銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第100話記念番外編 多弁と寡黙の外伝

公開日時: 2021年3月1日(月) 18:30
文字数:7,107

 こちらは100話記念の番外編となっております。本編ではないので、ご注意下さい。

カランコロンと戸を開ける音がした。


「いらっしゃいませ」


 その音に給仕の方がすぐに反応されて、木目板の上をタンタンと歩いて、外から入って来た人を出迎えた。

 外から来た人物は、給仕の甲斐甲斐しいもてなしをさらりと流し、自分の目的だけを告げた。


「ふむ……もう先に自分の連れがこの店にいるのだ。席の案内も結構。君は自分の仕事に専念していればいい」


 相手の感情を一つも考えていないその物言いは、給仕の方を怒らせていただろう。きっと内心では『これが私の仕事なんだよ』と苛立たしげに呟いていたに違いなかった。


 このやり取りを、ただじっと眺めるだけでなく、ここに居合わせた私は、仲介に入ることだってできた。現に、私は「……あっ」と呟きを漏らすほどには責任を感じていたのだ。でも私は結局、そのやり取りを最後まで見届けてしまった。なんの助けもせずに。


 それで彼が悪意を持って言っていた訳ではなく、むしろ善意から出たはずだった言葉は、もちろん全て曲解されてしまった。外から店に入って来た人物は、終いには給仕の人だけでなく、今のやり取りを聞いていた、お店の中に居たお客さん全てにも、睨まれてしまっていた。


 人の感情に鈍い彼は、今自分がどんな風な目で見られているか気づきもしていないのだろう。そうとしか思えない足取りで店の中を少し歩いた後、やがて私の近くまでやって来た。


「ここに居たか。すまないな。小さくて見つけるのに苦労した」


「あ……ぁぁ。あー」


 いいえ、お気になさらずに……。私は大丈夫ですから。


「そうか。何を言っているのか、私には分からないが……。待たせたなアスハ」


「あー」


 はい、ユークリウス様。


✳︎


 これは人と話すことが出来なくなった、当時11歳の私……アスハと、15歳の青年ユークリウス・ラーレアンの、物語の一頁だ。


✳︎


 多弁と寡黙の外伝




 ユークリウス・ラーレアンと聞けば、よほど辺鄙な所に住んで居ない限りは、誰もが一度は聞いたことのある名前だろう。特にここ、王都ルカナスタにおいては、その名前を知らない者などいない。それほど有名な人物だ。

 一騎当千の働きをする最強の剣士。竜を殺した大英雄。人類の切り札。どれもが彼の通り名であり、嘘は一切なく、その全てが本当のことだった。


 だがそんな大英雄の素顔を知っている人物は以外と少ない。


 ある女性は言った。顔に大きな切り傷のある蒼白の男性だと。ある老人は言った。身の丈が巨大なググズほどの紅の髪の男だと。これらの話は全て、根も葉もない噂話である。ユークリウス様は、この時既に、王国剣士長首席という高い階級についており、戦地でこそ実力を発揮するような人だった。だから民衆の前にはろくに姿を見せたことがなかったのだ。だからこそ、姿の分からぬ英雄を、好き勝手に民衆は形容したのだった。

 巨大なググズ……というのは、今から三年も経てば、実際その通りになるのだが、この時のユークリウス様はそこまでの大きさはなく、その年頃ではいかにも平均的だったように思う。


 このように噂だけが一人歩きしている状態なのだ。街の、それも庶民が好んで入るような店に、ポツンと現れたとしても、誰も分からないのも通りだった。


「どうした、考え事か?」


 目の前で料理に舌鼓をうつ、若く精悍な、その年には見合わぬほどの、威厳を兼ね備えたお方が訊いてきた。


「……ぁ」


 いえ、特には。


「そうか、ならばいい」


 店内にユークリウス様が入られてから、一刻ほど。私達がそれぞれ頼んでいた料理は既に届き、どちらも話しかけることなどせず、黙々と食べ進んでいた。


 そんな時。ユークリウス様は話しかけてこられた。だが私としては、その言葉の真意を測りかねる。唐突に黙りこくったならともかく、今日の私達の間に、会話らしい会話があったのは最初のアレだけだ。

 だというのにユークリウス様はそんな言葉をおっしゃられた。


「…………」


 しかし、ユークリウス様がせっかく下さった、会話の機会である。これを無碍にするのは、彼に命を救われ、又彼に憧れた身としては、不遜も甚だしい。お気を遣わせてしまったのだ。精一杯この方のご厚意に甘えることとしよう。


