この街についてから何度目かの朝日を浴びた。目を覚ますと、敷いた布団からは陽の光の匂いがした。
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目は開いているのに、朝日の香りを感じると、頭に重石を乗せられたような感覚がして、なかなか起き上がることが出来ない。そうしてしばらくぼーっとしていると、部屋の中でチャリンチャリンと音が鳴っていることに気付いた。
寝返りをうって転がって、その音の発生源を探った。
すると、ヘテル君の寝顔の向こう側。平机の上で何か作業をしているアルトさんがいた。平机の上には天秤と、何か細々としたものが置いてあった。
「何してるんですか?」
ヘテル君を起こさないように、ベッドの上を這って動く。
そうしてアルトさんに近寄って尋ねた。
おはようと返したアルトさんは、わたしを視界の端で捉えながら、「これは香辛料の量を確認しているんだ」と教えてくれた。ただ、わたしを見る視線の中には、お前達が買った物だろ? 忘れるな。というたしなめがあった。
気怠く頷くと、ベッドから這い出た。それでアルトさんの斜め後ろ、背後に立つ。
「次の村で売るために買った行商品だ。管理は厳しくしないとな。量に間違いがあったらまずい。昨日、買う時にもやってたことだが、一応確認してるんだ」
ベッドの上からでは分からなかったが、天板の片方には、確かに香辛料が乗せられていた。もう片方には、小さな鉄の塊? っぽいのが乗せられていた。
わたしが不思議そうにしているのに気づいたのだろう。身振り手振りも加えて、アルトさんが話してくれた。
「香辛料の値は、この……重石一つと釣り合いが取れる量で測る。一つの重石につき、ルカナスタ銅貨で二枚。どこの場所でも安定して需要がある、旨味の多い商品だ。けれどその分、重石に細工をされたらたまったものじゃない。昨日はあっちの重石でやったが、今回は俺が持ってる重石で測ってる。結果はどうだろな?」
「違った場合にはどうするんですか?」
尋ねたら、アルトさんは天を仰ぐように考え込んで、一つ頷くと言う。
「そんなもん殴り込みよ」
「……うん」
寝起きだったのもあり上手く返せなかった。
何の変化もないわたしの表情から、すべったと思ったのだろう。顔を少し赤らめて、アルトさんは再び、平机に視線を落とした。
「まぁ……それは冗談だが、何かしらの形で制裁はする」
それが本当の言葉なのだろう。若干気恥ずかしそうではあるが、そこには先程はなかった真剣味があった。
ようするにアルトさんがたまに見せるあれだ。【怖い顔】をしている。
表情の強張りに気づいたらしい。アルトさんは自分の頬を引っ張った。それでいつもの、人を小馬鹿にしたような、呆れたような、受け入れたような顔を作っていた。
「つっても心配してないけどな。アラカルト商会で買ったんだ。こちらの無知を教えてくれるほど、お人好しではなかったが……。こすいやり方で騙すほど、頭は悪くない。ほら、結果はこの通り」
くいっと親指で天秤を指し示す。
アルトさんは話をしながらも、手は止めていなかった。天秤は、しっかり左右で釣り合いがとれていた。
「昨日買ったものは、心配だったら昨日のうちにやるべきだ。仮に細工を施されていても、一日経てば、こっちが逆に疑われる。あの商会で買ったから、気が抜けてた」
最後に誰に向けてか、反省の言葉を言う。きっと自分になんだろうけど。その自分に対して厳しい姿勢は、成長するという意味では、アルトさんの良い所かもしれないけど、あまりにも窮屈そうで……。見てるこっちの息がつまる。
だから意識を逸らしてあげたくて、雑談を重ねる。
「釣り合いが取れるっていいですね」
「そうだな」
「ねぇ、アルトさん。世の中って何でもこんな風に測れるんですか? 測れないものってありますか?」
その疑問を口にすると、アルトさんはまた天を仰いで考え始めた。椅子の軋みが響いた後、「少しらしくないことを言う」と前置きをした。
大丈夫だと伝えると、アルトさんは、こちら側をちらりと見た。それで顎に手を置いて言うのだ。
「測れないものがあるとしたら、それは心だろうな」
「ロマンチスト〜〜〜」
「腹立つなお前」
茶化した言い方をしてしまったが仕方がない。だってアルトさんの人格に、今の言葉はどう考えても合わない。
しかもご丁寧にも言う前に、横目でこちらを見たのだから、きっと格好付けの意味が大きい筈だ。さっきみたいに本心じゃないでしょう。そう思っていたのだが、意外なことに膨れっ面をしていた。
