銀の歌
第46話
足を一歩動かせばチャプンという足音が鳴る。砂利道や山道ではあり得ない音。水の張った街道なんて言えば分かりやすいか。滝を抜け水源にそって歩くこと数日は、そんな不思議な道を歩いていた。
水に浸っているのに、沼のようにぬかるむことはなく、大地は硬いままだったのだから驚いた。驚きは半日も経つ頃には忘れたが、素足に当たる冷たい水の心地よさは、変わることはなかった。
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空車での旅は、途中、わたしが一度失禁しただけで無事に終わった。
巨大な滝を抜けて、水が作り出す幻想世界を、初めて見た時には大分驚いた。でもそれも数日前の話だ。半日も経つ頃には、水がある分、歩きにくくなったことに対する鬱蒼とした想いばかりとなった。
景色もろくに変わらないので、疲れはいつもと同じように溜まっていった。しかしアルトさんのギプスが取れた今日。それを転機としたように、ようやく景色が変わり始めてきていたのだ。
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この先は水深は深く、湖のようになっている。徒歩ではこれ以上、行くことができなさそうだった。広い範囲でそのような状態だったので、回り道もできそうにない。
アルトさんが道を間違えるなんて……珍しい。そう考えもしたが、すぐにそれはないとかぶりを振った。どうせ彼のことだから、これも考えあってのことだろう。そして気づいた。
目の前の湖に、何かが沈没しているのを。
それは無機質なもので、何かの建物のようにも見えた。しかしその建物は、わたしがこれまで、この世界で見てきた建造物とはどこか違っているように感じた。そして見渡せばあちらこちらに、その建物によく似た作りの物があった。
最初に発見した物のように、完全沈没したのもあれば、一部分だけが水に浸かっているのもあったりと、種類は色々だった。
「これは古代都市だな」
アルトさんが呟いた。
「そうなんですか? アルトさん」
訊くとアルトさんは「うん」と頷き、自分の顎に手をつけた。何かを思案するときの例の姿勢だ。
「これはだな……遠い昔。今から最低でも1000年以上前の時代に作られたものだ」
話しながらアルトさんの脳裏には、何かが思い浮かんだようで、問いかけてきた。
「前……言ったろ? 【災厄】のことは」
「ああーーー。まぁ、はい。かろうじて覚えてますよ」
アルトさんから【災厄】という言葉を出され、思い返してみると。確かに【災厄】に関する内容は頭の中にあった。そんな話をされたこともある。ーーしかし当のわたしがこれなのだ。
もし【災厄】を思い出せない読者の方がいるとしても、それは仕方ない。第3話を見にいくといいと思う。
なんてことを考えていると、呆れ混じりの声で「かろうじてってなぁ……」という言葉が聞こえてきた。
「はぁ……まぁ、いい。んでその【災厄】によって滅びる前の文明のものなんだ。これは……」
アルトさんは、古びた建物群を差す。
しかし、わたしはそれと反対の方向を向いていた。なぜなら謎の未確認飛行物体が、自分へ迫ってきていたからだ。
「なんでもギン素の秘密に繋がるものがあるとかで……って、おーい」
アルトさんは不服そうに頬を膨らませた。そんな表情は初めて見たから、何か突っ込みたかったが、それすら放棄した。というか放棄せざるを得なかった。
「ありゃ?」
全身にギン色の糸が巻きつき、身体の自由が奪われた。しかしそんながんじがらめの中でも、わたしの手には、誰かの手紙が握られていた。
「銀糸鳥(ぎんしちょう)が届いたか……」
はぁとため息をつくと、身体に取り付いた糸を、アルトさんは丁寧に一本ずつ取ってくれた。
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「お前……銀糸鳥に変なふうに触れたろ」
内心ギクリとしながらも、アルトさんへ言葉を返す。
「だ、だって仕方ないじゃないですか……。わたしそんなん、わからんちんなんですもん」
「可愛子ぶってもダメだ」
面倒見の良い母親みたいに、呆れながらもそう言ってくれる。
「はぁ、まあ、いい」
あっ、それさっきも言ってた。軽い気持ちでそんなことを思ったら、アルトさんに睨まれたので、そっぽを向いた。
「取り敢えずそれ見てみろよ」
「ええ、はい」
カサカサと手紙を開いていく。宛名はわたし、差出人は……。
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へろへろセアちー! わたしだよー! ミリアだよー!
