銀の歌
第76話
ーーもうダメかもしれない。
死体を従えて楽しそうに笑う、マーガレットと名乗った少女を見て思う。
死体達は僕の周りに群がり、肌が腐り落ちた手で、触れようとして来るのだ。身をよじって少しは抵抗したが、結局僕の肩は死体の手に掴まれてしまった。その力は強く、ぎゅううと握り潰されるようだった。
「あっ……うっ!」
手を跳ね除けて、一時その拘束から抜け出したが、包囲されている状況は変わらない。このままだと、確実に終わりだ。
そんな時、背後で何かがドチャリと崩れ落ちる音がした。
振り返ってみれば、そこには足の筋肉や腱を削がれた死体があった。彼らは立てなくなってしまったのか、その場でじたばたと、ただもがいていた。
周りを落ち着いて見渡せば、動けなさそうな死体は、それだけではなかった。あちらこちらに、足首がなくなった死体が横たわっている。
「誰!?」
マーガレットが警戒心をむき出しにして叫ぶ。それから身を守るためなのか、何体かの死体を、自分の近くに集合させていた。
僕も、自分の窮地を救ってくれた人のことが気になる。
それが誰だったのかを探そうと視線を動かすが、全く見つからない。
だからこそ、また肩を掴まれてしまった。
気を取られた。そう後悔するも時すでに遅い。
肩を掴む手は先程の比ではないくらい、膂力を持っていた。抵抗する間も無く、僕の身体は宙を舞い、そうして抱き抱えられてしまった。
「すまないな。遅くなった」
新緑のマントをなびかせた彼が、僕の身体を抱いている。セアさんがこんな風に、抱き抱えられているのを何度か見たことがあるが、まさか男の僕が、されるとは思ってもみなかった。
だがそこにある安心感というのは確かなもので、守られている感覚があった。加えて僕を抱き抱えてくれているのは、彼なのだ。
「アルト……」
「おう」
✳︎
「んで、この現状どうすっかね。あいつが……死体騒動の元凶なんだろう?」
迫り来るいくつかの死体の手を、アルトは跳ねるようにして軽やかに避ける。両手は僕の身体を支えるために、塞がってしまっているから、何も反撃はできないけれど。
「多分……」
小さな声で言うと、アルトに「ふぅん」と素っ気なく返された。彼の視線は常に、マーガレットに向けられている。一定の距離を保っているが、相手が何をできるのか分からない現状、気を抜けないらしかった。
ただ情報が少ないと言うなら、僕もそうだ。
何故アルトがここにいるのか、聖騎士団やセアさん達はどうしたのか。何よりマーガレットと名乗るあの少女がいったい何なのか。それらを訊かなければ、答えようもない。
「アルト……。まず教えて。なんでここにいるの? セアさんとは別行動なの?」
アルトはちらりとだけ、僕のことを見る。先程よりも意識を割いてくれているのが分かった。
「そりゃこっちが聞きたいんだけどな。あそこで待ってろって言ったのに。
……まぁ、今んとこ膠着状態。少しでいいなら、簡単に説明する。ヘテルと別れた後俺はな……」
✳︎
「「「もしかしたら本当に死体が動いているのかもしれない?」」」
「ああ。その可能性がある」
誰がどこの区画を担当するのか、それの最後の確認段階の時に、アルトは急にやって来てとんでもないことを言った。
「だけどアルトさん『死体が動くなんてありえない。見間違いのようなものだろう』って言ってたじゃないですか」
この真剣な場には場違いな人物ーーセアが間の抜けた面で口を挟んだ。
「ああ。最初の内は見間違えたりしたんだろう。千鳥足で歩く人、くぐもった唸り声。それらは何も、特別珍しいことでも不思議なことでもない。酒を飲んで酔っ払った帰り道は、足取りがふらつくもんだし、獣が何かに警戒して出す声は、くぐもった唸り声が多い」
本来は今この場にいる、ラーニキリスやトーロス以外の聖騎士団のために言った言葉だったのだろうが、セアも初めて聞いたとばかりに眉をひそめた。
「お前にも言ってなかったか?」
「……? そうですね。初めて聞いたと思いますが」
アルトが尋ねると、セアはきょとんと首を捻り、本当に今初めて知りましたと、言外にそう伝えていた。そうと知ると彼は、「そうか」短く言って、話を進めた。
「今回の騒ぎが起きた結果的な発端は、街の人達の訴えが元だ。でも死体が動いてるなんてことを、印象付けたのは別の話だ」
「そうね。貴族家……エレステル家の方だったかしら。彼らが調査のために出向いて、『脳を丸出しにした人に出会った』って話よね」
車椅子上からトーロスが答える。そうするとアルトは、嬉しそうに口元を吊り上げた。
「その通りだ。そこだけは簡単な見間違えじゃ済まない。
お偉いさん一人だけでなく、付き人も同じように証言しているんだからな。だから俺はこう思ったんだ。それは共同で見た幻想ではないかと」
「ふむ……共同で見た幻想? …………ああ、そういうことか。ないとは言わないが」