 そう思い、話そうとしたが。


「…………ァ」


 口から出るのは、つまりつまって捻れたような、言葉ですらないかすれ声だけ。


「ゥゥ…………」


 思うような言葉は一切出て来なくて、顔を曇らせてしまった。するとユークリウス様は、驚いたように、目をいつもよりほんの少しだけ開かせていた。


「ふむ……」


 その後にユークリウス様は黙りこくると、目をつむられた。その時間がややあった後に、口を開かれた。


「そういえばだが……貴様が王国聖騎士団に所属して、もう半年ほどか」


 何の脈絡もなく話され始めたので、心の準備が出来ておらず、ただでさえ歪んだ声だと言うのに、さらにそれを歪ませて「えケ」と素っ頓狂な声を出してしまった。


 周囲で食事をしている人々は、何事かとこちらを見てきた。その視線に気づき身を縮こまらせている私だったが、ユークリウス様はと言えば、彼らとは対照的に、私のその反応を相槌と捉えたのだろう、更に言葉を続けた。


「いや、すまなかったな。あの時は、ああする他、選択肢がなかったとは言え、君を宝剣の鞘としてしまった。君の命に負担をかける結果とした。すまなく思う」


 周りの奇異の視線も、御構い無しに、ユークリウス様は話される。そんなだったから余計に、周りは私達のことを注視したが。ユークリウス様が延々と、話し続けるだけと知って、他のお客さん方は何か気の毒な眼差しを私に向けた後、興味を失ったように、再び自分達の目の前にある料理に視線を落とした。


「で、あるから、私は一様貴様が、我が班に配属されたことには喜びを感じてはいる」


「……あー」


 ユークリウス様が喜びを感じてくださるというなら、私にとっても、それは、これ以上ない喜びです。


「そうか、ならばよい」


 ユークリウス様は陶器で作られたカップの取っ手を掴むと、そのまま口元へと運び、紅茶をお飲みになられた。

 そしてふぅと一息つくのかと思いきや、また唐突に言葉を並べ始めた。


「それからだが……。今回、貴様をここへ呼んだ件に関して、もちろん理解してはいるな?」


「うぅ」


 はい、理解しております。


「そうか……ならばよい」


 ユークリウス様がこのようにおっしゃられたのには訳がある。本来私とこのお方では、階級に差がありすぎて、話をするどころか、会うだけでも難しいのだ。だが、私の特別な事情により、特例中の特例で、むしろ共に行動をするように、上から命じられているのだ。


 そしてその一環として、今回ユークリウス様には、非常に申し訳が立たないのだが、色々と聖騎士団に必要な準備というものを、見ていただけることとなったのだ。有り体に言えば買い物だ。それも。


「何、不安に思うな。今回は私が金を出す。金など私は碌に持ち合わせてはいないが、それでも装備の一式くらいは、買い揃える財はあるだろう。何より今日は……貴様が見習いの期間を終え、正式に聖騎士団一般剣兵となった、門出の祝いだからな」


 そう、今日は私が正式に聖騎士団の一員となった日。そして憧れの人と、初めて一緒に出かけられる日でもあった。


✳︎


 聖騎士団になった祝いの買い物ということだが、通常このようなことは行われない。装備の一式を揃えるためとは言ったものの、そんなものは正式に聖騎士団となった、この日の朝に上の方々から賜った。

 ではなぜ買い物にでかけるのか、それもユークリウス・ラーレアンという大英雄に率いてもらいながらかと言うと、それはやはり私が、元々奴隷の身で、世界を知らず、そしてユークリウス様が隣に居ないと、そもそも人と目を合わせることすら出来ないからである。


 上の方々は、有難いことに、私に世界を知って欲しくて、このような時間を作ってくださったのだ。装備の一式を揃えるというのは、本当にただの方便でしかないことは、今日という日の優しさに包まれている、私自身が一番よく理解している。


 だが……上層部の優しい意図は理解できても、私にはユークリウス様のお考えは分からない。

 お店を出て二人並んで道を行く。その最中、ユークリウス様の横顔を見る。こちらへ一瞥もくれず、ただ前だけを見据えるその眼差しは精悍で、無骨な格好よさがあった。しかし喜んでばかりもいられない。もしかしたらユークリウス様は、貴重な休日を潰されたと、怒っているのかもしれなかった。


 ユークリウス様の凛々しいお顔は、同時に鉄仮面でもある。修練の合間の僅かな時間とは言え、半年間お側で見させて頂いていたが、このお方の表情から、感情を読み取れたことはあまりない。いつも、いつでもこのお方の表情は変わらない。


 今、ユークリウス様は何を考えて歩いているのだろうか。


 私がそんな風に考えていると、不意にユークリウス様が立ち止まられた。


 どうしたのですか? 尋ねようとしたが、やはり声が出なかった。私がユークリウス様の感情の差異を理解できないのは、このことも間違いなく要因の一つなのだろう。せめて会話をすることができれば……。


