新章開幕。
それから挿絵の入れ方が、この間ようやく分かりました。
銀の歌
第39話
「む、むぅぅ」
固く閉ざされた瞼に、強い朝の日差しが当たる。けれどまだ眠かったので、より固く目を閉じて、日差しから逃げるように、寝返りを打つ。
しかしわたしは既に、自分が起きていることに気づいてしまっている。……気づいてしまったのだから、いくら目覚めを拒んでも、上手くいくはずもなくて。
「もぅ……」
ふてくされる。何に対する「もう……」なのか、眠い頭では自分でも理解できない。ただ漠然と不満感だけは覚えている。
「何が、『もぅ』なんだ?」
そこへそんな声がかかる。だから声がかけられた方へと顔を向け、少しだけ目を開いた。
そこには朝の日差しを反射させて、橙の髪を煌々ときらめかせるアルトさんがいた。彼は宿屋に置いてある椅子に腰掛け、持ち物を点検をしているようである。
それが終わったのかこちらへ歩み寄ってくると、わたしの顔を覗き込んだ。それで先ほどの続きだと問いかけた。
「なぁ。セア」
赤い瞳に見つめられる。この数日間でアルトさんという存在は、わたしにとってはすっかりお馴染みになった。だからこうして、彼の顔を見て朝を迎えられるというのは悪くない。むしろ、ほんのすこし、ほんのすこしだけだが、安心感さえ与えてくれる。
今日、穏やかな朝を迎えさせてくれたアルトさんに感謝を込めて、わたしは【大声】で叫ぶのだ。
「うるっせぇ!! わたしはまだねむいんだよぉぉ!」
その後アルトさんが怪訝な顔をして、わたしを布団から無理矢理剥がしたのは、言うまでもないことだろう。
✳︎
「〜♪」
鼻歌まじりに街道を歩く。布団から落とされた時、頭部を床に打ち付け、頭を痛めたのは嬉しいことではないが。そんなことが霞むほど、幸福な気分に包まれている。
「ご機嫌だな」
「はい! それはもちろん!」
春の暖かな日差しに青い空。これだけでも十分に笑顔になれる要素はあるのだが、それだけではないのだ。他にももっと、わたしを喜ばせる要素がある。それは……。
「いい服だな。似合ってるよ」
「えへへへへへ〜〜〜」
頰を思いっきり緩ませて答える。
そう!! 今日からはずっとー昨日の夜も着たがー新しい服なのだ! 決してアルトさんのお下がりじゃない! その事実がわたしを何より喜ばせるのだ。
見てくださいこの服を。白のシャツに淡い桃色の外套。そして緑のスカート。
これは間違いなく美少女。わたし可愛い。
そんな感じでのほほんと、楽しいことだけ考えていたら、ふと疑問に思うことがあった。そういえばわたし達は今どこへ向かっているのだろうと。
「ねぇ。アルトさん」
「ん、どうした?」
問いかけるとアルトさんはいつも通り、口元を隠すように手で覆った。
「わたし達、どこへ向かってるのです?」
訊かれたアルトさんは、「あぁ」と頷く。
「まだ言ってなかったか」
「ーー? はい。特に何も言われてないですけど……」
アルトさんに問いかける。すると彼は申し訳なさそうに笑った。
「なに。もうダングリオを出ようと思ってな。今は東門に向かっているところだ」
「……へ?」
「だから、ほらこの通り」
アルトさんはぐいと何か紐を引っ張り、後ろに連れていた物を前へと連れ出す。
「あっ」
そこには大きな荷物をたくさん背負わされた、栗色の毛の馬ーーシーちゃんがいた。アルトさんが引っ張った紐は、シーちゃんの手綱だったようだ。
「シーちゃん!!」
シーちゃんはわたしに呼ばれるとブルルルと鼻を鳴らした。
「まぁ、そういうこった。出かける用意はこの通りもう出来てる。急な話になったのは悪いと思うが、俺たちは世界を歩く必要があるからな」
これもいつも通りの皮肉げな声音で言う。果たして説得する気があるのか無いのか……。少しだけ不快感を覚えるが、だからと言って、何か直接的な文句を言うつもりもない。ただこのまま済ませて、独断ばかりされたら、ついていく身ではあるものの物悲しい。そう言うわけで、不満の代わりにこんなことを言うのだ。
「後で何か、奢ってくださいね」