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ミーちゃんだった。
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久しぶり〜…………でもないか。取り敢えず、元気してる?
今日はね〜暇だったから連絡したよ。わたし達は今ね〜。テトリーの村にいるんだけどー……。
もぅ、大変だ! トーロスさんとアスハさんがまたね。喧嘩したの。困っちゃうよね。靴の中にのりを仕込んだのは、まずいと思うけど。
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読み進めていくうちに、何度かブフッと吹き出す。思うんだけどこの人達って、国や人を守る気、本当にあるのかなぁ? 命をはって人を助けてくれている方々に、こんなこと思うのは不誠実なことかもしれないが……。こんな手紙送られたら、そう思ってしまう。
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それでシグーは、二人の争いに巻き込まれて、全ての責任を取らされて、ユークリウス剣士長に怒られてたんだぁ。ドルバちゃんはそれを見ながら、戯曲かな? なんかそういうの作ってたよ。
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相変わらず可愛そう。考えていたことが、あながち不誠実ではないことに気づき、いくらか自分自身を肯定させることができた。
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何枚かの手紙を時間をかけながら読んでいく。そして時折クスリと笑う。
ミーちゃんの手紙は、あれからも何やら不毛なことばかりが書かれていた。班の不和だとか恥だとか。部外者のわたしにここまでぶちまけていいのかなと思うが……。でもわたしにはどうしようもないし、気にしても仕方がないだろう。
そしてようやく最後の頁へと読み進めた。
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とまぁ、こんな感じで、ミリア達は元気にしてるよ! セアちーからの手紙も楽しみにしてるね。
追伸。ドルバちゃんやシグーからもお手紙届くと思うよ!
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ふぅと息を吐き、少し気持ちを落ち着かせる。内容とっても面白かったな。なんて思いながら、お返事を時間がある時に、必ず返そうと決心する。
そんなこんなで、長いことほったらかしにしていたアルトさんの方へと振り向く。
「アルトさん。手紙読み終わりましたよ! お返事の書き方教えてください」
快活な笑みを向けるが、そこにアルトさんはいなかった。
「あれ?」
辺りをよく見渡してみると、斧を担いだアルトさんが、シーちゃんを連れて木の近くへと移動していた。
「ア、アルトさん! 待ってくださいよ!」
大きな声を出して、走りながら近寄る。
ーーその時である。
アルトさんが斧を振りかぶり、木の根元に思いっきり振り下ろした。
「ふん!!」
ドン!! 大きな音が辺りに響く。その音に怯えて、走ることをやめ、わたしは耳を塞いだ。
まったく、怖いなぁ。そう考えて再び歩き出そうとするが、アルトさんは同じ木に、またも斧を振り下ろす。それから何度も何度も。
それはまるで狂ったゴリラが、ドラミングを際限なく行うようでーー。
ついにその木が、アルトさんの猛攻に耐えきれなくなり、バキバキバキと小気味良い音を鳴らし、盛大に水しぶきをあげて、地面に倒れた。
「うお、うおっ!」
顔に水がかかる。なんとか手紙だけは死守したが、わたしの服は所々濡れてしまった。アルトさんの行動がとても謎だったが、今のでようやく理解した。
「ああ、セアか。悪いな。長くなりそうだったんで、この湖を越えるために必要なものを、先に作ろうとしててな」
こちらに気づいたアルトさんが、そんなことを言ってくるが、わたしには分かっている。それがていの良い、言い訳だということを。
手紙を手にすると、途端に木を切り始めた。そして手紙を狙うように、水しぶきをあげさせた。
前者はフラストレーションが溜まったことによるもの。後者は妬みと嫉み。ーーそう、つまり。
「嫉妬ですか。友達がいなさそうですからね、アルトさんって……。同情しますよ」
「違ぇよ!!」
第46話 終了
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