 急に立ち止まったのは不安ではあるが、私からはどうすることもできなかったので、ユークリウス様がその意図を喋るまでの数十秒間、困ったように眉を寄せていた。


「ふむ……今回、私は貴様の引率を任されているのだが、貴様は何かしたいことがあるか? あるいは何か食べたいもの、見たいものでもいい。私はあまり外で遊楽にふける方ではないが……最低限なら分かるぞ。何がしたい?」


 なんということか、貴重な休日を私などに付き合うだけでなく、決定権まで渡して下さった。ごくりと唾を飲み込んだ。

 それで私は自分がしたいことをと思って、声が出ないまでも、何か【指向性】を示そうと、手を使って表現しようとした。けれど。


「…………………………」


 何も思いつかなかった。これは今までの喋れないとは絶対的に異なっていて、私は自分が何もしたいことがないことに、気づいてしまった。昔、それこそ奴隷になる前の時には、大きな街に行ったら、してみたいことなんて、きっと山ほどあった。

 でも、まさにそういった、昔夢見たことが、実際にできる状況になった今、私は何も言えないでいた。昔したかったことが何も思い出せない。


「ふむ……したいことはないか?」


 尋ねられたけれど、今度もなにも答えられなかった。


「そうか、ならば……。そうだな。私が知る限りの所には案内をしよう」


✳︎


 ユークリウス様は言葉通り、色んな所に連れて行ってくれた。それは服屋であったり、装飾品売り場であったり、劇場であったり……。どこでも不慣れそうな印象はあったが、それでもユークリウス様は、自分が出来うる限りの、【案内】というものをしてくれた。


 けれど私はその間ずっと、喋ることはできず、無言でいることが多かった。ユークリウス様もあまり話すことがなかったとは言え、色んな場所に案内してくれたのに、反応の一つも出来なかったとあっては、案内して下さったユークリウス様に申し訳がなかった。


「……少しは王都のことが分かったか?」


 空が茜色に染まる夕刻時に、ユークリウス様はおっしゃられた。


 私は、はい、よく理解できました。というような意味を込めて、また意味不明な言葉にならない言葉を並べた。

 ユークリウス様は私の言葉に「そうか」とだけ述べると、黙りこくった。


 それからしばらく二人で歩いた。夕焼けに照らされる街並みは、普段見るものと一緒のはずだが、いつもより綺麗に見えるから不思議だ。ほら、街並みがまるで潤んでいるようにさえ見える。


 と、そこまで思考を巡らせた時に、自分の頰に流れる生暖かいものの存在に気づいた。

 それが何か確かめるべく、ほっぺたに触れてみると、それが涙であることをすぐに理解した。夕焼けの街並みが滲む。家々が重なって、重なりすぎていた。そう、私は泣いていたのだ。


「どうした、なぜ泣く?」


 鼻水でもすする音が聞こえたのだろうか。一歩か二歩、先を歩かれていたユークリウス様が、こちらへ振り向いていた。


「……いえ、これは違うのです」


 久しぶりに言葉が出た。


「何が違う。貴様は今泣いている。どうして泣く?」


「これは、その、ですから……申し訳なくて泣くのです」


「ふむ……。何が申し訳なかった。敬語を使うということは、私に対しての謝罪か? 何を気にして、なぜ謝り泣いた」


「……ですから、これは」


 久しぶりにやっと声が出たというのに、出てくる言葉は懺悔ばかり。さらに、ユークリウス様を困らせて、自分で自分を呪いたい気分だ。


「私は本日、ユークリウス様に案内され、色々な場所を巡らせて頂きました。知らないものを多く見、見地が広がったように、自分自身では思います。ですが、だというのに私は、ユークリウス様へ、十分な感謝を述べられなかったと存じます」


「そんなことか、気にするな。何も気に病む必要はない」


 また、あいも変わらずユークリウス様は、無表情におっしゃられた。その表情に悪意がないことは十分に理解しているし、言葉に冷たさがあるのも、いつものことだと理解している。しかし、どうしてか、怖かった。無表情に言うユークリウス様は、やはり今日一日のことを怒っているのではと、考えざるを得なかった。


「私、私は……ユークリウス様の貴重なお時間を、つまらないことに使わせてしまいました。更にあろうことか、私は貴方様に案内された身分でありながら、行く先々で感想の一つも述べることができず……。無口で、何も喋らず……きっとご不快な思いをされたでしょう。ですから……」


 今日一日のことを振り返って、目頭を熱くさせる。申し訳ないという思いに包まれて。だが申し訳ないと思うならば、今ここで謝罪することこそが、最も愚かなことである。

 ただでさえ酷かった一日を、今こうして謝罪することで、余計に酷くしているからだ。そのことに気づけない私は、なんて愚鈍なのだろうか。


 私は私を嫌悪する。ひどい自分を嫌って。大好きな、憧れている人を困らせて。私は私は……!