そう言うと後ろから「はいはい」と呆れ気味な声が返ってきた。伝えたかったことは、どうやら汲み取ってはもらえなかったのかもしれない。
✳︎
ゴロゴロゴロ。カラカラ。とっとっと。
さまざまな足音が聞こえるこの場所は東門。馬車や、旅行者、荷台を引く運送馬、多くの人が行き交っている。
「すごい人ですね!」
昨日通った大通りも、もちろん人が多かったが、ここだって大通りに負けないくらい人が多い。何より、色んな種類の人が通るのだ。それがわたしにとっては驚きだった。
「おっきぃ!」
わたし達の前を4〜5mはある大きな動物(マヘト)が通る。鹿の様な角を持ち、背中から翼の生えた四足獣だ。しかしその翼は広げておらず、たたみ込み、背中に沢山の荷を積んでいる。それはドシンドシンと、大きな音を響かせて歩いていく。
その怪獣をわたし達は見送る。
「はぁ〜ありゃメロウィルプスかー。よく協力してもらえたな〜」
横でアルトさんが驚きながら言う。
「この世界にはあんなのがいるんですか?」
「ああ。世界は広いからな。色んなのがいる。それに……ほら東門の方を見ろ。特に個性的な奴らがいるぞ?」
アルトさんはククッと笑って東門の下の方を指差した。そこには花の紋様をあしらった服を着る、格式高そうな一団がいた。
ーーあれは!
それを見た瞬間思わず走り出した。急いで彼らの方へと駆け寄る。程なくして、彼らも気づいたようで、幾人かの人達が声をかけてくる。
「「「あっ、おーーーい!!」」」
「セーアーちーー!!」「セアちゃ〜ん!」「セアーーー!」
色んな呼び方だ。それにどれもこれも温かみがあった。だから一つを選んで返すことはできなくて、皆に向かって呼びかける。
「おーーい!聖騎士だーーーーん!!!」
手を思いっきり振りながら、一団へ勢いよく飛び込んだ。
✳︎
「おーおー。お前らも行くのか!!」
「はい。そうなんですよ!」
ドルバに促され、即座に返事を返す。そしてにっこにこの笑顔で彼らを見つめてこちらも尋ねる。
「見たところ皆さんも、もう出るみたいですけど、どこまで行くんです?」
「ん? 俺たちか……。ちいとな」
言いにくそうに淀むドルバ。けれどその重い口をなんとか開いて、話してくれる。
「治療と物資の調達が終わったからなぁ。行かなきゃ、ならないんだよ。俺達の元々の目的を果たすために……な」
傷ついた片目は動かない。残った片目だけを細めてドルバは言った。
「悪かったなぁ。お前には、ほんっと」
あっ……。また言わせてしまった。そう考え、自責の念に駆られていると、すぐに横から助け舟が出た。
「な〜に言ってるの! ドルバ剣兵。あなた……いっちばん、この休暇を楽しんでたじゃない。
もう、本当に色んなことを忘れて……。貴方一度でも自責の念を覚えた? 私がこの二日間どれだけ苦労したか知らないでしょ」
気怠げにポニーテールを揺らして女性が言う。
「あらら。そうでしたっけ? トーロスの姐さん」
わしゃわしゃと髪をかいて大きく笑うドルバの瞳には、なるほど……。たしかに責任という言葉を知らなさそうな、明るさがあった。
「トーロスさん!」
うっきうきした声で言う。
「ん……。セアちゃん。昨日ぶりだね。昨夜はごめんね。ちょっとこちらの方で色々あって、一人で帰らせちゃって」
もみあげから長く伸びた髪を、人差し指でくるくると絡めとる。あははと苦しく笑うその態度からは、申し訳なかったという感情が見て取れた。
「い〜え。いいんですよ! 昨夜も言いましたけど、気にしないでくーだーさい!」
気遣いながら笑って、上目遣いでトーロスさんを見る。すると彼女は「ふふ」とやっぱり疲れたように笑ったが、そこに暗い感情は見えなかった。
トーロスさんは本当に色んなことを気にしすぎなのだ。
責任ばっかり気にして、甘い汁の一つも吸おうとしない人にはきっと、周りは優しすぎるくらいで丁度いいんだと思う。だからわたしは、たかだか殺されかけた程度くらいじゃ気にしないんだ。
だってトーロスさんが大好きだから。それよりも。
「トーロスさん……?」
