チチチチ、チチチチ。
朝を告げる鳥の声が、辺りから聞こえる。
しかしわたしの意識は奥深く。未だ眠りについたままだった。昨日は色々なことがあり、自分が思うよりもずっと疲れていたらしい。肉体がわたしの覚醒を阻止しようとする。
だがしかし、身体に違和感を感じる。主に頰のあたりから、これは……痒みだろうか。
わたしは、まだ起きたくはないのだ……。疲れてるんだから……後五分、後五分だけ。
さらに意識の奥底に逃げようとするも捕まってしまう。まただ、今度は頰と言わず全身が痒い。
「……っは……あぁ……ふふ」
口からついつい声が漏れる。
「うっく……くく、うへへ……へは、はぁ……」
ああ、もう!!
「痒いわ!! ボケーーー!!」
罵声と共に毛布をガバっと取っ払い、上半身を起こした。まだ、眠り足りなかったが、余りにも痒すぎたので仕方ない……。それにしてもこの痒みはなんだろう。気づけば辺りには、昨夜はなかった辛いような痺れるような、不思議な匂いが漂っていた。
「……ん、これはなに?」
疑問を頭に浮かべていると、隣から笑い声が聞こえてきた。
「あは、あははは、ヒーッヒッヒーーー。アッハはっはっは!!!」
それは、アルトさんが発したものだ。
眠りながら笑ってるよ、うわ……怖え。
自分のことは棚に上げ、アルトさんだけを罵倒する。わたしがアルトさんを眺めていた次の瞬間。
「痒いわ! ボケーーー!!」
ばさっと毛布が宙を舞い、アルトさんが跳ね起きた。
「あっ、おはようございま〜す。アルトさん」
今、起きたばかりのアルトさんに声をかける。
「ふぅああ〜あ。いやいや、ん……おはよぅ」
流石はアルトさん。欠伸を一つついただけで寝起きだというのに、顔が引き締まったものに変わっている。もう頭がまわるようだ。ドリフの爆破後みたいな頭でなければ完璧な起床だった。
だがそんなことはどうでも良いのだ。わたしが今一番聞きたいことは。
「アルトさん」
「ん?」
「朝、めっさ痒かったんですけど、あれってなんですかね!?」
それのせいで睡眠は妨げられた。アルトさんが知っているかはわからないが、一様聞いてみた。
「ああ、あれ……? それなら目覚ましだよ、目覚まし」
「わたしの知ってる目覚ましとえらく違うんですけど」
怪訝な顔でアルトさんに抗議する。
「ん〜? そうなのか。まぁ目覚ましにも色々種類があるようだしな」
そう言って小さなガラス瓶を懐に回収する。その瓶から辛い匂いの残滓を感じ取った。
「アルトさん……」
アルトさんは、「クリエイト」と呟き木の桶を創り出すと、その中にさらに水を創り出して、そこに顔を突っ込むと顔をじゃぶじゃぶと洗い始めた。
「まさか、そのガラス瓶が……?」
水の入った桶から顔を上げるとアルトさんの顔からは、すっかり呆けたものは消えていた。橙の髪のボサボサ加減もある程度はましになった。アルトさんは回収したガラス瓶を懐から手に取りひらひらさせた。
「ん、ああ。これが目覚ましの元。生物の体内にあるギン素を活性化させて、刺激を与えるっていうものだ。昨日の夜、五時間後に作動するように指向性を付けておいた」
ガラス瓶を再びしまい、ざばっと桶の水をアルトさんは捨てる。そしてそこへ新しく水を創り出す。
「へえ〜〜〜………って! なんて迷惑なものを作るんですか!! そのおかげで朝、奇声を発しながら起きる羽目になったんですよ!」
「まったく、もう…」と、朝無理矢理起こされた不満をぶつける。けれど興味深いのは確かだ。そんな目覚ましがあるのか。 そんでもってギン素ってなんだろうな?
