銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第65話 人を救うのは特別なことじゃないと信じきっていて②

公開日時: 2020年11月14日(土) 18:30
文字数:5,131



銀の歌



第65話



 立ち上がりトリオンさんから距離を取る。人と距離を離したいと思うのは、これが初めてだった。


「人格の全否定がしたいんじゃない。甘えられる面を持つからこそ、セアちゃんは人とすぐに仲良くなることができる。人懐っこさはちゃんとした武器だ。

 でも、いざとなったら青年。アルトがなんとかしてくれる。そう考えているのなら、自分を省みたほうがいいし、人を救おうというのなら、それ相応の覚悟がなきゃダメなんだよ」


 そこまで言うと言葉を区切った。それからヘテル君に視線を向け、口元を歪めた。ヘテル君とトリオンさんの視線が交差する。

 ヘテル君は肩を震わせると、自分の身を守るようにマントを掴み、縮こまった。


 ヘテル君もわたしと同様、何か不味いものを感じ取ったのだろう。反射的な行動のようだった。

 生物の防衛本能にも似た動きは、ただ今回に関しては悪手だった。なぜなら今の、自身の身を隠す動作は、トリオンさんの言葉を、支持するものにしかならなかったからだ。


「異業種……なんだろ?」


「………………あ」


 バレてはいけない。バレてはいけない。バレてはいけなかった。


 誤魔化すことも出来たのかもしれないが、ヘテル君があんな動きをして、わたしがこんな素っ頓狂な声で目を丸くしたのでは、言い訳のしようがなかった。

 こんなもの何かの悪い夢だと、考えようとしたけど、時は戻らないし、起きたことも変わらない。


 だから全速力でトリオンさんの脇を通り抜け、両手を広げてヘテル君の前へ立つ。


「大丈夫だよ、ヘテル君。わたしが守るし助けるから」


「……うん」


 客観的に見ても頼りないわたしの言動では、ヘテル君の緊張をほぐすことはできない。


 わたしは脳内で後悔していた。アルトさんが何度も危惧していたことが現実に起こってしまったのだから。そしてそれを引き起こす直接的な原因を作ってしまったのはわたし。


 何度も何度も自分を責めた。でもこうなってしまっては、どうしようもない。


 だけど異業種と普通の生物で何が違うというのだ。なんだかんだ言って、この人だって、何もしないんじゃないか? そんなことを考えている自分がいた。


 悪い人なんてそこまでいないよね? そうだよね? それにいざとなれば、【きっとアルトさんがなんとかしてくれる】。


「その思考が甘いって言ってるんだ」


 素早く間合いを詰めたトリオンさんは、わたしの服の襟を、大きな手で掴むと持ち上げた。


「うぐ……!!」


 地に足は着かず、空中でジタバタと足を動かす。


「助けるというのがどういうことか分かるか? 軽い気持ちで誰かを手助けする。それも大事だ。それがなければ世界は優しくならんからなぁ」


 達観か、諦観か。トリオンさんの口ぶりは、浮世を隔絶した者の言葉に思えた。言い換えれば、既に自分の人生を一度終えたような。年を重ねたからだけでない、貫禄があった。

 しかしそんな喋り口は一転。強い語気のものへと変わっていく。


「でも今回の助けるは違う! 物事によっては覚悟がなければ、助けられないこともある。

 【異業種】は世界の敵だ。ヘテルの坊やを助けるなら、人生全部に責任を持つ位でなければならない。軽々しく助ける助ける言ってはならない。助ける相手の重さを考えて助けるんだ!

 そしてその尻拭いを押し付けるな」


「……ッ!!」


 苦しい。肉体的にじゃない、その言葉が苦しい。言って欲しくなかった。悪いことではないと思っていた。誰かを助けるのも助けてもらうのも、わたしにとっては普通のことだったから。

 助けるーー救うっていうのは誰かを頼っちゃいけなかったのか? わたしだけが責任を持つべきだったのか?


