銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第64話 人を救うのは特別なことじゃないと信じきっていて

公開日時: 2020年11月13日(金) 18:30
文字数:3,903

銀の歌



第64話


 少し街道を離れた森の中。小川の流れるここには、水汲みのためにやってきた。

 ちゃぽちゃぽ音を立てて裸足で川の中を歩く。水はとても冷たく、陽の光がさんさんと輝くこんな日には、丁度良かった。


「シーちゃん。どうどうですよ!」


 わたしが見ているからという理由で、シーちゃんはそこらの木に繋がれもせず、自由に水の中を歩き回っていた※。


※セアちゃんが自由に遊ぼうとするので、それを見張るためにシリウスが駆り出された。


 遠くの方で美味しそうな魚を発見すると、シーちゃんがぺろぺろと頬を舐めて、自分の背中に水をかけるようにせがんできた。


「もう、しょうがないですね〜!」


 だからわたしは魚を諦めて、シーちゃんにパッチャパッチャと水をかけてあげた。すると嬉しそうにいなないた。

 普段わたしがよく知るシーちゃんとは違って、彼女……彼も意外と甘えん坊なんだなと、思わされた。


✳︎


 一見わたしが遊んでいるように見えるかもしれないが、実はこれには意味がある。


「そういうのもあるんですか……」


 アルトさんが先程からトリオンさんと話している。


「うむ。こういった毒草は薬にもなる。儂の無骨で大きな手は、不器用すぎて薬に出来ないが……。青年なら」


「ええ。原理は理解できましたし、ナコブの葉の特徴も掴みました」


 目を輝かせて語るアルトさんは、いつになく楽しそうだった。

 わたし達が彼らと共に行動するようになって二日経った。あの不思議なおっさんートリオンさんーは、エリーゼを治療してくれたお礼だと、多くの見返りをわたし達に提示してくれた。長い旅路の中で、アルトさんが即物的な人だと言うのは十分に理解していたから、きっと彼は喜ぶと考えた。


 だがしかし、アルトさんがおっさんから欲したのは、何よりも知識であった。


 トリオンさんと話す中でアルトさんは、彼の頭の良さを感じ取ったみたいで、事あるごとにいろんな物事について尋ねていた。

 それに対しトリオンさんはどの質問にも過不足なく適切な回答をしていた。


 アルトさんが即物的な人物だと言うのは知っていたが、それ以上に知識を欲する人間だと言うのは最近になって、新しく知った事実だった。

 でもあれだけ知的好奇心が豊かだからこそ、アルトさんは異常なほどの知識量を有していたのだろう。


 そんなおっさんは会話も非常に巧みで、【良い】掴み所のなさがあった。アルトさんが商人モードの時にやる、あのウィットに富んだ感じだ。

 けれどアルトさんのそれとは決定的に余裕さが違った。恐らく自然体なのだろう。知識が豊かで人柄も良いおっさんは、二日しか行動を共にしていないというのに、あっという間に溶け込んだ。


 今ああやって、アルトさんと楽しそうにお喋りしているのが証拠だ。


「ああ。じゃあやっぱり、アレも存じていますよね。『職業を説明するのは……』」


「『難しい。行商人に近いかもしれないが格好良く、あるいはかっこ悪くいうならば、探索者ではないだろうか。未知を既知にするのが、我等知恵ある者の務めだ』」


「……その通りです! 探索者【ワールドトラベラー】の有名な台詞ですね。ユグレス書の第八十二頁、十五項のものだったと思います」


「いや〜ユグレスなんて名前を聞いたのはいつぶりだろう。本当に青年は通だね〜。良い知識欲だ」


「貴方ほどではありませんよ……」


 まさに水を得た魚である。あれほど生き生きと話すアルトさんは珍しい。少なくとも、わたしでは引き出せない表情であることは間違いない。


 という訳でわたし達はこうやって、移動時の休憩時間を過ごしているのだ。水飲み休憩は旅をする者にとっては、なくてはならない時間だ。こうして冷たい水に触れられるのも気持ち良くはある。


 ただ……アルトさん。あ〜んなに楽しそうにしちゃって……。いつのまにか敬語まで使い始めて……。


 どうにもできないもやもやとした気持ちが、心の中で蠢く。それは這い回る虫のようで非常に不愉快だった。


 なんだろうな……この気持ち。


 彼らの方を眺めていたら、途端に力が抜け始め、わたしはその場に座り込んだ。今いる所が浅瀬だとはいえ、水が流れているのだから、当然服が湿り水気はお尻にまで到達した。

 それは足に当たるものとは別で、不愉快な冷たさであったが、それでもわたしは動けなかった。


「……」


 シーちゃんはわたしのあからさまな様子の変化に、何かしら感じる所があったのだろう。わたしよりも河口側の方に腰を下ろした。水が飛び跳ね髪や服を濡らしたが、それらはすぐに太陽の熱に照らされ、気にならなくなった。


 ヘテル君はまだわたし達のことを怖がってるから、はじの方にいるだろうし、エリーゼちゃんは偶々近くに、無人の小屋があったから、そこのベッドに寝かせているし……。


 不安なことなんてないのだ。別に……。だと言うのにここまで物悲しい気分になるのは何故だろう。自分ではどうにも、解答までたどり着けそうにない。


 なんでだろう?


