銀の歌
第50話
ふらりと立ち寄った場所で、不思議な人に出会った。その人と過ごす時間は緩やかなようで、限りなく早かった。
今はたった一人で椅子に座り、木でできた机に突っ伏している。
ヒーローと名乗る人物は、わたしが手紙を書き終えると、さっさとどこかへと行ってしまった。「役目があるんだ」と何気なく言って。それを寂しい気持ちで見送った後、何をするでもなく、こうして突っ伏しているのだ。
「ほ〜れ!」
コツンとおでこに何かが当たる。気になって上を見上げて見れば、穏やかな、それでいて呆れたような顔をした人が、わたしを見つめていた。
「まーた、勝手にどこかに行って……。探すの苦労するんだぞ?」
アルトさんがそう言う。だけどそれに関しては言い分がある。
「だってアルトさん。具体的にどこで待てとか、いつもいつも言ってないじゃないですか。わたしにだけ文句を言うのは、不公平だと思いまーす」
食ってかかると、アルトさんは一歩たじろぎ、「一理、あるな」と苦しげに呟いていた。二人揃って苦笑して、アルトさんが言う。
「さて、それじゃやりに行くとしようか?」
「どこへ、そして何をですか?」
当たり前の疑問を口にすると、アルトさんは嫌味ったらしく口を釣り上げた。
「村長の家へ。商売の話をしに……だよ」
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とてとてと裸足で砂利道を行くと、村長さんの家はすぐだった。時間にして三分ほど。急いだ訳じゃないのに、この時間である。あんまりこの里、大きくないのかもしれない。
しかしわたし達の目の前にある、この屋敷とでも言うべき大きな家は、実に荘厳だ。
「立派ですね……」
「うん、立派だ」
呟きにアルトさんも肯定した。
「さて、セア。これから商談を始める訳だが、お前には覚えておいて欲しいことがある」
「なんですか?」
「それはな」と前置きすると、アルトさんは右手を前に出し、ニ回ギュッギュッと握ってみせた。そしてその右手を額につけると、静かに目を閉じた。
この一連の動作をみせた後、アルトさんはわたしを見た。
「今の動作を……だ」
「う〜ん。不思議な動きですね……。アルトさんのことですから、また今の行動にも意味があるんでしょうけど、どういう意味なんですか?」
尋ねられたアルトさんは、村長さんの家の、屋根の上に飾られた物を指差した。そこには木製の、小さな檻があった。しかもその中には、六足の足を持つ、獣の木彫りが入れられていて……なんだか不気味だった。
「あれは【レコリィ】。遠い昔にいたとされる獣神だ。主に獣の肉を好んだとされる。まぁ獣人達の神様みたいなものだよ」
澄んだ眼差しで、アルトさんは木彫りの獣を眺める。
「村長の家にあれが、偶像が置かれているとするなら……。多分この里は【レコリィ宗教】をしているんだと思う」
「レコリィ【宗教……】ですか」
「うん」
アルトさんの説明を受け、まじまじとあの檻に入った木彫りの像を見つめる。するとなんだか心がざわついた。身体がざわざわと震える。怯えしまったと言い換えてもいいかもしれない。
「でもあの像と今の動きに何の関係性が……?」
尋ねると静かに笑った。
「簡単だ。そういう儀礼……お前に分かりやすく言えば、【決まりごと】なんだよ。挨拶をする時のな」
説明を聞いて、ふーんとほっぺたに人差し指をつける。わたし流の思案の格好だ。
「宗教に関してはまた後日勉強するとしようか……。この世界で最も有名な、【アタラクト宗教】に関しても、話してなかったしな……」
顔をしかめようとするわたしの頭を、ポンポンと二回叩き、「今は、あんまし考えなくていいぞ」とアルトさんは言った。
「とにかく今回は決まりごとだと思って、俺が今の動作を村長の前でやったら、お前も後ろで一緒に行ってくれ。大丈夫、商売に関してはもちろん俺が話をするから。お前は今の動作だけ覚えておいてくれ」
「はぁ」
まぁ、分かりました。そう目で訴えると、アルトさんもこちらに目線をよこし、すぐにつむった。
えっ、これまさかアイコンタクト? なんか格好いい。
「じゃあ、家に入るとしようか?」
変なことを考えている間に、アルトさんはすでに歩き出していた。変なことを考えているわたしもわたしだが、もう少しやっぱり、待ってくれてもいいんじゃないかなぁ?
