銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第132話 君の話 アフター

公開日時: 2022年1月3日(月) 18:30
文字数:6,492


「ご馳走様でしたーー」


 あぐらをかいて座っていたわたしは、身体を思いっきり伸ばすと、後方を確認せず背中から倒れ込んだ。仰向けになって、星がきらめく夜空を視界におさめる。


「行儀悪いぞ」


 アルトさんが咎める様に言う。夕餉を食べ終わって、すぐそうしたからだ。

 行儀が悪いのは分かるんだけど、でも今日も色々あって疲れてしまった。強く言い返すことはしないが、素直に受け取る事もせず、空返事だけした。


 アルトさんは唸っていた。


 それから、側には良い感じに隆起した木の根があったので、わたしはそれに頭を置いた。それは夜の中にあっても、はっきり分かるほど黒く、他の木々との境──目印として分かりやすかった。

 枕と言うには硬すぎるが、頭を置けるだけでも違うのだ。


「あっ、セア。その木は人を食うから気をつけろ」


「はぁぁあああ!!!」


 慌てて飛び退いて、アルトさんの身体に抱きついた。地面という名の木々に、なるべく触れたくなかった。どこからどこまでが、あの木の根っこなのか、暗くて全く分からなかった。

 というか普通、辺りが暗くて物体が黒いなら、見分けがつく筈ないのだ。もし、目印として分かりやすいなんて言う奴がいたら、それは馬鹿者に他ならない。

 …………近い分には分かりやすかったけど、遠目に見るとさっぱりだ。


「人を食べるって、どういうことですかアルトさん!?」


「言ったろ? この森には食獣植物がいるって。んであれはその一つ。雑食目・動態樹科。コクヨウ種コクヨウカっていう」


「うわ、偶に出てくるやつ。生物の多様性怖い」


 説明を聞いて怯えきった。アルトさんに抱きつく力は、どんどん増していく。なんか、みしみしいってる気がするけど、わたしは痛くないからいいや。


「まぁ人を食べる──動物マヘトを食べるといっても。コクヨウカは、繁殖期と根っこが損傷した時にしか、積極的に捕食しようとしない。

 そう言う訳で、刺激しなければ大丈夫だから、抱きつくのをやめろ。痛いんだよ……!」


「大丈夫ですよ。わたしは痛くないので」


「俺が痛いの!」


 無理矢理ひっぺがされると、どすんとその場で尻餅をついた。


✳︎


 慌ただしくしたから、髪にも服にも、また木屑だとかゴミがついてしまった。とりあえず払えるだけ払うも、汚してしまったことを残念に思った。


 こんなことなら、アルトさんのように汚れてもいい服を、あるいはヘテル君のように服を着替えていればよかった。


 そう──ヘテル君は、夕飯前には服を着替えていた。


 あの可愛らしい青の✳︎アスタリスクの刺繍が入れられたワンピースから、てんで映えない、褪せた緑色を主とした地味な旅装へと。

 着替えるきっかけになったのは、今日の昼間にあった蔦渡りだ。


 蔦を強引に掴めば、千切れなくても、濁った緑色の汁が亀裂から出てくる。それは木屑なんかと違い、一度付着したが最後、水洗いでも落ちない。

 蔦渡りの時、アルトさんの背にいたから、ヘテル君は大切な服を汚すことはなかった。でも、よく考えたらこの森は、こんな感じで汚れる要素でいっぱいなのだ。


 そしてその、一つ間違えたらどうなるか。本人の名誉のために誰とは言わないが、その分かりやすい結果がいたから、二の舞にならないよう、ヘテル君は着替えたのだ。


 人の振り見て我が振り直せってね。わたしも人を見たかった……。

 いや、いいんだ。開き直って、今来てる服を、汚れてもいい旅装にするから。


✳︎


 時間は少し過ぎて、食後の自由時間が終わった後のことだ。わたしには、【わたし達】には新しい日課が増えていた。

 あいも変わらずアルトさんは、手記や分厚い本と向き合って、一人頭を悩ませているが……。わたし達二人には、話さなくてはいけない事があった。


「また少し教えてもらっていい? ヘテル君?」


「うん、恥ずかしいけど」