「心だけは測れない。心は流動的だ。絶えず変わっていく。同じ感情を抱く時なんて一つとしてない。誰も心は操れない。だから自分の中で、釣り合いの取れない感情にも……出会うだろ」
本当に意外だった。ここまでしっかりした言葉が出てくるとは思ってもみなかった。ただ気になるのは、言う時にやはりこちらを見て言っていたが、どうにも見られている気がしなかったことだ。
そんな訳でちょっと奇妙な感覚を味わった。
それで……これだけ真面目に答えてくれたのだから、わたしも何か芯のある言葉を言おうとした。でも出てくる言葉は、どうにもふざけたものばかり。この場の空気に合う気がしなかったので、何も言えなかった。
返答がないのを理解したらしいアルトさんは、しゃあないと言いたげに、口元を嫌みったらしく吊り上げた。
「だからこそ心は面倒くさいな」
いつもの、人を小馬鹿にしたような、呆れたような、受け入れたような顔でそう言った。だからなんの気兼ねもなく、わたしも言えるのだ。
「最終的にそこに行き着くんですね。もっと楽観的にいきましょうよ」
茶化した言い方で、その場の空気に合ったことを。
アルトさんは「うるせ」と呟くように言っていた。
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「いや〜。ま〜たいっぱい服買っちゃいましたね! 早く帰って、見よーっと!!」
時刻は変わって夕方頃。買い物帰りであった。久しぶりに訪れた、宿のある文化的な生活を、わたしは満喫していた。日々の鍛錬は重ねているが、野宿続きの日々より、ずっと快適で。時間に余裕があるなら、もう少しこの街に留まっていたいと思ってしまう。
でも楽しい日々は、ずっとは続かない。この街に着いてから日にちは随分と経った。何故この街に留まっているかも、大分忘れかけていたが、今日を境に思い出すことになったのだ。
皆で宿に帰り、部屋へ入ろうと取っ手に手をかけた時だ。
「待て」
背後から不意に、アルトさんの厳しい(いかめしい)声がした。
「どうしたんですか?」
ここしばらく聞くことがなかった警戒の声。浅く呼吸をして、視線を鋭くさせるアルトさんの姿は、わたし達の危機感を想起させるのには十分だった。ヘテル君とソフィーちゃんが、アルトさんと少し距離を取った。
「そこどけセア。その扉【若干空いてる】。何者かの侵入の痕跡がある」
ずんずんと歩いてくるアルトさん。
その高圧的な姿勢に押され、取っ手から手を離すと身を引いた。
「えっ? 普通に宿屋の人じゃないんですか? 偶に部屋の掃除とか、わたし達が出かけている間に、してくれているじゃないですか」
一様、訊いてみるけど、そんなことは百も承知のアルトさん。静かに首を横に振る。
「それはない。今回俺達が取った宿屋はそれなりの所だ。躾は行き届いている。んな見逃しするもんか。取っ手もそうだが、何より扉側が綺麗すぎる。多分、【内側から開けられてる】。窓から侵入されてるんだ」
わたしには分からないが、アルトさんが言うにはそうらしい。
「窓から入っといて、わざわざ扉を開けた。……不自然すぎるだろ。
まず俺達の部屋に侵入する動機が分からん。それに何か罠を仕掛けるなら、締め切って部屋側の取っ手に仕掛ける方が賢い。もし聖騎士団だったら、そんなまわりくどいことはしないだろうし……これはなんだ?」
こういう時アルトさんは間違った判断を下さない。だからそのまま黙っていても良さそうだが、わたしは早くお部屋に入りたい。お部屋に入って新しい服を早く眺めたいのだ。
「罠の危険はないんですよね?」
「……うんん。こんな分かりやすく警戒させといて、罠を仕掛けるとは思えんが……って、おま、ちょ、馬鹿!!」
『罠を仕掛けるとは思えん』そこまで聞いた段階で、「じゃあ、入りますね」と扉を開けていた。
後ろからはアルトさんの罵声が聞こえてくるが、まぁいいでしょ。あのままだと何十分、下手したら危険を排除できるまで、ずっと部屋の中に入れないかもしれない。街の中なのに、野宿をするはめになるかもしれない。
──それは絶対に嫌だった。
だからわたしは、あまりにも軽はずみに、無防備に、なんの考えもなしに扉を開けたのだ。説教は危険な目に遭った時、受ければいいかな。なんて考えて。
そんなこんなで扉を開けて、いざ部屋の中を眺めると、そこには予想を超えた世界が広がっていた。
