銀の歌
第58話
整えられた道をくぐる。すると辺りは真っ暗で、奥の方までは見渡せなかった。
「うわー! くっらい!」
「騒ぐな。騒ぐな」
アルトさんは手荷物から何本かの枝を取り出すと、片手に集めた。次にボロついた布を枝に被せると、ひとまとまりにしていく。その後細長く伸縮性のある銀色の物体ー針金ーを巻きつけて、しっかり縛ると固定した。
この暗闇の中ようやるな〜。感心してアルトさんを眺めていた。
アルトさんは、懐から瓶を取り出して、中に入っている黄色い液体を、ボロついた布にかけていく。サラリとした黄色い液体は、そのままボロ布に吸い込まれていった。
それを確認したアルトさんは、「ちょっと持ってて」と、わたしにその木の束を預けると、滑らかな石と小型のナイフをそれぞれ取り出した。
「ちょっと驚くかもだけど、落とすなよ」
「?」
あひる口とつぶらな瞳でアルトさんを見る。これから何をするのか分からないので、若干困惑気味に。
そしてアルトさんは、わたしがもつ変な物体に、ナイフの腹と滑らかな石を向ける。
その動作になんとなく嫌な予感を感じた次の瞬間。アルトさんはナイフを石の上で、シャッと走らせた。
するとボゥ! と火の粉を吹き上げて布が燃え盛る。
「あっ……はっつ!」
暗闇の中唐突に現れた火に恐れをなして、慌てて自分が持っていたものを放り投げる。それを予期していたかのように、アルトさんは放り投げられたそれを、空中で捕まえると、注意してくる。
「ほら〜。投げんなっつたろ?」
──何言ってんだこいつ……?
激しい怒りを覚えながら、アルトさんに食ってかかる。
「いや! これは言わなかったアルトさんが悪い!」
「ちゃんと、『驚くかもだけど、持ってろよ』とは言ったぞ?」
嫌らしく口の端っこをつり上げて、わたしを見下ろした。
分かっててやったなこいつ……。
アルトさんが最近意地悪ばっかりする。だからそんな人知りませんと、背を向け頬を膨らませる。
「……悪い悪い。流石にやりすぎた」
アルトさんは火のついたそれー松明ーを持っていない方の手で、わたしの頭をポンポンと撫でようとしてくる。だからそれを払って「あぁ……?」低く唸った。
「怖!」
びくりと後ずさり、「やりすぎたか」小さく呟いていた。どうやら反省はしているみたいだ。
最初は腹が立っていたが、そんな様子を見ていたら、心に小さな靄みたいなのが出てきて、なんだか居心地が悪くなってきてしまった。
「……次の街に着いたら、美味しいのいっぱい食べさせてください」
ぷくーーっと頬を膨らませ、アルトさんに後ろ姿を見せたまま言う。それを聞くと彼は「ああ。分かった」と、幾分か安心したように言っていた。
ちゃんと反省してくださいね。思いながらも、アルトさんの胸元に寄って、甘えた声で訴える。
「もちろん! デザートもですや! ……噛んだ」
口元から血を流して下を見る。するとアルトさんは何も言わずに、唇を綺麗な布で拭ってくれた。
それから何事もなかったように、松明を揺らして辺りを照らす。
照らされた石壁には、何かしらの絵や文字が書かれていた。絵に関しては抽象的だったり、不恰好さがあったりして意味が分かり辛い。文字に関しても、見たら頭が痛くなるような物で、上手く認識できなかった。
まぁどちらも、わたしには理解できなかったということだ。
だがアルトさんは理解しているようで、興味深くふんふんとうなづいている。
「まだ少しだけ先があるみたいだ。壁に書かれた文字や絵ー壁画ーでも眺めながら進もうか」
コツコツと音の響きが変わった地面を行く。松明があるから、最低限の視界は確保できるとは言えやはり暗い。
「アルトさん。そういえば、この通りに入るまで、視界が良かったのはどうしてでしょうか?」
明かりに照らされた壁画を見ながら言う。
「ああ。それだったら光虫だな。明かりを吸って光を発する虫がいんの」
「へぇ」
「まぁ、ここは長い間完全に封鎖されてたからいないんだろうな」
「ふ〜ん」
素っ気なく返す。アルトさんもそれに対して、なんら不信感を抱いていない様子だ。もう少し明るく返してあげても良かったのかもしれないけど、少し考えたいことがあったのだ。
手で壁画の文字や絵をなぞる。
わたしはあれから多くの知識を手に入れたと思う。初めてアルトさんに会った時と比べたら、きっと天と地程も、知識量に差がある筈だ。あの頃は初めて聞く単語ばかりだったー今でもたまに分かんないことがあるがー。ギン素なんて最たるものだ。
しかしもう今では、アルトさんや聖騎士団の皆、色々な体験を通じてこの世界のことを知れている。無知だった頃とは違う。不測な事態にも、ある程度は対応できるようになった。
でもまだ知らないことがある。
アルトさんの松明が細い通路をほのかに照らして、壁画に書かれた文字や絵の一部が見える。それらを見ながら思う。わたしは【この世界の歴史を知らない】んだと。