「それはの。セアちゃんが甘えているからだよ」


 目をパチクリさせ、声が聞こえて来た方、顎を引いて真上を見上げる。前髪で隠されているため目は見えなかったが、にんまりと笑みを浮かべるトリオンさんがそこにはいた。


✳︎


「甘えてるって、どういうことです? それにアルトさんはどうしたんですか?」


「青年なら小屋の中に、エリーゼの様子を見に行ってくれてるよ」


 ちょいちょいと親指で小屋を指す。「そうですか」と納得した旨を伝えると、わたしは少しの間黙りこくった。


 ……先ほどの甘えてる発言。言われるまでもなく、理解しているつもりだった。

 そもそもたった数日の付き合いしかないのに、何の権利があって、そんなことを言えるというのか。


 そんなことを考える。そして考えた後、わたしの頭の中で何かがぐちゃりと嫌な音を立てて崩れた。何か大切な自分の倫理観が潰れていくような、嫌な錯覚を味わいながら。


 わたし……なんで? なんでこんなこと考えた。わたしの、わたしの優先対象は、は、は、は、は、は、は、は、は。


 何か、不具合が起きたように、からくりの歯車が止まるように、物事をまともに考えることが、この一瞬できなくなった。


「そうか。やはり創世の……」


 トリオンさんは何か言いかけたみたいだが、そんなことはどうでもよくて。今はこの人の先ほどの発言、『甘えてる』と、ついでだから身体の中を這い回る不快感についても、尋ねてみたくなった。


「わたし、甘えてるんですか?」


「…………うん」


 言いたげな言葉を飲み込んで、トリオンさんはわたしの質問に答えてくれた。


「儂らを助けた時、なんで笑ってた?」


「笑った?」


 彼らと出会った二日前を思い出してみる。みるが……中々該当するものが見つからなくて、わたしは途方に暮れてしまった。


「ああ。言い方が悪かった。何故青年……アルトを笑った」


 アルトさんを……?


 それでもまだ要領が掴めなかった。だから【これっきりだ】そんな顔つきで、核心に迫る情報を、トリオンさんはもう一つくれた。


「視線を感じたはずだ。冷ややかな」


「冷やや……」


ーーそれで理解した。ああ。あの時かと。


「アルトさんを笑ったのは……どうせ助けるのだから、何を言っても同じかと思ったからです。全然違いますが、照れ隠しのような」


 そう。ヘテル君を拾って一緒にいると決めた時、あれだけアルトさんから言われたのに、わたしの中ではこの人達を助けることは決定されていた。


 そして何だかんだ言いながらも、アルトさんも当然のように、わたしと同じ考えだろうと思っていたのだ。

 本気で頼めば断らない、そう高を括っていた。そして実際アルトさんは断らなかった。彼はいつだって助けてくれたから。


ーーだからあの時、わたしは笑った。


 結局の所、人間は人間を助けてくれるのだから。


「ほら。その思考が甘えているって言ってるんだ」


「……」


 この人もアルトさんと同じように、洞察力が優れた人なのだろうか。いやきっとそうなのだ。じゃなきゃこんなにも、腹立たしく感じるのはおかしい。わたしが腹を立てれる唯一の相手はア……。


「甘えているんだよ。青年に。

 お前さんはあれだな。捨てられた生き物を見て、可哀想だからと拾って。その後は面倒を見ると言って何もしない五、六歳の子どものようだ。誰が尻拭いをしているか

……。それを考える必要がある」


 ピシピシと心に亀裂が入っていく。言われたくなかった事を次から次へと一気に言われ、笑顔が保てなくなりそう。

 そしてこのおっさんの言っていることは、正論だと思う。だから痛いと感じるのだ。でも痛いのは嫌だった。


「もう一度……いえ……。

 貴方は酷い。どうして会ったばかりで、たった二日ぽっちで、心の動きを理解できると言うのですか? 的外れかもしれませんよ」


 いいや。当たっている。言っていて分かっている。つまりは二日一緒にいただけでも分かるくらい、わたしはわがままであった。そう言う事なんだと思う。

 自分がある程度わがままに振舞っていることは理解している。だけれど二日……。それだけで何故そうも。


「論点をすり替えないようにの」


「……ッ」


「儂は甘えてるって言ったんだ。出会った時間のことを聞いているんじゃない。勿論セアちゃんが……出会った時間で判断する人間だって言うなら、儂の話は無視してくれても構わんが」


 卑怯だなと感じた。


「ずるいか? でも仕方ない。今まで言ってきた言葉や態度っていうのは、全部自分に返ってくるものなんだ。セアちゃんはたった数日で、誰とでも仲良くなって友達になれる、そういう面では天才の人物じゃないか」


「じゃあ……やっぱりわたしは、貴方の話を聞くしかないじゃないですか」


 おっさんは瞳を未だ隠したまま、うんと頷いた。


第64話 終了

 シリウスがあの時考えていたこと!


 魚……注意……。遠く……危険。逸らす。それが大事。


 ぺろぺろ。※舌で舐める音。


セ「もう、しょうがないですね〜!」


 知らぬは本人ばかりかな。

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