ユークリウスが口元に手を当て、いつもと変わらない表情で淡々と言う。それに対してもアルトは嬉しそうに、「そうだな」と頷いた。
「確かに強引だ。でもあり得る。念頭にある想像と媒介が同じだったなら。……結局の所見間違いでしかない、でもそれは必然に起きた見間違いだ。
共同で見た幻想、【共同幻想】とでも言おうか」
「その共同幻想って結局なんですか?」
いつもだったら詳しい説明が入るのに、今回に限っては、次の話に進もうとしている。だからセアは、頬を膨らませた。
「すまん。聖騎士団の連中が優秀だったもんで、嬉しくてつい……な」
顔を抑えて言うアルトは、苦しそうだった。その意味に気づいたらしいセアは、「もしかしてそれって……」小さな声で呟くと、後ろに数歩引き下がった。
「まぁ、俺が今回定義した、共同幻想を簡単に説明すると。誰だって一度や二度はあるだろ? 頭の中で思い描いたものを、実在するように思って見てしまったことが。
例えば、もうこの世に実在しない、竜住まう天空の城を、空の彼方に見たとかな。……実際は大きな鳥や、歪な形の雲だったりするわけだが」
アルトの説明を聞いて聖騎士団の人達は頷く。だが、中にはまだ理解できていない者もいるようでー当然セアも含まれるー。
「貴公早く結論を言うべきだ」
ラーニキリスが鋭い目つきで、アルトの説明の助長さを指摘する。内心で快くない感情を抱きながらも、自分にそういった所があるのは、セアとの会話で気づいていた所でもあった。
鋭い視線をラーニキリスに返すと、アルトは結論を急いだ。
「だから……偉い人達は調査に来る前から、墓場の不穏な情報は知っていたんだろ? 死体が動いているかも……。そこまでいかなくても、予め得ていた情報から、天空の城の例のように思い描いたんじゃないのか。……それも、何か不気味な想像を。
そして同じ情報と同じ景色を共有した全員が、この墓地で似たようなことを想像した。怯えも相まって、彼らの中でその想像は、共通の実在しうる不安……幻想になった。
んで仲良く見間違えた。凄いこじつけているけど、『死体が動くのを見た』。そんな馬鹿みたいな話。まともに考えたんじゃ仮説だって作れない」
半ば投げやり気味に、荒っぽくなった説明には怒気があった。だがそれでようやく、セア達も一端の理解を示した。そして彼女は、理解したからこその疑問を抱いたのだ。今回の話では、天空の城のような、見間違える対象がいないことに気づいて。
「アルトさん。じゃあ偉い人達は何を見て、その共同幻想を抱いたんです。何かしら見間違える対象がいなければ、ダメなのでしょう?」
痛いとこを突かれたと、アルトは顔をしかめた。でもそれに対する回答は、予め彼の中で用意されていた。
「だからぁ。いたんだろ? 頭を怪我して、血を流している人物が……」
セアやドルバそれからミリアなどは、アルトの言ったことが理解できなくて、「はぁ?」と大きな声を漏らした。顔には“何言ってんだこいつ”。という不理解の言葉が書かれているようだった。
「いるだろ? 血塗れの修道服の女が……」
「あっ…………………………」
その瞬間誰もが理解の色を示し、呆然と立ち尽くした。
ただユークリウスなど、予めそういった結論になることを察していた者は、難色を示していた。
「まぁ、そういうことだ。殺人鬼……大怪我負った後もしばらく這い回ったんだろ? あいつを見つけたのはどのあたりだよ?」
問いかけるとユークリウスが代表して、「この墓地の……まぁ近くではあるな」と、相変わらずの無表情で答えた。
「そういうことだ」
納得したと誰もが頷いた。アルトさんの話は、それで終わるかに思えた。だが彼は「最初の言葉を思い出してくれ」と言うのだ。
「ここまでが俺の昨夜までの思考。
別に殺人鬼じゃなくても、頭怪我したやつがいれば成立するからな。死体が動いたなんて馬鹿げたことを鵜呑みにするよか、よっぽど建設的だ。
墓地で軽く調査した後街に戻って、ここ数日で頭怪我した奴が、墓地の中うろついたか聞き込みすればいいんだ。楽な仕事だよ。その後そういった根拠や証拠を持って、商会の連中やらに言えばいい」
一息に言って疲れたのか、アルトは少し間を置いて唾を飲み込んだ。その後で「けれど」と言葉を繋げた。
「殺人鬼の様子と。あともう一つ……いや二つが原因で、考え方が変わった」
「それは何?」
トーロスが尋ねれば、今度はアルト以外の皆が、唾を飲む番だった。彼らの期待に応えるように、アルトは言う。
「俺とセアは、多分だけど……既に動く死体に出会ってる」
アルトはその後も、突拍子も無いことを言うわけだが、それらの内容は、この場にいる者をさらに驚かせた。
特に一緒に歩いて来たセアにとっては、アルトの頭の巡りは、驚異的なんだと刮目せざるをえなかった。
第76話 終了
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