エピローグ
トリオンとカリナが向かい合う数十分前。
深夜に屋根の上から人の声がする。そこにいるのはカリナで、彼の視線の先には、二人の人影があった。一人は灰色の髪の少女で、胸を押さえて座り込んでいる。そして彼女の後ろに控えるようにして、仮面を付けた不気味な人型が佇んでいた。
「大丈夫だった。マーガレット?」
「ケホッ。ケホッ。ごめんなさいカリナさん……わたし、わたし……!」
マーガレットが不安がっているのを感じたカリナは、彼女に近寄ると、目線を合わせるために、自身もかがんだ。そして手を彼女の頬まで運び、ふわりと抱擁するように、大きく開いた手で優しく触れた。
「どうしたの、そんなに落ち込んで」
「だって、だってわたし……! 結局カリナさんの期待にきっと応えられなかったもの! その上貴方に助けてもらってしまったわ……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
カリナはきょとんとして、その後に笑いかけた。
「……大丈夫だよ。元々マーガレットには、あそこでちょっとの間、人形遊びをして欲しかっただけだから……ね? だから気にしないで」
「でも、でも! カリナさん……きっと望んでいたのでしょう。だってわたしびっくりしたもの。貴方以外にも人がいたのよ? きっと連れてきて欲しかったんでしょ? ねぇ、そうなんでしょう? だからごめんなさい。
でもね、わたし、怖かったの! お人形さんがいっぱい、いっぱいいて! 皆が刃物を振ってきたの! わたしはね、ただ遊びたかっただけなのに。酷いの酷いの。でも一番言いたいのはね……わたしは、わたし……やっぱりごめんなさい。きっと期待に応えられなかったからごめんなさい……」
涙ながらに訴えるマーガレット。話す言葉はどこか不自然で、さらに奥底には狂気が見えて……はっきり言うなら異常だった。けれど重大なミスをしたと思い込んで、心の底から後悔しているのは間違いなかった。
カリナは何やら思考を重ねた末に口を開いた。
「…………そうだね。僕は連れてきて欲しかったのかもしれない」
目を閉じて語りかける。すると当然マーガレットは、自分の非を改めて感じたらしく、自分自身を責め始めた。だがそこでカリナは、彼女の口を自身の手で塞いだ。そしてもう片方の腕を、彼女の首裏に回すと、自分の方に抱き寄せた。
「でも一番居て欲しかったのは君だから」
「──!」
「だから安心して……ね?」
十分な時間抱きとめたカリナは、そっとマーガレットを引き離して顔を見た。彼女の頬は、燃え上がるように赤く染まっていた。
「う、うん」
「よし……」
カリナは立ち上がると、指をパチリと鳴らした。
「それじゃあ疲れただろうから、そこに扉を用意したので、家に帰りなさい」
カリナが指し示す先には、先ほどまではなかった不気味な空間がある。そこを通してみる景色は捻じ曲がっていた。
マーガレットはその歪曲した空間とカリナとを交互に見て、不安げに竦むいた。一緒についていって欲しそうに見えるが、それを彼に言うことはなかった。
我がままを言って困らせたくない、だけど手を取って一緒に帰って欲しい。そんないじらしい乙女心を抱え、しばしの間葛藤していたが、マーガレットは諦めてか、やがて【扉】の方へと歩き出した。
けれどやっぱり我がままを捨て切れないのか、扉の前で立ち止まると振り向いた。
「カリナさん……。遊んでくれるって約束覚えてるよね?」
「……もちろん」
「うん、分かった。またね」
小さく手を振るとぴょんと跳ねるようにして、その穴の中へと入り込んで行った。それを見届けると、ついで仮面を付けた人型も動き出し、カリナに対しお辞儀をして、マーガレットの後に続いた。
✳︎
マーガレット達がいなくなった後も、まだカリナは屋根の上にいた。しかし彼が一人残るとなると、どうしたってそこには悪辣さが生まれてしまう。
今だって、まるでそろばんを弾くみたいに指をすっすと動かし、今回の惨状が自分の目的を、どのくらい進行させるものだったのか計算しているのだ。