「ん? なぁに」
トーロスさんは腕を組む。そしてそれを見て確信した。
「えっとですね」
「うん」
視線を合わして問いかけてくれる。こんな優しいトーロスさんに言うのは心苦しいのだが、気づいてしまったのだから仕方ない。シグリアやミーちゃんも何かなと興味を持って集まって来た。
それを見て、今が好機と考え小さく囁く。
「トーロスさん」
「うん?」
「大丈夫ですよ。胸当てしてたら、皆均等ですから気にしなくても」
言った瞬間トーロスさんは硬直し、パクパクと口を数度動かした後。
「グハアアアアアァァァァ!!!」
吐血した。そしてそのまま倒れこむ……かと思われたが、すんでのところでなんとか堪えた。丸石で舗装された地面は、バキンと大きな音を立てて、特に力が込められたであろう右足を中心に、ヒビが入っていた。
「どうしてそんなことを言ってしまうの」
誰に聞かせようということではないのだろう。とても小さな声だ。しかし先程、興味を持ってこの場に集まってしまった者には、否応無く全員聞き届けてしまったことだろう。それぐらいこの言葉には威厳と迫力があった。
そして「ふぅー」と息を深く吐き出すと、何事もなかったように立ち上がり、こちらへ歩いてきた。わたしの肩に手を乗せると。
「いい、セアちゃん……。言っちゃいけないことって、いっぱいあるのよ。勉強しましょうね?」
青筋を立てて微笑しながら、トーロスさんはそう言った。
「はい……」
その顔があまりに恐ろしかったので、抵抗を一つもせず頷いた。ふざけすぎた。わたしはそういう所がある。反省してます。
シグリアやその他剣兵の皆さんも、その光景を見守ることしかできないようだった。そしてトーロスさんが周りに視線を配ると、皆一斉に目を逸らした。
ーーこれがヒエラルキーか。
勝てない……。本気になったトーロスさんには、この班の人間じゃ誰も勝てない。身体を震わせながら、そんなことを考える。
誰も動けない。誰も何も言えない。そんな中、一人の褐色肌の女性が、トーロスさんの背後まで音もなく近寄った。そして。
そしてどうやったのか、素早い動作でトーロスさんの胸当てのさらに奥、服の中に手を突っ込んだ。
「……えっ!?」
突然の出来事に、驚いて判断も反応も遅れたらしい。トーロスさんはもがいて抜け出そうとするが、遅れがあったらしく、服の下から何かを抜き取られてしまった。
褐色肌の女性は、その収穫物をしげしげ眺めると、「ふっ」と鼻で笑った。そして手記に何か書き込むと、トーロスさんに見せつけた。
““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““
辛かったな……トーロス。すまないお前の苦しみに気づいてやれなくて。だがなぁ、こんなものは必要なかったんだよ。
””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
そう言いながら、トーロスさんから奪い取った物に触れる。それはどこかフニフニとしていて、なんだか柔らかそう。それに触ると糸引いて、粘着性もありそうだった。恐らくは服の下に仕込んでいたのだろう。胸当てをするから、誰もそんなとこ気にしないというのに、なんという悲しい工夫と努力だろうか。
「な、な、な」
晒さなくてもいいものを晒されて、トーロスさんはわなわなと声を震わせる。誰もが彼女に畏怖し、すくむ中、こんなことができるのはただ一人しかいない。
そうあの金髪褐色筆談系無口女は。
「悲しいなぁぁ! トーロスゥゥウ!!」
「うわぁあああ!!」
そうド外道ーアスハさんーだ。
トーロスさんは今度は踏みとどまることなく、膝から崩れ落ち、四つん這いになった。
「あ、あ、ああ」
「アッハッハッハ!!」
どこまでも綺麗で美しい高笑いが辺りに響く。東門を通る誰もが、思わずこちらを見た。アスハさんはどこまでも幸せそうな顔をしていた。
こうなる原因を作ったのはわたしだが、流石に見ていられなくなり、姿勢を低くし、なるべく目立たないようにその場からすみやかに離れた。