どうやってこの世界が成り立ったのか、どのようにしてこの世界は生きてきたのか。
アルトさんや他の人から聞くように、この世界にはちゃんとした歴史がある。この壁画もその証拠だ。昔の人達が彫ったものなのだろう。
現状を知るだけでは、この世界のことを本当に知っているとは言えないんじゃないだろうか。
わたしは胸元の瓶に手をかける。
この花も多くが謎に包まれている。この通路を通るために一役買ってくれたみたいだが、その仕組みは分からない。
もしかしたらアルトさんは、何か訳知り顔だったし、少しは理解しているのかもしれないが……。きっと教えてくれないだろう。
彼とは長い付き合い……という訳ではないが、濃い付き合いだったから、なんとなく彼の思考が分かるのだ。その部分は、自分で知っていかなければいけないのだと。
そうして長い間考えていなかったことを思う。
わたしの歴史は、どこに置いてきてしまったのだろう。
ペタペタと素足で歩く洞窟の地面は、ひんやりとしてて裸足では少し冷たい。足元に注意を落としていたら、ごつんとおでこをぶつけた。
「いて」
見上げてみれば、アルトさんが松明を正面に掲げ立ち止まっていた。わたしは少し移動して、彼の横に並び立ち、目の前に描かれたものを見る。
「アルトさん。これは?」
わたしが指差したのは目の前に描かれた大きな絵。でかでかと壁いっぱいに描かれており、ここがこの洞窟の終わりですよ。そう言うような迫力があった──実際にここで行き止まりでもあるし。
この洞窟最後の壁画は、今まで見てきたどの壁画よりも描き込まれており、それだけに現実味を帯びて伝わってきた。重圧感のあるその絵には、だいたいこんなことが描かれている。
わたしから見て左側には、草原やそこに立つ人(マヒト)。それから様々な動物(マヘト)、ついこの間見たアルゴザリードっぽいのもいる。彼らは互いに身を寄せ合っていて、何か穏やかな印象を抱かせる。
しかし少し右に目を向ければ、わたし達ー弱い生き物ーを守るようにして前に立つ、巨大な翼を持った何かがいる。
人間よりも動物(マヘト)の誰よりも大きく、非常に強そうだ。そんな巨大な翼を持った何かは、複数描かれているのだが、どれも傷ついていた。何より彼らの立つ大地は荒れ果て荒廃していた。
その様を一言で言うなら救いがない。
自分の力では到底及ばない何かに、抗っている様子がありありと表されていた。
しかしそれですらまだ生ぬるい。もう少し視線を右方向へと移せば、そこには黒々としたおぞましい液体が、荒れる海のように描かれていた。
そしてその黒い海に飲まれ、苦悶の表情を浮かべる巨大な翼を持つ者たちは、どことなく黒いドロドロに喰われているようにも見えた。
耳をすませれば、今にも彼らの怨嗟の声が聞こえてきそうである。
「…………」
なんだか息苦しい気持ちになる。どことなく胸の内に不快感を感じ、胸を解剖してでも取り出したくなる衝動に駆られる。けれど当然そんなことはできないので、胸元にある花の入った瓶を、ぎゅっと握りしめるに留めた。
不安な想いを抱きながらも壁画を見続ける。まだこの壁画は終わってはいないから。まだ右方向へ視線を移せる。
たどたどしい動作で、見やすい位置まで歩いていく。そんなわたしの後を、アルトさんは何も言わずに、松明で照らしながらついてきてくれる。
この先は見てはいけないような気もする。しかしそれでも見たい気持ちが高まっている。わたしはアルトさんが照らしてくれる光を頼りに、壁画を見た。
そこには先程までの景色ですら、救いがあったのだと思わせるほどの光景が描かれていた。
「ーーーーーーッ」
ただ一点に釘付けになる。
そこには二つの何かが描かれていた。片方は人の姿によく似ている。だが他の人(マヒト)とは、存在から違う気がして、神々しい威光を放っていた。そんな人の形をもした何かは、多くのドロドロに塗れていて、それで身体を汚されていた。
そしてそのドロドロを発生させていると思わしき、もう片方の生物は天高く咆哮を上げている。それはこの壁画に描かれている誰よりも、大きく不気味だった。
壁画に描かれたものを見て、自分が感じたことを言い出そうとすれば、きりがないのだけど。このことだけは、言っておかなければいけない気がした。
「アルトさん」
「……ああ」
「わたしは、わたしは」
「……」
「きっとこいつを【殺すために】ここに遣わされたんです」
初めて見たのに、わたしはこれがなんと言う化け物か知っていた。意識したわけでもなく、自然に口をついて出た。
「【神を殺した竜】。これがわたしの敵なんだ」
瓶の中にある胸元の花は、言葉に呼応するように、淡い光を一瞬だけ放った。
第58話 終了
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