 そうやって考えていたら、ユークリウス様は話しかけて下さった。


「ふむ……。気にするな」


「だって……! 本当は喋れるくせして、私は!!!!!」


 貴方に何もかも甘えて、逃げて。そんなことを言おうとしたら、ユークリウス様は無表情だったその顔を、【破顔させて】おっしゃった。


「貴様は。アスハ、お前は喋っていたよ。よくよく反応をくれたよ」


「……へ……ぇ?」


 意味がわからないですと、顔を横にぶんぶんと振ったら、ユークリウス様はさらに続けられた。


「私が思うにお前は、よく喋る方だろう。……多弁だ。同じくお喋りな私が言うのだ、間違いない」


「いえ、私は、実際喋ることをせずに……!」


「話していた……。お前の眼が、顔が、口元が。行く先々でお前は目を輝かせていた。私が何かを尋ねたら、口元は動き、表情は、本当に、ころころと変わっていた……。案内のしがいもあった」


 その言葉を聞いて耳を疑った。


「ふむ……何よりお前は、いつも言葉を探して、考え事をしていた。私が思うに、本当に無口、寡黙な者は……そもそも会話をしようと思わない。会話をするための言葉など探しはしないだろう。彼らはいつも自己完結をするからな……。

 寡黙な者は会話が苦手で自分勝手だ。その場その場の状況なんて考えず、唐突に話し始め、唐突に終わる。相手のペースなど考えない。だが、お前はずっと違った。相手に合わせようとしていた。お前は人との会話が得意だろう。だから私は今日楽しかったぞ。何も心配する必要はない」


 私の頰にまた涙が伝った。だがその涙の故郷は、今度は後悔という所から来たものではなかったと思う。


「第一、お前には色々と大変なことがあった。それにも関わらず、人前に出ることだって、今となっては可能になっている。『本当は喋れる』それは事実なのだろう。だが、そんなこと……自分が話したい時に話せば良いのだ。私はいつもそうしている」


 「これで話は終わりだ」最後にユークリウス様はおっしゃって、実際にそれ以降このお方が、何かをおっしゃることはなかった。

 私はユークリウス様からもらった言葉を、大切に心に留め、納得し涙を拭った。


 それを見ていたユークリウス様は、「ふむ……」と呟かれた後に、こんなことをおっしゃった。


「もし貴様が、もっと言葉を喋りたいと思うならば、一つ贈り物をしてやろう」


 そう言うと、がさごそと懐をまさぐり、私に手渡してきた。それは紐で一括りにされた小さな紙の束と、ペンであった。


「本来聖騎士団は皆、出来るはずなのだが。貴様は特別な入り方をしたからな。筆記試験は受けなかったな……?」


 コクリと頷く。


「そうだろうな。お前を聖騎士団の一員にさせるとなれば、素早い決着をする必要が上層部にはあった。だからこそ、貧民街出身、奴隷と経緯を重ねてきた貴様に、筆記試験は課せなかった。……貴様も文字を学ばなくて良かった。だが……お前がこれから先、誰かと喋りたいと思うなら、文字は覚えた方がいい」


「私が文字を……ですか?」


「そうだ。確かに不安はあるかもしれない。だが、安心しろ。私が教えてやる」


 ユークリウス様はおっしゃると、無表情に小首を傾げた。それがどんな意味なのか、しばしの間分からなかったが、それが、【どうだろうか?】という意味合いで使った動作なのが、目を見てなんとなく分かった。


 私はまた、コクリと頷いた。


「ふむ……。では決まりだ。この後、部屋に帰ったら、早速行うこととしよう。行くぞアスハ」


「……ぁ」


 私は、はい、ユークリウス様と返事をした。



多弁とコミュ障の外伝 終了

 ユークリウスは自分のことを、[人と会話する気があるので、自分は寡黙ではない]と評価しているようです。


 トーロス「だから貴方は人付き合いがへったくそなのでは……?」



✳︎



 100話……長い期間読んでくださり、読者の方には感謝の言葉もありません。長い期間書いてきましたが、物語はまだまだ続きます。今書いている章は、束の間の平穏であると同時に、大切な人物描写の章でもあります。誰に一番フォーカスが当てられているか、考えてみるのも楽しいかもしれません。

それでは次回もお楽しみに……!


※下は100話記念の記念絵+来週からの表紙絵です。


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