「ありがとう」


 照れ臭そうにするヘテル君。悪いと思いながらも、頬を緩ませて、それを微笑ましくも眺めてしまった。


 いつかの時は何も教えてもらえなかった。何を訊いても返事がなくて、自分のせいかと落ち込んだりもした。でも、今は違う。


 好きな食べ物──知っている。

 嫌いな食べ物──知っている。

 好きな遊び──知っている。

 やりたくないことだって、知っている。


 柑橘系の香水の匂いが、特に好きな事を知っている。洗い物の類は、身が引き締まるようだから好きで、誰かのためを想ってする縫い物に、憧れがあったのを知っている。


 そして、選択肢がほとんどない中、それでも栄養を考えて、献立を作っていたと知ったのは、今日だった。


「ごめんなさい」


「別にいいよ!」


 あわあわと身体の前で手を振って身を引くヘテル君。実際気にしてないんだろうけど、わたしのこれまでの言動が本当に酷すぎで、謝らない訳にはいかなかった。


「エスペンの村では、本当に。あの、なんていうか。ーーーーすぅ。あの、ごめんなさい」


 頭を下げて、なんなら地面すれすれまで下げて平謝りする。ヘテル君はやはり、いやいや言ってたけど、最後には仕方なさそうに笑った。


「じゃあお姉ちゃん明日ご飯なしね」


「許して下さい。……いや、しかし。それが罰であるならば、受け入れなければ」


 くすくす笑いながら言っていたから、本気じゃないと分かっていた。──本気になって欲しかった。無自覚に酷いことを言ったわたしは、お子様だった。

 でも、ご飯抜きは嫌だな。お腹空いちゃう。


 微妙にふざけた事を考えて頭を捻らせた。そうしたらヘテル君が「じょーだん」って言って許してくれた。

 ヘテル君の優しさに甘えるのは駄目な気がするけど、彼の事を大分知っているから、感謝して頷いた。彼の顔には、色んな事がお互い様って書いてあった。


「僕も、自分でこうやって作るまで、料理の献立を立てるのが、どれくらい大変か知らなかった。お母さんに甘えすぎちゃってた」


「その年でそこまで悟ってるヘテル君は、凄いと思うけど。そっかお母さんが」


「うん……お母さん」


 何も考えず、山彦のように返してしまったことを、少しだけ悔いた。色々と話すようになって、ヘテル君の中で禁忌とされている事が、とっても少なくなったと思う。

 だから何を訊いても教えてくれたし、その時、今しているような表情は一切されなかった。


 いつだったかアルトさんが言っていた。【そういう仕方のない利口さは好きだぜ】と。


 あれが意味不明で、不快感だけが募る酷い言葉だと思ったから、どこまでもその言い方を嫌った。第一、どれが【そういう仕方のない利口さ】なのか分からなかった。


 ……でもようやく分かった。今、ヘテル君がしている表情が、その意味を全て物語っている。


 思えばおかしかったのだ。成り行きとはいえ、たった一人、見知らぬ場所で見知らぬ者達と旅をするなんて。

 記憶がないから、わたしは別に良かった。見知らぬ場所で目覚めた時、寂しいとは思ったけど、寂しくならない場所を知らなかった。だからどこでも同じだった。むしろ、全てがまっさらだから前向きにもなれた。


 でもヘテル君は違う。最初から居場所が無いわたし達と違って、彼には帰る場所がある。ちゃんと寂しくならない場所がある……あったんだ。


 異業種となって、家族や友達、皆から追われた話は、一番最初にそれとなく聞いた。でも、何年と生きたその場所が、それだけで完全に否定出来る訳がない。特に【異業種】という、どうしようもない理由での追い回しだ。


 ヘテル君は良い子だ。そして彼を育てた両親も、彼と関わった友人親族も良い人だったのだろう。彼の育ち方と、周囲への接し方でそれが分かる。ちゃんと愛されて育ったんだと思う。

 性別に関しての話は出来なかったかもしれないが、それ以外の何を、強く否定される事はなかったに違いない。


 だから故郷から追われた時、何故? って気持ちはあっただろうけど、親への愛情や故郷への愛着が、ゼロになった訳じゃないのだ。最初、わたし達と出会った時も、そして今も。