ーー結局、納得できるようには説明してくれないんだから……アルトさんってば……。
✳︎
「ごめん下さい」
カラカラと屋敷の戸を開けると、アルトさんは大きな声で、屋敷全体に響かせるように言った。
アルトさんの声を聞いて、誰かが奥の方で「は〜い。ただいま」と返事をした。
そしてその声が聞こえてしばらくした後、愛らしい容姿の幼い女児が姿を現した。
「何か御用でしょうか?」
幼子はふわりとした笑みを浮かべ、子供特有の高い声で、敵意なくこちらに尋ねてくる。
幼子が出てきたことに、ギョッとしたような素振りを一瞬だけ見せたアルトさんだったが、何事もなかったように、静かに微笑を携えた。そして紳士的な態度で幼子に話し始めた。
「突然の訪問お詫びします。私は旅の行商人の【アークス】というものです。こちらはセア。故あって共にしているものです。
今回こちらの里に伺わせてもらったついでに、長の方に挨拶をするために参った次第です。村長さんはご在宅でしょうか?」
アルトさんが言うと幼子は、愛らしい表情をさらに無垢なものにさせた。そしてたどたどしく、アルトさんが言った言葉を反復する。
「え、えと、えとえと。商人さんなのです? 故あって……挨拶で、ご在宅村長……?」
難しいよと言いたげに、幼子はぐぐっと眉を寄せた。そしてそういった表情は、わたしの好感度を大幅に引き上げた。
だってすっごく分かる。アルトさんの言葉は大抵難しいから。この子に合わせた言葉遣いをすればいいものを。アルトさんって気遣いできるのか、できないのか。彼の後ろで、考えながらウンウン頷いた。
ただ気になったのは、アルトさんの反応を見たくて、彼の顔を覗き込んだ時だ。
アルトさんは幼子の喋りを聞いて、目を丸くすると小さな声で「……ほぅ」と呟いていたのだ。
「はい。その通りです。村長さんがご在宅であれば、お会いしたく思うのですが、上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
幼子は少し考えるように、間を置いた後に言う。
「は、はい。おじいちゃ……村長さんは、今ご在宅ですので、案内させていただきます」
そう言って奥に下がろうとする幼子を、アルトさんが呼び止めた。
「あっ……すみません」
「?」
不思議そうな顔をする幼子。自分で呼び止めたその幼子を置いて、わたしだけに分かるように目配せすると、アルトさんは言う。
「いえ。何、忘れていたもので」
そう言うとアルトさんは右手を前に出し、二回ギュッギュッと手を握った。
それを見て、わたしも急いでその動作を真似た。そしてわたし達は同じ速度で、右手を自分の額に当てる。そして数秒目を瞑った後開けると、アルトさんはさりげなく笑んで言う。
「よろしくお願いします」
幼子は表情を笑顔のまま固定させて頷くと、彼女も同じ動作で返してくれた。そして「じゃあ村長に話してきます」と、幼子はポテポテ足音を鳴らしながら、奥の方へと引っ込んでいった。
✳︎
「村長に先にお話を通しておきたいので、少し待っていて下さい」幼子にそう言われてから数分後、わたし達は村長さんが待っている部屋の前まで通された。
「どうぞ……こちらです」
幼子が部屋の戸に手をかける。
きぃぃ。鈍い音が立ち、戸が開いていく。部屋に入ると、まず目についたのは、安楽椅子に座った一人の老人だった。そして彼は静かに目を開けると、わたし達を睨みつけるように、視線を向けた。その眼光は老いてなお鋭いもので、白い髭を蓄え、頰がこけてこそいたが、それでも決して侮ることのできない何かを感じた。
こう言うのを貫禄があるというのだろう。
獣人は服を着ていない、そういう言葉にしっかり当てはまってはいるが。それでもこの人物は、装飾が施された布や、首飾りを身につけていた。
間違いなくこの人が村長だろう。
と、その時。またアルトさんがわたしに目配せした。例の動作をしろということだろう。
今回は二回目、それも事前に予告があったので、問題なくアルトさんに合わせることができた。わたし達二人がそれを行うと、村長と思わしき人物は、口元を歪めて笑みを作った。そしてわたし達がしたのと同じ動作を返してくれた。
その後椅子に座るよう促され、後ろの方で扉が閉まる音が聞こえた。案内をしてくれたあの子が部屋を出たのだ。
そうして部屋の中には三人だけとなり、独特な緊張が走った。重圧な空気に耐えきれず、生唾をごくんと飲み込む。それでようやく、村長が口火を切ったのだ。
「h×××¥%36^〒::**☆☆→→」
…………なに言ってるんだろう。
朗らかな笑顔でわたし達に語りかける。アルトさんも驚いていたが、親指を立てると、すぐに笑顔でこう返した。
「$$$$€€€€€>>+☆☆〒」
…………ブルー◯ス、お前もか。
裏切り者はいつだってそばにいる。
第50話 終了
50話記念ということで、次回の更新は本編ではなく、特別に短編集となっています。そのためいつもより分量が多くなりますので、明日の投稿は休ませていただきます。申し訳ないです! 明後日の更新をお待ち下さい。
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