アルトさんから新しく水の入った桶を借り、その中に顔をつける。朝の清涼な空気と、キンと冷えた水が、野宿をしてべっとりとした身体を少しだけましなものにしてくれる。
アルトさんと同じように顔を洗い、髪に水をつけて手ぐしでほぐす。最後に首をプルプルと、勢いよく左右に振り、髪についた水滴を飛ばす。それは、さながら犬のよう。
「おいっ! やめろ! こっちに飛んでくる」
アルトさんが、なんかむにゃむにゃ言ってるが気にしない。快眠を邪魔してくれたのだからしょうがないのだ。
✳︎
「ほら、朝飯だ」
アルトさんからパンと、水の入った木のコップを受け取る。わたしは、座りながら、両手でパンを持ちもさもさ食べる。それに対しアルトさんは手に食べ物を持ったまま立ち上がり、辺りをウロウロとし始めた。
「アルトさん、行儀悪いですよー! そんなむやみやたらに動き回らないで下さい」
「黙ってろ! 別に動き回ってる訳じゃねーから!」
ウロウロしているように見えただけで、言葉通り、ちゃんと明確な行き先があった。
「待たせたなシリウス。朝飯だ。これを食ったらまた走って貰うぞ」
自分の飼馬のもとへと向かったのだ。それでアルトさんは手に持っていたパンを、口元へ近づけると食べさせた。水についても同じように、自分の手をおわんがわりにして、飲ませていた。馬はペロペロと水を舐めとるように飲んていた。
側から見ていて、その光景はなんだか少しドキリとした。
──何故だろう? そんな風に感じてしまうわたしは、どうかしているのだろうか。
そんなことを考えながら注視していると、馬の艶やかな黒髪が目についた。他にもスラリと伸びた足、眉毛が程よく伸びセクシーさを醸し出す瞳、その部分部分1つをとっても美しいのだ。全体を見渡したらきっと見惚れてしまうだろう。
けれど全てを見ることはできない。なぜなら、紫の糸で装飾された黒の布で色んな箇所が見えなくされてしまっているから。
特に顔にかけられている黒の布は顔の右半分を隠している。顔の全てを見ることができないのはとても残念だ。そもそもなぜ、あんな黒い布を体のいたる所につけているのだろうか?確かに黒の布にあしらわれた紫の刺繍は綺麗だ。けれど絶対に素顔のほうがずっと綺麗だと思う。
「アルトさん」
「ん? なんだ」
「そういえばシリウス……ちゃん? は、なんでそんな黒い布を体につけているんですか?」
「ああ〜これか、火傷だよ、火傷。
昔な、預けていた馬小屋で火災が起きてな。あんまりにも火傷跡が酷いから、こうやって見えなくしてるんだよ。商人は身なり……大切だからな」
火傷か……知らなかった。シリウスちゃんも色々と大変だったんだな。でもだったらどうして。
「へぇ〜。でもだったらアルトさんは、買い替えようとか思わなかったんですか?」
飲み干した木のコップを隣の地面に置き、何気なく聞いてみた。そうしたら、アルトさんは引きつったような笑みを浮かべて。
「お前……案外酷いこと言うなー」
などと言われた。それで数秒後に……しまった! という思いとともに、アルトさんの言ったことの意味を理解した。
「へ? ああ、いや! あのアレですよ! アルトさん結構冷酷と言うか、落ち着いてると言うか……そこら辺冷徹に判断にしそうだなーって!! そう思ったから! 決してわたしは、そんなことしませんよ! でもアルトさんだったらしそうだったので!!」
反射的に立ち上がり、あたふたとしながら言う。先ほどの言葉は完全に失言だった。
「今度は……俺に対して酷すぎないか?」
至極正論だ。
あ〜あれだ、最近分かってきたことがある。わたしは、喋れば喋るほど失言をしてしまう。今回もまた、ふと思ったことを言っただけだったのだが。
慌てて話題を変える。
