば腐敗する様子さえみせていなかった。その根拠として、部屋の中が清涼な空気に包まれていたことがあげられる。
死んでいたのであれば、腐敗は順当に進み、腸内細菌などを介して、今頃は腐敗ガスが起きているはずだった。
腐敗ガスは周囲の者から嫌煙されるほど強い悪臭だが、部屋の中にそういった悪臭はなかった。代わりにあったのは、いい訳でもするような、見せかけだけの死臭だ。
こういった違和感に、観察眼の鋭いアルトが気づかない筈がなかった。彼はそれらから一つの仮説を立て、今それを実証するために、ここで土を掘り返しているのだ。
そしてその仮説とはすなわち、【殺人鬼が本当は生きているのではないか】ということだ。
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話は変わるがナコブという一年生植物がある。これは夏頃に野山に生える背丈の低い植物で、秋に赤や黄色の花を咲かせ、美しい景観の一つとなる。だが生物が触れるには一つ汚点がある。それこそが、ナコブの葉に含まれる独自の【毒】である。
厳密に言えば、毒とは呼べないのかもしれないが、何の知識もなしに触れたり食べようものなら、じわりじわりと命を蝕んでいく。
ナコブの葉の部分は触れたもののギン素(存在量)を奪って蓄えるという性質がある。
少量の時間触れただけなら、触れた部位の感覚が鈍ったり、麻痺するだけで、命に関わってはこない。
しかしそのまま触り続けた場合には、この限りではない。ナコブの葉の毒は、例えば掌や指を通して、対象の動きを司る部分、脳へと届く。すると脳の機能は低下して、だんだんと考えることが困難になってくる。
やがて葉に触れた者は崩れ落ち、そのままそこでナコブに触り続けることになる。すると、いずれは身体中のギン素をすべからく取られ死ぬことになる。
また、この症状は食べた場合にも同じである。ただ一つ違うことがあるとするなら、こちらの死は確実に逃れられないということだろう。触れた場合には、早いうちに手を離せばなんとかなる。しかし食べた場合には、この植物は体内でギン素を吸い取り続けるので、自分の腹を捌いて取り出すといったことができなければ、まず助からない。触れた時と同様に、脳や神経のギン素を吸い取られ死ぬことになるのだ。
ーーだが、何事にも例外はある。
例えば食べた量が、本当に少量だった場合。ナコブの葉のギン素の吸収は、面積に比例するので、食べた量が少なければ、吸い取られるよりも先に、恐らくは消化が終わるだろう。そして仮に、食べた量が大きかったとしても、【元々の存在量が膨大であれば】、やはり先に消化されるだろう。
つまりは雑多な万物とは違う、上位の生命体であれば、助かる可能性は大きいということだ。そして上位の生命体とは、まさにアルトの視線の先にいるような者のこと。
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いつのまにか掘り返され、布が剥ぎ取られてあらわになったその者は、やはり先日見た通り、呼吸などの生命活動を行なっている様子はなかった。それに加え、長い時間土の下に埋められていたことを考慮すれば、死んでいるという認識でいいはずだ。
けれど実際に、その姿を見たアルトには確信があった。
「お前は多分、どっちかの方法でそれ(ナコブ)に関わったんだろう……?」
土にまみれた身体を抱き上げ、穴の中から引きずり出すと、近くの地面に横たわらせた。その後アルトは、「クリエイト。聴覚強化」呪文を唱え、横たわらせたその者の胸に、耳を押し当てた。
すると本当に、本当にごくわずかではあるが、奥の方でトクンと音が鳴っていた。かなり間隔が空いていて、鼓動も小さいから気づき難いが、たしかに音が鳴っている。
「やはり……か」
呼吸はしていないが心臓は動いている。こんな状態のことを表す言葉は、この世界でまだ、前例が認識されていないため存在しないが……。間違いなくその者は、【仮死】状態であった。
「お前がそうなったのにはいくつか考えが及ぶ。崖から落ちて傷ついたお前は、体力を回復させるためだろう。手近にある者を貪食したな? 這いずり回った形跡があったとあいつは言っていた。そんな状態で何か食べようと思うのなら、当然手近な物に手が伸びるよな。例えば虫とか、背丈の低い植物とか」
そんなことを言いながら、懐に手を入れると、何かを取り出した。
「それで運悪くナコブに手を出した。恐らくは食っただろう。だがそれは脳の働きを低下させるものだ。傷ついていたお前は吐き出すこともできず、そのままナコブに毒され意識を失った。
本来ならそこで死ぬはずだが、お前は銀狼だ。俺達とは根本から存在が違う。神に近い獣の存在量なんて、他の奴とは比べ物にもならん。傷ついていてもなお、ナコブの吸収量を上回ったか。……自分で言っていても信じられない。奇跡に近いが、それでもお前はこうして生きている。なら、それが全てだ」
取り出した何かを、銀狼の口の中にそっと含ませると、予め用意していた水で無理矢理飲み込ませた。
「トリオンは言った。『毒草は薬にもなる』と。ギン素を吸い取り、それを中に溜め込むナコブは、上手く使えば逆にギン素を即座に、そして大幅に回復させることもできる。今飲ませた物は、俺がナコブから作った丸薬だ。多分製法はあってるはず」
その後しばらく、その者の様子を眺めていたアルトだったが。やがて重く閉ざされていた瞼が、開かれていくのを確認すると、フッと薄い笑みを浮かべた。
「よぉ。殺人鬼。寝覚めは最悪か? そいつはぁ……生憎だ。だがまぁ、少し聞きたいことがあってな」
殺人鬼ーーアクストゥルコは何が何やらといったふうで、混乱しているが、それでも構わずにアルトは言葉を続けた。
「【カリナ】ってのは何者だ?」
鋭い眼差しは獲物を捕らえる猛禽のように、ギラついていた。
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「そっか。結局アルト君に取られちゃったか」
同刻に、黒の服をまとった怪しげな男が、遠くの屋根の上から眺めていた。彼は顔にかけられた器具を、くいと上げると不敵に笑った。
「君が邪魔さえしなければ……ね。またトゥコちゃんと会えたっていうのに」
彼は笑みを絶やさず、親しい友に話すように言うのだが、そこにはどこか不気味な雰囲気があった。彼は視線を、アルトのいる丘から逸らすと、横に振り向き笑いかけた。
「独り言の多い僕だけど、返事くらいはしてほしいな」
彼の視線の先には、自分と同じように屋根の上に立つ、がっしりとした体型の男性がいた。
これほど親しげに話すのだから、その男性とは、さぞ仲が良いことだろう。
しかし相対する人物は、笑みを浮かべる男とは、正反対の感情を発露していた。
「……お前さんと儂は友人でもなんでもない。分かるだろう? もう一度眠ってもらうぞ。カリナ」
体型の良い男性は言い終わった後、小さな声で「クリエイト」と呟いた。
するとその言葉に呼応するように、彼の体型に見合うような、巨大な大弓と矢が姿を表し始めた。完全に顕現し終わると、それを彼は手に取って、弓の弦に矢をあてがった。
「ふぅん。やっぱり僕とやるのトリオン君? ………………答えてくれないね。そっかやっぱりこっちの名前の方がいいのかな君は。ねぇ【アダム】」
「儂の名前を気安く呼ぶんじゃない……。カリナァァ! 」
体型の良い男性ーートリオンは、燃えさかる炎のように赤い髪を、夜風に揺らした。
幕間 終了
次の話で今章も終わりです。長い戦いでした。
それから明日はお知らせがあります。
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