わたし達の泊まっていた部屋は、なんということでしょう。見渡す限り武器、武器、武器の物騒な部屋に様変わりしていた。床には所狭しと刃物の類が置かれ、壁にも数え切れないくらい物騒な物が立てかけられていた。
何より異質だったのは、部屋の真ん中に置かれた、黒く塗られた巨大な物体。それは先の方が二つに分かれ、それぞれの天辺に、手錠と思わしき銀色の器具が取り付けられていた。所々赤黒い汚れもあって、拷問道具だと言われても全く違和感がなかった。
そんな不気味すぎる部屋だ。当然悲鳴を上げたよね。
「うわぁぁぁぁあああああ!!!!!!」
腰が引けて尻餅をつく。ぷるぷると震えるわたしに、皆が心配して詰め寄ってくる。
「あ、あ、あ、へ、部屋、部屋が」
震える指先で、部屋の中を指す。だが開けっ放しにするどころか、引き戻すように扉を動かしてしまっていたらしい。部屋の中を見渡せない。所在げなく扉が揺れている。
「だから言わんこっちゃない……。いったい、何が…………」
アルトさんはわたしの介抱を、ヘテル君とソフィーちゃんに任せると、一人部屋の前に立った。一度深呼吸をすると、意を決して「開けるぞ」と言った。
ガチャリと扉を開ける。アルトさんの身体が邪魔をするとは言え、わたしの目にもやはり先程と同じ光景が見えた。何かの間違いであってくれと願いもしたが、残念ながらそうはいかないらしい。
「うわぁああ! 何これ!?」
これには予想外だったのか、珍しくアルトさんも情けない悲鳴を上げた。だがわたしのように、尻餅を付くことは決してなくて。どころか目線を逸らすことすらしない。流石はアルトさんだ。
ソフィーちゃんとヘテル君なんかもう絶句だ。二人とも理解が追いついていないのか、ぽかんと口を開けている。
アルトさんは、一度こちらを振り返ると、逃げ場所と集合場所だけ指示した。何かあったらすぐ逃げろと言うことらしい。そして彼は、一人部屋の中へ進んでいく。
何が仕掛けられているかも分からないからと、刃物に足が触れないよう、慎重に歩を進めるアルトさん。腰に備えてある短剣に手をかけ、左右と足元を警戒する。その進み方は油断などないように見えるが、それでも一つだけ無警戒な場所があった。
だから不意を突かれてしまった。
一瞬のことだ。何かが【天井から】落ちてきた。そしてまずいことにそれは、わたし達の正面に降り立った。つまりアルトさんの……。
「後ろ!!!!」
わたしが言うと、すぐにアルトさんは振り返って、短剣を低く振るった。けれど空ぶってしまった。
「な!?」
アルトさんは焦っていた。それでわたしに視線を向けると、どういうことだと訴えて来た。
でもわたしだって嘘をついた訳じゃない。そうじゃなくて、つまり。
「後ろ……です!!!」
アルトさんがこちらに振り返ると同時か、それよりも少し早く、落ちてきた何かは、アルトさんの上空を飛び越して、また更に背後へと回っていたのだ。
アルトさんが意味を理解した時には、すでに遅かった。天井から落ちてきた何かが、勝ち誇ったように呟いた。
「遅いよ」
そのままアルトさんはズブリと何者かに短剣で貫かれる…………ことはなくて。背後から腕を回され、そのまま腰をがっしり抱え込まれた。それでそのまま持ち上げられた。
「…………え?」
アルトさんは抱き抱えられている最中、予想外だったのか、また情けない声を出した。そして、そのまま抵抗することもできず、真後ろに投げられた。
ドン!!! 激しい音が鳴り響く。身体のしなりを活かした良い投げだ。威力がどこにも逃げることなく、しっかり決められている。
そんな見事な完成度で、成人男性が床に叩きつけられたのだ。音が響くのも仕方ない話。アルトさんの顔面から肩は、いつか見たように、床へと突き刺さり、見えなくなっている。あれだと下の階にも貫通しているんじゃないだろうか? そんな予感を抱かせる。
アルトさんを投げた何者かは、手を使うこともせず、ゆらりと立ち上がり、肩を鳴らした。
それで振り返ると、にこやかに言うのだ。
「やぁ久しぶりぃセアちゃん! それに初めましてぇ。私はギーイ。ギーイ・ツェンベルン。アル君に呼ばれてやって来たよぉ!!」
語尾を伸ばす独特な喋り方で、八重歯をちらっと覗かせた。ヘテル君とソフィーちゃんの硬直は、さらに強くなったが、個人的には緊張が解けていった。
「痴女さん!!」
ほとんど全裸に近い、ボロボロのマントを羽織った姿は相変わらずだった。
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