「そ、それにしても、シリウスちゃんのこの黒髪、綺麗ですよね〜。わたしまだ、この子以外お馬さんを見たことがないんですけど、それでも分かります! お肌の艶がいいですし、体毛はふんわりしてますし、顔も可愛いですし! 髪なんてわたしよりも綺麗……いや、わたしの方が綺麗ですね」
「いや、最後。張り合うな!」
アルトさんがつっこんでくるが気にしない。
シリウスちゃんに近づき、優しく髪に触れる、そして手ぐしで、ダマになってる部分をときほぐす。シリウスちゃんから「クゥァ」と気持ちよさそうな声が出た。
それにしても綺麗だ。髪を中心的に褒めたがそれだけでなく、身体だって綺麗だ、足はすらっとしてるし、胴体もしなやかでハリのあるいいお肌……。ほおを付けて、シリウスちゃんの胴体に触れてみれば、少しひんやりとした。
そんなすばらしい体を持っているからこそ、身体のいたる所に付けられた、この黒い布がもどかしい。今は、火傷のため見れないけれど、火傷をおった部分も、そうなる前はとっても綺麗だったんだろうな。
「でも、ちょっと残念ですね。シリウスちゃん、これだけ綺麗なのに火傷を負っちゃなんて、全身見たかったです」
「そうだな。それは俺も残念に思ってるよ……」
そうして、悲しむと共に、上手く話を誤魔化せたことに対して、心の中でガッツポーズをとる。
アルトさんも言葉を区切ったし、いい感じにひと段落ついた。そう思っていたら、アルトさんはまた口を開く。
「なぁセア」
「なんですか?」
「いや、あのさっきっから、綺麗だの可愛いだの、シリウスちゃんだの言ってるけど……そいつ男だぞ」
──へっ?
「お、おとこーーー!? これだけ綺麗なのに!?」
「ああ、まあそうだな」
「あーそうしたら、シリウス……くん、ですよね? 確かにシリウスなんて名前の女の子は、ちょっと珍しいですもんね」
「あ〜。シリウスって普通に考えりゃ男性に多い名称だぞ※」
※この世界基準。
至極正論だ。
あれ? さっきもこれ言わなかったっけ。
「そっかーじゃあ、これからはシリウスくんって呼ばないとダメですね」
少ししゅんとする。
だってこんなに綺麗で可愛いんだもの。
アルトさんが、呆れ顔でわたしを見る。そこへ、シリウスくんが頭でアルトさんを小突き、何やらいなないている。
そうした後、やや間が空いて、アルトさんは頭を手でばさぱさとかきながら
「あー、セア。シリウスがお前になら、シリウスちゃんって呼ばれてもいいって言ってる」
「本当ですか!?」
顔をぱっと明るくさせる。
「ああ、構わないって。それよりもだ……。無駄話をしすぎた。いい加減メシ食ったろ、そろそろ行くぞ」
アルトさんは、わたしが置いてきた、木のコップや創り出した桶なんかを手に取ると、「クリエイト」と一言つぶやいて、それらを跡形もなく破壊した。
昨日のコスタリカ聖騎士団との戦いで見せた技かな?っとわたしは考えた。
アルトさんは戻ってくると。シリウスに軽く「行くぞ」と声をかける。そうするとシリウスが、少し背を低くする、乗れという合図なのだろう。
アルトさんは、ひらりとシリウスちゃん飛び乗り、わたしに手を伸ばしてきた。
「ほら、さっさと捕まれ、こっから長い時間走り通すからな、準備はいいな?
俺達は無実を証明するため、殺人鬼を捕まえ王国聖騎士団に突き出す! いよいよだ。ここから休憩は、ほとんどない」
アルトさんは一呼吸を置き。
「覚悟はいいな……」
アルトさんは、真剣な顔つきで問いかけてくる。なのでわたしも、それに応えるよう真剣な面持ちで言う。
「すいません、お手洗いに行ってきていいですか?」
「………………」
アルトさんは、フリーズ。そして叫んだ。
「ここまでの雰囲気返せよ!!」
なるほど……至極正論だ。
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