パチリと最後に指を鳴らせば、それは計算終了の合図だ。カリナは自身が持つ、悪どい笑みをより一層、底意地の悪いものへと変貌させた。
「うん、やっぱりマーガレットを差し向けたのには意味があったみたいだね。当初の目論見通り、セアちゃんの覚醒は上手く進んでくれた。
覇王の動く鎧については……及第点にもいかないね。もしものために、保険として置いてたけど、やっぱり中身がないと単純な行動しかできない。それじゃあ困ってしまうよ」
『一番居て欲しかったのは君だから』などとマーガレットに言っておきながら、彼女に対するカリナの認識は、どこまでいっても駒の一つでしかないのだろう。
「と、そろそろトゥコちゃんを迎えに行かないと。僕にとって【一番大切な】彼女を」
カリナは視線を、アクストゥルコが埋められた教会の裏手の丘にすっと向けた。すると彼は、誰か人影がそちらに向かうのを見た。おや? と注意深く見れば、それは橙色の髪をした男だった。
「………………そうか……。流石にアルト君は気づくか」
カリナにしては珍しく熟考した様子を見せた。というのも彼女が自分以外の誰かに連れ去られることはないと、たかをくくっていたからである。その根拠としてあげられたのが。
「死体や人体の解剖なんか、個人がすることじゃないから、仮死状態なんか気づかないと思ったんだけど」
グローリー・バースが支配する領域において、人体の解剖は時たま行われている。だがそれが一般の市民の間に浸透することはない。なぜならそういったことは神秘とされ、仮にそういったことが必要となった場合には、王宮の深部の知識にて処置されるからだ。医者はあくまでも薬の処置に徹せられる。
そういったこの世界の知識を、カリナはちゃんと持っていた。でもだからこそ予想外で、彼は狼狽えるのだ。
「まぁアルト君は生い立ちが特殊だからね。
だけど……うーーん。どうしようかな。無理矢理連れて行くのも、彼が発見する前に移動させるのも可能だけど、違和感を持たれるよね。僕の個人的な目的はトゥコちゃんとラブラブすることだけど、公の目的は……ちょっと違うし……。どうしようか」
カリナは眉間に人差し指を付けると、ブツブツとつぶやき始めた。
「まぁいいや。ぱっぱとトゥコちゃん助けちゃおう。そして記憶を曇らせよう……! それが一番簡単だ!
……あっ、でもそうなると。今回の件に関わった大勢の記憶を、矛盾なく曇らせる必要があるから。魔力量的にミデアに助けてもらうことになるね。いっつも助けてもらってばかりで悪いけど、仕方ないね」
何か吹っ切れたらしい。曇り空の様な表情だったが、ぱっと晴れさせた。それで軽い足取りで踏み出した。……でもすぐに、カリナはその足を止めた。
「あれ……? ちょっと待って……。アルト君がこの行動に出るってことは、もう僕がいるって分かってる? そうだよね。そういうことだよね……。じゃないとリスクを冒してまでトゥコちゃんを助ける意味がない。つまりもう【関連づけられてる】。
仮に、曇らせが効かなかったなら、アルト君だったらすぐさま行動に移してるはずだよね。じゃあ、あの時のは効いたはず。だけど今、このタイミングで行動してる……え? いや待って、てことは」
その瞬間カリナは、後方から何かが飛んでくるのを感じた。完全に死角からの飛来物に、反応が遅れた。
「う……ン……!」
避けきれず、カリナの腹部に何かがドスンと突き刺さる。その衝撃で体勢が崩れて彼は尻餅をついた。
突然のことに驚いたものの、すぐにカリナは気を取り直す。そして自分に刺さった物が何かを視認した。それは矢であった。
その矢は身体の奥深くまで突き刺さっていて、戦士でもない、非力な彼には引き抜けそうになかった。
挨拶もなしに不意打ちでそんなことをするのは、間違いなく敵意ある誰かである。そして矢を使う相手ときた。
それらの情報を統合させたカリナは、今までのことも思い出しながら、夜空を見上げて諦観して言うのだ。
「そりゃそうだよね。アルト君のあの行動を見れば吹き込んだ誰かがいるのは間違いない。そして僕を知っていて、なおかつ歯向かえるとなれば……まぁ君か」
ガン! 高い場所から落ちてきた大きな音が響いた後、ついで何者かの足音が聞こえた。