 分からない。けれど苦しい……。


「……う、うぅ……うぁあ」


 力がさらに込められる。


「なんだ。苦しいか? でもセアちゃん、君は自分の命なんか大事に思っていないだろう?」


「ーー!?」


 驚いた。そんなことを言われるとは夢にも思っていなかったから。けれどそれをすんなりと受け入れられる自分もいた。苦しいことに変わりはないけど、その言葉は自分のことを的確に表しているように感じられて、この人を責める気になれなかった。


「考えることをせず、ただただ自分の命を使うのは正しいと信じて疑わない。自分のことすら大切にできない人間が、他者を助けるなどと。馬鹿なことをするじゃないか……!」


 わたしの反応を待っているのか、トリオンさんは黙った。でもしばらく待っても、わたしが何も返さないと分かると、さらに続けた。


「人は重要な物事を決める時、少なからず責任を持つ。誰かのことを考えるよりも前に、そもそも一回きりの自分の人生を大切に思っているからだ。

 でもセアちゃんは、自分の命の大切さを顧みないで人のことを考える。だから言葉に責任から来る覚悟が伴わない。人を助けるなら、まず最初に自分を大切に思わなきゃいけないんだ!」


 ぎゅうううと襟を掴まれ、だんだんと意識が朦朧としてきた。でもトリオンさんが言う言葉は、どれもが正しすぎて、反抗しようという意思がなくなってしまう。


 【わたしは】この人に抵抗するのを諦めていた。後ろにいる守らなければならない子のことも忘れて、ただただ自分が楽になることを見つめてしまっていたのかもしれない。


 でも【彼は】この状況がどうも気に食わなかったみたいだ。


 「ボッ」と風が破裂するような音がした。その音が響いた後、奥にある木には、大きなくぼみができて。木の幹は真新しい綺麗な肌色をさらけ出していた。大きく損傷した木は、自重に耐えきれず、倒壊していった。


 でもそんな木の様子なんか、誰も気に留めない。そんなことよりも反対側ーー河原の方をわたし達は見ていた。彼の恐ろしい形相に、しばらく目を奪われた。

 そんな時だ。場の空気が途端に変わることとなったのは。


「なんだ? 大きな音がしたな? トリオンさん。エリーゼ起きましたよ」


 呑気な、場違いな声がした。

 事態を何も分かっていない、アルトさんの温和な雰囲気は、わたし達の今の状況が、何かの間違いだったのではないか、そういう錯覚を抱かせるほどだった。

 でもアルトさんが呑気そうにしていたのは、ものの数秒だった。家屋を出た彼は、すぐに不穏な空気を感じ取ったらしい。瞬き一つで間合いを詰めると、蹴りを一発トリオンさんに向けって放った。


「くぅ……」


 トリオンさんは痛みに呻き、わたしを手放すと、ドスドスと二、三歩後退した。

 空から落ちるわたしは、アルトさんに両腕で受け止められた。いつだったか、ヴァギスから逃げるためにされたお姫様抱っこだった。


 息苦しさから解放され、あの突き刺さるような視線から遮られたこともあって、ずっとずっと安心感があった。

 そして気づいた。お姫様抱っこって、おふざけな意味でもなんでもなかったんだって。


 ああ……ああ。守られているってこういうことなんだ。救うってこういうこと? アルトさん……。


 腕に抱かれながら顔を伏せて、なるべく誰も何も視界に入れないようにする。

 そして気づいた。トリオンさんが言うように、アルトさんに甘えてばかりだということに。彼の言いつけを守れない所か、ヘテル君まで危険に晒している。しかもこんなに迷惑をかけているというのに、尻拭いまで彼にやらせている。


 自分が責任を何一つ持てていないことに気づいてしまった。

 アルトさんの今まで言ってきた言葉が、どれほど重いものか分かった。彼は冷たさもあるが、自分に出来ること出来ないことをしっかりと理解している。だから身の程をわきまえて、どのくらい【救う】かを決めている。

 そしていつもそれに見合うだけの報酬を得ようとする。それらは責任という言葉を絶えず持ち、忘れないためなのかもしれない。


 それを思えば、今までアルトさんにしてきた、自分の態度は相当酷いものだったんじゃないだろうか。彼には要求ばかりして、わたしは何も返せなかった。どころか彼の人格を、たびたび非難して責めた。

 アルトさんは間違ったことは言っていなかったのに。


 トーロスさんに謝罪を迫った時も、テテネちゃんに騙されたと知って、わたしのことを【こういう奴】と言った時も、ヘテル君を拾うかを決める時も、そして病気の子どもを助ける時も。