そしてわたしと同じような行動をとる人が一人いた。それは。
「あっ、セアちゃん……」
「あっ、どもシグリア」
そのままわたし達は一緒になって、その場をもうちょっと離れた。
それなりに遠くの場所に来たところで、お互い無表情で、彼女達がいる場所を見つめた。
「尊い犠牲だったんだ……。きっと」
「です……かねぇ」
思わず敬語でシグリアの言葉に反応した。
※後にこの時のことが下着ーブラーの基礎構想のきっかけとなるのだが、それはまた別の話。
✳︎
「バイバーイ! セアちー!!」
「じゃあねーミーちゃ〜ん!!」
わたし達はお互いの身体を抱き合った。そしてそれをラーニキリスさんは、トーロスさんのー精神的なー治療の片手間見つめていた。
「ミリア。それぐらいにしておけ。私達はもう出なくてはならない。連絡は銀糸鳥(ぎんしちょう)を使って行えばいいだろう」
ラーニキリスさんの言葉を聞き、シュンとなるミーちゃん。そしてわたし達は顔を見合わせる。
「また、また、また!! 絶対会おうね!」
「うん! ミーちゃん、また会お!」
その言葉を皮切りに、ラーニキリスさん達は門の外へと顔を向けた。もう引き止めることは叶わず、どうしようもないみたいだ。
これまで全くと言っていいほど、出番のなかったユークリウスさんが馬上で号令をかける。
「総員。次の目的地はユコートの街だ。着き次第、情報を集め、今度こそ殺人鬼を捕らえるぞ……いいか」
全部で二十一人のユークリウス班の面々は、お互いの顔を見合わせると、一斉に掛け声をあげた。
「おおおおおーーーー!!!!!」
先程まで馬鹿騒ぎをしていた人達とは思えない程、気迫のある叫び。そしてとうとう彼等は歩みを進めてしまった。ダングリオの街から出て、次の目的地へと進んで行く。
わたしはそれをどうするでもなく、見守っていた。心の中で何度もばいばいと呟きながら。
四匹の馬が雄々しく前に進む。馬上にはユークリウスさんとアスハさん。それにラーニキリスさんと……。
馬に乗った水色の髪のポニーテールの女性は、やけにぐったりとしていた。しかしそれでもなんとか姿勢を正し、部下の手本となるよう努めているようだった。そんな彼女が振り返った。いつかの宿屋の時のように、鮮やかな笑みを浮かべて、にっこりと。
あの時と違うのは、その笑顔に卑屈さがないところ。相変わらず疲れている様子だが、あれはきっと悪くはない疲れなのだろう。
そんなことを思うのは……アスハさんにいじーめーられている時のトーロスさんは、どこか安心しているように見えるから。わたしには分からない事情がいっぱいあるのだろう。
けれど、それでもこの時ばかりは、わたしに対してだけの笑顔を、彼女は向けてくれた。その事実が嬉しい。
トーロスさんは口を『ま・た・ね』と動かすと、凛としてまた前を向いた。
「なんだか……ここ数日でほんっと仲良くなってたみたいだな」
不意に隣から飄々とした声がかかった。それには軽さがあるし、人ごとのようだし、色々文句は言いたかったが、それでもアルトさんの言葉に嫌悪はなかった。祝福はしてくれているのだろう。
「記憶か……あるいはなくても……」アルトさんは言いかけるが、途中でかぶりを振った。
「いいや。見つけるぞ。お互いの故郷を」
自分の言葉を否定して、アルトさんもまた、東門を通り抜ける。
「あいつらは北東に向かったな。だが悪いが俺たちは北だ。あいつらにはあいつらの、俺達には俺達の物語がある。別れは……惜しいんだろうが。仕方ない」
「そら」とアルトさんはたくましい手を伸ばす。朝の日は、彼の橙の髪を鮮やかに染め上げる。あまりの朝日の眩しさに、北東の方を手で遮る。
ーーだからもうそちらは何も見えない。
代わりに北の方に目をやれば、赤い瞳がついてこいと囁いてくる。だから私は。
「はい、今行きます。アルトさん!」
笑顔で駆け出した。
第39話 終了
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