その足音が十分に大きくなった頃にそちらを見ると、そこにはやはり、想像通りの赤毛の男が立っていた。
「久しぶりトリオン君」
✳︎
そして時は互いに向かい合う今に戻るのだが、見れば分かる通り、カリナの方が不利な状況であった。
腹部には矢が突き刺さり、武器の一つも構えていない。加えて少しでも動いたら、すぐに射抜いてきそうなトリオンの気配があった。
「いっつも思うんだけど、どうして君はそう、僕を敵対視するのかな? 僕……一度でもこの世界を滅ぼそうとすることあった?」
「……」
「うん、答えてくれないね。……続けるけど、僕の目的は君も知ってるだろ? そしてそれは君の個人的な目的にも、少しは合致している。だったらさぁ、もうちょっとほっといてくれてもいいんじゃないかな?」
「どの口が言うんだ? お前に殺された命は数多くある」
「おっ……! やっと喋ってくれたね!」
トリオンが反応してくれた喜びから、カリナはぱっと笑みを浮かべ、両手を広げた。
そしてその瞬間だった。彼の頬を何かが過ぎ去っていった。
「お前達に対しては儂の気は短いぞ。この矢が狙っていることを忘れるな。魔術行使ができると思うな」
カリナの邪気のない振る舞いに意味はなく、依然としてトリオンは鋭い気配を放っている。
「怖いなぁ。でも言わせてもらうと、僕って何かの種を絶滅させたことはないんだよ? せいぜい数百から数千の命が、時たま失われるくらいじゃないか」
「その数百、数千が問題だと儂は言っている」
「どうして? 適度なストレスは生物の成長に必要不可欠だよ。このままなんの進化もなければ、この世界は不完全に死んでいく。それにいたずらに増えさせたら、結局は生態系が崩壊する! それらを思えば結局の所、僕は救世主的な存在じゃないかな?」
トリオンはカリナの物言いに、より一層殺意を強めた。表情には出さないものの、強い語気を聞けば分かる通り、彼は内心煮え繰り返るほど怒っていた。
そしてその怒りは今の言葉でさらに深くなった。その怒りようと言ったら。眼の辺りが異業となっているため、もう眼はないはずだが、それでも射殺すような視線を感じさせるほどだった。
「ふざけるな……銀狼はお前が絶滅に追いやったものだろう」
その返しに一瞬カリナは硬直し、冷淡な瞳で睥睨したが、すぐにまたいつもの、何を考えているんだか分からない、道化の様な薄笑いを浮かべた。
「はいはいそうだね」
「…………お前は、お前達はこの世界の害悪だ。自分でこの世界から今すぐ出て行くのなら、見過ごす。だがこの世界に固執するなら」
「…………君はいつも同じことを言うね。もう長い仲なんだし、僕がこれから言うことも分かるでしょう?」
カリナが言うと、さらさら流れていた夜風がピタリと止んだ。まるで世界が、彼のことを恐れているかのようだった。
「僕はね。苦しむ姿を見るのが好きなんだ。叶わない願いにすがりついて、みっともなく努力する姿にはなんの言いようもない美を感じるね。
だから君がどれだけ頑張って僕の邪魔をしても無駄かな。きっと一人、また一人と苦しませていってしまう。ね? もういいだろ? 窮屈に生きないでさ。一緒にこの世界を楽しもうよ」
「聞いた儂が馬鹿だった」
聞き終わるとトリオンは即座に矢を放った。その速さたるや、恐らくユークリウスの最高速度すら越えることだろう。しかしカリナは、にっこりとした笑みを浮かべたまま、一切動かずにいた。それで当たる瞬間に少しだけ口を動かした。
「被害をそらす」
カリナが言うと、矢が通常ありえない動きをして、軌道を変えた。まるで矢の方から避けるような動きだった。
「うーーーん、残念だけど。やっぱり君の矢より、言葉の方が早いよ! いっぱい努力してるのは知ってるけど、ごめんね?」
カリナの煽り気味な言葉はほっておいて、トリオンはどこからともなく次の矢を創り出すと、また構えた。
それを見て、カリナは困ったように眉をひそめ、懐から古びた本を取り出した。
「まるで、自分達には罪がないとでも言いたげじゃないか……面白いなぁ君は。
この世界がこんなことになっているのは、少なからず自分のせいもあるっていうのにね!