 なのにヘテル君は、ボフォルの街で話すまで、一度も故郷への哀愁を語る事はなく、わたし達を困らせる程の駄々もこねなかった。


 ヘテル君が親に対して、恨み言を言わないのも、救いを求めないのも、不思議に思わなかった。わたしには……いないから。思い出せないから。──でも彼は違う、覚えているんだ。全部。


 それなのに、ヘテル君は何も言わなかった。


 考えれば異常なことだった。すぐに気づける異常だった。ヘテル君はずっと、最初から、今の自分の立場を理解して、許される範囲で不安を語っていたのだ。


 たった9歳の子どもが、どれだけ聡く振る舞っていたんだろう。


 全然分からなかった。捨てられる恐怖を、わたしも最初は抱いていたのに。


 もちろん思い出したくない気持ちもあっただろう。でも、面倒くさく思われないように、ヘテル君はそうやって、利口に振舞っていた。それが今を生きる最善と理解して。


「……………………」


 しばし言葉を失った。なんだったらヘテル君の方が、とっくに正気にかえっていた。

 ヘテル君は、自分が何かやらかしたのかと、先程とはまた別の、狼狽え方をしていた。


 もう自分が捨てられるとは思っていないと信じたい。でもその、失敗を恐れる振る舞いを見たら、どこか不安があるのは確かみたいだと、察せてしまった。


 だからまぁ、固まっていた事に関しては、適当な言い訳を述べて、それから尋ねたんだ。ご両親や友達、故郷の事を。

 ヘテル君は最初、また困ったようにしていた。でも深呼吸して深く頷くと、話し始めてくれた。自分が故郷で、どういう風に生きていたのかを。


✳︎


「てことはヘテル君も狩に同道してたの? 大変だったでしょ」


「うん。僕の住んでた所って、今僕らがいるみたいな感じで、樹上の上だったんだ。だから狩をする上で、木々を素早く跳び移れるのは必須だった。最初は難しくって、着いていくだけでも大変だった」


 両親や友人の話から、生活についての話へ移っていた。そこで語られた内容は、ヘテル君の意外な身体能力の裏付けをするもので……。

 そりゃそんな生活を幼い内からしてたら、動けるようになるよ。


 一人うんうんと頷いて。自分ももっと頑張らないとな、なんて考えた。

 それで再び意識をヘテル君に向ければ、彼の視線は、その間に虚空の方へと移っていた。


「どうしたのヘテル君? 木が気になるの? 木だけに」


 周りには木や草花ばかり。ヘテル君の視線を追っても、そこには木々しかなかった。

 何を見ているのか分からなかったから訊いたんだけど、聞き方が悪かったみたいだ。


「………………」


 返事は返って来なかった。無視されるの辛い。

 しょぼくれて地面を弄り始める。


 わたしの事に気づいてくれたのだろう。ヘテル君は「違うの!」って、胸の前で握り拳を作って訴えて来た。語気が強まったために、意図せず作った握り拳なんだろうが、ついついそれに怯えた。


 そうしたら、悪ふざけが看破されて怒られた。

 アルトさんだけじゃなくて、ヘテル君にも怒られるようになったのか……わたしは。


 ヘテル君はしょうがない人を見る目で、言ったんだ。


「ちょっと……思い出したの。狩のために必要だから、これは練習だからって。皆が何でもない日に、木の上へ登って遊んでいたのを。

 そしてね。皆はそのまま、木の上で寝ていたりもしていたんだよ」


 親しみのある日々を思い出して、懐かしんでいたのか。最初はそう思った。でも続く言葉を聞いて、どうもそういう事ではないらしいと悟った。


「それで僕はこうやって、自分だけ下から見てるの」


 なんて返事をすればいいか分からなくて、取り敢えずは頷いた。今までの話から、ヘテル君が嫌われての事ではないと分かるから。

 一度や二度の喧嘩はあったかもしれないが、それじゃ言葉の選び方としておかしいと思うし。


「登りたかった……かなぁ」


「登れば……よかったんじゃない?」


 その後の言葉も、いまいち分かりにくくて。自分の返答が的を得ていないのは、自分でも理解出来ていたが、しかしそもそも的が見つからない。


「僕は木に登るのがね。特別好きでも嫌いでもなかったんだ。でも自分のせいで、きっと無意識に制限しちゃって。登ればなかった……かも」


「うん」


 分からないから頷いた。ヒトの心って難しい。なんだか欠けたパズルでもやっている気分だ。ヘテル君が何かを伝えようとしているのは分かるけど、一番大事なピースだけ、どうしても見つからない。