 全部全部間違っていなかった。アルトさんは自分ができる範囲を知っていて、無責任なことはしようとしなかった。

 できないことはできないと言っていたし、無闇な危険もなるべく避けて通っていた。それゆえに甘いだけの他者……わたしに厳しくしたんだ。

 それを酷い人の一言で片付けて、分かった気でいた。


 そして今、自分がそんな風に貶し続けてきたアルトさんに、守られている。


ーーこれが甘えているじゃなかったらなんなのだ。


 色んな、本当に色んな言葉や日々の言動が、頭の中をめぐる。トリオンさんから受けた、目に見えない傷も相まって泣けてきてしまう。

 彼の服の裾を涙で汚す。


 アルトさんはわたしの様子に気づいたのか、声をかけてくれた。


「セア……いいぞ。泣かなくて」


 優しい言葉だった。どうしようもなく優しくて、この事態を引き起こしているのは、わたしでしかなかったっていうのに、それでも優しくて、言葉が態度が、包み込む手がわたしの心を必要以上に慰めた。


 アルトさんはわたしのことを強く抱くと、目の前の人物に向けて敵意を飛ばした。


「あんた……何してくれてんだよ」


 低く唸る声。そこにはわたしが持ち得ない覚悟が備わっていた。


✳︎


「こういうのがアレだろ? 恩を仇で返すってやつ。助けられた分際で身の程をわきまえろよ?」


 アルトさんはわたしを下ろし、ヘテル君の方へ行くようにと言った。わたしはそれに従い下がると、彼の手をとって握りしめた。

 アルトさんはわたし達の前に立ち、短剣を腰元から取り出すと、トリオンさんに突きつけた。


 普通刃物を突きつけられれば、少なからずとも怯えるはずだ。ましてや、そういった危険な事とは無縁の人であれば、恐怖心にかられ、足が震えてもおかしくないだろう。けれどトリオンさんは、臆した様子を毛ほども見せなかった。先ほどまでと同様、毅然とした態度だ。


 これが何を意味するか……。いい加減わたしにもわかってきていた。

 先ほどの『危険とは無縁な』というのは裏を返せば、危険と隣り合わせにあった人からしてみれば、たいして驚く要素になりえないという意味にもなる。


 そしてあそこまでの余裕そうな態度。危険にさらされてもどうにでもできるという自信の表れ。つまりは【強い人】。


「……おっさんはな。その子にもう少し自由に生きて欲しくて、少し荒っぽい手段を取っただけなんだ。甘えてるとは言ったけど、それはその子の歳からしたら普通なもの。儂だってできることなら、その子のわがままは全部見届けたかった。

 だがそれは叶わなくなったんだ! 知らない間にいつの間にか、その子が異業種との関わりを持ってしまったから。

 そうなると早くに目覚めてもらう必要がある」


 恩を仇で報いているこの状況。トリオンさんは言い訳なのかそんなことを言う。でも語る内容は全く意味がわからない。いまいちぴんとこない、そんな表情をするけれど、トリオンさんは話をやめたりしなかった。


「力を使いこなさなければならない。けれど外殻に意思を捻じ曲げられて欲しくはない。外殻はその子の優しさを異質なものにしてしまう。人としての当たり前の感性を奪われて欲しくない。だから……」


「おい。おっさん。誰もんなこと聞いてねぇよ。何訳わかんねえこと言ってんだ?」


 まったく要領を得ない話に、不信感をもって問うのは、何も不思議なことではないだろう。

 だがそもそも、トリオンさんは理解させようという気は無かったみたいだ。


「……うん。だからの。訊きたかったんだ。一つだけ質問を」


「……なんでしょう?」


 不安だった。何を聞かれるのか不明で、だけど聞いておきたくもあった。だから答えてしまった。アルトさんは「返事をする必要なんてない」と牽制していたが、聞いてみたかった。


 これから問われることが、わたしが人として、【人】になるために必要なことと直感して。


「うん。それじゃあ、訊くけど……。セアちゃんはさ。もし一人だけを助けられるとしたらどちらを助ける?」


「どういうことでしょうか?」


「……片方はセアちゃんに非常に近しい存在、いつもそばにいてくれて、助けてくれる人。

 もう片方はセアちゃんと全く関係のない赤の他人。もしどちらかしか助けられないとしたら、どっちを助ける?」


 何を聞くかと思ったらそんなことか。もっと酷い質問かと思った。そんな前提で片方しか助けられない場合どちらを助けるか?

 そんなもの考えるまでもなく決まっているではないか。誰だって当たり前のように帰結する答えだろう。


 アルトさんが目につく。

 そうだよ。わたしが選ぶのは。


第65話 終了


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