くふ、くふふふふふ。ねぇ、そうだろう? ……僕らの原罪が知恵の果実を食べたことだとするなら、君達の原罪は確実に、【異種姦】だ!! 例え僕がそそのかしたとしても、そそのかされた君達が悪いねぇぇぇ!」
矢を向けられながら、高らかに笑い出すカリナは狂っていた。そして彼が持つ本は、宙空にふわりと浮かぶと、一人でにぱらぱらとめくられた。
「多種多様な生命が生まれた。僕らの世界にはない新しい種! なんて素晴らしい! でも君達はあまりにも愚かだった!! 珍しく新しい種を存続させることができず、むざむざ殺した。いったいいくらの絶滅種がこの世界には存在する? 君達の愚かさが生命を収縮させる、ある種のこの世界の防衛機構である【この世全ての不条理】を産んだ! そして哀れな異業種が、この世界に現れた。全部、上手い循環を行えなかった君達が悪いね!」
神を殺した竜、その言葉を聞いた瞬間に、トリオンの身体はピクリと反応した。その後顔を曇らせたが、それは怒りからというよりは、罪悪感から来たもののようであった。
その反応を見逃さなかったカリナは、この隙にと、魔術行使を始めた。
「……僕は死ねないけれど、君は僕のことを封印するだろう? とくのに時間がかかるから、アレは嫌いなんだ。なによりあの中は退屈だ。なにせ僕は君達と違って、頭がいいからね。退屈こそが一番の敵だ」
言い終わると、いくつもの魔法陣が展開した。そしてそこから出る青く煌びやかな光。夜を自身の引き立て役にして輝く様は、果てなく美しかった。
「……ふふふ。さぁ、呼ぼうじゃないか。灰の炎を。彼はとっても賢いからお気に入りなんだ」
トリオンが何もして来ないのを良いことに悠長に喋る。
そしてついに魔術行使は完成したようで、青き光は夜空を上り、天空を貫いた。
「さぁ行こう!!! 彼の名は、アフー」
言っている途中に、ドン! と大きな音がした。その音が響いた後、どうしたことか魔法陣は次から次にかき消え、何かとてつもないことが起こりそうだったというのに、その気配すら沈黙してしまった。
それに対して今度という今度は、カリナも流石に驚いたようで、この異常事態に対応しようと、情報を求め辺りを見渡した。しかしなかなか気づくことが出来ず、どうしたものかと思っていたら、ずるりと何かが落ちた。するとカリナの視界が低くなった。
よく分からないことが起きたなと見上げてみれば、隣には下半身だけが立っていた。もっと言えば、自分の上半身だけが屋根の上にあった。
「……これは何かな?」
戸惑うカリナ。自分には被害をそらすという、ノータイムで行使できる防御に適した魔術があるため、いかに矢を構えられようと、そこまで警戒はしていなかった。でも事実、自分の身体は二つになっている。何かの攻撃を受けたのは明白だ。
何が何やらと戸惑っていると、その回答は歩み寄ってくる人物が教えてくれた。
「最初の矢に、時限式の爆破の指向性を持たせておいたんだ」
それだけ言われると、カリナは何が起きたかを理解した。
「やっぱりさぁ、予測できないからずるいと思うんだ。僕の知らない、できないことで戦ってくるっていうのは……。指向性って本当に強いね」
こんな時でも皮肉げに、ニヤニヤと薄気味悪く笑うカリナ。たが、逆に言えばもうそのくらいしかできないのだろう。魔術が最終的には失敗したとは言え、あれだけ大規模なことをやったなら、少なからず反動もあるに違いなかった。
何もできないのが見透かされたのか、カリナは髪の毛をむんずと捕まれた。
「それはお互い様だ」
「そっか……そうかもね。……でも、これであの子との約束破っちゃうことになるなぁ」
トリオンはその後、頭をつんざくような不可解な言葉にならない言葉を話し始めた。するとだんだんとカリナの焦点は合わなくなっていき、しまいには白目をむいた。
──その途中、カリナは呟いた。
「ああ……どこ……でも……君は、……抗うん……ね。ネ……ンデルター……」
言い終わることこそなかったものの、トリオンの耳にはしっかりと届いていた。だからこそ、例え相手に意識がなくても言うのだ。
「儂は……知るものとして、償わなければならないんだ。この世界の全ての命に。異業種に。そして【この世全ての不条理】に。だから……お前達の好きなようにはさせられない」
何を思ってのことかは分からないが、彼は今はもう無くなってしまった瞳にそっと触れた。
エピローグ 終了
これで今章は終わりです。見てくださりありがとうございました。
そして今章の始め、それから前回にも予告した通り、お知らせがあります。
皆さん、気づいていたかもしれませんが、この【銀の歌】には、いわゆるストックがありました。それを手直ししながら投稿していました。そのため毎日投稿が出来ていました。そしてそれが今章にて、大方尽きました。
何が言いたいかと言いますと、投稿頻度が変わります。
具体的には毎日から週に一度に変わります。一週間の内どこにするかは決めていませんでしたが、今日が月曜日ですし、月曜日でいいかな? と思っています。つまり次に銀の歌が更新されるのは、一週間後の12/21(月)18:30となります。
楽しみにして下さっている読者の方には申し訳ありません。ですがストックがない状況で毎日投稿は、はっきり言って、私には不可能です。
ですから申し訳ないのですが、毎日から一週間に一度に変わります。それから現実が忙しくなった時などには、一週間お休みをいただくこともあるかもしれません(その際は事前に、後書きに書くか、活動報告に書きます)。
改めてここまで読んでくださりありがとうございました。皆さんに見てもらえてありがたかったです。また暇な時や、そろそろ溜まったかな? という時にでも、見に来てください。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!