 いや、あえて制限されているのかな。


 これは何も意地悪とかじゃない筈だ。昼間の時と違って、ヘテル君から何か怪しい物は感じ取れない。

 どんな事を言いたいのか、ヘテル君の言動から必死に探る。


 それで次の言葉で、ようやく分かったんだ。


「でも僕は……。周りの友達がやるから、嫌だって思った。嫌いじゃなかったから、感情は共有したかったのにね」


 それを聞いて、自分の頭の上から、ポトリと最後のピースが落ちて来た。

 なんだ……と思った。もう知っていた事だったから。結論は新しいものに帰結する事はない、既にあった。気づくだけだった。


 言いにくかっただろうな。慮って言う。


「それは。皆──その友達って言うのは……男の子?」


 やや間が空いて、それから空気が揺らいだ。


 縦に伝わる振動は、分かりやすくて単純だった。しかしそこにある想いが複雑だったから。受け止めるのは、生中ではなかった。


「狩は男の仕事だったからね」


 それを聞いて、わたしがどういう感情を抱いたか、話すのは野暮だろう。


 アルトさんに問いかける。主語とか全部抜いて、どうです? って。


 そうしたらアルトさんは本を片手に、「暗くて危ない。怪我するからやめとけ」って言うんだ。

 今までずうっと会話に参加しなかった癖して、どころか一人、本に目を向けていたのに。この人はちゃんと話を聴いていた。努めて他人事のように言う、その口調で分かった。


 それが少し嬉しくて、腹立たしくて。


「わたしもアルトさんに心配されたかったな」


 なので茶化そうと思った。


「なんだかんだでお前頑丈じゃん。ほっといてもいいかなって思っちゃうから」


 アルトさんは見事、わたしの術中にハマってしまったようで、反射的に返してくる。このままいけば、なし崩し的にいける確信があった。


「酷くない? 女の子として扱って下さい。

 ご使用の前に、この取扱説明書をよく読んで、ずっと大切にして下さい」


「読んでも分からない不備が多いから、叩いたんだよなぁ」


「諦めないでください! それじゃ人間は治りませんよ!」


 わたし達のやりとりを聞いていたヘテル君。視界の端で、彼はふふって笑いながら、いじらしくも両手を握り合わせていた。大きく主張はしないけれど、嬉しそうなのが分かる。大切にされて、なおかつそう扱われているのが、きっと幸せなのだ。

 そんなヘテル君を見て、改めて彼には、自分のしたいことを、して欲しいと思えた。


 計画通り話の主軸はずらせたし、アルトさんの否定的な意見に、肯定も否定もしなかった。

 このままいけば、なぁなぁにして押し切れる。


「アルトさんのバーカ! 女の敵! DV野郎! ヘテル君行こう。あの人から逃げるんだ」


 ヘテル君の手を取って、無理矢理立たせてしまう。そうすると彼は困惑して「どこに?」って訊いてくる。


「木の上だったら、きっと追って来れないよ」


 言うとヘテル君は、目を丸くした。そして目を伏せてしまった。ただ、次に目を開けた時には、喜びがあって。


「うん、じゃあ。あれがいいよ。輪郭がはっきり見えるから、分かりやすくて登りやすい」


 そう言っていた。ヘテル君の顔には、【勝手だね】って言葉が書かれてあった。でも口の動きは全然違くて。ありがとうが見えたから。

 ……全部を見ないふりして、木へと足をかける。そうしてその木を登るのだ。すでに木の上だっていうのにね。


──これに意味はないかもしれない。これに必然性はないかもしれない。誰も理解しないかもしれない。


 でも君が笑ってくれたなら、君がやりたかったことをやれたなら、何でもいいんだ。


「お前達! もう登るのは良いけど、それコクヨウカだから気を付けろよ。あんま刺激はしないようにな」


 君が笑ってくれたら……何でも……何でも? 何でもいいよ。うん。……うん?


 登った後に、そういう事を言うの、やめて欲しいんだけど。

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